プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

仁科時成

2024-12-05 15:50:47 | 日記
1981年
昨年開幕から好調に飛ばし、初の2ケタ勝利からチームで最高の勝ち星17勝をはじめ、勝利、防御率と文句のつけようのない活躍でロッテの前期優勝にも貢献度は最高だった。キレのよいアンダースローの右腕に磨きをかけ、体力の倍増に怠りなく練習に精を出している。(ロッテ選手会会長)

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郭李建夫

2024-12-05 15:43:45 | 日記
1993年
昨年のバルセロナ五輪で日本オリンピックチームを一蹴した、あの銀メダル右腕が猛虎軍団に加入。MAX150キロのストレートは、Vへの使者として首脳陣も絶賛。マウンド上の雄姿に注目したい。


1997年

五輪イヤーの昨年は、バルセロナの銀腕が底力を発揮。春先に完封勝利を挙げるや、抜群の安定感でリリーフに転向。8勝15セーブで虎の新・守護神に成長した。オフには、大リーグのドジャーズからの照会もありファンの気を揉ませたが、それも実力の証。心配された右ヒジの疲労も、古郷台湾のハリ治療で回復。開花した頼もしい助っ人は、今季も甲子園のマウンドで必勝を誓う。

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新浦壽夫

2024-12-05 15:21:41 | 日記
1978年
ベビーも誕生した。外車も買った。結婚を機に開花した大器は、さらに一家の主としての責任が重くなった。同時に名実ともにチームの大黒柱に、セリーグ№1の左腕投手へ踏み出すシーズンだ。防御率第一位のタイトルは渡せないし「大リーグでも十分通じる球威」(ライト投手)からすれば、もっと勲章を加えても不思議ではない。「やりますよ。みていてください」おとなしかったカッパ君は意欲的だ。乞うご期待。


1979年


昨年誕生したベビーに大蔵と名づけた。「将来、お金持ちになるように」との願いがこめられている。それよりパパの方が金持ちになるのが早道だろう。昨年は防御率一位・セーブ・ポイント王になった。先発完投を目指す今年は最多勝タイトルも夢ではない。「ピッチングはより大きくします。優勝のために1勝でも多く上積みしたい」と左のエースは自覚を深めている。今年、自責点が少なければ、史上初の3年連続防御率1位だ。


1989年


88年7月18日、巨人16回戦(横浜)ー。プロ21年目で通算100勝を達成した。「この世界に入って100勝して初めて一人前の投手になれるんだ、という目標でやってきたんだ」と新浦。人には語り尽くせぬ苦労の末に、つかんだ記録だった。そして22年目。七色の変化球を駆使する投球は今季も冴えわたる。先発は任せろ!

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弓長起浩

2024-12-05 15:18:14 | 日記
1999年
途中何度かのアクシデントに見舞われたものの、リーグトップの57試合に登板。二冠を獲得した巨人・松井選手、首位打者を獲得した横浜・鈴木選手に対して、ともに7打数ノーヒットに抑えるなど、土俵際の強さは抜群。今季も、驚異の防御率「1.69」で強打者を黙らせる、タフネス左腕がマウンドで唸る。

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小野和義

2024-12-05 15:14:37 | 日記
1990年
一大決心をした。シーズン後半、痛みのとれることのなかった左ヒジにメス。遊離軟骨除去手術は、プロ6年間、壁らしい壁にぶつかることがなかった小野にとって、最大の試練だった。4年連続して2ケタ勝利、その快挙はチームをリーグ優勝に導いたかわりに、投手生命を賭けたシーズンを左腕に与える結果となった。「自分のベストの力を10とすれば、今年は6程度しか出せないかもしれない」だが、小野はそんな試練に真っ向から挑もうとしている。それがエースとしてのプライドでもあり、またこの左腕なしではチームの連続Vに黄信号がともることを、本人も痛いほど承知しているのだ。中4日先発、救援、昨年苦しいとき、何度この男はチームを救ったことだろう。そして今季も…。小野は必ずファンの期待に応えてくれるはずだ。

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小野和幸

2024-12-05 14:50:48 | 日記
1989年
西武に在籍した6年間、わずか15勝しか挙げていない小野は「せめて自分の背番号(13)だけは勝とう」と内心誓った。それが、なんと移籍1年目で18勝4敗。「最優秀投手」と「最多勝利」さらに「ベストナイン」のタイトルに輝いた。一見して打てそうで打てないピッチャーといわれる。その秘密は両サイドに決める絶妙の制球力にある。それとスピード・メーターでは130㌔台のタマが、打者の手元でグイと伸びる。「2年目にも同じように勝てるとは思わない。でも、2ケタ以上は勝たなくちゃ…」と、自分を厳しく見つめることも忘れていない。

