プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

根建忍

2014-06-15 20:42:16 | 日記
フォーム・・・右投げオーバースロー 球種・・・ストレート、カーブ、シュート

昭和28年4月14日生 右投右打 180㌢、75㌔

1972年

長身を利しての速球が武器。体力等すべての面でファームで鍛え上げ成長が待ち遠しい。
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立野清広

2014-06-15 20:27:57 | 日記
昭和32年6月5日生まれ

1㍍85、75㌔ 右投右打

人さし指を折った独特の握りから投げる垂直なカーブは威力十分。将来が楽しみ。
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薗部潔史

2014-06-15 20:23:31 | 日記
昭和28年10月1日生まれ 1㍍78、78㌔ 右投右打

薗部潔史投手・・・ストレートが武器。一軍のバッティング・ピッチャーをつとめる。
打撃陣の調整役だが、その中からチャンスをつかんでほしいとコーチも期待。
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李源国

2014-06-15 19:37:04 | 日記
1966年

「日本のプロ野球のレベルは予想外に高かった」と、はやくも壁にぶつかった感じの韓国出身の李源国(東京)投手。永田オーナーじきじきのスカウトで、「第二の張本」を目標に来日以来、腕を磨いている李だが、最近は登板する度に早い回に打ち込まれ、スゴスゴとマウンドを降りてくるシーンが多くなった。一日現在、7試合に登板して1勝3敗。だがピッチング内容は日増しに悪くなっている。通算26イニング1/3投げて被安打30、失点16の自責点15防御率5.19は一寸お粗末。コントロールが甘いため、手加減したような投球ぶりでは「韓国随一の速球」も威力半減。このためまだ三振は8個しか取っていない。三十一日の対東映九回戦(東京)では大張り切りで先発したものの、先頭の高島正にいきなりホームランされ、二回にも集中打を浴びて一挙に4失点。東映の各打者は「体はでっかいけど、まだ攻め方が単調だし、投げ込むのが精一杯という感じだから威圧感なんか全然ないョ」と辛い採点。李の前途はこの分だとかなり多難である。しかし、植村ピッチング・コーチら首脳陣は、この不出来をそれほど気にしていない。「まだフォーム堅めの段階だし、相手バッターを研究して投げるところまでいっていないんだから仕方ないョ。大成するためには打ちこまれて、自分自身の体でピッチングを覚えるのが一番・・・」とやや負け惜しみのきらいはあるが、大きな目で見ている。
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内田照文

2014-06-15 18:22:01 | 日記
1972年

今年、西鉄から移籍した投手。カーブの切れがよく移籍成功選手の多い中で開眼が期待される。

思い出・高校時代に選抜に出場した時

ウエスタン成績

・43年 試12 完0 交代了3 試当初5 無点勝0 無四球0 勝利0 敗北4 勝率000 打者数173
投回数39 被安打34 本塁打2 四球22 死球1 三振12 失点22 自責点11 防御率2.54
・44年 試12 完0 交代了6 試当初0 無点勝0 無四球0 勝利0 敗北0 勝率000 打者数83
投回数17 1/3 被安打23 本塁打1 四球9 死球0 三振2 失点8 自責点5 防御率2.65
・45年 試6 完1 交代了3 試当初2 無点勝0 無四球0 勝利2 敗北2 勝率500 打者数121
投回数31 1/3 被安打22 本塁打1 四球11 死球1 三振12 失点10 自責点10 防御率2.81
・46年 試11 完0 交代了6 試当初0 無点勝0 無四球0 勝利3 敗北1 勝率750 打者数113
投回数26 被安打21 本塁打2 四球15 死球1 三振8 失点15 自責点11 防御率3.81
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竹中昭

2014-06-15 18:07:05 | 日記
1970年

ドラフト第9位指名の新人。中央球界にはあまり知られていないが、速球を武器とした投手。第一線出場まで時間を要するが、本人も「2、3年先が目標」と基礎作りに懸命だ。

昭和26年10月23日生 右投右打

・竹中は由良育英高時代は小林(巨人)と並んで山陰では騒がれた選手だった。小柄ではあったが、カーブのブレーキが鋭い投手。「タケ、タケ」と人気はあったが、性格的におとなしく、一軍への壁が破れなかった。
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岡正光

