想風亭日記new

森暮らし25年、木々の精霊と野鳥の声に命をつないでもらう日々。黒ラブは永遠のわがアイドル。

独りの真我、有りて

2025-01-07 23:48:59 | Weblog
新年明けましておめでとうございます。

年末から降る大雪で例年、気が気でなかった。
けれどもこの年末年始に降った雪は日本海側から
飛来した粉雪で、積もっても数センチ程度だった。

いつも大雪のせいで、元旦早々なにかしら
トラブルが起きバタバタと走り回っていた。
クリスマスの前あたりから不安が募り大晦日を迎える。

例年そうであったからどうやら今度は降らないと
わかってきても油断ならないと、いろいろと対策した。
豪雪地帯に住む人の大変さを爪の垢くらい体験したに
すぎないんだが、実際明けてみてとても安堵した。

それにしても雪下ろしで落下して亡くなるという
ニュースを聴かない冬はないこの国。
高齢者、高齢単身者に自力自助を強い続けている。
そのたびに悲しい、国とは何か、そうマジで思う。
そんなニュースが無くなる日が来るだろうか。

キツツキが軒天をつつくトントントン。
車のバッテリー故障。
除雪車が途中までしか来ない。
駅へ人を迎えに行けない。
来る方も迎える方もオロオロ。
一日じゅう降る雪を恨めしく見ている。
というような正月休みではなかったのであります!!!

で、ここへ行きました。

スプーンが工具の形しててかわいい。
中古車に乗っているので点検してきた。
余裕、綽々、なんつって。
雪が少ないことがこんなに楽だとは!



「真我(まことのわれ)。これは心の源の君である。」
年末の最終講義は、私我の濁りをなくして
自らの内なる悪を絶つという話であった。
秦河勝の問い「私我という悪」に対して
聖徳太子が教えられた話を先生が説明された。

自らの内にある真の我は、空っぽで果てしなく
広く深く透明で明るいのだ。
冲莫と空虚。
そこに人の我も私欲もない。
しかし悪の芽は人の我欲(四業)から生まれる。

「私我は貪欲より生ず、貪欲は四業より生ず。
一に利用、二に名聞、三に色婬、四に庶幾。
四業は互いに交わりて六情を生ず。」

そこから自ら離れ、断ち、絶てといわれる。
これは人含道(ひふみ)の祝詞の最後の六言
「悪攻絶 欲我削(あせゑほれけ)」
この神文言の教えと重なることに気づいた。

※神文言は「神文伝」にあります。

そうはいっても悪の本をなくすにはどうしたら
いいのでしょう、そういう河勝に「真我有り」と
太子が答えられたのだ。
本来ある真我に気づけと。

人の世にごまんと教えと名づけたものはある。
あるにはあるが、教えに気づく人は少ない。
けれども教えがなければ迷い彷徨うしかない。



人は救われるようにできているのではないか、
切実に求める人を、率いるのが真我ではないか、
そう、むかし彷徨い続けた頃を顧みて思った。
切実さ、それに応えるひびき。

たどりつくまでの闇はとても長く感じた。
けれども実際には十数年だ。
明るい方へ歩み出てからの方がずっと長い。
三十数年が過ぎた。ホー
曲がらず逸れず螺旋状の一本道を来た。

自ら選択せよと先生は教えられた。
人の道とは、耳を澄まし
幽けき真我のひびきを断たない、
そういう生き方のことだと。

とても簡潔な「選択」の話で締めくくられた。
己を賭ける選択だ。
ということは‥‥












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