プロ野球 OB投手資料ブログ

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迫田七郎

2016-06-11 20:14:22 | 日記
1965年

何千万円という契約金をもらいながら一勝どころか、存在価値さえ忘れられている投手が何人もいる、逆に契約金零で入団しながら一線級として活躍している投手も何人かいる。東京オリオンズの迫田七郎(20)がその一人だ。迫田は三十八年鹿児島・照国高から神奈川大に進学したが、すぐ退学して大阪の板谷商店に勤務。かたわら軟式野球をやっていた。そんなとき東京球団の巡回テストが大阪であり、迫田はそれに応募したわけ。そのことを青木スカウトに聞くと「わしらスカウトの目に狂いはなかった。もし迫田のテストに監督やコーチが立ち会っていたら、あんな変テコな投げ方をする投手だけに採用しなかったかもしれない」と胸を張っていた。昨年、一年目の月給は三万五千円。ところがイースタン・リーグで12勝をあげる最多勝投手。後半は二軍とのかけもちで一軍でも登場した。しかし一軍では、もっぱら敗戦処理で勝星はなかった。それでも契約更改では非凡さが認められて月給は大幅にアップ。といっても十万円には達していないということだ。それが小山、坂井を上回る防御率を記録し、打てないチームにおりながら、すでに六勝をマークしている。今のプロ野球選手で給料の度合いからいったら、もっとも活躍している選手だろう。「金ばかりかけるのが能じゃない」の見本のようでさえある。迫田が本堂監督ら首脳陣にタイコ伴を押されたのは、ことしのオープン戦。ほとんどのチームが彼のひねくれ球に手こずったからだ。迫田自身もオープン戦ですっかり自信をつけたが、とくに三月二十七日の対東映戦で左打線を相手に自責点0の完投勝ちが大きかったようで、「あれで自信がついた」と本人もいっている。極端にインステップした独特の投球フォームは、一見ぎこちないようにみえるが、これが迫田の持味でもある。変化球が武器で、それがほとんどいっていいほど、打者の手もとへきて落ちたり、変化する。そんなことから、たいていの打者が迫田の球は打ちにくいといっている。真田コーチは「プレート度胸がいいし、マナーもいい」とほめた後、今後の課題については「まだコントロールがよくないので、それを一日も早く完全なものにしないといけない。精神的には、人間がしっかりしているので大丈夫だと思うが、六勝くらいで、プロとはこんなものかという甘い考えをおこしたら大成しない」と手きびしい。また変則的な投球については「肩とヒジに比重がかかるので、あんまり使うと元も子もなくしてしまう危険がある。適当に休養を与えて使わなければ・・・」と心配をしている。いずれにしろ、この二年生、たいへんな掘出しもの。順調にいけば十二、三勝くらいの勝星が期待できそう。昨年は未成年で研修制度の出場制限を受けていたため新人王の資格も持っている。西鉄の池永正明(下関商)との新人王をかけた争い、高い契約金が勝つか、零が勝つか、みものだ。

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