1971年
「これまでいろいろな新人と話をしてきたが、彼ほど素直な性格な持ち主をみたことがない」と、松園オーナーを感服させたのが、日通浦和から入団してきた三橋(みつはし)投手。「ノンプロ時代はほとんど直球ばかり投げてきました」という大型サウスポーに、球団では元国鉄が生んだ大投手、金田兄の背番号を三橋のために用意したほど大きな期待をかけている。出身校は、甲子園とは無縁の埼玉県立鴻巣商、タマは滅法速いがどこへいくか自分には分からない・・というところまで金田兄の若いころにそっくり。育ての親というべき日通浦和稲葉監督の反対を振り切って、あえてプロ入りしただけに、相当の決意と根性の持ち主とみた。唸りを生じて投げ込まれる金田二世の快速球がいまから楽しみである。
「これまでいろいろな新人と話をしてきたが、彼ほど素直な性格な持ち主をみたことがない」と、松園オーナーを感服させたのが、日通浦和から入団してきた三橋(みつはし)投手。「ノンプロ時代はほとんど直球ばかり投げてきました」という大型サウスポーに、球団では元国鉄が生んだ大投手、金田兄の背番号を三橋のために用意したほど大きな期待をかけている。出身校は、甲子園とは無縁の埼玉県立鴻巣商、タマは滅法速いがどこへいくか自分には分からない・・というところまで金田兄の若いころにそっくり。育ての親というべき日通浦和稲葉監督の反対を振り切って、あえてプロ入りしただけに、相当の決意と根性の持ち主とみた。唸りを生じて投げ込まれる金田二世の快速球がいまから楽しみである。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます