プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

渋谷幸春

2024-12-06 23:10:17 | 日記
1970年
中日のことし大洋に不思議なくらい勝てなかった。これまで七試合に延べ二十四人が登板しながら、勝利を得たのは三回戦で六回までがんばった若生ただ一人。失点の合計がなんと38点。一試合平均5点以上を奪われた勘定になるのだから、これでは勝てっこなかった。ところが、このカードでプロ入り初先発した渋谷は、あれよあれよと見る間に六回まで大洋打線を散発3安打に押え、待望のプロ入り初勝利を飾った。渋谷は昨秋のドラフト8位。ノンプロ四国電力から中日入りした投手だ。この日は得意のカーブが実にさえていた。ネット裏では大洋の打者がタイミングが合わず、へんてこりんなフォームでから振りすると「いまのはスライダーかな、いやカーブじゃないかな」とさかんに首をひねった。渋谷の投法は決してスマートとはいえない。上体が前に突っ込んで腰が早く開き、タマはからだとはかなり離れたところから出てくる。そして右打者の内角にはいるカーブは、スッポ抜けかハチ巻き気味。だから一瞬打者はうしろに腰を引いてしまう。次には真ん中から外角へブレーキのあるカーブが決まるので、大洋の打者はねらいダマの選定にみんな迷っていた感じだった。三回あたりから降り出した雨と汗で渋谷のユニホームはズブぬれだった。でも、六回まで球威は全然落ちなかった。


「てっきり延長戦かと思っていたんですよ」九回表、味方打線が難攻不落とみえた大石から待望の決勝点を奪い、すんなり3勝目をちょうだいした渋谷は、水原監督以下ほとんどの全選手から祝福の拍手を浴びても信じきれない表情。「試合前、きょうはわしのリードにまかせろと木俣さんにいわれて、その通りに投げただけです。だけど自分でもカーブや落ちるタマがよかったし、スピードがいつもよりありましたからね」と新人ばなれの度胸が売り物の渋谷もたくさんの報道陣に囲まれ盛んにテレながらポツリ、ポツリと話す。黙々と好投を続けるマウンド上の渋谷は自信にあふれているようだ。奪った三振8個、四球なし、ヒットを除いて外野フライを許したのは九回水谷の中飛だけ、渋谷の出来がよかったのかがわかる。「やっと待望の1勝ですよ。さあこれからバリバリやりますよ」と景気のよいことばで結んだころが、いかにも若さいっぱいの渋谷らしかった。


広島は初回中日・渋谷の立ち上がりを攻め三村・国貞の長短であざやかに先行した。トップ三村が右翼線に二塁打したあと、国貞は0-2からの内角シュートをうまくおっつけ高木守の左を破った。渋谷は三回にも二死から国貞、山本浩の連続ヒットを浴び、あぶない場面があったが、山本一を二ゴロに打ち取りピンチを脱出。そのほかは五回まで毎回三振を奪う好投、得意の外角カーブとシュートをフルに生かして見事に立ち直った。


1971年


渋谷が巨人に投勝った。1回はきわどいコースの球が決まらず、3四球と高田の二塁打、犠飛などで2点をとられたが、二回以後は立直って巨人の追加点を許さなかった。全般に投球数は多かったが、カーブ、スライダー、シュート、フォークボールを巧みに組み合わせて投げ、しかも徹底的に低目をついていたのがよかった。

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酒井光次郎

2024-12-06 22:45:25 | 日記
1989年
「阿波野さんと同じ背番号が欲しい」日本ハムのドラフト1位・酒井光次郎投手が、熱パの主役・近鉄阿波野と同じ栄光の「背番号14」を熱望した。「背番号?できるなら14番がいいです。僕にとっては、一番輝いて見える背番号ですから」阿波野との出会いは、松山商2年の時。当時、大学2年だった阿波野のいる亜大と合同練習をした。同じ左ということもあって、視線は自然に阿波野にそそがれる。「鮮烈でした。球が速いだけでなく、緩急の使い方が素晴らしいんです。あの人に金属バットは無力でした」肌で感じたザ・ピッチング。七つの球種を駆使する多彩な投球術の一つの原点となった。その時もらったグラブは宝物として、大学寮の自室に飾ってある。大学時代の実績では、既にあこがれびとを抜いている。阿波野が一度もできなかった大学選手権Vを3回、公式戦80回3分の1連続無失点という快記録も打ち立てた。エースナンバーではなく自ら選んだ「背番号14」を背負って。日本ハムでは現在「14」番は川原。14番熱望をナマイキに聞こえるが、阿波野と同じ土俵に上がれるという熱い思いがこう言わせる。「プロの世界で早くライバルと認識してもらいたい」七つの球種を持つ即戦力ルーキーは、パのエースに敢然と宣戦布告した。


