今日夕方、仕事が終わってから、
いつもの整形外科に行った。
電気のマッサージをされているとき、
患者の年配女性と、
マッサージ器具を患者に装着する仕事をしてる年配女性が、
熱心に話をしている。
私は、カーテンで仕切られたベッドに
うつ伏せになっているので、彼女たちは見えない。
「この前、うちのが『コウモリ取ってくれ』といったら、
娘が『コウモリってナニ』っていうのよ。
いまのコは分かんないんだねコウモリが」
「分かるわけないわよ。
今どき傘のことコウモリなんていう人いないもんね。
私だってこの前、手拭いっていったら、
『ナニそれ』っていわれちゃったわよ。
今はタオルだもんね。
もう死語になっちゃったのかね」
「さびしいねェ」
「そうねぇ、今、紙っていえば
ティッシュかトイレットペーパーでしょ。
昔はいろんなのがあったね」
「そうそう、落し紙にもいろんなものあったわよね。
厚い黒っぽいものや白いもの、薄いちり紙もあった」
(落し紙っていい言葉だね。さしずめ今は、流し紙かな)
思わずおれは、突っ込みをこころで入れた。
「新聞紙や雑誌を使ってる家もあったわよね」
(おれんちは新聞紙だったよ)
「あんなのは、かたくて使いづらいでしょうね」
(慣れりゃ、なんてことない。
友だちの家のトイレには電話帳があったよ)
なんて突っ込み入れてたら、
「台風これからひどくなるのかね」
「そうみたいね。いやねぇ」
2人の年配女性の話題が変わっていた。
2000年の九想話を、
やっと九想庵にUPしました。
これで、98年から「かしの木亭」(ASAHIネット)
に書いてきた九想話が、九想庵で読めます。
「そんなの読みたくない」
そういわれたら、
「すみません」
というほかないですが…。
ひとつ、ひとつ読み直して、
HTMLファイルにしていきながら、
去年のことをいろいろ思い出しました。
つくづく思うのは、私の成長がない、
ということですね。
嵐山光三郎の「不良中年」は楽しい(講談社文庫)
を読んだ。
100%うなずけないが、
それなりに楽しく読めた。
「50歳からは第二の人生」
「50歳をすぎれば、好き放題に生きてよい」
おれも来年は50だ。
“不良中年”になろう。
なんでこんなに眠れるのだろう。
この夏休み、寝てばかりいる。
日曜日から休みで、
日曜、月曜とほとんど寝ていた。
火曜日は1日中寝ていなかったが、
昼寝は2時間ほどした。
水、木は茨城に行って、
寝てるわけにいかなかったが、
体調はだるかった。
昨日の金曜日は、午前中寝ていた。
そして夕方も寝た。
今朝は、9時過ぎまで寝ていて、
午後3時から6時まで寝てしまった。
こんなに寝ることはいままでなかった。
これまでは、寝るのがもったいなくて、
起きている私なのです。
夏休みには、小説を書こうと、
以前から楽しみにしていた。
九想庵の増えたファイルも、
整理しようと考えていた。
なにしろ1日1つファイルが増えるのです。
画面も見やすくしなければ…。
なんて思いながら、何もしていない。
こんなことで夏休みが終わったら、
社会復帰できるのかな?
