プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

ハンセル

2024-12-13 16:42:41 | 日記
2000年
196㌢の長身から繰り出される155キロの速球は威力抜群。メジャーでは通算4勝と勝ち星こそ少ないが、ピンチの場面の中継ぎとして106試合に登板。強打者を力でねじ伏せてきた。阪神ではもちろん先発にチャレンジ。セの強打者と真っ向勝負だ。


2月19日の紅白戦では、MAX146㌔を計示した。「まだまだ速くなる。球持ちが長いから、打者は打ちにくい」と評価はアップしている。メジャーでは抑えの実績もあるが、先発候補。196㌢の長身から威圧感のある球を投げる。


閉じかけていた扉を実力でこじ開け、夢をつないだ。オープン戦五度目の登板となったハンセルが、4回1安打、無失点の満点投球。制球難に苦しんだオープン戦とはまったく別人、主戦投手の風格さえ感じさせた。ミラーのストッパー起用が決定し、残り1席になった開幕一軍枠。ラミレズで決まりかけていた野村監督の最終ジャッジに自らの手で待ったを掛けた。ただの最終登板ではないことを、ハンセルは熟知していた。「同じピッチャーとして、ミラーやラミレズが結果を出すのはうれしいがことだ。でも、他人を気にしても仕方がない。自分の結果を重視した」と振り返ったように、制球難のレッテルをはがし、野村監督の視線を自らに向けさせる好投だった。初回からエンジンをフル回転。先頭の武藤をチェンジアップ、続く大村は、自慢のシンカーで空振り三振。川口には左前打を許したが、昨年の二冠王・ローズを142㌔の直球で空振り三振に仕留めた。その後もMAX146㌔の速球と変化球がさえ渡る。許した走者は初回の川口と、三回に死球を与えた武藤だけ。さらに、3ボールを数えたのもわずか1度。ストライクを先行させ、打者心理を巧みに揺さぶった。「ストレートが力強く、チェンジアップも直球も低めに集めることができた。シーズン前最後の登板で、納得のいく結果を出せて良かった」と、ハンセルは自画自賛の投球内容に胸を張った。


2001年


「ボールに何かをつけている」普段は温厚な巨人軍・長嶋監督から、思わず不正投球疑惑が飛び出すほどのチェンジアップとカーブのキレ。8月17日の巨人戦、150キロの重いストレートとのコンビネーションで、7回まで巨人の超重量打線を完封に斬ってとった助っ人右腕は、この日以降も尻上がりに調子を上げ、後半戦は抜群の安定感。オープン戦から開幕当初にかけて、あれほど苦しんだノーコン病もどこへやら。前半戦とはまるで別人の働きで、20試合に登板して7勝8敗。川尻に続いて、葛西と並ぶ虎投第二位の勝ち星をマークした。


2002年


来日2年目の昨季は開幕から1軍スタートし、成績は27試合に登板して5勝13敗。一見、勝ち星が物足りないように見えるが、リーグ第九位の防御率3.49が示すように安定感は抜群。打線の援護に恵まれない不運な試合が多い中、シーズンを通してローテーションを守りぬいた。内容的にも持ち味の150㌔の剛球とチェンジアップに加え、日本で覚えたシュートを効果的に使うなど、1年目より着実に進歩。「自分の勝利よりも、チームが勝つことの方が最高だ」という言葉通り優良助っ人ぶりで首脳陣はもちろん虎党にもアピールした。

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カーライル

2024-12-13 16:31:30 | 日記
2001年
二十三歳になったばかりとは思えない自信と落ち着きがある。それは、やや薄くなった頭や顔半分を覆ったひげのせいではない。カーライルの発する言葉の力強さのせいだ。「15勝と200㌄を達成する自信はかなりある」なぜ、この数字を持ち出したのか。15勝、200㌄登板が、大リーグでは一流先発投手のあかしだからだ。無謀な目標ではない。マイナーリーグでは97年から二年連続で14勝を記録。メジャーデビューを果たした99年には3Aと合わせて32試合に先発し、197回2/3を投げている。日本で自己記録を塗り替えてやろうというわけだ。昨季は最速94㍄。(約150㌔)を計測。コンスタントに89~92㍄(約142~147㌔)を投げるが、本人は「コントロールで勝負するタイプ。頭にあるのは、いかに早くアウトを取るか、ということ。1球で打ち取る。これが最高の形」と言い切った。持ち球は三種類。ストレートとカーブ、そしてサークル・チェンジの握りに近いチェンジアップ。「これからも、この三つにこだわりたい。ダメだったら新しい球種に取り組んでみるけど」と話し、最後に「持ち球には自信があるから」と付け加えた。昨季のメジャー登板は九月になってからで、それも中継ぎで3回を投げただけだった。「どんな選手でも打ち取れるほどの調子が良かったから、あの起用法には正直、腹が立った。今考えていることは、タイガースのためにできるだけ長くマウンドに立っていること。それが結果として勝利につながると思う」阪神で活躍して、所属したパドレスを見返したいという思いが強い。