1990年


近鉄野茂が「ミスターK」なら、日本ハムのドラフト1位は「ミスタークレバー」だ。身長172㌢の小さな左腕が、プロ初先発で、5安打1失点の完投勝利。一度も連打を許さない頭脳的な投球で、チームに今季初の3連勝をもたらした。「ルーキーに先発させる監督は勇気がいるものでしょ。それにこたえたかったんです」この冷静さ、だがこれくらいの落ち着きがなければ、最高速137㌔ではプロの打者を打ち取れない。100㌔台のカーブと120㌔台後半のスライダーを基本に、速球、シュートを巧みに組み合わせる。「けっこう甘い球があったのに。なぜかタイミングが合わない」とダイエー山本。ベテラン若菜の好リードも手伝って、ダイエー打線に的を絞らせなかった。「ちょっと勝利投手を意識しちゃって」という5回がピンチらしいピンチ。小川史に得意のカーブを適時打され、動揺するかと思えば、マウンドでこんなことを考えていた。「あれっ、オレ、ドキドキしている。そうか、これがいわゆる勝ちを急ぐ心理状態なんだ」戦っている最中でも、自分を冷静に見詰めていた。だが、意外に縁起をかつぐ一面もある。18日のダイエー戦でワンポイント登板したが、打者3人に対し2安打され2失点。そのとき使っていた赤いグラブに代え、この日は新しく黒のグラブを使った。「けっこう気にするタイプなんです」近藤監督が「素材の良さはキャンプで分かっていた。剛の野茂、柔の酒井をパの売り物にしたいね」と言えば、酒井も「日本ハムの1位は何やってんだ、と言われたくないですから」と指揮官の心情を察し、呼吸もピタリ。ミスタークレバーが、ロッテ小宮山、西武潮崎、近鉄野茂に続き、新人王争いに名乗りを上げた。


ルーキーの酒井がダイエーを封じ込んだ。4度目の完投勝利でプロ初完封。酒井は直球にカーブ、スライダーを交ぜてスピードに変化をつけた。2度三塁に走者を置いたが、2回は二ゴロ、4回は三振に仕留めた。打線は4回、2死二塁から古屋以下の3連打で2点。6回ウインタース、8回大島が本塁打して突き放した。ダイエーは酒井の球に狙いを絞り切れず今季チーム最小の2安打、凡打を繰り返した。


急ぐな!慌てるなよ!そればかりを念じてのマウンドだった。序盤から味方打線が着々と加点してくれる。自然とこみあげてくるプロ初完封への色気を必死に断ち切りながら、酒井は「大事に大事に」一球一球を投げ込み続けた。2試合連続のミスを、即戦力の評価を受けてドラフト1位入団した頭脳派左腕は、しっかりとピッチングの肥やしに変えていた。「すぐに勝ち急いで7、8回に点を取られてしまってましたからね」7月22日の西武戦では8回途中で、30日のオリックス戦でも7回終了でマウンドから下ろされた。試合前半は計算通りの投球をしながらツメの甘さが黒星を先行させてしまっていた。焦って根負けだけはするものか。そんな思いがボールに乗り移ったのは7回裏、ダイエーのベテラン有田との対決だった。ムシぶろのような登場。まさに胸突き八丁で迎えた1死一塁だった。2-1と追い込みながら有田は簡単に引き下がってくれない。力いっぱい投げても、曲げてもカットされる。7球連続ファウル。ジレる心を必死で殺して「それじゃあ思いっ切り、抜いた球でいってみよう」で、超スローカーブで勝負して三振切り。まさに急がば回れを地で行くパターンで、気がつけば感激の初完封勝利をその手に収めていた。

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面出哲志

2024-12-06 22:14:20 | 日記
1998年


阿部企業を経て昨年入社。球威のあるストレートとチェンジアップ気味に抜いたボールを武器にドラフト候補に名乗りを上げる。

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部坂俊之

2024-12-06 22:10:40 | 日記
1998年
昼食中、仲村監督から朗報を受けた。午後からは普段どおりに練習に参加。ドラフト会議がすべて終了するのを待って、阪神への思いを語った。「先輩の川尻さんもいますし、低迷していたヤクルトを強くした野村監督にも早く会いたいです」と心はすでにタテジマ。MAX143㌔のサイドスロー右腕。もちろん目標は即戦力として一軍のマウンドに立つことだ。


サイドスローから力のある直球と切れのよいスライダー。打者に向かっいく気迫の投球。


1999年


92年、横浜高のエースとして春の甲子園センバツ大会に出場するが1回戦敗退。亜細亜大ー東芝府中を経て入団。サイドハンドから繰り出す抜群の制球力と落差の大きいカーブが武器。181㌢、77㌔。


「右打者の内角を思い切って突くカーブとスライダーは、こちらをうならせるほどだよ」と阪神の岡田二軍監督が報道陣にドラフト4位の部坂俊之投手をPR。3試合に登板し2勝。投球回数15回で防御率2・40で防御率8位である。この部坂の課題はストレートのスピードアップ。安芸キャンプで142㌔をマークしたストレートは、最近は136㌔。このスピードが戻れば一軍入りも確実か。


