プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

交告弘利

2014-06-14 07:30:46 | 日記
1965年

藤本総監督の再出馬以来、阪神のムードが見違えるように明るくなり、それにつれて成績も手のひらを返すようによくなった。ベテランも若手も、いきいきしているが、これは藤本総監督の、巧みな選手起用によるところが大きい。藤本総監督のファーム時代「藤本学校」と呼ばれる英才教育が行われた。いまそれが実を結び、ファームから一軍へ続々と優秀な若手が送り込まれている、左腕交告もその一人だ。杉下監督が昨年、交告を左投手陣の有望株と見込み力を注いでいたが、今春のキャンプ・イン初日で制球難のため失格のラク印を押され、以後一軍入りのチャンスがつかめなかった。藤本学校の校長である藤本総監督は、この使いものにならぬといわれた交告に手を加え、再び第一線に活用できるところまで仕立て直した。交告の欠点、制球難を解決するため、腕を止め目標を定めて投球するようフォームを改良した。フォームを手直しするとスピードが落ちるものだが、指導よろしくを得て交告の球速は少しも衰えなかった。六日の産経戦で交告は今シーズン初めて先発した。まだ及第点とはいえなかったが、一度は失格とされ、そのままファーム埋もれてしまうところなのに、一軍入りのチャンスをつかんだため、のびのびとしたピッチングが印象的だった。杉下監督に見込まれながらチャンスがつかめず、かえって杉下監督が去ってから開花した交告。皮肉な現象だが、これも藤本総監督がファーム時代から選手の力をつかみ、気心を知って、それを巧みに生かしているからほかならない。
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金田義倫

2014-06-14 07:06:40 | 日記
1966年

阪急の背高のっぽ№1は梶本だがファームにいる金田投手もちょっとしたもの。先日の南海戦でユーモラスな主役を演じ、一躍チームの人気者となった。金田の役目は試合前のフリー・バッティングの投手。爆笑する場面もバッティングの投手中に起こった。一メートル82、七三キロ。と金田は長身だが彼には足がある。ヒョロ長い足だ。この足が投げるたびにバッティング投手の足もとに張ってある横長の防護ネットからはみ出す。投げたあとの右足だ。防護ネットからはみ出したところへ打球が当たった。普通なら考えられないケースだけに、見ていた人は大笑い。
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山田正雄

2014-06-13 22:29:00 | 日記
1966年

このところ東京の不動の四番におさまっているのが山田。十八日現在、25打数10安打の打率四割と打ちまくっているが、この大活躍に関係者は、「よくあすこまでカムバックしたもの」と感心している。というのは、この山田、三十三年に明治高から外野手として入団。その年、イースタンで2ホーマーを含む2割9分をマーク。「将来性十分な左投げ左打ちの好打者」と折り紙をつけられた。しかし、胸を痛めて翌三十九年と四十年の丸二年間療養生活を送り、昨年暮れから三年ぶりに復帰したもの。今シーズンから動きの少ない一塁手に転向して再起を期しているが、相変わらずのシャープな好打ぶりに、「榎本の後継者は山田をおいてほかにはいない」と、早くも評価はうなぎのぼり。
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唐崎信男

2014-06-13 21:25:59 | 日記
1966年

巨人のスピーディーな試合運びにチームの老化現象を思い知らされた鶴岡監督は、若返り策を断行、その手始めとしてブルームを整理するなど、かつてなく意欲を示している。二十六日からの秋季練習でも若手の鍛え直しに鋭い目を光らせているが、まずヤリ玉にあがったのが、広瀬二世といわれている唐崎。「いつまでたってもボヤボヤしとる。もっとしっかりせんかい」とカミナリが落ち、めっこを入れられた唐崎は徹底的にしぼられた。唐崎の俊足はチームでも定評があるが、肝心の打撃がサッパリで、せっかくの俊足も宝の持ち腐れの観がある。「ウチが片チンパの選手が多すぎる」とは鶴岡監督の口ぐせ。唐崎もご多分にもれないわけだが、プロ入り六年目を終えたところでオレがチームの中核にならなければ・・・の気がまえがあれば、もう少しぐらいの進歩はあってよいはずだ。広瀬二世がたんに「足」だけの域にとどまるか、あるいは攻守両面で名実ともに先輩の域に迫るかで、南海の戦力もかなり変わったものになるだろう。
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田中達彦

