プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

中込伸

2024-11-25 16:26:13 | 日記
1988年
甲子園では球児たちが響かせていた金属音は、浜田球場では無縁のものだった。中込の重い速球に押しつぶされた鈍い音がこだまする。田尾は4回打席に立ち、一度も快音を響させられなかった。高校時代にも対戦したことがあり、寮では中込の相談役に指名された高井も、そのパワーにおびえた。ヒットを打ちながらも「このバットを見てくださいよ」と折れたバットを見せるほど。26人の打者に対して5安打、3三振無四球という内容に中込の並みはずれた素質が表れていた。重い速球、キレのいいカーブ、スライダー。新しく覚えたSFF、中込が5か月間で学んだモノを見せた。


1993年


中込の調整が遅れた。元々の課題はフォークだった。中込はスプリット系のボールを持っているが、さらに落ちる球に磨きをかけるのが、昨年秋から取り組んでいたテーマだった。が、それ以前にフォームを崩してしまう。「体重が後ろに乗ってしまって、ストレートが行かない」と本人。中込の持ち味といえば、打者の手元で微妙に揺れるムービングファストボールだが、フォークに専念するあまりに、そのストレートにかげりが出たのであった。


1998年


中込が初めてフリー打撃に登板し、打者三人に約100球を投げた。持ち味の高速スライダーも試し、「スムーズに投げられた。ひじの不安もない」と順調な調整ぶりを披露した。


2000年


中込は3回を投げて3安打無失点。「バットのしんをはずす、スプリット系の落ちる球を試せた」と結果、内容とも満足の表情。

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郭李建夫

2024-11-24 17:05:18 | 日記
1993年


郭李は140㌔台半ばの速球と打者の手もとで微妙に変化するフォークボールを武器とする。

阪神・郭李がオープン戦初登板。六回からの3イニングを1安打無失点で抑えて好デビューを飾った。バルセロナ五輪で台湾を銀メダルに導いた右腕。150㌔の快速球こそは見られなかった。代わりばな自らのエラーなどで招いた無死一、二塁のピンチに大物ルーキー松井をフォークで三振。切れのいいスライダーを交えて続く熊野、吉村の左の代打攻勢も三振と内野ゴロに切って取った。


郭李建夫、23歳。身長185㌢、体重95㌔の体格は野茂(近)に似ている。決め球も野茂と同じフォークボール。しかも単に縦に落ちるだけでなく、カーブやシュートのような変化をつけた球種などを投げ分ける。

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山崎一玄

2024-11-20 11:58:23 | 日記
1996年
5月1日の横浜戦でKOを食って以来、先発ローテからはずされていた阪神・山崎。久しぶりの先発。当たっている広島打線を8回1死まで野村の一発だけに抑え約2か月ぶりの勝ち星をつかんだ。「ほとんど直球とフォークに相手もとまどったみたい、四球を出さなかったのがうれしい」と、淡々と話した。

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中込伸

2024-11-20 11:54:43 | 日記
1992年
試合前のブルペンでの調子は決してよくなかった。ボールが走らず、時折、球が高めに浮いてしまう。女房役の山田と相談して「丁寧にいこう」とだけ決めてマウンドに登った。ところが試合が始まったとたんに変身。いつもの低めへの重いストレートに加えて「カーブ、フォークボール、チェンジアップ、どれをとっても文句なし」(山田捕手)の内容。最終回、広島先頭の河田の打球がライナーで右前に落ち、初ヒットが記録された途端、打たれた中込より捕手の山田の方が右ひざを落としてうなだれた。達成すれば、阪神では昭和48年の江夏以来7人目のノーヒットノーランだった。

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橋本清

2024-11-16 15:10:52 | 日記
1987年
巨人が一位で単独指名した橋本は今年PL学園が甲子園で春夏連覇した時、三本柱の一人として活躍した、奪三振の多い本格派の右腕投手。身長1㍍87と大柄なわりに腕の振りが柔らかく、フォームが理想的。持ち球はまだ直球とカーブの2つだけだが、直球はコンスタントに140㌔台をマーク。性格的に強気でしっかりしている。


1991年


橋本清投手は、カブス戦でノーヒットノーランを記録した。速球に、得意のフォークボールがさえたという。1987年のドラフト1位。巨人期待の右腕である。

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山崎一玄

2024-11-16 15:07:08 | 日記
1994年
直球はせいぜい130㌔後半。この直球とスライダーがコントロールよく低めに集まり、カウントを稼ぐ。そして勝負球はフォークボール。普通は人さし指と中指ではさむが、山崎は親指と人さし指ではさむ独特の投げ方で、力の入れ具合で左右に微妙に落ちる。一昨年、米国の1A留学中に覚えたそうで「ナイヤガラフォーク」と自ら命名している。


