プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

山崎健

2024-12-20 15:43:09 | 日記
1994年
昨季の一軍での成績は4試合に登板して0勝2敗、防御率は12.00と決して自信につながる成績ではない。それでも「最高の経験でした」と山崎が言うのは、投手というものは、ただ投げるいるだけでは通用しないことが分かったからだ。打たれだしたら止まらなくなり、なんでこんなに打たれるのだろうと後で考えてみた。行き着いた結論は「余裕のなさ」だった。打たれれば焦ってしまい、プレートを外したりロージンに手をやったりなど、間合いを一つ変えることもできず、相手のリズムに合わせて投げてしまっていた。この点が分かっただけでも一軍経験は山崎の財産となっている。この反省を糧に現在は、配球の勉強中。山崎は「北別府さんみたいに意識してボールを投げられる投球術と相手に嫌がられるような間合いを覚えたい」と言う。山崎の長所は飲み込みが早く、教えられたことがすぐにこなせること。守備、バント、けん制などは一軍投手と比べてもトップクラス。四種類(直球、カーブ、スライダー、フォーク)の持ち球も、ある程度のレベルにあるという。こうした器用さがある半面、もう一つ足りないのが体の力。いわゆるパワーだ。「投げ込んでいく中でパワーを着けていきたい」との方針を持っている。

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川口知哉

2024-12-20 13:55:51 | 日記
1998年
古田のバットが大きく空を切ると、場内から感嘆の息が漏れた。川口が落差のあるフォークで、球界を代表する打者・古田を空振り三振に切った。IDの申し子との対決は二回無死から。初球は99㌔の大きなカーブが足元に行き、ひっくり返らせた。腰が引けたのを見てスライダー、カーブで2-1に追い込む。そして高橋信が要求した外角直球に首を振り「あそこは見せ場だったからフォークしかない。とっさにそう思った」と勝負した。練習でも「キャンプから20球ぐらいしか投げてないかな」とめったに投げないフォークを決めた。「あれは完ぺきでしょ」と自慢げに話した。ルーキーに手玉に取られた古田は「フォーク投げるんだね。いいんじゃないの」と悔しそうだった。

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バルデス(阪神・中日)

2024-12-20 13:48:10 | 日記
2002年
星野監督が聞けば、泣いて喜ぶような熱いセリフが口を突いた。黒のスーツに身を包んだバルデスだが、そのハートは真っ赤に燃えていた。「ジャイアンツとはライバル関係だと聞いている。何とかジャイアンツを倒したい」来日早々、いきなりの「G倒宣言」新守護神と期待される右腕は、すでにタテジマの宿命を知っていた。もちろん、星野監督が新守護神として期待していることも重々承知している。「他のメジャーのクローザーよりは球が遅いかもしれないが、もちろんやるつもり。監督にも教わりたいね」スピードは144㌔前後だが、スライダー、シンカーを駆使した投球術には絶対の自信を持っている。「85年以来、優勝から遠ざかっているのも知っている。何とか優勝したい。抑えなら球界1イニングを締めてみせる」V奪取のためなら粉骨砕身、その右腕を振るうつもりだ。


バルデスはどちらかと言えば、力でねじ伏せるパワーピッチャーではなく、キレで勝負するタイプだ。直球は90㍄(144㌔)程度と驚くほどの速さはないが、いわゆるシンキングファストボールでシンカー気味に落ちるのが特徴。スライダーとのコンビネーションを中心にチェンジアップを交えた投球は、制球もよく、日本向きと言える。マイナーでは主に先発で起用されていたが、エクスポズ時代の97、98年には中継ぎで、いい仕事をした。抑えのウービナ(現レッドソックス)への橋渡し役を務めた。起用法は星野監督がキャンプで見極めるだろうが、抑えよりむしろセットアッパーで使えばおもしろい。何よりメジャーでの実績と経験は大きな武器だ。気掛かりなのは、98年途中に右ヒジを痛め、その後、腱の移植手術を受けたこと。昨年はメジャーで9試合に登板しただけ。ブレーブスの投手層が厚いこともあるが、どこまで回復しているか。右ヒジの状態さえ万全なら、おもしろい存在だ。


2003年


今季先発ローテーションの1人として期待される新外国人バルデスがブルペン入り。捕手を座らせ、直球、シュート、チェンジアップ34球を投げた。「思っていたよりいいところに投げられた。いい感じ」と、口元を緩ませた。昨年の阪神時代は抑え役。先発としてのスタミナをつけるため、外国人投手にしては早いマウンドとなった。


先発はバルデス、山本昌らの予想。バルデスは前回第1戦に先発し、6回1失点と好投した。15日の横浜戦でも6回3失点。阪神時代の抑えから先発に回ったが、ペース配分や調整方法をつかみ、安定感が出てきた。得意のスライダーを低めに集め打たせて取り、打線の援護を待ちたい。