2014-06-12 21:08:19 | 日記
1966年

村上投手らと共に、サンフランシスコ・ジャイアンツに野球留学、第二の中西と期待されていた大型内野手田中達がいよいよ、打者をあきらめ投手に転向した。大型打者にありがちなもろさが致命的な欠陥となり、三年間の通算成績26試合45打数6安打、打率一割三分三厘で期待を裏切ったが、その一つの原因は、銚子商時代からの近視が命取りになったともいわれている。投手転向後の初登板は九月末の対西鉄七回戦。七回から救援したが、2ランホーマーなどを喫して、デビューを飾れなかった。内野手として鉄砲肩で鳴らしていただけに、首脳陣も、その強肩に期待をかえ、鍛えようによってはおもしろいと語っている。
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柳田俊郎

2014-06-12 20:59:24 | 日記
1966年

「十二球団中、最も順調」と他球団をうらやましがらせた新人獲得で、球団事務所では、相次いで新人紹介の記者会見が行われているが、この十人近くの新顔の品定めで、早くも明暗二様の評価が話題を呼んでいる。明だったといわれるのは、高校球界のスラッガーと鳴り物入りで獲得した九州学院の柳田外野手の方。記者会見では「左打者が左投手をニガ手なんて、お話になりません」と大見得をきって、側の国広社長を苦笑いさせたが、フリーバッティングでは、プロ入り七年目の井上善の投ずる2-1からの外角球を左翼線へライナーの二塁打で打ち返して、さらにファームの上別府や金子らの左腕も問題にしないといった調子で、先刻の大言壮語がウソでないことを実証した。これには、中西監督も大喜びで、いままでの新人打者の「評判倒れ」に泣かされどおしのせいか、つい「うまい。張本タイプの打者になれる」と、ちょっとほめすぎかと思われる評価を下したほど。もっとも、すぐ「どこまでプロの変化球についていけるか、これからの育てようが問題だね」と付け加えていたものの、ほめすぎと割り切っての「評判通り」だったことは喜ばしいこと。
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岡村佳典

2014-06-12 20:12:25 | 日記
1966年

残念ながら、第一次選択会議で第一位にリストアップした岡村投手(浜田高)が「第二の森安」と狙ってはみたものの、どうやら今のところでは、まだまだのようだ。秋の合同練習で学業のひまをみて参加した時のコーチ陣の、「第一位にリストアップするほどのものではなかった」の意見は岡村には厳しいようだ。岡村が高校三年間、ワンマンチームにいたことも、禍いしているようで、指導が適正でなかったためフォームがばらばらというのだから「まだ、二、三年はかかるでしょうね」(重松コーチの話)この評価には誰も反論は出していない。
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大本則夫

2014-06-12 20:06:48 | 日記
1977年

生年月日 26年1月11日
近大、巨人→ロッテ
1㍍76、75㌔ 右投右打
妻=ちとせ 長男=高広

巨人からテスト入団。球威もあるが、大きなフォークを武器に一軍入りをねらう。
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高山勲・羽場勇二・辻善之

2014-06-10 21:39:19 | 日記
1966年

整理線上の選手にはまったくいやなオフがやってきた。大洋でも先に高山、羽場、辻の自由契約を発表した。三選手とも首をうなだれて毎日暗い生活を送っているが、高山はこのほど東京のテストを受けることになった。高山はオーバーハンドの本格派で球速もあり、まだまだ伸びる余地のある投手。同投手は、「まだプロで働ける自信はある。テストを受けてパスすれば、一から出直してがんばります」と大変な意気込みだ。羽場捕手は上背こそないが、どっしりした体格の持主。ひところチーム内では角界入りも噂されたが、年齢の問題でオジャンになったようだ。羽場はサラリーマンに転身するようだ。辻は将来を嘱望された技巧派投手で、今シーズンは一軍のマウンドを踏んだこともあった。大洋ナインは「三人とも人間的にはいいやつだ。バッティング・ピッチャーで苦労してくれたのだから送別会は盛大にやってやろう」といっている。
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西脇興司

2014-06-10 21:05:54 | 日記
1966年

だれがつけたかわからないが、西鉄の西脇のニックネームがおばQ。ナインは若生だというが、当の若生は、「とんでもない。オープン戦で巨人の連中がいいはじめたんだ」と、とぼけている。それはともかく、この色の黒い、くちびるの部厚いオバQはオープン戦で大暴れ。公式戦にはいっても貴重な戦力と期待されている。大阪経済大学からテスト生で西鉄入りして五年目。初任給一万五千円で仕送りを受けていたそうだから下積みの苦労は十分である。一番打者の有力候補にのし上がった。おばQは犬に弱いが、逃げ足も早い。西鉄の学士さま、おばQもチームで一、二を争う俊足の持ち主。このおばQが得意の足でペナント争いをかき回したら、開幕早々から西鉄も一気に飛び出せるはず・・・。中西監督も、おばQにかける・・。
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石床幹雄