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末永吉幸

2024-12-05 14:47:50 | 日記
1975年
中西監督の秘蔵っ子。手首の強さは中西監督がヤクルト時代に育てた若松を想像させる。第二の若松へ、監督のきびしいアドバイスはきょうもとんでいる。内野手らしいシャープな動き。小柄なからだながらビックリするような特大ホーマー。サンショは小粒でもピリリとからい。なめたら大ヤケドだ。日本ハム育ちの期待の星。練習につぐ練習。大男たちを押しのけての活躍はさわやかな印象を与える。

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山崎慎太郎

2024-12-05 14:37:51 | 日記
1989年
ひょうきんな笑顔の中に、プロとしての厳しい顔が見え隠れする。一昨年の1勝から、昨年13勝に大きく飛躍。もはや押しも押されぬ牛投の右のエースに成長した。181㌢のボディから繰り出される切れの鋭いシュート、小気味よいストレート、そして「昨年活躍できたのはこれのおかげ」というスライダー。大きく振りかぶるモーションから投げ終わった後高く跳ね上がる右足は、打者に底知れぬ恐怖を与える。「今季徹底的にマークされることは覚悟している」それを乗り越えてこそ真のプロといえることは百も承知。落ちる球をマスターして、2年連続2ケタ勝利へばく進だ!

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都裕次郎

2024-12-05 14:32:34 | 日記
1983年
「大器晩成」と言われてきた裕ちゃん、一歩一歩着実に前進し、昨年はチーム一の勝ち星「16」を挙げた。その働きがなければ優勝も不可能だったはずだ。いまや、押しも押されもせぬ左のエースだ。プロ入り7年目、今季の目標は「200イニング以上投げて防御率は2点台。15勝以上、負け数は1ケタに」この目標達成のため、疲労からくる腰痛防止と右打者へのキレのいい内角球のマスター、この二つの課題を決め、昨年のオフから自主トレ、キャンプと下半身の強化に努めてきた。ユニホームを脱げば24歳の礼儀正しい純情青年だが、エースとしての自覚と欲も出てきた。真価を問われる年に固い決意をみせる若竜・都だ。

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近藤真一

2024-12-05 14:27:26 | 日記
1988年
打者をにらみつける不敵な面構え。太いマユの下で、ギョロリと光る目玉。近藤の風貌には、現代っ子のヤングと、ひと味もふた味も違う荒武者然としたところがある。そのピッチングも同様に、どんなバッターだろうと「負けるものか!」とばかり、真っ向から勝負していく豪快さをまき散らす。それが、プロ初登板での巨人相手に、ノーヒット・ノーランを演じた快投につながった。半面、母親思いのやさしさを持ち合わせる好青年。将来は「自分の腕でカネを稼ぎ、母親と一緒に、名古屋で自分の家を建てて住みたい」のが本人の夢という。星野監督は「近い将来、小松と並ぶ投手陣の柱になってほしい」と近藤が大成する日を期待する。近い将来ーそれは今シーズンである。前年のドラフト1位。チームにとって文字通り金の卵は、2年目を迎えて大きく羽ばたこうとキバを研ぐ。

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沼田浩

2024-12-05 13:42:31 | 日記
1998年
昨年の初登板は8月9日、みちのく福島での西武戦だった。不振の先発陣が底をつき、急遽ファームから引きあげたこのプロ2年生を先発のマウンドに送り出す首脳陣は「せめて3回まで…」の祈る気持ちだったはずだ。立ち上がりこそ高木(大)、鈴木健に打たれて失点したが、このチャンスをみすみす見逃すほどひ弱くはなかった。うだるような暑さの中、2回から別人のように立ち直った沼田の姿がそこにあった。サイドハンドから内角をえぐるシュート、外角いっぱいを鋭くよぎるスライダー。小柄な体を躍動させ、8回下柳につなくまでレオ打線を3安打に抑える力投を見せ、殊勲のプロ初勝利を飾った。続くダイエー戦も6回をゼロで封じ、パチリと両目をあけて視界が拡がってきている。期待の新鋭がいよいよ真の戦士として登場してくる今季、もう一段のスピードが加わったとき、ローテーションの一角にがっちりと腰を落ち着けるはずだ。