2014-06-15 17:59:10 | 日記
1966年

大洋の岡といえば、昨年発足したドラフト制第一号の契約選手として、話題になった福島・保原高出身の左腕投手。ところが「四十台でなお第一線で活躍した同じ左のスパーン(大リーグ、元ブレーブス)が目標。勝ち星はまず背番号(10)ぐらい」と大見得を切った割りには、タマが走らず、開幕からずっとファーム暮らし。最近になって、ようやく、バッティング投手で登板できるまでに成長?したが、一軍登場はまだまだ先の話というのが関係者の声。イースタンの公式戦には、まだ一度も登板せず、人数不足でちょくちょくと外野手として出場する始末。ピッチャーとしては先日、東映とのオープン戦に初登板。4イニングで自責点2、四球6というパッとしないもので、その上、「長打力のない山本恒」に内角球を左翼へ2ランされている。岡は「軸足のけり、手首の返しなど技術的にいろいろいわれてるけど、一番の欠点は左ヒジ(高校二年の時に痛めた)が弱いことだと思うんです。だから、いまは毎日、体育館でバーベルを糸でまき上げたり、とにかく強くしようと一生懸命ですョ」と意欲的な顔。入団当時は、七四キロあった体重が、現在では七〇まで落ち、長身(一メートル八〇)が余計に目立つ感じだ。大石コーチは、「そのかわり、足腰のバネが強くなってきた。フォームにもカドがとれてきた感じで、日増しにピッチャーらしくなってきた」と、その進境は認めている。岡をとった藤井スカウト部長は「三年目に頭角を現せば・・・」と長い目でみているが、一年目はまず順調に伸びているというところか。
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伊東勇

2014-06-15 09:42:31 | 日記
1966年

伊東は球の速いサウスポー。練習試合で春の選抜大会に出場した小倉高を破ったことがある。その後夏の大会の福岡県南部予選の二回戦で敗れるなどめだった働きがなかったため、各球団にもマークされず、西鉄もあえてリストアップしなかったが、将来性を見込んで、獲得にふみ切った。

城島スカウト「伊東はヒョロッとしており、我流で投げていたが、球が速くカーブの切れもよいので、二、三年みっちり鍛えれば力を出す選手だと思って入団をすすめた」
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加藤英夫

2014-06-15 09:27:23 | 日記
1967年

うなぎのぼりの水銀柱、本格的なヤング・シーズンがやってきた。そのなかからやっと太陽の子・近鉄の加藤英がたくましい芽を出してきた。加藤英を鍛え上げたのが藤村コーチの猛ノックだ。広島時代からきびしいことでは定評があったが、連日の猛ノックに、夏男の加藤英もさすがにバテた。だがその猛練習のなかからタフな加藤英は本来の姿を取り戻した。中日相手に三振十一を奪い、完投で今季初の一勝。3Kトリオのうち加藤治や門野に先を越されていたが、遅まきながらこれに加藤英が加わった。それまでの加藤英はすっかり沈んでいた。ウエスタンでも出ては打たれ、門野や加藤治が順調に伸びて行くのをくやしそうに横目で見るだけだった。「なぜ打たれるのか、自分でもわかりません」有望新人と言われていたが、ついに加藤英は迷路にほうり込まれた。藤村コーチの猛練習のなかで右足の重心、タメのあるピッチングを徹底して教え込んだ。精も根も疲れ果てたなかから新境地が開けはじめた。「シュートの切れがよくなった。優勝投手らしいすばらしいピッチングをはじめてみせてくれた」藤村コーチもやっと明るい表情をみせ、春夏連続優勝の立て役者が太陽の子らしくたくましい息吹を感じさせたことに喜んでいた。
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松岡功祐

2014-06-15 08:53:14 | 日記
1966年

大洋が第一回選択会議で交渉権を得たサッポロビールの松岡功祐選手(24)=一七〇センチ、七〇キロ、右投右打=の大洋入りが一五日決定した。同選手はノンプロ屈指の遊撃手といわれ、からだは小さいが、シャープなバッティングと軽快なフィールディングは、プロでも十分通用するといわれている。
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亀井進

