1970年
中日のことし大洋に不思議なくらい勝てなかった。これまで七試合に延べ二十四人が登板しながら、勝利を得たのは三回戦で六回までがんばった若生ただ一人。失点の合計がなんと38点。一試合平均5点以上を奪われた勘定になるのだから、これでは勝てっこなかった。ところが、このカードでプロ入り初先発した渋谷は、あれよあれよと見る間に六回まで大洋打線を散発3安打に押え、待望のプロ入り初勝利を飾った。渋谷は昨秋のドラフト8位。ノンプロ四国電力から中日入りした投手だ。この日は得意のカーブが実にさえていた。ネット裏では大洋の打者がタイミングが合わず、へんてこりんなフォームでから振りすると「いまのはスライダーかな、いやカーブじゃないかな」とさかんに首をひねった。渋谷の投法は決してスマートとはいえない。上体が前に突っ込んで腰が早く開き、タマはからだとはかなり離れたところから出てくる。そして右打者の内角にはいるカーブは、スッポ抜けかハチ巻き気味。だから一瞬打者はうしろに腰を引いてしまう。次には真ん中から外角へブレーキのあるカーブが決まるので、大洋の打者はねらいダマの選定にみんな迷っていた感じだった。三回あたりから降り出した雨と汗で渋谷のユニホームはズブぬれだった。でも、六回まで球威は全然落ちなかった。
「てっきり延長戦かと思っていたんですよ」九回表、味方打線が難攻不落とみえた大石から待望の決勝点を奪い、すんなり3勝目をちょうだいした渋谷は、水原監督以下ほとんどの全選手から祝福の拍手を浴びても信じきれない表情。「試合前、きょうはわしのリードにまかせろと木俣さんにいわれて、その通りに投げただけです。だけど自分でもカーブや落ちるタマがよかったし、スピードがいつもよりありましたからね」と新人ばなれの度胸が売り物の渋谷もたくさんの報道陣に囲まれ盛んにテレながらポツリ、ポツリと話す。黙々と好投を続けるマウンド上の渋谷は自信にあふれているようだ。奪った三振8個、四球なし、ヒットを除いて外野フライを許したのは九回水谷の中飛だけ、渋谷の出来がよかったのかがわかる。「やっと待望の1勝ですよ。さあこれからバリバリやりますよ」と景気のよいことばで結んだころが、いかにも若さいっぱいの渋谷らしかった。
広島は初回中日・渋谷の立ち上がりを攻め三村・国貞の長短であざやかに先行した。トップ三村が右翼線に二塁打したあと、国貞は0-2からの内角シュートをうまくおっつけ高木守の左を破った。渋谷は三回にも二死から国貞、山本浩の連続ヒットを浴び、あぶない場面があったが、山本一を二ゴロに打ち取りピンチを脱出。そのほかは五回まで毎回三振を奪う好投、得意の外角カーブとシュートをフルに生かして見事に立ち直った。
1971年
渋谷が巨人に投勝った。1回はきわどいコースの球が決まらず、3四球と高田の二塁打、犠飛などで2点をとられたが、二回以後は立直って巨人の追加点を許さなかった。全般に投球数は多かったが、カーブ、スライダー、シュート、フォークボールを巧みに組み合わせて投げ、しかも徹底的に低目をついていたのがよかった。
中日のことし大洋に不思議なくらい勝てなかった。これまで七試合に延べ二十四人が登板しながら、勝利を得たのは三回戦で六回までがんばった若生ただ一人。失点の合計がなんと38点。一試合平均5点以上を奪われた勘定になるのだから、これでは勝てっこなかった。ところが、このカードでプロ入り初先発した渋谷は、あれよあれよと見る間に六回まで大洋打線を散発3安打に押え、待望のプロ入り初勝利を飾った。渋谷は昨秋のドラフト8位。ノンプロ四国電力から中日入りした投手だ。この日は得意のカーブが実にさえていた。ネット裏では大洋の打者がタイミングが合わず、へんてこりんなフォームでから振りすると「いまのはスライダーかな、いやカーブじゃないかな」とさかんに首をひねった。渋谷の投法は決してスマートとはいえない。上体が前に突っ込んで腰が早く開き、タマはからだとはかなり離れたところから出てくる。そして右打者の内角にはいるカーブは、スッポ抜けかハチ巻き気味。だから一瞬打者はうしろに腰を引いてしまう。次には真ん中から外角へブレーキのあるカーブが決まるので、大洋の打者はねらいダマの選定にみんな迷っていた感じだった。三回あたりから降り出した雨と汗で渋谷のユニホームはズブぬれだった。でも、六回まで球威は全然落ちなかった。
「てっきり延長戦かと思っていたんですよ」九回表、味方打線が難攻不落とみえた大石から待望の決勝点を奪い、すんなり3勝目をちょうだいした渋谷は、水原監督以下ほとんどの全選手から祝福の拍手を浴びても信じきれない表情。「試合前、きょうはわしのリードにまかせろと木俣さんにいわれて、その通りに投げただけです。だけど自分でもカーブや落ちるタマがよかったし、スピードがいつもよりありましたからね」と新人ばなれの度胸が売り物の渋谷もたくさんの報道陣に囲まれ盛んにテレながらポツリ、ポツリと話す。黙々と好投を続けるマウンド上の渋谷は自信にあふれているようだ。奪った三振8個、四球なし、ヒットを除いて外野フライを許したのは九回水谷の中飛だけ、渋谷の出来がよかったのかがわかる。「やっと待望の1勝ですよ。さあこれからバリバリやりますよ」と景気のよいことばで結んだころが、いかにも若さいっぱいの渋谷らしかった。
広島は初回中日・渋谷の立ち上がりを攻め三村・国貞の長短であざやかに先行した。トップ三村が右翼線に二塁打したあと、国貞は0-2からの内角シュートをうまくおっつけ高木守の左を破った。渋谷は三回にも二死から国貞、山本浩の連続ヒットを浴び、あぶない場面があったが、山本一を二ゴロに打ち取りピンチを脱出。そのほかは五回まで毎回三振を奪う好投、得意の外角カーブとシュートをフルに生かして見事に立ち直った。
1971年
渋谷が巨人に投勝った。1回はきわどいコースの球が決まらず、3四球と高田の二塁打、犠飛などで2点をとられたが、二回以後は立直って巨人の追加点を許さなかった。全般に投球数は多かったが、カーブ、スライダー、シュート、フォークボールを巧みに組み合わせて投げ、しかも徹底的に低目をついていたのがよかった。