1995年


3安打された山崎が言った。「イチローには特にプレッシャーを感じた」ウエスタン時代から山崎はイチローによく打たれたという記憶が残っている。オリックス戦の先発が決まってから、イチロー対策を練り上げ、前回には「4球封じ」を公言していた。その対策は、第一打席で弾かれた。いきなり初球ストレートを中前に。その後もカーブ、フォークをバットのシンでとらえられた。「リーグが違ってよかった」と山崎。


1999年


逆転直後から救援した山崎が、1点差の重圧をはねのけて5回を無失点。八、九回を追加点を奪った打線を見るまでもなく、この好投が、三回まで4点差をつけられた試合を、会心の勝利に様変わりさせた。五回の二死満塁などピンチの連続だったが、スライダー、チェンジアップなど低めに集めて、徐々にペースアップ。そして、七回、最高のピッチングを見せる。東出、金本、江藤を連続三振。これには野村監督も「気持ちが乗っている」と高い評価を下し、田村投入を考えていた八回も続投させた。

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中込伸

2024-11-16 14:57:05 | 日記
1992年
「山田がテンポよくリードしてくれたおかげ」と約5週間ぶりの勝利をあげた阪神・中込。140㌔を超える速球はわずかしか見せず、緩いカーブやフォークボールで大洋打線を惑わせて122球の完投。


阪神・中込のセリーグ五年ぶりのノーヒット・ ノーランへの期待だ。中込も「いけるかな」と意識した。ところが、最終回の先頭打者、代打河田に投げた95球目の直球が、真ん中に入ったところを右前にはじき返され、夢は一瞬のうちについえた。最後に冷や汗をかいたとはいえ、この夜のピッチングは緩急をつけた味のあるものだった。一番正田から七番高までずらり並んだ広島左打線に対しカーブとチェンジアップが有効に決まった。三振はわずか4ながら、バットのシンを外した打ち損じの凡打の山。中村監督が「最後はもったいなかったけど、遅い球を投げる勇気がある」と手放しでほめた。


1999年


阪神の中込は、5回で3点を失ったが、新球のシュートを右打者に有効に使った。

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工藤一彦

2024-11-15 21:08:04 | 日記
1983年
怒れる巨象への変身がうれしいじゃないか。昨年暮の契約更改、工藤は「この金額ではどうしても納得できない。ボクは夏場、ローテーションの軸となって働いたんですよ」と顔をまっ赤にして食い下がった。要求は受け入れられ、提示額は千八百万に修正された。身体は大きいけれど、象さん工藤はおとなしかった。4年前、小林が阪神へ移籍してきた時の悲しそうな目を知っている人は少ない。「しかたないですよ。ボクには何も言えません」巨人の定岡らとともに花の四天王と騒がれ50年に入団して以来、4年間つけていた背番号「19」を小林に譲ってくれ、といわれた。いくら愛着はあっても、入団以来1勝もしていない工藤は抵抗するスベはなかった。「ボクの転機はあの年ですね。背番号26にかわり心機一転。それにフォークをおぼえ自信がついたんです」と従順な象さんから怒れる巨象にかわった工藤はふりかえった。フォークの他にもう一つ、血のにじむような努力がかくされていた。工藤は100球前後投げると極端に握力が落ちた。当然球威、制球力とも乱れ、終盤に打たれた。「グサッ、グサッ」握力強化と指を鍛えるため、米びつの中に指を何度も突っ込んだ。まさに空手修行のようなすごさ。努力はむくわれねばならない。背番号26にかわった54年に7勝をあげ、以後5勝、9勝、そして昨年はじめて11勝とニケタ勝利をマーク。投手防御率3.00で7位につけた。なんといってもまだ26歳の伸び盛り。前途は洋々と開けている。


1984年




工藤に遅い春が来た。愛称ゾウさんのようにのろい歩みだったが、工藤は精進で勝者になろうとしている。50年、土浦日大から入団。同期には定岡(巨人)土屋(中日ーロッテ)、永川(元ヤクルト)がおり、花の高校生四天王といわれた。そのはなやかな話題の割に工藤は地味で、プロ入り5年目やっと初勝利。いつもライバル、定岡に一歩、先を越されていたが、昨年13勝10敗1セーブでちに№1の座についた。「苦あれば楽あり、楽あれば苦あり、ですよ」とこの苦労人、工藤はいう。四天王のトップになってもおごることはない。「そんなことより、ことしはボクにとって10年目。小林さんがいなくなったし、やらんと…」安藤監督はオルセンと二人でエース争いをさせる構想だ。大言壮語の嫌いな工藤はエースというセリフはいわないが、密かに狙っている。歩みは遅くても、確かな計画をねるのが工藤。五年目で初勝利、十年目でエースと言う出世街道。愛称のゾウさんどおりスケールが大きく、粘り強いエースへ照準をあわせている。