全ウ・岡田監督の指名を受け、まずは先発の部坂が奮い立った。相手の先発は横浜高の後輩・矢野(横浜)。それだけになおさら負けるわけにはいかなかった。三塁ベンチ上からは母・陽子さん(52)ら家族が見つめている。そんな意地と、周囲の期待にこたえて、部坂はマウンドで踊りまくった。初回から直球とスライダーで全イ打線を寄せ付けない。三回二死・小田を二ゴロに仕留めた瞬間にはグラブをポンポンと叩いて笑顔を振りまいた。3回を1安打無失点。たった一人出した走者も盗塁を阻止して九人で責任イニングを終えると、優秀選手賞の五十万円が転がり込んできた。「自信になりました。課題の直球もファームでやってきたことが実戦できました」


負けたとはいえ、全ウの中でも特に阪神勢の活躍が目立った。その代表が先発した部坂だ。147㌔前後の速球を左打者の内角に投げ、3回を被安打がわずかに1本。きょうの内容をそのまま上に持っていっても、十分に通用する。サイドハンドの本格派という阪神にはいないタイプとあって、後半戦、野村監督のおメガネにかなう存在になるはずだ。課題は上体が突っ込む投球フォームだけに、腕が前でさばけず、緩い変化球が投げられないこと。これを修正すれば右打者には極めてやっかいな投手になる。また、シュート回転で落ちるフォークをもっと多投してもいい。とにかくこの日登板したピッチャーの中では、ピカイチの素材と言っていい。


2000年


2年目を迎えた野村阪神のキャンプで一軍抜擢を受けた期待株は部坂俊之だ。2試合目となる紅白戦のマウンドは、2月19日だった。3番手で登場した部坂。この日の登板では「考える投球」がひときわ目をひいた。前回の登板では、真っすぐとシュートのみでしのいでいる。そして、この日はスライダーもミックスして、打者をほんろうして見せた。「シュートで、バッターの体を起こすような感じで投げた」さらにスライダーを意識させることで、幅のあるピッチングを心掛け、結局、打者6人を無安打で片付け、2試合5イニングをパーフェクトに抑え込んだ。昨シーズンは一軍で16試合に登板するも勝ち星を得ることはできなかった。「今年は開幕から一軍に入って、上で勝たないといけませんから」キャンプで結果を出せたことは大きな自信となった。2年目の今季には、プロ初勝利をかけて臨むつもりでいる。

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ミラー

2024-12-06 21:39:55 | 日記
1999年
優勝請負人がやって来た。阪神の新外国人のカート・ミラー投手(26)が二十八日、関西空港着のNW機で来日した。「自分の持ち味は92マイル(約147㌔)のファストボール」力で押す本格派だが「制球にも自信がある」と来れば、いやが上にも期待は高まる。現在、申請中の就労ビザが取得でき次第、チームに合流。早ければ七月十六日の巨人3連戦で、そのベールを脱ぐ。背番号は「53」


黒のTシャツに、ジャケット姿で195㌢、100㌔の大男が関西空港に現れた。苦しい先発ローテに悲鳴を上げた野村監督が待ち望んでいた新外国人投手。おぼっちゃま風の優しい顔が、タテじまのユニホームにソデを通した途端、キリリと引き締まった。「チームが調子いいことは知っている。優勝できるよう助けるために来た。真っすぐとスライダーに自信があるんだ。その二つの球種は、いつでもストライクが取れる。真っすぐでも92㍄出るしね」うれしいことを言ってくれる。球威でグイグイ押すタイプの投手が少ない阪神にあって、147㌔右腕は何とも魅力的。カーブ、チェンジアップも操り、さらにコントロールも心配なしと来れば怖いものはない。90年にパイレーツからドラフト1位指名を受けた大器で、今季も開幕時にはカブスに所属し、4試合に登板した。その後、3Aのアイオワでプレーしていたが、昨年は同チームで先発として14勝3敗の好成績。「監督の指示に従うが、先発の方が得意分野なんだ」と、ローテ投手が一人でも欲しい野村阪神にはうってつけの存在だ。性格も意欲的だ。現在、就労ビザを申請中で、すぐにその剛腕を見られないのは残念だが「アパートを見たり、球場を見たりしたい」と、日本の環境、野球にひと足早く慣れようという思いからの来日。練習をこなしながら、就労ビザが取得でき次第、一時帰国。そして再来日し、チームに本格合流する。一軍枠をめぐってはメイ、リベラとの争いになるが、先発不足の事情から、リベラに代わってミラー起用が濃厚。「自分でコントロールできる問題ではない。ただ、ベストを出せばいい結果は出るよ」と自信ものぞかせた。約二週間後にもプレーできる予定で、その後は二軍戦での登板を経て、早かれば十六日からの巨人3連戦でベールを脱ぐ可能性もある。二十九日には誕生日を迎える野村監督と甲子園で初対面。「楽しみにしているよ」とミラー。期待通りの働きをすれば、これ以上ない誕生日プレゼントになる。

野村監督「見て使ってみないと何とも言えないが、まず二軍で山田に受けさせてみる。14勝3敗という昨年の成績だけが頼りだが、記録を見るとバラバラだね。二十六歳と若いのが魅力だ。末永編成部長さんの国際電話では、ファスト・カットボールが抜群らしい。球は速いと言ってなかったけど。(合流は)早くて来月十日、遅くても十五日ごろじゃないか」

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