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リベラ(阪神)

2024-12-20 13:28:09 | 日記
1998年
ウオーミングアップでまず周囲を驚かせた。軽く投げたにもかかわらず、受けた西口ブルペン捕手は赤くなった左手を握りながら「145㌔は出てたと思うよ」と証言した。これを見た後だけに、風岡は恐る恐る打席に入った。フリー打撃の軽いムードなど、どこにもなかった。この風岡と続く星野を相手に合計65球。速球、シュート、スライダー、カーブと持ち球はすべて投じた。見逃しストライク6球、空振り1球、ボール28球、ファウル12球と、結果だけを見れば決して絶賛されるものではない。だが、球の速さと重さは十分に実証された。「確かに速いし重いです。みんなから球が荒れてくるゾって脅されてたんですが、荒れてこなかった」(風岡)「打ちづらい。威圧感がありますよ。コントロールもよさそうですね」(星野)安芸キャンプ中に両アキレス腱を痛め、大幅に調整が遅れた。明らかな投げ込み不足から、開幕不安説もささやかれた。そんな矢先、本人が「打者に投げたい」と志願してきた。折しも、第七の助っ人獲得のため、小林、三宅両渉外担当が渡米した日にだ。ド迫力のフリー初登板は、リベラの自衛本能が働いたからなのか。もちろん、この日の姿で序の口。「打たせようと思って投げただけ。力いっぱいじゃないよ。自分のボールを怖いと思ってくれたあありがたいけどね」調整不足の上に手加減してこれだ。暖かくなって完全に体が仕上がってくれば、より球威は増してくることを期待させてくれるフリー初登板。首脳陣が実戦登板のメドとするのは、十日後の十五日。この間、二軍で投げ込みと走り込みを行い、独自の調整を続ける予定だ。幸い、アキレスけんの状態も良好。「気持ちよかったよ。もう一回打撃投手をして実戦に投げられればいいね」ふさぎがちだった顔に一瞬笑みが漏れた。猛虎の怪人にようやく春が訪れようとしている。


(ウエートトレを終えると静かに安芸ドームの通路へ)
ー初めての投球だが。
「別にいつも通りだよ。感じはよかった。心構えも変わりはないしね」
ーブルペンでの投球がいつになるか分からないと言っていたが、今日になったのは?
「初日から投げるつもりだったよ。キャンプに来たのだから投げるには違いない」
ーこんなに囲まれるのは初めて?
「イエス。こんなに人がいると、やはり気を使ってしまうよ」
ー球種はどんなものを。
「直球にスライダーやシンカー、チェンジアップです。一日目にしてはいい出来だった。でも、ブルペンでいい球投げても仕方ない。感触をつかむだけだよ」


三日ぶりのブルペンでは変化球中心の投球だった。スプリットは低めに落ち、スライダーもキレは十分。初めて受けた矢野輝も「十分に三振は取れます。あの速球なら高めでもいけるし、落ちる球でもバットは振るはず」と証言。が、それ以上に最大の武器があった。「デカイ体にあの顔ですよ。打者にとってすごく近く感じるし、万一(150㌔の速球が)顔にでもきたら、と本能的に思ってしまうし(リベラが)にらむと、それだけで間違いなくびびってしまう」と断言。ウイニングショットは顔という球種のようだ。

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バルガス

2024-12-20 13:07:59 | 日記
2002年
バルガスはドミニカ共和国出身。1995年にインディアンスに入団。今季は22試合に登板して3勝2敗8セーブ。防御率2.31。150㌔近いストレートとチェンジアップ、シュートが持ち球。30日に来日する予定。背番号は未定。


来日初登板。「この日が来るのを待っていた」という。140キロ台半ばのストレートにシンカー、フォーク。低めへの制球もよかった。広島打線を幻惑したのは、腕の長さと柔らかさ。球持ちが長い分、球に伸びがあり、打者は差し込まれた。ブラックスネーク(黒蛇)というニックネームは、「球が微妙に揺れるところからついたらしい」とバルガスは言うが、巻き付いてくるようなその腕が、打者には一瞬、蛇に見えるのかもしれない。

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リベラ(広島)

2024-12-20 13:00:28 | 日記
1994年
広島は15日、ドミニカ共和国カープアカデミーから参加しているカルロス・リベラ・ヌーニェス投手(23)=185㌢、85㌔、右投げ右打ち=と選手契約を結び、支配下選手登録した。年棒四百万円(推定)背番号109。リベラは十三日に行われた紅白戦(沖縄)で2回を1安打に抑えるなど成長ぶりが認められた。「うれしい。ドミニカの家族にこのニュースを知らせたい」とリベラは喜んでいた。