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池田親興

2024-11-15 21:01:48 | 日記
1985年
油っ気のない髪に、汗が似合う青年エース。「ことしこそ10勝以上を…」と唇、キュン。ヒジ痛の再発がなければ軽ーいノルマ。「目標にする投手はいない。目標とされる投手になりたい」とうれしいセリフ。ただいま花嫁募集中?三年前一度、お見合いをしたが実らず、大原麗子、夏目雅子タイプの女(ひと)が好きとか。趣味は映画。中学一年の時、ヘレンケラーの伝記「奇跡の人」を見て涙ポロポロ。学生の頃は1か月に20本以上も見たんだって…。池田クンの魅力、あのまばたき。「小学校三年の時、トラホームにかかり目を手術したんです。それ以来、短い間隔でまばたきするようになった」おわかり?


1986年


マッチをちょっぴり意識したヘアースタイル。プロ野球選手とは思われない服装のセンスでヤングギャルの間では人気№1。昨シーズンは右ヒジの不安からもうふとつ波に乗り切れない面もあったが、日本シリーズ第一戦で見事完封勝利。モヤモヤが吹っ飛んだようだ。もちろん、今シーズンの目標は2ケタ勝利でも、20勝近い勝ち星を狙う。オフには一人、グアムで自主トレを行うなど、プロ野球選手として一人前扱いのスタートを切った。ことしの暮れには大橋たえ子さんとの結婚式が控えているだけに、目標達成で両手に花といきたいところだ。課題は完投できるスタミナをつくり、ピッチングの組み立てにもうひと工夫を加えることだ。エースの座も近い。

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鹿島忠

2024-11-15 20:53:09 | 日記
1990年
オール中継ぎ役で9勝の勝ち星は、いかに投球内容が充実したものであったかを示している。入団して間もないころの鹿島は、マウンドに上がっても、どこかオドオドしていた。それがいまでは、打者を三振させておいて「どうだ、見たかッ」とばかり、グイと胸を張る。もう、気の弱さなどその片鱗も見られない。随分と成長したものである。昨季の奪三振は97個。これは山本に次ぐチーム第2位だ。奪取率ではナンバーワン。それは球威がいかに素晴らしかったか、の証明でもある。昭和57年度のドラフト1位で入団して、ことしで8年目を迎えた。長い下積みから苦労してはい上がってきた。それだけにシンは強い。少しぐらいのことでは、グラつきそうにない。したたかさを身につけているのが強味だ。2年連続して、地味な中継ぎを黙々とこなしてきたのは、そんな下地がモノをいっている。切り札・郭につなぐという「必勝パターン」がチームに確立しているのも、中継ぎ役・鹿島の存在を抜きにしては語れないだろう。いまや、立派な主力投手の一員に仲間入りしたといってもよい。2年前にピッチングのコツを会得して、一歩一歩と前進し続けた。「好成績を3年間続けて、初めて一流選手といわれるでしょう。その意味で、今年はぜひ頑張らなくてはいけない」と、自分をしっかり見つめることも忘れない。そんな鹿島に「中継ぎだけではいかにも惜しい。先発でも十分使えるはず…」といった呼び声が高まってくるだろうが、その時期がいつになるのかー。やはり、投手陣全体の動向がカギを握っている、と見るのが妥当なところだ。それと同時に、いま一つ投球内容に磨きをかけて、より安定したピッチングを目指してほしいものだ。

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高橋一彦

2024-11-15 20:16:41 | 日記
1987年
昨季はオープン戦で大活躍、ルーキー大賞を手にしたものの本番では甘くなかった。「1イニング11失点(セ・リーグ新記録)とか、押し出しとか、悪いことが全て出しつくした感じだ」2年目の今年。「力はあるんだ。何とかその力をマウンドで発揮できるようにしてやりたい」と高橋一をスカウトした稲川コーチは見ている。新妻・典子さんのためにも闘志は燃え上がる。