2014-06-10 20:07:27 | 日記
1965年

阪神入り第一号。タイガースが中央球界では無名だった石床をリストの第一位にランクしたその裏には、天性のバネと無限のスピードボールに魅せられたのに他ならない。小豆島のイモとバカにされた土庄高は、石床の活躍で四国球界でも恐れられる存在になった。カーブの甘さはあるが、速球とナチュラル・シュートは抜群。足腰を鍛えてコントロールをつけることが課題といいながら、下宿先から五分程の鹿島海岸でランニング、柔軟体操とみっちり汗を流している。小豆島が生んだ豪腕石床。島民10万の期待を一身に集めて、第二の村山目指してトレーニングに励んでいる。
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渡辺澄雄

2014-06-09 22:06:15 | 日記
1966年

「うれしいですね。はじめてですからね」二年生の渡辺は、プロ入り初の一軍遠征に加わって感激の態である。彼の役目といえば、試合前のバッティング・ピッチャーとボール運び。試合に出るとしても、せいぜい敗戦処理に投げるくらいなもの。しかし、長谷川監督にいわせると、将来は中堅投手になれる可能性もあるそうだ。「渡辺を当て馬に使うだけでなく、実際にも使ってみたいね。まだ、ウチの投手陣が充実しているので、彼の出番はなかなか回ってこんだろうが、球が速いし見どころはある」とは、見こまれたものだ。
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小泉恒美

2014-06-09 21:47:18 | 日記
1966年

昨年、序盤戦で南海快進撃を支えた若手選手の一人小泉が、ことしは不振にあえぎ、ファームで懸命の努力をつづけている。小泉は四月中に12試合に出場したが、五月にはいりいつの間にか姿を消した。四月中の成績は6打数ノーヒットで2三振。王ばりの一本足打法も、サッパリ効果がない。小泉は、「バットのため、体重の移動など、まだフォームをマスターしていなかったのが原因です。一日も早くとあせりますが、もう一つというのが現状です」と悩んでいる。この小泉にとって、一本足打法を完成した王は、いわばお手本であり、先生である。昨年から王のバッティング・フォームを参考にしていろいろ研究しているが、不思議なことに王の当りがストップすると小泉のバッティングまで迷いが生じるといわれていた。ことしも王の当りが止まってからは立ち直りのきっかけさえつかめず、「王さんはどうなっているんだろう。王さんが当たらないとこちらまで影響するから・・・」とぼやいている。小泉のためにも王本来のバッティングを取り戻し、刺激を与えてもらいたいものだが・・・。
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西山敏明

2014-06-09 21:25:08 | 日記
1971年

性格はおとなしいが攻守とも馬力がありバッティングもよい。インサイドワークと荒さを直せばのびが早い。

思い出・・高校時代関西高(森安=東映)と延長14回戦をしたとき

44年度 試合1 打数0 安打0 本塁打0 打点0 盗塁0 四死球1 三振0 失策0 打率000
45年度 試合5 打数5 安打0 本塁打0 打点0 盗塁0 四死球0 三振4 失策0 打率000

ウエスタン

43年度 試合33 打数81 安打19 本塁打5 打点18 盗塁0 四死球9 三振29 打率235
44年度 試合46 打数136 安打31 本塁打3 打点14 盗塁1 四死球15 三振28 打率228
45年度 試合51 打数120 安打28 本塁打2 打点13 盗塁1 四死球12 三振25 打率233
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矢野晃

2014-06-09 21:01:21 | 日記
1966年

プロ入り四年生になる矢野晃投手。秋季練習では、すばらしく速いボールを投げて坪内ヘッド・コーチから「いまのスピードなら、一軍の打者にも十分通用する」と折り紙をつけられた。中肉中背の体格で、出身は福岡県の八女高。入団した年の勝浦キャンプで、そのピッチングを見た評論家たちから、「すばらしい真っ向上段から投げこむ本格派だ。こいつはモノになる」と期待されたのに、肩や肘が故障しがちで、ついに陽の目を見るには至らなかった。しかし、故障さえなければ、来シーズンは第一線で相当にやれそうだ。
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