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杉本正

2024-12-05 13:39:30 | 日記
1987年
背番号が「14」から「21」に代わった。この「21」といえば、かってチームで左腕松本幸行が付けていたナンバーである。ミラクルサウスポーといわれた松本は、チーム歴代で数少ない20勝を上げた左腕投手の一人。これを受け継いだ杉本への期待がいかに大きいか。それがよく分かるはずだ。ドラゴンズの一員となり、今季で3年目。チームの水にも、すっかりなれて、昨季は投手陣最高の12勝(13敗)をマークした。本人は「せめて今年は15勝したい」というのが目標。それと勝ち星はともかくとして、負け数の多いのが気に食わぬ。せめて、黒星をひとケタに抑えること。それが課題というものだろう。杉本の投球内容で目に付くこと。それはシュートをマスターしてピッチングが幅広くなったことだ。もう、ひところのように、杉本といえば「カーブ投手だ」といったイメージが解消した。さらに打者の手元で落ちる魔球をマスターしようと意慾的だ。球界を代表する実力派の左腕投手として、大いにはばたいてほしい。

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新井克太郎

2024-12-05 13:33:58 | 日記
1982年
昨年は念願の一軍で初勝利まであげることが出来た。しかし、今シーズンは大物ルーキー・右田ら即戦力投手の加入で投手陣の一軍争いは近年にない激しさ。もちろん新井も覚悟の上だ。「上と下では格段の差がある。死んでも離さない覚悟でやりますよ」昨年秋の米国教育リーグでは得意のシンカーが冴えわたり大リーガーの卵たちをキリキリ舞いさせた。米国みやげを翻ろうしたいものだ。

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渋谷幸春

2024-12-05 08:45:07 | 日記
1974年
渋谷のご自慢は、巨人戦の成績である。45年1勝3敗、46年3勝5敗。47年3勝1敗、48年5勝1敗。とくに光るのは11勝のうち5勝を巨人からかせいだ昨年で、3試合連続完封の大金星。シーズン後半、トレードのうわさが出たときも巨人キラーのボクを出すわけがない」と一笑に付した。しかし、自他ともに認める巨人キラーも、1年間コンスタントに働けないのが悩みのタネ。昨年も前半戦に9勝をマークしながら、後半戦は黒星つづき、辛うじて2勝した。その原因は明らかに夏場のスタミナ不足。同期のライバル松本とこの2年間でとうとう年棒で百万円の差がついた。これでは渋谷も黙っておれまい。

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小林誠二

2024-12-05 08:43:22 | 日記
1985年
西武から4年ぶりに広島に復帰した昨年、小林にとっては最良のシーズンとなった。過去8年間で計9勝2セーブしか稼げなかった右腕が、リリーフ役にもかかわらず一気に11勝4敗9セーブ。投球の中身は2.20という抜群の防御率となって現れ、防御率1位投手にも輝いた。広島投手陣を支えた文字通りの守護神。陰のMVPだったという声が強い。小林の見せ場はヤマ場といわれた9月の活躍ぶりだった。先発投手陣が13試合連続で途中降板した中、あとを見事に引き継ぎ、この1か月間だけで5勝1セーブ。執ようにくっついてきた中日の野望を打ち砕いたのだった。北別府と同期の27歳。入団当時の球の速さはチーム一と言われたが、生来の気の弱さが災いして開花を妨げた。頭角を現したのは西武移籍後の57年あたりから、トレードされたことがカンフル剤となって甘さが消えたのだろう。中継ぎ役にして西武の日本一に二年連続で貢献。そして広島移籍がまたVを飾るなど優勝づいている。従来の上手投げから横手投げに投球フォームを変えて以前ほどの迫力はなくなったが、代わりにパームボールという魔球をマスター。大きな武器として相手打者の目を幻惑している。一度浮き上がるようにして大きく落ちるのが小林のパーム。手首とヒジの強い小林だからこそ投げられる代物で、これも振り返れば広島工時代からウエートトレーニングで鍛えてきたおかげだろう。昨年の活躍で当然のことながら他球団は対策を研究してこようが、小林は「ピッチングを変えるつもりはない」と自信満々だ。速球さえ走っていれば、それに付随するパームボールは絶対打ち込まれない感触が右腕にあるのだろう。入団9年目でやっと花開いた大器。ロングリリーフがこなせるだけに、首脳陣も心強かろう。

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