1983年
宮城県仙台市 右投右打 180㌢ 72㌔
ドラフト外、契約金300万。昨年秋、川崎球場の公募テストに合格。身体がやわらかく、ピッチングフォームもいい。将来一軍入りも可能。
1983年
宮城県仙台市 右投右打 180㌢ 72㌔
ドラフト外、契約金300万。昨年秋、川崎球場の公募テストに合格。身体がやわらかく、ピッチングフォームもいい。将来一軍入りも可能。
1983年
宮城県矢本町 右投右打 185㌢ 78㌔
ドラフト外、契約金300万。昨年秋の新人テストに合格。家業の電器商で働くかたわら、クラブチームで活躍していた。当分打撃投手しながら勉強する。
1984年
ドラフト外、契約金800万。テスト入団で、速球を武器とする左のサイドスロー。2、3年鍛えれば、変則型の投手だけに面白い存在になる可能性がある。
1983年
千葉県千葉市 右投右打 178㌢ 75㌔
ドラフト外、契約金700万。中学時代、ロッテのテストを受けて合格している。勝ち気な性格で、プロ向きだ。目標は王(巨人助監督)のように世界に知られる人。
1983年
ドラフト外、契約金1500万。長身から投げおろす速球が武器。バッティングも高く評価されていて、野手に転向する可能性もある。木村孝外野手の実弟でこれからは兄貴と競争と張り切っている。とにかく兄弟そろって同一ゲームに出場するのが夢だ。
ドラフト外、プロ2年目で売り出した木村外野手の実弟。189㌢の長身もウリふたつ。ちがっているのはポジションだけだ。大学3年の終わりごろ、近大・松田監督のすすめで投手から一度、野手に転向し、リーグ戦の実績はほとんどないが、やはり投手への未練は捨てきれなかった。「どこまでやれるかわかりませんが、早く兄貴に追いつき、追いこせの気持ちでがんばる」という弟。長身、左腕、そして地肩の強さが武器だ。
1982年
昭和34年1月22日 180㎝、70㌔、右投右打
軟式界の星が硬式の世界に挑戦。「去年は春先に肺炎にかかった」まずファームで15試合以上投げて、照準はピタリ一軍です。天性の球離れの遅さとアンダースローの長所を生かしたい。
ドラフト外、契約金500万。高校では硬式。三菱に入社してからは軟式野球、下手投げのきれいなフォームの持ち主。
1982年
ドラフト5位、契約金1800万。四国の高校球界ではスピード№1といわれた。しかし制球力にやや難がある。ファームでみっちり鍛えれば、フィリピン遠征ではノーヒットノーランをやったこともあるので力はある。
1979年
昭和36年1月7日生 大阪市北区 左投左打 176㌢ 70㌔
ドラフト外、契約金700万。甲子園大会には出場していないが大阪地区では将来性が買われていたサウスポー。クセのないフォームで投げこんでくる。ファームでじっくり育てる方針のひとり。1年目は速球のマスターが課題に。
1979年
昭和35年5月10日生まれ 栃木県上都賀郡 右投右打 175㌢、68㌔
ドラフト外、契約金1000万。巨人など在京球団のスカウトのチェックからもれていた無名の好投手とウワサされる。すでにある程度、できあがったタイプだが、ファームでどんな成長をみせるか。決めダマは速球。
ドラフト外入団とはいえ、スカウトの評価は「ドラフト選手と変わらない」と保証済みだ。まだ、体が出来ていないがこの一年で2㌢も上背が伸びていることから、ファームでじっくり腕を磨けばかなりいけそう。「まずプロについていく体力作り」と謙虚な本人。
1979年
ドラフト4位、契約金1500万。銀行員からプロ入りはことし、ただひとり。長身だが下手投げで、速球から変化球までひとわたり投げており、デビューに注目したい。
独身のルーキーと違ってすでに一家の主。生活がかかっているとあって根性はドンッとすわっている。「銀行員をやっていれば地道にくらせたのかも知れないけど、実力の世界で力をためしたかった」「家族のためにも頑張ります」と頼もしい。阪急山田投手に似たタイプのピッチング。ノンプロでもまれてきた実績に期待は大きい。
1983年
ドラフト外、契約金なし。テストに合格して入団。強いリストを生かした速球、カーブが武器。コントロールもよい。目標は鈴木啓示投手。ドラフト選手に負けたくない。
1979年
昭和35年6月14日生まれ 大阪市東区 左投左打 176センチ 76キロ
テスト採用、硬式の経験はないが、左からのクセダマが面白い。
中学時代から調理師志望で、食品産業高へ進学したという変わりダネ。食品高では軟式野球部に在籍していたが、一度、硬式で思いきりやりたいとテストを受け入団。
1980年
「川本は球が速く苦手のタイプ。投手が交代したとき、チャンスだと思った」そうだ。一球目を選んだ大沼は「球が重く、簡単には打てそうにないな」と見た。だが、カーブが入らず、直球もコースが甘い。
左腕の川本はカーブが武器で、準々決勝では七回まで完ぺきな投球をした。打者をうちとる配球もうまい。
熊本工は終盤に追い上げた六回までは、天理、川本の重い速球、カーブに無安打。
天理の左腕川本は落差のあるカーブに切れがあった。右打者のひざ元に食い込むような感じで、広陵の右打者はこれを引っかけて凡打を繰り返した。
決勝で15三振を奪い自信をつけた二年生の左腕川本が甲子園ではエース。
1981年
田子投手は右投げの本格派。鳥取大会は前半やや不調だったが、後半は直球、カーブが低めに決まる本来の投球に戻った。
田子投手は速球とカーブをうまく使い分け、コースにも変化をつける巧投で、先発全員を含む16奪三振。七回を除く毎回2三振は最多奪三振記録19に迫る好投。
本格派のエース田子投手は伸びのある重い球質の速球を主体にコーナーを突き、カーブのブレーキも鋭い。県大会5試合で被安打24、奪三振48、四死球13、自責点4と安定性があり、大きく崩れることはない。