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橋本清

2024-11-15 20:14:46 | 日記
1994年
ドラフト1位で入団してから、もう7年目になる。あの江川の背番号「30」を受け継いだ期待の大型投手が、ようやく頭角を現してきた。昨年はリードしている試合の中継ぎを中心に登板して6勝4敗3セーブ。登板数はチーム最高の52試合で、防御率は1.83。抑えの石毛と合わせての「勝利の方程式」は、ちょっと流行語にまでなった。2軍暮らしが長かった橋本にとって、初めて満足できる成績だ。契約更改で、もめにもめて越年したのも、実績に裏付けされた自信の現れだった。今年は先発に転向か。昨秋から本人はヤル気満々なのだが、堀内コーチの評価は「体のことを考えると今のような使い方がいいかもしれない」なるほど、昨年の秋季キャンプ、今年の春季キャンプと相次いで故障。本人が言う「先発ならローテーション入り」を目指すなら、まず体力の強化が先決だろう。もちろん、橋本本人は先発以外を拒否しているわけではない。そうなった場合の目標は「石毛を押しのけても、抑えに回りたい。」中継ぎがイヤなわけではないが、「やっぱり試合の最後を自分で締めくくってみたい」と言う。そして、どうしても欲しいのがタイトルだ。それも最も価値があるといわれる防御率の欲しがっている。「やっぱり、防御率ですよ。これなら、先発でも、リリーフでも可能性があるしね」

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古里泰隆

2024-11-15 20:03:49 | 日記
1992年
一昨年終盤、オリジナルのスプリットで頭角をあらわした古里投手も順調に成長。昨年は一軍で14試合に登板。麦倉投手同様2勝をあげた。今季は投球回数100が目標。一つでも多く経験を積んで、秘密兵器から看板に成長だ。

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中田良弘

2024-11-15 19:56:38 | 日記
1986年
シーズン途中にリリーフから先発に回り、見事に復活。優勝に大きく貢献する12勝の勝ち星をあげた。また、昨シーズン、待望の二世が誕生し、公私ともに充実している。中田が復活した最大の原因は、投球リズム・テンポのよさだ。12球団でも№1を誇る打線の攻撃リズムを狂わさないようなピッチングを心掛けたおかげで、少々の失点もすぐ取り返してくれる。ツキも味方したようだが、ツキだけではないことは確かだ。安定したストイックなフォームからくり出されるストレート、変化球は、ことしも威力十分だ。むしろ、課題は調子に乗りすぎないこと。投げ急ぎ、勝負の早さを克服し、マウンドでもう少し余裕が出てくれば、もっと勝ち星は増えそうだ。


1991年


見事復活を遂げ、10年目の節目は2ケタ勝利で飾った。今年は抑えの要として先発陣を盛りあげる。マウンド上でフィーバーする中田ダンスは、タイガース勝利のバロメーターだ。

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金沢次男

2024-11-15 19:40:51 | 日記
1984年
遠藤についで、大洋の先発組№2。1年1年着実に伸びている成長株で3年目の今年も確実に成績をアップさせるだろう。ヒジをよく使った外人ばりのバックスイングから投じるキレのいい速球と、大きくドロンとしたカーブは速度差がかなりあり、打者にとっては、打ちにくいことこのうえない。今年もこのふたつの球種を武器に、緩急を生かしたピッチングで、目標の「15勝、200イニング登板」を上回る成績を残す可能性は十分だ。大きくはばたけ!


1985年


昨年の前半は、絶好調。防御率のトップに出て、オールスターまでに10勝はいくのではないかという勢いだったが、足の故障から肩、肘までも痛め後半はしりすぼみになってしまった。「金沢は投手陣のキー。彼がフルシーズン働けるかどうかでチームの浮沈もだいぶ変わってくる」と、小谷コーチがいうように、今年はまず、故障を起こさないことが先決だ。それさえなければ、球種は豊富だし、投球術も巧みなのだから、15勝はかたい。


1987年


こういうトレードこそ歓迎すべきだろう。木田は大洋で頑張り、金沢は2年ぶりの10勝を手中にした。大洋で痛めたはずの右ヒジも、新天地でのいい意味での緊張感が忘れさせてくれた。「2ケタ勝ちます」と移籍の記者会見でキッパリ約束したが、そのとおり実行してみせるあたりに、一種の風格さえ感じさせる。ロッテ、南海を倒して、今季の照準は上位の3チーム。一気に15勝にステップしたいところだ。


1991年


主力投手がケガなどで次々と戦列を離れる中、プロ十年目の投手は最後まで頑張った。日本ハムから移籍した昨季、チーム最多の37試合に登板。肘の痛みをこらえて何度もゲームを建て直してくれた。

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