1966年
イースタン屈指のアンダースロー投手といわれていたサンケイの細田(山梨・市川高、二年目)と大洋の辻(平安高、五年生)が、一軍に登板したものの、簡単に打ちこまれ、「やっぱりイースタンのバッターと地力がちがう。スピードやコースがちょっとでも甘いと通用しないもんですネ」とがっくりしている。細田は高校時代、巨人の堀内とともに「山梨で一、二を争う好投手」といわれた成長株。入団一年目の昨シーズンも、一軍戦に6試合起用され、石戸、鈴木につぐ下手投げ・・・と首脳陣の期待を集めていた。一方の辻は同じく三十一日のサンケイ戦に五年目でプロ初登板。「イースタンでメキメキ腕を上げている」という大石二軍コーチの報告にもどづいて宮崎監督代行が、思いきって起用したわけだが、結果は打者3人に2安打、そのうちホームラン1で自責点2という散々なものだった。
イースタン屈指のアンダースロー投手といわれていたサンケイの細田(山梨・市川高、二年目)と大洋の辻(平安高、五年生)が、一軍に登板したものの、簡単に打ちこまれ、「やっぱりイースタンのバッターと地力がちがう。スピードやコースがちょっとでも甘いと通用しないもんですネ」とがっくりしている。細田は高校時代、巨人の堀内とともに「山梨で一、二を争う好投手」といわれた成長株。入団一年目の昨シーズンも、一軍戦に6試合起用され、石戸、鈴木につぐ下手投げ・・・と首脳陣の期待を集めていた。一方の辻は同じく三十一日のサンケイ戦に五年目でプロ初登板。「イースタンでメキメキ腕を上げている」という大石二軍コーチの報告にもどづいて宮崎監督代行が、思いきって起用したわけだが、結果は打者3人に2安打、そのうちホームラン1で自責点2という散々なものだった。