とうとう母は、
私のことを分からなくなった。
8月15日の午後4時頃、
私は「ひだまりの家」に着いた。
受付に名前を記入し、
奥に向かって歩いていくと、
見たことのある顔のひとがいた。
東京の叔母さんだった。
兄が連れてきていた。
ちょうど帰るところだったらしく、
東京から一緒に来た姉を置いて、
叔母3人と兄は帰った。
母は、5月より小さくなったように見えた。
最初は私のことを分かっていたようだったが、
なんか途中からいってることがおかしくなった。
「わざわざ遠くから来てもらってたいへんですね」
いやに丁寧な言葉で話す。
「結婚しているんですか」
「ひさしだよ」
姉がいう。
「ひさしさんですか」
そういっても、
なんか自分の息子に会ってるという
喜びの顔をしていない。
これまでは、末っ子が一番かわいいらしく
私が行くと喜んでくれた。
「子どもはいるんですか?」
「UとKがいるだろうよ。もう大学3年だよ」
姉がムキになっていう。
「そうですか。いいですね」
私は、くるときがきたと思った。
8月25日で、母が入所して1年になる。
今朝、小学から高校まで一緒だった友人が死んだ。
名前が私と同じ Hisashi ということもあり、
特別な想いがある。
小さいときからワルぶっていたが、
気の優しい男だった。
集まった同級生3人と、線香をあげに行った。
彼の家はお寺だ。
小学生の頃、よく遊んだ。
高校生のとき、本堂裏の彼の部屋で、
煙草を吸ってウィスキーを飲んだこともある。
昨夜の盆踊りに来ていたらしい。
私も行っていたのだが会えなかった。
そこで会った女の同級生と彼の噂話をした。
家族の断片的な話では、
盆踊りから戻って、普通に寝たそうだ。
今朝、すごい血を吐き、
救急車で病院に行ったが、
助からなかった。
静脈瘤破裂だったとか。
4、5年前、私が茨城に行ったとき、
飲んだことがあった。
あのときが、
もう1人のHisashiと話した最後になった。
昨日飲みたかったんだよな。
今から茨城に行きます。
なんだかんだ思っても、
ふるさとは、ふるさとです。
この歳になると、
そこそこの望郷の念もわいてきた。
どちらかというと、
これまで、
ふるさとをあまりよく思っていなかった。
いまでも、それほどいい印象はない。
しかし、なんといっても、
私を育ててくれたところです。
自分のいけない部分を否定しても、
ふるさとまで拒絶することはない、
なんてふうに思いはじめています。
母のいる「ひだまりの家」に行く。
まだ、私を分かってくれるか。
実家には、姉たちも来ているだろう。
久しぶりに、きょうだいと昔話でもしよう。
頼りなげな末っ子として。
私が子どもの頃、
蚊帳は夏の必需品だった。
私の生家は農家で、そこらじゅう隙間だらけです。
とうぜん、外の虫たちが家の明かりに群がる。
私が小さいときは裸電球で、
高校生ぐらいになると蛍光灯になったが、
そのまわりをいろんな昆虫が飛び回っていた。
蚊、蛾、羽虫、カナブンに混じって、
クワガタ、玉虫、カブトムシになんと、
セミなんかが飛んでいた。
ですから、寝るときには蚊帳を吊らないと、
悲惨なことになってしまうのです。
でも、あの蚊帳の感触は好きだったな。
暑くても、緑色の蚊帳の中は涼しそうだった。
よく蛍をとってきて、蚊帳の中に放した。
寝ながら、蛍の光を見ているのが好きだった。
雷様が鳴ると、急いで蚊帳を吊ってもらい、
その中にもぐり込んだっけ。
なぜか、廊下には線香をあげるんです。
寝相の悪い私は、
蚊帳の隅まで転がって寝ていることが多かった。
おまけに涎を流すもんだから、
ほっぺたなんかが緑色に染まっちゃうんだよなァ。
8月10日の朝日新聞によると、
昨年の自殺者は全国で、
31,957人だった。
過去最悪だった前年より1,091人減ったけど、
3年連続で3万人を超えたそうだ。
交通事故での死亡者が毎年1万人前後ですから、
すごい数です。
ラジオでは中高年者が60%ぐらいといっていた。
哀しいです。
私は現在の職場で、
自分のプライドを毎日踏みつけられている。
それでも暮らしのために、
へらへらまわりに合わせて生きている。
そんなにまでして生きていくのやめちゃおうかな、
と思うときもある。
しかしなァ。
こころの隅のほうに、
ちっちゃな“希望”があるんだよな。
この“希望”があるうちは、
死なないんだろうな。
五木寛之の「生きるヒント3」(角川文庫)を
先日読了したのですが、
その本の「12章 幸せ」というところに、
ゴーリキイのこんな文句を紹介している。
「人生ってのは、ほんとうにひどいもんだ。
でも、だからといって自分でそれを
投げすてるほどひどくはない」
私もとりあえずは、
自分でそれを投げすてずに、
生きていこうと思っています。
今、世界陸上の女子マラソンを観ている。
いつも九想話を書いているこの時間、
とても書く気持ちにならない。
こんなことなら昼間書いておけばよかった。
あとのまつりです。
昼間は、ほとんど寝ていた。
いつもの日曜日と同じだった。
どうしても1週間の疲れがあり、
起きていられない。
今日から夏休みということもあり、
明日からがんばればいいや、
という気持ちもあった。
しかし、マラソンは面白い。
実況の古舘伊知郎がいった
「肉体の長編小説」とはうまい。
解説の小出監督と増田明美がいい。
これからまた観たいので、
今日はこのへんにします。