2014-06-14 11:48:29 | 日記
1966年

「秋山さんみたいな、息の長い巧みなゆさぶりピッチャーになりたい」と目の色かえて精進を重ねているのが大洋の亀井。高校時代は早鞆高のエースとして甲子園で活躍。遊撃の古田と一緒に大洋入りしたのが昨年。一メートル七六、七八㌔と、中柄ながらバランスのとれた上手投げ投手として期待されていた。ところが今年になってから、球筋が素直すぎるという理由と五月四日、練習中にバーベルを落として、右足親指の爪をはがし、約十日間のブランクをつくったあと、自分から下手投げへ転向を決意して、首脳陣の許可をもらった。それからは連日、フォームづくりに専念。現在も毎晩九時から一時間、多摩川合宿所の体育館で腰に自転車のチューブを巻きつけ、それを壁にくくりつけて、シャドーピッチングに汗を流している。イースタンではすでに4試合に登板。10イニングスで自責点4と内容的には、まだ芳ばしくないが、東映戦で1勝をマーク。幸先のよい再スタートぶりだ。「まだ腰がグーンと沈んだまま出ないし右腕の振りがボーリングのタマをころがすように伸びたままだと秋山さんに注意されています。でも外角の速球に自信もできたし、沈むタマもおぼえ、ピッチングの楽しさをわかってきました。それに秋山さんという、いい目標が身近にあるし、早く一人前のピッチャーになりたい」と亀井は目を輝かせている。
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佐野卓郎

2014-06-14 11:21:11 | 日記
1966年

昨年まで遊撃手だった佐野がことしのキャンプから、外野手にコンバートされた。昨年、近鉄から「ぜひ譲ってほしい」と望まれたくらい。ウエスタン・リーグで有望株だったが、どうしたものか毎年、ケガをやらかしては、大事なところで、チャンスから見放されてばかりいた。首脳部では、ケガの多いのを心配して、「いっそのこと、外野に回してその強打を生かした方が・・」ということで意見が一致し、このキャンプから初めて外野を練習したというわけ。キャンプのある日、左翼を守っていて本塁打の打球を追い、フェンスに右ヒザをぶつけてぶっ倒れる場面があった。「ケガをなくしようと外野に回らせたのに、またやったか!」と、コーチ陣は一瞬、その表情を曇らせた。しかし、たいしたことはなくだれもが、ホッと胸をなでおろしていた。
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岡正光

2014-06-14 10:33:16 | 日記
1966年

今年も九月五日に第一回目のプロ野球選択会議が開かれるが、ランク上位者が必ずしも有望選手や金の卵ばかりは限っていない。昨年、大洋が一位にランク、トップを切って第一号の契約を結んだ期待の左腕投手、岡(福島・保原高)などは期待はずれもいいところ、最近はイースタンでも、マウンドをほっぽろかして左翼手に転向、連日バットに磨きをかけている。「球が遅く、フォームもバラバラで使いものにならない」というのと野手の人数が足りないというのが転向の理由。当の岡は「出直しのつもりでトコトンやってみます。と暇を見てはバーベル上げで汗を流し、やる気十分。だが、ランク一位の名誉を取り戻せるだろうか。
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鎌田豊

2014-06-14 10:27:22 | 日記
1966年

堀内(巨人)と新人王を争う広野(中日)の花々しい活躍や、球宴あけから本領を発揮しはじめた長池(阪急)のデビューぶりと比較して、広島のホープ鎌田の現況は、同じ六大学組であるだけに、いかにも寂しいかぎり。倉敷工ー法大と野球界での名門コースを歩んできた。そのうえ法大では入学早々からレギュラーとして出場、首位打者にもなったが、「バッティングには自分なりに自信を持っていたが、想像以上にプロにはスピードがある」といまだにとまどっている。この鎌田の評価をめぐって首脳部の意見が二つに分かれている。というのは鎌田の右肩がよくないからだ。大学時代に一度肩を痛めたせいもあって遠投力に乏しく、いっそそれなら代打電門という意見と、あくまでレギュラーめざして育てるべきだと二つに分かれている。この結論が早急に出ないのは、どちらの見方も「第一線出場までには時間がいる」という点では一致しているからだ。「焦らずにやりますよ」鎌田は一軍への足がかりさえつかめたら・・と広野や長池の活躍をよそに、いまファームで懸命の努力をつづけている。
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関根知雄

2014-06-14 09:54:51 | 日記
1966年

入団して四年目で株を上げているのが大洋の関根内野手。右足親ユビの痛風で欠場ぎみだったアスプロにかわって、杉本と交代で出場した春のオープン戦、ここだけならそれほど話題にもならないが、残した打率がなんと5割3分3厘(15打数8安打)という高率。長打はないかわりにこの8安打。どれもバットの真っ芯に当ったライナーばかり。その殆どが中堅から左翼方面にかけて痛烈に飛んでいった。この関根、体は小さいが手首の強さは抜群。大洋では重松と「いい勝負だろう」といわれている。銚子商の三年生のとき、夏の甲子園大会に出場。二回戦で尾崎(東映)のいた浪商に敗れたが、高校時代の通算打率がなんと5割7分強という高打率の持主であった。
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