1988年
甲子園では球児たちが響かせていた金属音は、浜田球場では無縁のものだった。中込の重い速球に押しつぶされた鈍い音がこだまする。田尾は4回打席に立ち、一度も快音を響させられなかった。高校時代にも対戦したことがあり、寮では中込の相談役に指名された高井も、そのパワーにおびえた。ヒットを打ちながらも「このバットを見てくださいよ」と折れたバットを見せるほど。26人の打者に対して5安打、3三振無四球という内容に中込の並みはずれた素質が表れていた。重い速球、キレのいいカーブ、スライダー。新しく覚えたSFF、中込が5か月間で学んだモノを見せた。
1993年
中込の調整が遅れた。元々の課題はフォークだった。中込はスプリット系のボールを持っているが、さらに落ちる球に磨きをかけるのが、昨年秋から取り組んでいたテーマだった。が、それ以前にフォームを崩してしまう。「体重が後ろに乗ってしまって、ストレートが行かない」と本人。中込の持ち味といえば、打者の手元で微妙に揺れるムービングファストボールだが、フォークに専念するあまりに、そのストレートにかげりが出たのであった。
1998年
中込が初めてフリー打撃に登板し、打者三人に約100球を投げた。持ち味の高速スライダーも試し、「スムーズに投げられた。ひじの不安もない」と順調な調整ぶりを披露した。
2000年
中込は3回を投げて3安打無失点。「バットのしんをはずす、スプリット系の落ちる球を試せた」と結果、内容とも満足の表情。
甲子園では球児たちが響かせていた金属音は、浜田球場では無縁のものだった。中込の重い速球に押しつぶされた鈍い音がこだまする。田尾は4回打席に立ち、一度も快音を響させられなかった。高校時代にも対戦したことがあり、寮では中込の相談役に指名された高井も、そのパワーにおびえた。ヒットを打ちながらも「このバットを見てくださいよ」と折れたバットを見せるほど。26人の打者に対して5安打、3三振無四球という内容に中込の並みはずれた素質が表れていた。重い速球、キレのいいカーブ、スライダー。新しく覚えたSFF、中込が5か月間で学んだモノを見せた。
1993年
中込の調整が遅れた。元々の課題はフォークだった。中込はスプリット系のボールを持っているが、さらに落ちる球に磨きをかけるのが、昨年秋から取り組んでいたテーマだった。が、それ以前にフォームを崩してしまう。「体重が後ろに乗ってしまって、ストレートが行かない」と本人。中込の持ち味といえば、打者の手元で微妙に揺れるムービングファストボールだが、フォークに専念するあまりに、そのストレートにかげりが出たのであった。
1998年
中込が初めてフリー打撃に登板し、打者三人に約100球を投げた。持ち味の高速スライダーも試し、「スムーズに投げられた。ひじの不安もない」と順調な調整ぶりを披露した。
2000年
中込は3回を投げて3安打無失点。「バットのしんをはずす、スプリット系の落ちる球を試せた」と結果、内容とも満足の表情。