99年にパドレスに入団。150キロの速球とチェンジアップを武器に、新人ながいきなり1勝3敗、防御率5.97の好成績をマーク。魅力は、何といっても現役大リーガーながら23歳というその若さ。まだ粗削りながら、日本での大成が楽しみな存在だ。


2002年


来日直後の宮古島キャンプでは、なかなかブルペンに入ろうとせず、投げてもキャッチボール程度。そんなあまりにマイペースな調整に開幕が心配されたが、日本デビューとなった4月6日の横浜戦では147㌔のストレートを外角低めにコントロール。強力マシンガン打線相手に6回を1失点に加えて、見事な初登板、初勝利。その後も、鋭い変化のカーブを巧みに使った投球を披露するなど、潜在能力の高さをアピール。ローテーションの一角として、着実に実績を積み上げていった。今季は、課題であったクイックモーションにも改善が加えられ、四球でランナーを貯めて崩れる悪癖は解消。キャンプインの2月1日からブルペンに貼ってピッチングを開始するなど、準備は万全。

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面出哲志

2024-12-13 16:09:25 | 日記
1998年


今年に入ってから急成長した晩成型左腕。MAX142㌔の速球はまだまだ伸びる。
「1年しか活躍していないが、高い評価。優勝に貢献し、信頼される投手になりたい」近鉄から4位指名された三菱重工三原の面出は、早くもプロのマウンドに思いをはせた。崇徳高卒業時に、内定していた企業の野球部が休部。神戸市内の企業で三年間、頑張ったが、プロの誘いはなかった。「郷里に帰りたい」と、二年前に入社。「監督、コーチの熱心な指導で球速が増し」最高143㌔に。補強メンバーとして出場した夏の都市対抗野球で、左腕がうなった。「プロに手が届くかもしれない」と感じたという。小学時代にかぶっていた野球帽は近鉄。意中だっただけに「子どものころからの夢がかなった」と喜びも大きい。「ストレート、スライダーとも磨きを掛け、一日も早くマウンドに立ちたい」と気を引き締めた。


2000年


即戦力として期待されたルーキーイヤーは腰痛など故障に悩まされ、9試合の登板にとどまった。天性のヒジの柔らかさで140㌔を超す直球、変化球ともに切れ味は抜群。素質は申し分ない。1年目はプロの厳しさにも直面したが、今季は貴重な左腕として一軍で重宝されるはずだ。


2001年


リーグ優勝2度の王監督率いるダイエー打線が打ちあぐねた変則左腕。サイドハンドから繰り出される角度のあるクセ球は威圧感抜群。遠山に続く、若き左キラーとして、中継ぎ、ワンポイントリリーフで大車輪の活躍を期す。

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吉田直喜

2024-12-13 16:00:51 | 日記
1990年
吉田直喜投手(22歳)青学大からドラフト2位で入団。MAX143㌔。カーブ、スライダーに切れがある。東都リーグ通算21勝した。しかも、マスクが甘いときている。まさに第二の西崎となれるトレンディーな吉田は、沖縄キャンぷで上田監督も即戦力とうたい上げるまでに注目され始めた。


東都大学リーグ№1投手。タテのカーブを軸とした変化球が自慢だ。スリムなボディーと甘いマスクの青学ボーイとあって、ギャル人気も急上昇中!


青学大3年のときはMAX145㌔と超スピードを誇り「西崎の愛工大4年時といい勝負」だったとか。ただ、昨年それが一気に10㌔も減速。これをどう取り戻すか、がスターへのカギだ。


1991年


2年目のシーズンが終わったオリックスの吉田直喜投手が秋季練習で、フォームを改造中。「オーバーハンドの投法だけれど、このままでは通用しない。これで梶本コーチとじっくり相談して、サイドハンドに改造しているんです。思ったよりもスムーズに投げられるので、やれそうな気がするんです」


ルーキーに、1軍で投げた1試合の味はちょっとニガかった。1回、8人の打者を相手に3失点。でも、プロ入り初のマウンドで得た教訓は何事にもかえがたい。鋭く落ちるタテのカーブで、1軍の強打者をキリキリ舞いさせる姿を、ファンは待っています。


1992年
アンダースローにフォームを改造し、今季に賭ける。そのためにオフを返上して下半身強化に努めた。球団のOBには、足立光宏氏や山田久志氏という偉大なサブマリンがいるだけに、彼に寄せられる期待も大きい。トレンディ吉田の勝負の年だ。


1993年


昨年はウエスタン1勝に終わったが、その1勝が見事な完封勝利だった。アンダースロー転向を不安視する声もあったが、今は誰もが認めるサブマリンだ。今年こそ一軍での白星を!


1994年


少しずつだが、確実に成長してきた。昨年はウエスタンで自己最高の76回を投げ、防御率も初の2点台。3年間かかった4勝を1年間で稼いだ。5年目の今季は、この4年間が無駄でなかったことを証明するために、一軍で結果を出したいところだ。


1995年


昨年はファームで活躍し、90年以来の1軍登板。1イニングだけだが、西武を完ぺきに抑えた。今季飛躍の予感!


1996年


昨年は、期待されつつも十分力を発揮できず不本意なシーズンだった。能力的には一軍レベル、今年こそGS神戸で白星を!

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