ドミニカ野球学校出身のリベラが好投した。140㌔台のスライダーを武器に、2回を打者六人で片付けたほか、鋭いけん制で走者を刺すなど器用さも披露した。一度目のテストでも2回を無失点。「どんどん試してみたい。オープン戦で投げる機会もあるでしょう」と三村監督の評価も高まっている。支配下選手登録も済ませ、今後の結果次第では一軍入りも夢ではない。「1球1球に集中して投げたい。上(1軍)でやっていく自信はある」とリベラは希望に胸を膨らませている。


185㌢、85㌔の二十三歳。昨秋の初来日以来、長身から投げ下ろす140㌔台の速球と切れの鋭いスライダーで絶えず注目され、その評価を上げ続けてきた。二月十四日の紅白戦で2回を1安打無失点と好投し、五日には支配下登録された。「目的に向かってやってきたから、ここまでこられた」とリベラ。目的とはもちろん一軍入りだ。三村監督も「球に角度があるし、長い腕が遅れて出てくるので打者にとっては見にくい。試してみる楽しみが増えたよ」と評価している。認められているのは実力だけではない。「つらいとか、痛いとかいった弱音は絶対に口にしない」と上之通訳。まじめさに裏打ちされたハングリー精神もリベラの魅力の一つだ。カリフォルニア・エンジェルスのルーキーリーグに在籍していた三年前、4勝1敗と好成績を残しながら、突然の解雇。「ユニホームを着ている者はみんな敵。追いつくのではなく、追い越さなければ自分の名前はなくなる」一つの挫折が、強い精神力となり、今のリベラを支えている。パ・リーグの覇者・西武にも動じるところはない。「清原はいい打者。でも勝たないといけないし自信もある」ここまで順調に上り続けてきた階段。六日の結果によっては「六人目の先発」という次なるステップも見えてくる。


ドミニカ出身のリベラが初先発した。試合前、リベラはこわばった顔でベンチに座っていた。ひと目でひどく緊張しているのが分かった。「最初は緊張した」と言うがそんなものではない。通訳がちょっと漏らした「手が震えたらしい」というのが真相だろう。先頭打者苫篠への初球はストライク。広島ベンチからリベラ応援の大歓声。良かったのはこの瞬間まで。ボール球が続き、苫篠を歩かせるとストライクを取りにいく球を佐々木、パグリアルーロに連打された。併殺をあせった味方内野の失策。垣内の適時打で3失点。それでも二回からは立直った。二回、先頭打者宮地を投ゴロにとると、思わず出たガッツポーズにリベラがこの試合にかけていた意気込みがのぞいていた。三回には清原を「ボールになるスライダー」で空振りの三振にとった。「初回は直球を打たれた。二回から制球も良くなった。自分としては80%の力が出せたと思う。一軍に残れるよう頑張る」わずか3イニング、52球で結論を出すのは早計。しかし、ひょっとして意外な戦力になる可能性も十分に見せた初マウンドだった。


この日、出場選手登録されたばかりのリベラが初登板した。広島がドミニカ共和国に作った野球アカデミー出身の選手としては公式戦出場第一号。「緊張せず、リラックスして投げられた」とは言うものの、制球がもう一つ。二回に2点を失い、三回、先頭のオマリーに四球を与えて降板した。結局、打者十三人に被安打3、三振1、四球3の失点3、自責点2。記念すべきマウンドはわずか53球で、「もう少し投げたかった。残念です。次のチャンスを生かしたい」ほろ苦いデビューとなったが、初打席では打点を記録、プロとして一歩を踏み出したその表情は明るかった。


四か月ぶり、公式戦の二度目の先発マウンドを踏んだリベラは「先頭打者を四回も出塁させたしまった。もっと練習をしなくてはいけない」と口からは反省の言葉ばかり。「少し緊張していた」という初回はピンチを併殺で逃れ無失点。しかし逆に、「リラックスして投げられた」という二回以降につかまり、5回、4失点で降板。「もっと球種を覚えたい。マウンド上で自信をもって投げられるように頑張ります」と落胆した様子はなかった。

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面出哲志

2024-12-20 12:30:17 | 日記
1998年
二年続けて1回戦でJTを破ったNKK。大勝を支えたのは、三菱重工三原から補強された面出の左腕だった。先発の磯田(NTT中国)が不調で、3-2とされた三回一死満塁でマウンドへ。「村上監督の指示を覚えていない」というほど緊張していたが「長打を警戒して低めをついた」1ー1からボールになるスライダーで、投ゴロ併殺に切り抜けた。緩い球をうまく使って八回まで5回2/3を2安打、無失点に抑えた。崇徳高を卒業後、就職予定の会社の野球部が休部となり「野球をやめようと思った」縁あって昨年、三菱三原に入社。チームは中国予選で敗れたが、球種の多さが村上監督の目に留まり補強。初の都市対抗の舞台で好投し「自信になります」と胸を張った。

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