若年寄の遺言

リバタリアンとしての主義主張が、税消費者という立場を直撃するブーメランなブログ。面従腹背な日々の書き物置き場。

前澤友作氏の心意気と、クレクレ藤田孝典氏のダサさ

2021年03月02日 | 労働組合
ZOZOTOWNの前社長で自称「お金贈りおじさん」(旧「お金配りおじさん」)こと前澤友作氏による、お金贈りについてのnoteがありました。

今後のお金贈りとフォロワー全員お金贈りについて|前澤友作 Yusaku Maezawa|note

純粋に、この人スゴい。真似できます?
彼一代で、年1000億円を超える売上を叩き出す仕組みを作り上げ、1,000人を超える雇用を維持する企業に成長させる。その才覚もさることながら、その過程で得た個人資産を億単位で他人に寄付してしまう肝の太さ。いやもう規模が大きすぎて、スゴいとしか言いようがありません。

上記記事によると、お金贈りの総額は約27億円とのこと。
いやもうスゴい。

【契約自由の原則】

さて。

「お金贈りおじさん」こと前澤氏は、自分だけ儲けたわけではありません。殴ったり脅したりして金品を巻き上げたわけでもありません。取引先企業と契約をし、従業員と契約をし、消費者と契約をし、その契約に基づいて代金を支払ったり賃金を払ったりサービスを提供したのですが、彼ら契約の相手方は、それぞれにメリットがあるからzozoと契約をしたわけです。

取引先企業は、zozoで出品しても売上増に繋がらないと思えば契約を断ることもできますし、zozobaseで働く労働者も、他に高い賃金の提示や楽な業務内容の所があれば辞めて転職することもできます(現に、アパレルメーカーのzozoへの出店取りやめが続いてニュースになったこともありました)。サイトの使い勝手が悪ければ他のプラットフォームを利用することだって可能です。

契約当事者はそれぞれに利益があるから契約をしていたのであって、メリットが無ければ契約をやめてしまえば良いのです。

このように、契約自由の原則が機能している中において、一方的に搾取することはできません。自分が継続的に利益を得るためには、契約相手にそれなりのメリットを提供し続けなければなりません。消費者や契約相手に対する忠実な奉仕者であることが、資本主義における優れた企業家であることの条件です。積み上がった企業家の個人財産は、裏を返せばそれだけ多くの人にメリットを提供した証です。

この企業家の個人資産は、当然ながら私有財産であり企業家が自由に処分して良い性質のものです。なので、

======【引用ここから】======
当時は、前職ZOZO社の初売りセールをさらに盛り上げるために、個人でできる面白いことないかなーという、単純なノリで始めた企画でした。
======【引用ここまで】======

と、軽いノリで自社の初売りセールの宣伝のために個人資産を投じても問題ないし、

======【引用ここから】======
個人間での寄付がもっともっと当たり前に活発になれば、寄付を受け取る人が恥ずかしがったり遠慮することなく助けを求められるようになるでしょうし、何かに挑戦したい人は遠慮なく自分のチャレンジを宣言し支援者を探せるようになると思います。また、寄付する人は堂々と寄付を公表するようになり感謝と尊敬を集めながら、自分の寄付に想いやメッセージを乗せ、支援したい分野や人たちに積極的に寄付するようになるでしょう。
======【引用ここまで】======

と、寄付文化の醸成を目的として個人資産を直接個人に寄付しても良いのです。
これだけの規模の私財を投じる心意気、見事なものだなぁと思います。

既に計27億円を贈ったとのことですが、仮にですよ、この27億円を寄付せず、夜の銀座で連日飲み歩いてシャンパンタワーを並べたとしても、それはそれで良いのです。個人資産、私有財産ですから。

【顔の見える寄付と見えない社会保障】

さて。

そんな稀有な「お金贈りおじさん」ですが、寄付文化の醸成に関して重要なコメントを発しているのでご紹介。

======【引用ここから】======
そんな人たちに対して、個人から個人への感情の伴った富の再分配が「寄付」として行き届くようになり、それが当たり前の世の中になっていくことで、一人でも多くの人が救われ、一人でも多くの人が挑戦に挑むことができ、一人でも多くの人が夢を叶えることができるような社会になると素敵だなと思います。
======【引用ここまで】======

個人から個人へ、感情の伴った寄付が広まることを願う前澤氏。
ここ重要です。

お金を贈る側が、贈る相手を知り、贈ったお金が何に使われるのかをある程度把握することで、その困窮者の生活を救おう、挑戦を応援しよう、自分が贈ったお金が役に立った、という気持ちが生じます。こうした感情が、寄付の自発性を支えます。

他方で、

======【引用ここから】======
今まで寄付やチャリティーには積極的に関与する方でしたが、なんとなくNPOや団体にお金を出すだけでは人任せな気がしていました。
======【引用ここまで】======

このように、間にNPOや団体が介在することでお金を贈る側と受け取る側との距離が開きます。顔も直接的には分からなくなります。贈る側は誰の手元に幾ら贈られて何に使われたのかが分からなくなり、貰う側も誰がそのお金をくれたのかが分からなくなります。

何となくモヤっとしませんか。

規模が大きくなり、お金を払う人とお金を貰う人との間に多くの人が介入し仕組みが複雑になればなるほど、このモヤっと感は強まります。

お金を払う人とお金を貰う人との仕組みが巨大化し複雑化した最たるものが、公営社会保障です。日本全国1億人超を巻き込んで、いろんな個人、法人からお金を集め、それを政府や政府系機関でプールし、複雑な仕組みで保険者へ渡し、細かい基準に沿って対象者を選別し、受給者の手元に現金給付または現物給付がなされる。

この仕組みの中で、納税者が具体的な生活困窮者を思い浮かべながら納税することはほとんどありませんし、受給者が納税者に感謝しながら給付を受けとる事もありません。納税者にしろ、受給者にしろ、お互いの顔は見えません。

じゃあ誰の顔が見えるのかというと、確定申告の際の税務署の職員であったり、生保受給申請の際の福祉事務所の職員であったりするわけです。納税者には、自分が払ったお金の使い道が複雑で見えない、中抜きされていても分からない。そして、受給者は、誰が払ってくれたのか分からない金を受け取り、あるいはそもそも現物給付でどういった費用が生じているかも分からない状態となります。

この分配過程で、福祉事務所の職員が申請窓口で申請者に対し手続きを緩めて融通をきかせたり、あるいはNPO法人職員が申請に同行して受給決定にこぎ着けたりすることがあります。すると、この公務員やNPO職員が受給者から感謝されるという事態が生じます。感謝されるべきだった納税者には意識が向けられず、何も負担していない公務員やNPO職員が感謝されるという捻じれた状態となります。

多くの人にサービスを提供し雇用をもたらした人が感謝されず、ろくな説明も無いままに
「法律で決まってますから」
「納税しないと滞納処分で差し押さえますよ」
と脅されて税金を払わされる。
その一方で、自分では1円も付加価値を生み出していない公務員やNPO職員が感謝される。
どうもおかしい。

【ダサいお金配れおじさん藤田孝典】

さて。

NPO法人ほっとプラスの理事で社会福祉士・社会運動家、自称「お金配れおじさん」
こと藤田孝典氏が、10万円の一律現金給付を求めて毎日のようにツイッターデモを繰り返しています。

その中で、狂気じみたコメントが出現。



======【引用ここから】======
正直、ダサい。わずか26億円。
私は仲間たちと述べにすると、軽く5000人×200万円(概算)で100億円以上(それも毎年)、お金を配ってきた(国が払う…)。前澤氏、もっと頑張れ。

======【引用ここまで】======

何も負担していないし何も価値を生み出していないクレクレ藤田孝典氏が、自腹を切って寄付をしている前澤氏に対し上から目線で物を言い、配った額でマウントを取るという謎が生じています。
他人が私財から投じた寄付を、「わずか26億円」と批判する神経が信じられません。

このクレクレ藤田孝典氏のダサいコメントは、徴収と配布の複雑さを利用し、お金を配るプロセスに介入しているに過ぎない中間者が大きな顔をするという公営社会保障の弊害を、見事に表しています。また、社会福祉士がこうした発言をすることで、
「公務員やNPO法人が自己満足で悦に入るために、納税者は納税を強制されている」
という納税者の社会保障に対する不信感を煽ることにつながります。

国会議員や知事・市長(現職、元職)が
「この高速道路は俺が作ったんだ~ガハハッ」
などと自慢げに語るのを聞いたことがありませんか?
お前の金じゃねーよ、と感じたことありませんか?
(親交のある高齢の美術館オーナーに便宜を図り、美術館・美術品の管理費用を市役所で負担するようにし、副市長在職中にその美術館オーナーの経営する会社で役員に就任した松本英樹行橋市前副市長のように、市民の税金でパトロン気取りをする政治家は後を絶ちません。
リケンは、つくれる ~ 行橋市前副市長に学ぶ便宜供与と役員就任 ~ - 若年寄の遺言
クレクレ藤田孝典氏の発言からは、同じようなダサさ、腐敗臭を感じます。


自分の資産で寄付をする前澤氏の行為が稀有なものであればあるほど、クレクレ藤田孝典氏のダサさが際立ちます。

【底の浅い搾取の理屈】

クレクレ藤田孝典氏は言い訳をするように、



と述べています。
定説です」って・・・。

資本論は、労働価値説に立脚して議論を始めていますが、そのスタートの労働価値説が根本的に間違っている理屈です。いくら長い労働時間をかけて生み出した商品やサービスであっても、それをどこで、どういう形で提供するかによっては、消費者にとって無価値となることもあり得るのが現実の経済です。商品やサービスが利用者の手元に届いた時に初めて効用が生じるのです。

資本家のお金って資本家が稼いだものだと誤解する人が多いけど、多数の労働者が余分に稼いだお金を集めたもの
という「資本論の定説」に従った場合、それなら会社が赤字倒産した場合はどう説明するのでしょうか。会社の利益が労働者のものなら、会社の負債も労働者のもの。赤字倒産すれば所属していた労働者の頭数で割って負債の返済義務を負う事になりますが、果たして、そこまでの覚悟をもって会社に身を置く労働者を想定することができるでしょうか。

労働条件は契約で決まり、契約は強制されたものではなく双方から破棄できる。そうした状態で契約が履行される限り、搾取は存在しません。この契約を繰り返し履行する中で信用は生まれます。

この信用を非常に軽視しているあたり、クレクレ藤田孝典氏のダサいマルクス主義とMMT狂信者とはよく似ています。(MMT批判については後日ネタをアップするかも)


あれこれ述べて来ましたが、私・若年寄は、前澤氏が個人資産を投じて為そうとする、顔の見える寄付文化の醸成に賛同します。そして、クレクレ藤田氏のようなダサい中間搾取者が感謝される複雑怪奇な社会保障制度の整理縮小に向けて、できることをやっていきたいと思います。
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藤田孝典氏の言説は社会福祉士の主流的な考え方なのか

2020年06月10日 | 労働組合

【非審判的態度】

藤田孝典先輩,大丈夫ですか???~岡村隆史さんの騒動を受けて思ったひとりの後輩社会福祉士の戯れ言~ かんねこ(弁護士、社会福祉士)
======【引用ここから】======
しかし,社会福祉士が守るべき原則としては「非審判的態度の原則」というものがある。社会福祉士が人を裁いては(審判しては)いけないというものだ。藤田さんの岡村さんに対する叩き方は,この原則との関係でも社会福祉士の行動としては不適切である。

一人の社会福祉士としても,藤田さんの投稿は「社会福祉士というのは善悪を押しつけてくる存在なのか。あんまり安心して相談できないな。」という印象を与えるものだと感じている。

======【引用ここまで】======

仕事上、社会福祉士・ソーシャルワーカーに接する事が多くあります。
この人たちは、あまり他人を非難しません。

貧困になった理由がどうしようもないだらしなさであったとしても、
保護費の大半を支給日にパアッと使ってしまっても、
親の介護を施設に任せっきりなのに無理な注文ばかり付けてくる親族であっても、
あまり表立った非難をしません。

気長に話を聴き、
過去を責めず、
これからどうしたら生活がより良くなるか、
必要なのは見守りなのか就労支援なのか介護なのか保護なのか、
どこの機関につないだら良いか、
つないだ後の対応をどうするのか・・・

社会福祉士・ソーシャルワーカーでない私から見ると、
「よく短気を起こさずに対応できるなぁ」
と感心してしまいます。

これが、かんねこ氏が言及した
社会福祉士が守るべき『非審判的態度の原則』
の表れなのだと思います。

【他者非難型社会福祉士】

ところが、藤田孝典氏は違います。

自分の中にある善悪・正義の感情に立脚して弱者となる属性を設定し、その属性を持つ集団の代弁者を自称し、自分の中の正義感情に反する他者を非難します。
自分の正義感情を満足させるため、非難対象が謝罪しても、それを形だけの謝罪(彼らが「日本型謝罪」と呼ぶもの)に過ぎないとして容認せず、非難対象の発言を歪曲までしてしまいます

藤田氏は、マルクス主義に立脚した階級闘争の運動家であり、労働組合は善・資本家は悪という善悪二元論に依拠した労働問題活動家です。
こうした態度は、社会福祉士に求められる「非審判的態度」とは馴染みません。

「社会運動家と社会福祉士」の関係は、「公務員とリバタリアン」ぐらいに相反するものかもしれません。
私の思想は公務員としては異端ですが、同様に、藤田氏は社会福祉士としては異端者であると見るのが良いでしょう。
そう見なければ、リアルで見聞きしている社会福祉士の様子と藤田氏の言動との間の差異・違和感に説明がつきません。

もし、私の
「藤田氏は階級闘争の運動家であり、社会福祉士としては異端者である」
という見方が誤りであり、実は藤田氏のような考え方・手法が社会福祉士の主流だとしたら、社会福祉士は『Bullshit Jobs(クソどうでもいい仕事)』の筆頭候補に急上昇です。
(階級闘争を推進するための職業を国家資格として名称独占させるとかwwwww)

上で紹介したかんねこ氏の記事に対する、藤田氏の
https://twitter.com/fujitatakanori/status/1270060796282691586


https://twitter.com/fujitatakanori/status/1270068963028787200


こうした対応を見てると、高圧的で他者非難型の藤田氏の考え方や手法が、社会福祉士・ソーシャルワーカーの主流ではないと願わずにはいられません。

藤田氏は、形ばかりの謝罪を指して「日本型謝罪」と呼んでいますが、こうした用語法が許されるのであれば、芸能人をいつまでも非難し続け追い詰めようとする様は「韓国型追及」と呼べるでしょう。
韓国ではメディアやネットで芸能人を自殺するまで非難するケースが後を絶ちません。
藤田氏による岡村さんへの非難のしつこさは、韓国での芸能人非難を彷彿とさせるものがあります。

韓国型追及・藤田型ソーシャルワークの手法は、何も生みだしません。
分断と対立を煽るだけです。
ただ、対立を煽る事で注目を集める手法は、階級闘争の運動家としては合理的なのでしょう。

【社会福祉士と階級闘争】

藤田氏にとって、労働組合は正義、労働組合に入っている労働者は味方。
労働組合に入っている労働者であれば、非正規労働者を犠牲にして特権的に雇用を守られる正社員も味方です。
他方、資本家や収入の多そうな芸能人など、労働組合と無縁そうな人は敵。
どこまでも追い詰めるべき存在となります。

このように、藤田氏は、あくまで「労働組合 対 資本家」の構図に固執する論者です。
彼は、労働者個々人よりも、労働者という属性、そして労働組合という集団を重要視しています。

パワハラを熱心に糾弾していたにも関わらず、労働組合委員長による組合員へのパワハラ疑惑が浮上した際には
今できることは組織を信頼して見守ること
と労働組合側を擁護する発言をする程の、いわば労働組合至上主義者です。

労働者が会社と折り合いが悪くなった際には、
労働者が転職という形で逃げ回って泣き寝入りをして闘わないから、労働組合の意義も役割も軽視されるのです
と述べ、労働者に対し退職すべきでなく労働組合に入って闘う事を推奨していることからも、労働組合を至上のものと考えていることがうかがえます。

そんな藤田氏から見て、会社との関係に悩む労働者に「こうすれば退職できるよ」とその方法を公開し、労働組合の意義や役割を称賛せず、それどころか「組合」という文言の一度も出てこない
退職完全マニュアルnote
を書いたかんねこ氏は、憎き商売敵であり、労働者の労働組合への結集を妨げる反革命分子といった位置づけになるのでしょう。
本物のソーシャルワークを深く学ぶ機会が得られることを望みます
という藤田氏からかんねこ氏への発信は、先輩風を吹かせてマウントを取ろうとする意図とともに、階級闘争と結びついた藤田氏のソーシャルワーク観がかんねこ氏のそれと大きく異なる事を意味しています。

藤田氏の言う本物のソーシャルワークを深く学んだのがベテランの社会福祉士だとしたら、社会福祉士って怖い職業だなぁ。
うかつにベテラン社会福祉士に近づいたら、オルグされちゃうかも。
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終身雇用は崩れつつあるが存在する、だから問題なのであって ~自称弱者の味方は既得権益の守り手~

2020年02月20日 | 労働組合

藤田孝典さんのツイート
======【引用ここから】======
終身雇用制度が未だにあると思い込んでいる時点で語り合えない。終身雇用制度など大多数の労働者にはない。
事実として、40代以下では転職経験がない人を探す方がむしろ難しい。妄想から議論は出来ない。

======【引用ここまで】======

40代以下では転職経験がない人を探す方がむしろ難しい
終身雇用制度など大多数の労働者にはない

労働者全体における正社員の割合は減っており、終身雇用が崩れつつある会社・業種が増えているのは確かにそうでしょう。
しかし、

終身雇用制度が未だにあると思い込んでいる時点で語り合えない。

というのは、藤田氏の認識が歪んでいると言わざるを得ません。
妄想はやめてください、藤田さん。

終身雇用制度が有るか無いかで言えば、有ります。
崩れつつあるとは言え、有ります。

 ・一度雇った後で解雇するためのハードルが高い解雇規制
 ・賃金を下げるためのハードルが高い賃金規制

こういった各種規制は法律や判例上認められており、これに各企業が雇用形態や賃金体系を適合させる中で、新卒一括採用だったり終身雇用だったり年功序列賃金といった労働慣行が成立してきました。
この各種規制を否定する法律や判例が出てきたわけではありませんので、制度としての終身雇用は残存しているというのが事実です。

そして、終身雇用が制度として残っているという事実が、正社員と非正規雇用、大企業と中小企業の間の不公平や歪みを生み出す一因となっています。

【解約できない契約の怖さ】

仕事ができるかどうか、向いているかどうかは、採用試験や数回の面接では分かりません。
面接でハキハキしてた人を福祉事業所で雇ったのに、働き始めてみると要援護者への対応が横柄で、事務をさせても簡単な申請者リストとかもろくに作れない、なんて事も。
雇った後になって、業務遂行能力の無さやその業務・業種への適性の無さが判明するなんて事は多々あるわけです。
その人を雇い続けるのは組織にとって損失であり、同時に、労働者の能力を活かす機会が減ることで長期的には地域・社会の非効率さを増すことになります。

能力・適性の無い従業員を解雇すれば、その空いたポストに他の人を雇い入れることができるようになります。
解雇規制が無い、あるいは規制が緩く比較的解雇が容易な環境であれば、
「低学歴で使えるかどうか分からないけど、一度雇ってみようか」
と、今まで不遇だった人にもチャンスが生じるわけです。

どんな契約でもそうなのですが、自分にとって利益が見込めるから契約をするのが人の常。
利益が生じるかどうか見通せない状況で、一旦締結したら30年以上解約できない契約を結ぶ人はそうそう居ません。
これは雇用契約でも同じことで
「使えるかどうか未知数の人材を、一度雇ったら定年までは容易には解雇できない」
という法規制は、正社員の身分保障を高め安定性をもたらす効果がありますが、他方で、正社員採用の道を狭め、中途採用の機会を減らしてしまい、転職の選択肢を少なくしてしまっているのです。

【解雇規制の弊害】

法律や判例上、正社員の解雇にはハードルの高い規制が存在しています。

 「きちんと説明したかどうか
 「解雇する人選は適切だったかどうか
 「会社の存続が難しい
 「能力不足を理由に解雇する前に研修をしろ
 「配置転換をしろ
 「非正規労働者の首を先に切れ
 「解雇よりも新規採用抑制で対応せよ

などなど。
比較的ホワイトな大企業は、訴訟になった時の手間や企業イメージ低下を恐れてこうした解雇規制を遵守しています。

しかし、ブラック企業にとっては企業イメージの低下なんて今更な話なので気にしないでしょうし、小規模で従業員数の少ない企業にとっては能力や適性の無い従業員を雇用し続ける事は経営を圧迫するので解雇に踏み切る率は高くなるでしょう。

するとどうなるか。

比較的待遇の良い大企業正社員としての雇用は新卒一括採用の時点である程度固定されてしまい、再就職先としての選択肢は待遇の悪いブラック企業や中小企業での雇用か、あるいは非正規労働者か、という状況が生じます。

※参考 【20代の転職失敗談】大手企業を入社3年目で退職。夢だった業界に飛び込んだ25歳の末路

こうした状況を見聞きしていると、大企業正社員で就職できた人は、自分が今の会社に合ってないと感じていても、再就職先の選択肢を考えた時に二の足を踏んでしまいます。
業務内容が自分に向いていない、職場環境や人間関係が自分に合わないと思っても、無理をしてしまうわけです。

【解雇規制という不都合な真実】

一度正社員として雇われた人は、本人が辞めるか定年まではよほどの事がないと解雇されない、という正社員ルール、解雇規制。

解雇規制は、労働市場を固定化し、中小企業の労働者や非正規労働者のステップアップを妨げ、「雇用の調整弁」として利用される不遇な状況から脱出するのを邪魔する壁として機能しています。
「正社員イス取りゲーム」のイスが空かず、非正規労働者はずっと不遇な状況でグルグル回ってなきゃいけないのです。

のみならず、就職したところが自分に向いていないと感じている正社員にとっても、転職機会を減らし逃げ道を塞ぐものとなっています。
職場での鬱病発症や過労死の一因であるとの指摘もなされています。

にも関わらず、冒頭の藤田氏は、終身雇用や解雇規制の問題点を指摘し非難するどころか、
「そもそも終身雇用制度なんて無いんだ」
と、この問題を見なかったことにしています。

藤田氏にとって、解雇規制・終身雇用に言及されるのは不都合なのでしょう。
氷河期世代問題にしても、上に挙げた解雇規制の一つ、

 「解雇よりも新規採用抑制で対応せよ

が大きな原因です。
不況期に既存の正社員雇用を守るため、企業がこの規制に沿って新規採用を抑制したことが、正社員のレールに乗れなかった新卒浪人の大量発生に繋がったのです。

ところが、氷河期世代発生の原因を解雇規制に求めることは、藤田氏にとっての「不都合な真実」。
氷河期世代の問題についても解雇規制に言及することはなく、それどころか、

と、採るべき対処法がアベコベになってしまっています。
今、雇用の安定性を高めてしまっては、不況が再び到来したときに第二、第三の就職氷河期世代を誕生させてしまいます。

藤田氏が、性質のまるで異なる(場合によっては利害が対立する)正社員労組・公務員労組・中小労働者のユニオンなどを味噌糞一緒くたにして
「労働組合万歳!!資本家・経営者は敵だ!!労働者は権利要求すれば良いのだ!!」
という主張を繰り返しているのは、彼の依頼主に向けたポーズ、処世術なのだろうというのが、私の見方です。

既得権層たる正社員労組、公務員労組にとって、解雇規制は絶対死守したい既得権の本丸。
そんな正社員労組や公務員労組から講演依頼を受ける藤田氏が、解雇規制・終身雇用への言及を避けながら
「労働者は権利要求していればいいんだ」
と効果の無い念仏を繰り返しているのは、中小企業労働者や非正規労働者の代弁者を自称すると同時に、正社員労組・公務員労組のマスコットでもある彼にとっては合理的な行為なのです。


・・・・・・・・・・・・・・・・・
ここまで長々と書いてまいりましたが、解雇規制については私のブログよりも、↓こちら

解雇規制は、実は従業員を苦しめている! | 荘司雅彦オフィシャルブログ「荘司雅彦の最終弁論」powered by Ameba

を読んでいただいた方が、分かりやすくて良いと思います。
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地方自治体における「同一労働同一賃金」をどう考えるか

2020年01月23日 | 労働組合
今回のテーマは、地方自治体における「同一労働同一賃金」をどう考えるか、です。

【同一労働同一賃金とは何か】

同一労働同一賃金とは、一物一価の法則を労働に当てはめたものとされます。
「同一『価値』労働同一賃金」と呼ぶこともあります。

一物一価の法則とは、
「同一の財は同じ価格で取引される」
という経済学の考え方です。

同じ物、似たような物を、わざわざ高い所から買う人はそうそういないでしょう。
取引が繰り返される中で、この商品やサービスならだいたいこんなもんだろうという値段の相場が成立していきます。
取引が自由で流動性が保たれた環境であれば、長期的には、似たような商品・サービスには同じ位の価格が成立する傾向にあります。

ただ実際には、同じ商品やサービスであっても、輸送コストや立地条件、情報の非対称性などによって違う価格が付くことが多々あります。
取引の中で一物一価の法則が成り立っていない分野はいくつかあるわけですが、労働市場、特に日本におけるそれは顕著であると言われます。
同じような仕事をしている人に対し、支払われる給料に大きな差がある状態が、至る所で見られます。
日本の労働市場は規制が過剰で流動性に乏しく、労働における一物一価、すなわち同一労働同一賃金とは縁遠い状態にありました。

【自治体における賃金格差】

民間はもとより、県庁や市町村役場など地方自治体の労働環境でも、同一労働同一賃金とは程遠い格差が蔓延しています。

非正規職員が半数以上の自治体「ボーナス支給も月給減」懸念、実情とは 1/14(火) 7:30配信 京都新聞
======【引用ここから】======
京都府南部(山城地域)の12市町村のうち7市町で、全職員数に占める非正規職員の割合が5割を超えている。この大半が、「同一労働同一賃金」の実現を目指して2020年度に新設される「会計年度任用職員」の身分に移行する。非正規職員である嘱託職員と臨時職員なしには住民サービスが成り立たないのが実情で、期末手当(ボーナス)の支給など待遇改善が進む見通しだが、正規職員の給料との差が埋まるのか懸念する声が上がっている。
======【引用ここまで】======

正規職員の給料との差が埋まるのか懸念する声」とあるように、正規職員と非正規職員とでは、同じような事務仕事でも賃金や手当の面で格差があります。

同じような事務仕事でも、非正規職員では昇給なしでいつまでも最低賃金付近。
正規職員は、仕事の出来の良し悪しを問わず勤務年数の経過によって賃金は上昇していきます。
年齢高めの正規職員(ヒラ・事務職)と、事務補助で採用された非正規職員とでは、責任も業務内容も大差ないにも関わらず年収で4~5倍の差がある・・・なんて自治体はざら。

具体的な額については、こちら↓を参照。

時給900円の非正規公務員が増加の訳 正規職員を増やす負担は若年層へ - ライブドアニュース
2020年1月10日

======【引用ここから】======
例えば、「一般職非常勤職員」として事務補助に就いている職員の平均時給は919円、「臨時的任用職員」だと845円だ。その時点での最低賃金は全国加重平均で798円(東京都は907円)だから、最低賃金並みの報酬だ。
しかも、全体の3分の1である20万2764人はフルタイム、さらに20万5118人は正規の4分の3以上の時間、勤務している。公務員の所定の労働時間は年間1850時間程度とされているから、フルタイムで働いたとして、臨時的任用職員だと平均で160万円程度の年収にしかならない計算になる。
一方、総務省の調べでは全自治体の平均給与月額は40万円余りなので、ボーナスを含めると660万円になる。その格差たるや歴然としている。しかも、仕事の内容は正規の職員と大きく変わらないケースもある。

======【引用ここまで】======

(余談ですが、年齢高めのヒラ正規職員と若い管理職との間では、年功賃金によって責任の軽いヒラの方が給料が高くなってしまう逆転現象も生じています。これも全国的に見られる問題であり、解消するために取り組んだ自治体はごく少数です。有名なところでは大阪府箕面市が挙げられます)
○【箕面市長 倉田哲郎氏:第4話】平社員の給与が部長を上回るケースが存在する

【正規職員の身分保障】

正規・非正規の話に戻り。

正規職員に対し、能力不足を理由とする解雇(分限免職)は一応存在しています。
制度上は。

ただ、分限免職の実施に至るまで長期間を要すること、また、裁判所が自治体の判断を覆し処分を無効とする例もあって、実質的には、正規職員には、犯罪行為をしない限り定年まで解雇されず定期的に昇給していくという身分が保障されています。

※参考
「仕事ができない」公務員、クビにならないのはなぜ? 分限免職の仕組みと裁判例 - 弁護士ドットコム

正規職員には身分保障があります。
簡単にはクビにできません。
では、部署の中で人員が余剰になった場合はどうなるでしょう。

例えば。

 A課:正規職員5人

という構成の課があったとします。
A課の業務が3人で足りるようになったため、組織改編をして課の人数を減らすとしましょう。
この余った正規職員2人を直ちにクビにできるかと言えば、そうではありません。
クビにしたとしても、裁判所は「配置転換でクビを回避できないか検討せよ」と言って処分無効とするに違いありません。

じゃあ、A課で余った正規職員2人を配置転換でB課に回しましょう。
B課の現状は

 B課:正規職員4人、非正規職員3人

とします。
ここに、A課で余った正規職員2人をB課に配置すると、翌年度はたぶん、

 B課:正規職員4→6人、非正規職員3→1人

となります。
「正規が2人増えるんだから、非正規はその分不要でしょ?」
という理屈です。

非正規職員がこうした扱いを受ける状態を指して「雇用の調整弁」と呼ぶことがあります。
このように、正規職員には手厚い身分保障がある背後で、非正規職員にしわ寄せがいく構図となっています。
非正規の解雇で調整を図ることは、悲しいかな、裁判所が公認している手法です。

この時、正規職員よりも非正規職員の方が仕事を覚えていてテキパキできる人だったとしても、結論は変わりません。
判断基準としては、仕事ができる・できないよりも、正規職員という身分を有していることが優先されます。

【賃金格差の原因は身分保障】

先ほどは人員が減る場合を考えました。
次は逆に、人員を追加したい場合を考えましょう。

権限移譲や新規事業などによって自治体の事務量が増えた場合や、
新規採用した正規職員が使えなかった場合、
あるいは人事異動によって使えない正規職員が特定の部署に集まってしまった場合、
正規職員が産休や病休などで長期の休みに入った場合、
こうした場合に、その部署の管理者や人事担当課はどうすれば良いでしょうか。

上述のとおり、正規職員の分限免職は困難なので、正規職員を直ちにクビにして出来そうな人を雇い直すという選択肢は現実的にはありません。

では、既存の正規職員をクビにすることなく、新たに正規職員を雇う方法はどうでしょうか。
人件費総額や職員定数を考えた時、正規職員を増やして不足分に対応するのはなかなか難しいものがあります。
また、正規職員としての採用は「生涯賃金2億円を賭けて使えるか使えないか分からない人を雇う」という危険なギャンブルであり、更に使えない正規職員を引き当ててしまった場合は目もあてられません。
莫大な負債を背負うのと同義です。

正規職員の雇用ではなく配置転換で対応することも考えられますが、使えない正規職員は組織に残ってしまうため、部署間で使えない正規職員の押し付け合い、ババ抜き状態となります。
この調整もまた一苦労です。

正規職員が身分保障されている反動で、様々な問題が起きています。
どうしたら良いでしょうか。

ここで、非正規職員が登場します。
正規職員の身分保障には手を付けず、正規職員の人件費総額を確保し年功序列賃金体系を維持しつつ、別枠でかき集めた予算を元手に、最低賃金付近で労働市場から非正規職員を募集する・・・そんなことを全国の自治体が繰り返してきたわけです。

全国の自治体が、バイトやパートタイム的な位置付けで身分保障の無い非正規職員を大量に雇ってこの問題に対処してきました。

自治体の職員の半数近くが非正規職員となり、官製ワーキングプアが問題となり、働き方改革や同一労働同一賃金が騒がれるようになり、総務省が指示を出して、ようやく自治体が問題を認識するようになりました。
いや、まだ、
「総務省が言うから形だけ対応しとこ」
という自治体が多いような気もします。

【解決策は?】

この問題について、正規職員の側はどう見ているのでしょうか。
冒頭の新聞記事を再び拝借。

非正規職員が半数以上の自治体「ボーナス支給も月給減」懸念、実情とは 1/14(火) 7:30配信 京都新聞
======【引用ここから】======
 各自治体は現在、同職員に関する詳細な給与条件や規則などを策定中だ。自治労京都府本部は「ボーナスを支給する一方で、月額の給料を減らすことで、年収アップにつながらないケースなどが出てくる可能性がある」と指摘。「財政悪化などを理由に、処遇改善が進まないのは、会計年度任用職員の制度の目的に反する。各自治体は、職員間で格差が生まれないよう取り組むべきだ」とする
======【引用ここまで】======

ピントがぼけてる、と言いますか。

正規・非正規の格差問題は、身分保障と年功賃金が根底にあります。
裁判所の判断を後押しに、身分保障を頑なに擁護し要求してきた正規職員の労働組合が、

職員間で格差が生まれないよう取り組むべきだ

だなんて、ちょっと笑ってしまいます。
他人事じゃありません、労働組合が繰り返し主張してきたことが格差の大きな原因なんです。

人口減少社会、社会保障給付の増加、財政悪化を考えた時、職員総数は増やせないし人件費総額も増やせません。
全体のパイが減っていくのですから、職員総数も人件費総額も減らさなければなりません。
そんな中で正規・非正規の格差是正を図るべしという要請に応えるのであれば、正規職員、特にヒラ職員の人件費抑制は避けて通ることのできない道だと、私は考えています。

地方自治体は、
「正規職員の給料は据え置く。非正規職員の待遇改善を実施する費用は国が負担すべき。」
と考えているようですが・・・

国の新制度で非正規職員にもボーナス 財源は? 東北の自治体に危機感 | 2019年08月16日金曜日 河北新報オンラインニュース
======【引用ここから】======
2020年4月に制度が始まる会計年度任用職員の人件費負担に自治体が戦々恐々としている。制度導入で非正規の地方公務員が期末手当(ボーナス)などの支給対象となって人件費が大幅に増えるのに、国と自治体の負担割合がいまだに決まっていないためだ。
======【引用ここまで】======

自治体は国に甘えすぎなんじゃないか、と思うんですがねぇ。
まずは、ヒラ正規職員の給与を非正規職員のそれに近づけ、そこで浮いた人件費を非正規職員の賃金改善に充てることを考えるべきです。

そして、地方公務員法を改正して分限処分要件を緩和・明確化し、金銭解雇も可能にし、正規職員の雇用を流動化することで、身分格差の解消を図っていく必要があります。
根本的な解決としては、職員増員の口実となる新規事業の抑制、そして、絶対的貧困の解消に繋がらない蛇足の事業や規制行政の縮小・廃止が必要になります。
役所が少人数でも運営できるような業務内容、事業数に絞っていくべきです。

これらの作業を、まだ余裕のあるうちに着手するか、財政破綻待ったなしの状態でハードランディングするかは、あなたのお住まいの自治体次第です。
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ジョブ型雇用への転換を求めながらメンバーシップ型雇用的な賃金アップを求める謎

2019年05月19日 | 労働組合
ほっとプラス藤田は現状分析も処方箋も出鱈目ですが、その相方の今野晴貴氏の場合は現状分析は合っていても処方箋を間違えてしまう傾向にあります。

終身雇用をやめれば、雇用改革は進むのか? トヨタ社長、経団連会長の相次ぐ発言から(今野晴貴) - 個人 - Yahoo!ニュース
======【引用ここから】======
 以上のように、トヨタをはじめとする大企業の利益は、非正規雇用と下請け社員の低賃金・過重労働によって成り立っているといっても過言ではない。
 同様に、「終身雇用」の慣行もまた、企業規模間格差構造や非正規労働者への差別の上に成り立ってきたし、そもそもその恩恵を受けてきたのは労働者のうちのごく一部であった。

======【引用ここまで】======

======【引用ここから】======
 企業にとって、終身雇用の第二のメリットは、終身雇用を保障することで可能となった「無限の指揮命令権」だ。長期雇用する代わりに使用者が広範な命令権限を持つというのが、日本型雇用システムの大きな特徴である。
======【引用ここまで】======

======【引用ここから】======
 (なぜブラック企業が存続可能かについて)第一に、日本型雇用への「期待」である。「正社員であれば安心」、「きつくても、頑張っていればいつか報われる」という幻想があることによって、なんとか正社員の座を失わないよう過酷な労働を受容するのだ。
======【引用ここまで】======

この辺りの記述は、概ね正しいでしょう。しかし、そこからの議論展開や解決策がどうもおかしいのです。

【規制では解決しない労働問題】

======【引用ここから】======
欧米では、職務を通じた企業横断的な共通規則が形成されている。職務や労働時間、勤務場所を限定される雇用を「ジョブ型雇用」というが、全世界を見渡しても、労働市場の競争を規制し、共通の規則を作るときには、職務を通じてルールを作る方法しかない。
「ジョブ型雇用」への移行によって、どの仕事をどのくらいの時間働けば、いくらの賃金になるかという明確な仕組みを構築していくことが重要なのだ。

======【引用ここまで】======

労働市場の競争を規制し、職務を通じた共通の規則を作り、どの仕事をどのくらいの時間働けばいくらの賃金になるかという明確な仕組みを構築すべし、という今野氏。

これは間違っています。

規制で適正な賃金水準は作れません。規制当局には、幾らが適正な賃金で、どのような労働条件なら適正なのかを知る術はありません。暴力によって強制されない状態において、当事者間で雇用契約が成立することで初めて、その時点でのその当事者における適正な賃金・労働条件が判明します。個人個人の無数の背景があるので、これを集計し事前に適正な水準を割り出すことは不可能です。
仮に、政府当局の担当者が既存の賃金水準や労働条件を観察して「このラインが適切だ」と判断出来たとしても、それを立案し、学識経験者に諮問し、関係部署の決裁を受け、国会で立法化された時にはもう状況が変わっていることでしょう。

======【引用ここから】======
 仮に、日本の労務管理が真にジョブ型へ移行していけば、裁判所もその「実態」を考慮して、解雇の基準を見直していくことだろう。その場合、進むのは「規制緩和」ではなく、「規制の組み替え」である。
 一部の特権的正社員が終身雇用、年功賃金を受け取り、その分非正規雇用を「調節弁」として使う仕組みから、平等な仕事に基づく規制が作られ、それに合わせた新しい解雇規制の手続きを作り出す。その起点が、「仕事の基準を作る」ところにある。
 要するに、「ジョブ型への移行」を実現するためには、解雇規制の緩和ではなくて、仕事の基準を作り出すための議論が必要なのであって、問題をすり替えてはならないということである。

======【引用ここまで】======

今野氏は、解雇規制の緩和でなく規制の組み換え、仕事の基準を作り出すことを求めていますが、さて、誰がどうやって基準を作り出すのでしょうか。こうした話題になると、よく「議論が必要」となるわけですが、これだけでは、具体的にどこで誰が議論してどういうプロセスで決めるのかの具体性を欠いています。

最終的に「規制の組み替え」という形にするのであれば、「誰が作るのか」と言えば政府当局の担当者が作るということになるでしょう。
政府当局の担当者は、
「労働法学者、弁護士、労働組合、企業経営者、消費者団体等から何人ずつか代表的な人物を集めて審議会を作り、Aという分野の職種に関する基準作成について意見を求めま議論しました」
程度のことなら出来ます。しかし、こうしたプロセスでは全ての分野の全ての職種で適正な賃金水準・勤務条件を定めることはできません。各団体の代表者がそこに属する人の意見を全て汲み上げているわけではなく情報量が全く足りませんし、意見を反映できるかどうかはその意見の正しさではなく政治力や暴力によって左右されるため、適正なものとはなりません。

こうした政府が基準を定めるやり方では、全ての分野どころか、1分野ですら適正な基準も報酬体系も定めることができません。
介護保険分野では現にできていません。賃金は安く、勤務は重労働、しかも肉体労働だけでなく膨大な書類作成も求められ、必要な資格要件もコロコロ変わる中、担い手不足で廃業する事業所が後を絶たない状況です。
介護労働者の賃金はそれ単独で定まるものではありません。介護労働者賃金、介護報酬、加算、利用者負担、保険料、税金投入割合、運営基準、人員基準、など様々な要素が複雑に絡み合っており、これらのうちどこか一つを法律や規則で固定させると他のところに波及します。関係者の誰かを有利にするため、規制でどこか一つを不当に安く(高く)固定すれば、別のどこかにしわ寄せが行きます。今は介護労働者の低賃金という形でしわ寄せがいっていますが、じゃあ賃金を上げるために高齢者の保険料を上げますか?現役世代の保険料を上げますか?消費税を更に上げますか?
(このあちらを立てればこちらが立たず状態の中、政府当局の担当者としてはもはや介護分野に手の打ちようが無いんじゃないか・・・と思っています。アリバイとして加算を付けたりはしていますが、対応は場当たり的であり、それがかえって利用者のサービスに結びつかない書類仕事を増やすという悪循環に陥っています。)

ジョブ型雇用における仕事の基準を作るために必要なのは議論ではなく、取引の積み重ねです。流動的な労働市場における取引を通じて初めて賃金水準や労働条件は見えてきます。不当な雇用契約、詐欺的な雇用契約を是正するための完璧でないにしてもベターな方法は、雇用の流動化です。
政府が労働者の意見を反映して規則として決めるのではなく、市場においてある程度の相場がそれなりに定まるのです。

市場において無理のない水準の相場がそれなりに定まるのですが、その時に必要なのは、取引が自発的に繰り返し行われることです。売り手と買い手、労働者と雇用者の取引が繰り返されることで相場が徐々に形成されていくわけですが、政府の規制が存在することによって不当に安い値段や厳しい条件での取引を強いられたり、あるいは、規制によって取引成立数そのものが減少してしまいます。

「ジョブ型雇用」は「同一労働・同一賃金の原則」を前提としています。「同一労働・同一賃金の原則」とは、一物一価の法則を労働分野に当てはめたものです。労働市場において、同じような勤務内容、勤務条件の職務であれば同じような賃金が成立するというものであり、ほっとプラス藤田が苦し紛れに発した
○○の事業の賃金はだいたいこんなもんです
というセリフにも、この「一物一価の法則」「同一労働・同一賃金の原則」の考え方が反映されています。

労働市場において人々が就職と転職を繰り返す中で、
「この業界のこの業務の賃金はだいたいこんなもんです」
という賃金水準が成立します。

そして、今野氏の言うような「ブラック企業による求人詐欺」の被害にあったとしても、転職が容易な環境であればやり直しが可能です。
しかし、解雇規制が強く再就職先が少ない日本型雇用慣行・メンバーシップ型雇用の中で、
「たとえブラック企業であっても正社員の地位を手放すわけにはいかない。非正規になるよりはマシだ」
と考えてしまう労働者も出てきます。そう、労働者の安定を保障しようとした規制がかえって「ブラック企業による求人詐欺」の温床になっているのです。

【賃金が個々の企業の事情で定まらないのが「ジョブ型雇用」】

賃金水準や勤務条件が企業ごとに異なるのではなく、職務・職種ごとにある程度共通した内容になる「ジョブ型雇用」。企業横断的に職務・職種に共通したものとなるため、賃金水準を決めるのは個々の企業における業績の善し悪しではなく、その職種が労働市場においてどのくらいで評価されているかによります。
個々の企業における業績の善し悪しを反映させようとするのは、雇用の流動性が低く、個々の企業と労働者が親子のような関係になっている日本型雇用慣行・メンバーシップ型雇用における発想法です。この中で、企業は労働者の面倒をみるが、同時に、労働者は企業の言いなりから逃れることが難しくなります。

労働者が会社に従属している状態を指して今野氏は「無限の指揮命令権」と呼んでいます。
「無限の指揮命令権」に限定をかけていくために「ジョブ型雇用」への移行が必要、という意見には賛成なのですが、ここに一つ問題があります。

ZOZOTOWNの賃上げ 問題は解決したのか?
======【引用ここから】======
 アパレルオンラインショップ・ZOZOTOWNを運営する株式会社スタートトゥデイが、アルバイトの時給を最大3割引き上げ1300円し、年2回1万円のボーナスを支給することを発表した。
 社長が「月にいく」ほど利益を上げてきたのだから、労働者側の賃上げも、ある意味「当然」だろう。

======【引用ここまで】======

社長が「月にいく」ほど利益を上げてきたからと言って、労働者側の賃上げは当然・・・ではありません。労働者の賃金と、社長の利益とは、それぞれ別のタイミングで別の決まり方をします。これから先に求められる形が「ジョブ型雇用」なのであれば、尚更です。
「労働者の賃金が企業ごとに定まるメンバーシップ型雇用では『無限の指揮命令権』から逃れられないから、企業横断的に職種・職務ごとに定まるジョブ型雇用に移行すべき」
と述べていた人物が
「特定企業の社長が月にいける程の金持ちだからその企業の従業員の賃金を上げて当然だ」
と主張するのは矛盾です。

「会社が儲かったのだから賃金アップせよ」というのは労働者にとって聞こえの良い意見ですが、よくよく考えると危険な主張です。「会社が儲かったのだから賃金アップせよ」という主張は「賃金は会社の儲けに連動すべき」という主張に繋がるものであり、裏返せば、「会社が赤字の時は従業員は無給でも構わない」ということになります。この考え方は会社と労働者の一体性を重視したメンバーシップ型雇用と親和性の強いものです。今野氏は金持ちへの嫉妬で目が曇ってしまい、「メンバーシップ型からジョブ型へ移行すべき」という本来の主張から逸れてしまっています。

企業は、儲かっている所だけではありません。経営が傾いている企業、個人経営から複数の支店を持つような規模へ転換中の企業、立ち上げたばかりで軌道に乗っていない企業、それぞれに様々な事情があります。良い企業、悪い企業、古い企業、始まったばかりの企業、そんな様々な企業の間を、労働者がその時々の状況に応じて就職・離職・転職を繰り返すことで、職種ごとに「だいたいこんなもんだろう」という賃金水準・勤務条件の相場が出来上がるわけです。この相場にそって、「私はこの職務をこの金額、この条件で遂行します。それ以外はしません」というのが「ジョブ型雇用」です。

ちょっと話は変わりますが。
もし、こうした自然発生的な賃金相場を無視し、

======【引用ここから】======
 時給1300円では、1日8時間、週40時間働いても年収264万円程度にしかならない。これでは大人1人が暮らしていくこともままならないだろう。
======【引用ここまで】======

という主張に沿って労働組合が暴力活動を繰り返し、政府がこれに押し切られる形で
「ではいっそのこと、時給を倍の2600円にしよう。そうすれば年収528万円になってそれなりの暮らしができるはずだ」
という最低賃金規制を定めたとしましょう。

これは、新規で企業しようとする人を尻込みさせ、中小企業や、ほっとプラスやPOSSEのようなNPOに事実上の営業禁止処分を突き付けることになりかねません。
最低賃金規制とは、この金額以下の賃金でしか雇用できない企業・団体を排除する規制であり、その金額以下の賃金でしか雇われようのない人を労働市場から排除し強制的に失業させるものです。
そうなれば、未熟練・若年層を中心に失業率が上がり、残った一部の大企業内部では従業員の会社へ従属せざるを得ない状況がさらに強まることでしょう。韓国では最低賃金を上げたことによって失業率が上がるとともに、財閥への経済力の集中が進んでいます。

今野氏は、こうした状況を望んでいるのでしょうか。
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労働運動家は正社員特権を擁護したいだけ? ~正社員ホッとぷらす~

2019年05月16日 | 労働組合
経団連会長やトヨタ社長らが、相次いで「終身雇用は限界だ」と発言し話題になっています。これに対する批判コメントにもやもやしたので、そのもやっと感を吐き出してみます。

【必要とされる労働者の数と質は一定でない】

「経済界は解雇規制をなくしたいだけ」 相次ぐ「終身雇用は限界」発言に労働弁護士が批判(弁護士ドットコム)
======【引用ここから】======
そもそも、現在の日本では、パートや派遣などの非正規雇用者の割合が、労働者全体の4割となっています。正社員であっても、決して良好な雇用環境でないことも多く、そもそも「終身雇用」は幻想のようなものにすぎません。

過去を振り返っても「終身雇用」と言われるものは、大企業の男性労働者の一部にはあったといえるものの、労働者みんなが「終身雇用」だった時代など一度もありません。

======【引用ここまで】======

景気の動向や経営方針、季節的なもの、様々な要因によって業務量は増減します。また、その時々によって必要とされる労働者の能力、適正も異なります。

必要な労働者の数や質は常に変化します。雇ってみたものの、会社で求めている能力・適性を有していないことが事後的に分かることもあるでしょう。数年経って、事業規模を大きく縮小せざるを得なくなることもあるでしょう。
このように状況が常に変化する中で、正社員で現時点における必要数全てを揃えようとする経営者はそうそういないはずです。正社員には「会社が続く限り一度雇用したらよほどのことが無い限り定年まで解雇してはならない」という条件が適用されるからです。一度正社員として雇ってしまうと、ちょっと人手余りになった位じゃ裁判所は解雇させてくれません。

たとえば。

ある弁護士事務所において、大きな訴訟案件を受けたとします。
その訴訟案件が継続する間は資料の収集、作成、整理で一時的に多く人手が必要になることが考えられるが、その訴訟が終結してしまえば、そこまでの人手は要らなくなる・・・
・・・という事態が想定される時、この弁護士事務所では、事務員の不足分を正社員として雇用するでしょうか。おそらくしないでしょう。パートや臨時職員として有期で雇い入れるか、既存の事務員の残業を増やして対応することになるでしょう。
(弁護士事務所だから解雇に伴う訴訟リスクを恐れない、というのはナシで)

【終身雇用の問題は身分制の問題】

上記コラムでは、
労働者みんなが『終身雇用』だった時代など一度もありません。
と述べられていますが、それは当たり前のこと。
労働者全員を、身分保障の整備された正社員にすることは不可能なのですから。

全員に保障することのできない権利を、特権と呼びます。この「特権」を労働者全体の6割にだけ与え、そこから生じる弊害や不都合を残り4割の非正規雇用者に押し付けている、というのが現状です。
一方では不祥事を起こさない限りダラダラしていても解雇されない人がいて、他方で期間を区切った短期の繋ぎとして利用される人がいる。解雇規制・終身雇用というのはこういった身分制の根本原因となっています。

「経済界は解雇規制をなくしたいだけ」 相次ぐ「終身雇用は限界」発言に労働弁護士が批判(弁護士ドットコム)
======【引用ここから】======
いずれにしても、現状でも不合理な解雇は多くなされているのですから、これ以上、経営者が自由に解雇ができる社会を作ってしまえば、安定した持続的な社会を作っていくのは難しくなるのではないでしょうか。
======【引用ここまで】======

安定した持続的な社会
とは、
「一度、大企業正社員になれれば安泰かもしれないが、正社員のレールから外れてしまうと不安定で待遇の悪い状態を強いられる」
という、固定的な身分制社会を指します。
固定的な身分制社会は安定した持続的な社会です。非正規雇用を犠牲にし続けることができる限り、ですが。

【終身雇用批判批判は正社員をホッとさせるだけ】

解雇規制の強い国では有期契約の割合が多くなる、という調査があります。

解雇規制の強い国では無期雇用での雇用を控えるために有期雇用が増えるが、解雇規制が緩ければ比較的容易に無期雇用で雇うことができる…というのは当然のこと。
「解雇規制が強いから非正規雇用での対応を求められる場面が増える」
「解雇規制が強化されれば正社員雇用を避ける流れが強くなる」
というのは容易に想像できるところです。
逆に、正社員をある程度簡素な要件・手続きの下で解雇できるようになれば、その空いた正社員ポストに非正規労働者を採用できる機会が増えます。

「よほどのことが無い限り定年までは解雇されない」
という解雇規制・終身雇用慣行が、かえって非正規雇用の割合を増やし、
「正社員を解雇する前に非正規をまず解雇しろ」
といった裁判所公認の非正規差別・身分格差を生んでいます。この問題意識を、上記コラムの労働弁護士のような方々や労働問題に携わる社会運動家・NPOと共有できないものでしょうか。

仮に、労働弁護士の大口顧客に正社員中心の労働組合がいる、とか、社会運動家が頻繁に労組主催シンポジウムに招かれて講演料を受け取っている、としたら、私の主張を受け入れてもらう余地は少ないでしょう。もし理解はしてもらえたとしても、彼らが表立って解雇規制撤廃を主張することはありません。「正社員の地位は非正規雇用を犠牲にすることで成り立っている」ということを言ってしまうと、正社員中心の労組から嫌われてしまいます。仕事を貰えなくなってしまいます。立場上、仕方の無いことです。

労組から仕事を貰う労働弁護士や社会運動家が
「終身雇用を廃止するな!安定した雇用を保障しろ!」
と主張するのは立場上そうなんでしょうけど、彼らがそう主張したところで、正社員枠が増えて、現在非正規雇用で働く人や失業中の人が安定した仕事を得られるようになることはまずありません。既に正社員の地位を得ている人がホッとするだけです。
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寄付の使途にケチをつける黄色いベスト ~ 労働者の要求水準が高いのは有害 ~

2019年04月25日 | 労働組合

【私有財産と寄付】

災害や事故が生じて大きな被害が出た場合、多くの人が寄付をします。
人的・物的被害を受けた人々の惨状を見て嘆き、その境遇に共感し、何か自分にも出来ることはないかという自然発生的な感情に基づき、人々は自分の財布から出せる範囲で寄付を行います。

通常、寄付をした人は賞賛されます。

個人の財産の処分は所有者の意思に委ねられており、自分の趣味、願望、欲求を満たすために費やしても全然構わないものです。
にもかかわらず、他人の被害を救済するために私財を投じるのは非常に高尚な行為であると言えます。
自分の金を自分のために使うことができたにもかかわらず、他人のために使うという点が、道徳的な評価に繋がります。

これが強制的に寄付させられた場合、寄付を強いられた人は不満を募らせ、周りの人は憐憫を覚えることでしょう。
暴力と強制は、一部の人の正義感を満たすことしかできず、多くの人の満足を損ない自発的な繋がりを壊してしまいます。

また、仮に寄付の意図するところが露骨な売名であり、お世辞にも高尚とは言えないものだったとしても、原点に戻って「私財を売名のために使って何が悪い」で済む話です。

いずれにしても、私財を投じて寄付するか否かは所有者の意思に委ねられており、また、寄付金の使途は寄付を受けた側が判断することになります。

こうした私有財産に基づく「当たり前の話」を覆そうとする集団が出現しました。
フランスの黄色いベスト達です。

【寄付金をよこせ?!】


○寄付と再建方法で論争 ノートルダム火災、仏社会結束ならず
======【引用ここから】======
フランスでは15日夜に起きた火災を受け、各政党が欧州議会選に向けた選挙活動を停止した一方、大聖堂再建に向け集まった寄付をめぐる論争が17日までに勃発した。集まった寄付金8億5000万ユーロ(約1070億円)については、その一部が貧困層支援に使われるべきではないかとの声が上がっている。
( 中 略 )
 大聖堂の再建に対しては、フランソワ=アンリ・ピノー(Francois-Henri Pinault)氏やベルナール・アルノー(Bernard Arnault)氏をはじめとするフランスの大富豪や大企業がそれぞれ1億ユーロ(約130億円)を超える寄付を表明。しかし、「ジレ・ジョーヌ(黄色いベスト、gilets jaunes)」運動の抗議デモが5か月にわたり続くフランスでは、富の不平等と低所得者層の窮状に注目が集まっており、巨額の寄付は批判を呼んだ。
 寄付により大規模な税額控除を受けられることも反発の一因となっており、これを受けてピノー氏は、税額控除の権利を放棄すると表明。一方のアルノー氏は、18日の株主総会で寄付をめぐる論争について問われた際、「フランスでは(公益となる)何かをする時でさえ批判され、非常に悩ましい」と語った。

======【引用ここまで】======

黄色いベスト達は、多くの人から集められた寄付金について

「一部は貧困層支援に使われるべきではないか」

という主張をしています。
貧困層、すなわち自分たちに金を寄越せと主張しているのです。
人間より石が優先されるのか
という主張もしている様子。
徒党を組み、投石や放火をしながらです。



片や自発的に寄せられた寄付金、
片や暴力を背景とした恐喝行為。

黄色いベストを擁護しようという気持ちがぜーんぜん湧きません。

【暴力を伴う要求は有害】

労働者集団の暴力を背景とした要求行為は、有害です。

労働者集団が要求をし、それが世間の生活水準、生産態様等々に照らして容易に実現可能なものであれば、労働者集団の要求があろうが無かろうがいずれ実現します。
労働者集団の要求行為は、実現可能な労働条件の現実化を若干早めることができるに過ぎません。
また、要求内容が容易に実現可能な水準のものであれば、暴力を伴う要求行為をする必要はありません。

暴力に訴えなければならないということは、要求内容・水準が実現困難であり、平穏な交渉の中で話がまとまらないということです。
暴力をもって相手に押し付けなければ成立しないような要求は、どこかで歪みを生じさせ、より弱い者の所にしわ寄せが行きます。

解雇規制がまさにそうです。
ストライキによって正社員労働組合が企業に押し付け、裁判所が追認した解雇規制は、成立当初の労働条件・水準や現代のそれと照らしても、労働者全員に保障できるようなものではありません。
このため、一部の正社員にのみ解雇規制が保障される一方で、労働需要の増減を非正規労働者の数で調整して対応するというしわ寄せが生じました。
また、正社員内部においても、一部界隈では人権侵害とまで言われている転勤システムという歪みが生じた原因もまた解雇規制にあります。

暴力による無理な水準の要求は、このようにしわ寄せや歪みを生じさせます。

月に行くよりノートルダム大聖堂修復の方が数百倍公益性があるが、それでもフランス労働者は激怒。労働者の要求水準の高さがうらやましい。

という社会運動家さんもいますが、彼の主張が愚かで危険であることは既に述べたとおりです。
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藤田氏の「労働組合のおかげ」説を疑いの目で眺めてみる ~ 久々の『ヒューマン・アクション』から ~

2019年04月16日 | 労働組合

【藤田氏の労働組合信仰】

前回、藤田孝典氏の労働問題に関する主張は説得力を欠く、ということを述べました。
この人は私と同様自分に甘く、私と違って自身の理論を労働組合にとって都合の良い形に捻じ曲げてしまう傾向にあるからです。
そういう不信と懐疑の目で、次の文章をご覧ください。

「月に行くなら社員の給料を増やせ」は的外れ、というのも的外れー企業に対する労働者の要求は自由であるー
======【引用ここから】======
「子どもが生まれたら働き続けられないから退職」「時短勤務などでは企業に迷惑がかかるから辞めてほしい」が当たり前という慣習を打ち破ったのは先輩の労働者たちである。
子どもを育てながら働きたい。それは当時の企業社会において荒唐無稽な暴論と評価された要求だった。
もっと歴史を遡れば、1日13時間労働の短縮、労働組合など団体交渉権の確立、労働基準監督署の設置、週休2日制、有休休暇制度、残業代の支払い義務など、あらゆる労働者をめぐるシステムが労働者の要求によって確立してきたことを知ることが出来る。
どれもこれも当時の社会では存在しなかったり、禁止していないことが当たり前、当然とされてきた仕組みだった。
わたしたちは現在、先人が権利を主張して確立してくれて、その変化した仕組みのなかで恩恵を享受しているに過ぎない。
このように、先人の労働者が自由な要求を繰り返すことで、制度やシステムが整備されてきて、いまの私たちの働き方が確立している。
自由な要求なしには、働きやすい環境や処遇は得られないのである。

======【引用ここまで】======

「先輩労働者たちが労働運動(たたかい)で勝ち取った労働者としての権利があるから、お前たち今の労働者の生活があるんだ」
「労働者の要求によって週休二日制といったシステムが確立した」
という、労働組合の組合員向け政治パンフレットのような内容。

こうした意見はこの人に限らず様々なところで見られます。
例えば、

児童労働の原因と解決策ーNGOの役割ー

というレポートでも、児童労働の原因を述べる中で

======【引用ここから】======
なぜ子どもたちが労働者として容易に搾取の対象となるのだろうか。主な理由として,子どもたちが大人の何倍も安く使えることが挙げられる。これはほとんどの子どもたちが労働組合の援助を受けることができないためである。また,子どもたちは恐くて不満や文句を言わず,組織的に仕事の環境改善を要求することがほとんど不可能であるため,雇用者側にとっては使いたい放題である。
======【引用ここまで】======

と、子どもは労働組合の援助を受けられない、組織的に仕事の環境改善を要求できないという点を児童労働の問題点として挙げていますが、こうした見方は藤田氏と共通しています。
労働組合があるから今日の労働者の生活と権利があり、子どもは労働組合を作れないために搾取されるのだ、ということのようです。
こうした藤田氏らに見られるような「労働組合のおかげ」説は、果たして事実に基づいているのでしょうか。

【死と隣り合わせの貧しさの中で、労働組合にできることはあるか】

さて、上記レポートには、次のような文章が続きます。

======【引用ここから】======
 他にも多岐にわたる分野において,児童労働の原因となる背景がある。これからその5つについてあげたいと思う。
 児童労働の根本的な問題は貧困にあるといえる。特に農村が最もひどく,家族を養うために子どもたちが都会に出稼ぎに行く例が多い。そのため多くの貧しい家族は子どもの収入に依存しているといえる。

======【引用ここまで】======

児童労働の根底には貧困があります。

家庭が貧しくて、仕方なく働きに出ています。
あるいは、貧しさから子どもが親に売られてしまうという事態が生じています。
こうした貧しい農村で家族を養うために子どもたちが働いている状態(今でもそういう国・地域は存在します)において、藤田氏的発想に基づき

「児童労働は残酷だ。労働者は団結し児童労働禁止を勝ち取ろう」

と児童労働の禁止を労働組合が政治的に働きかけ、これが実現してしまったらどうなると思いますか。

日本の児童労働 ―歴史に見る児童労働の経済メカニズム―
======【引用ここから】======
実際、12世紀ごろから日本において、労働力の供給、取得を目的として、子どもの誘拐や子どもの売買が盛んに行われ、組織化されていた。人身取引(人身売買)は、日常茶飯事であったと見ることができる。不作や飢饉の難を逃れるため、親が子どもを売るというとこも少なくなかったようである。
======【引用ここまで】======

======【引用ここから】======
江戸時代後半、すなわち18世紀後半になると、度重なる飢饉などで、人々の生活が困窮していくと、堕胎や間引きや嬰児の遺棄が広まっていった。この時、女子が犠牲になることが多く、特に生活水準の低い東北地方においては顕著に出生比に偏りが見られる。つまり、女子よりも男子が多いのである。しかし、ある特定の地域、すなわち、遊女として娘を売ることが可能な地域にあっては、堕胎や間引きは少なかったとされる。
======【引用ここまで】======

貧しい状態で生活の糧を得る手段を禁止してしまうと、そこでは飢饉や遺棄による死が待っています。
洋の東西を問わず、時の権力者が禁制を繰り返しても児童労働の禁止がなかなか徹底されなかったのは、そういう背景があります。

労働者が政治活動によって権利を獲得しても、それに見合うだけの豊かさが確保されていないとかえって生活が行き詰まってしまうのです。

【社会より先行した労働組合はかえって有害】

こうした状態を、ミーゼスは次のように述べています。


ヒューマン・アクション―人間行為の経済学― ルートヴィヒ・フォン・ミーゼス (著), 村田 稔雄 (翻訳)2008
======【引用ここから】======
649頁
彼(賃金生活者)は毎日の労働時間を短縮し、妻や児童たちを勤め人の労苦にあわせないようにしようと必死である。しかし、労働時間を短縮し、工場から既婚婦人と児童たちを引き上げさせたのは、労働立法や労働組合の圧力ではない。賃金生活者が非常に豊かになり、彼自身や扶養家族のために、もっと余暇を買うことができるようになったのは、資本主義のお陰である。おおむね十九世紀の労働立法は、市場的要因の相互作用によって既に生じていた変化を法的に認めたものにすぎなかった。労働立法が産業の発達よりも先行したこともあったが、そのような場合には、富の急増によって、間もなく事態が正常に戻った。いわゆる労働者優遇的法律が、既に現れていた変化ないし直近未来に起こると思われる変化の予想を承認した措置の命令にとどまらなかった場合は、労働者の物質的利益を害した。
======【引用ここまで】======

ここで大事なのは2点。

まずは、労働者が豊かになり余暇を得ることができるようになり、児童が労働しなくて済むようになったのは、市場的要因の相互作用によって生じた産業の発達のお陰であり、労働立法や労働組合の圧力によるものではないという点があります。
貯蓄し、起業し、分業を進め、自発的な交換を繰り返し、各個人が主観的な満足を増やしていく一連の過程をミーゼスは重視しています。
この一見遠回りに見えるプロセスが豊かさを実現するのですが、労働立法や労働組合の要求は時として省力化を拒み非効率化を求め、規制をかけて起業や自発的な契約の成立を阻害する等、豊かさの実現を遅らせてしまう方向に作用します。

そして、労働立法や労働組合の圧力によって、近い未来に達成できるであろう産業の発達度合いを超えた高水準の労働者優遇措置を作ってしまった場合、そのことがかえって労働者の物質的利益を害してしまうという点も重要な指摘です。
実情に合わない労働者優遇措置を作ってしまったことによって、労働者の物質的利益を害してしまうというこのくだり、解雇規制や派遣3年ルールを作ってしまった人達にとっては耳の痛いことでしょう。
高すぎる最低賃金を設定して失業率を跳ね上げてしまった韓国の当局担当者は、一度、『ヒューマン・アクション』を読んでみるといいでしょう。


ということで、おさらいです。

「1日13時間労働の短縮、労働組合など団体交渉権の確立、労働基準監督署の設置、週休2日制、有休休暇制度、残業代の支払い義務など、あらゆる労働者をめぐるシステムが労働者の要求によって確立してきた」

という藤田氏の労働組合への評価は、事実に基づかない過大なものです。

労働者をめぐるシステムは資本主義のお陰です。
市場における貯蓄、起業、分業、交換を通して実現した豊かさがあるからこそ、労働者をめぐるシステムを定着させることができたのです。
他方、労働者が、市場において成立している(あるいは成立しつつある)豊かさの水準を超えた要求をし、これが制度化されてしまった場合、更なる生活の困窮を招きかえって労働者の利益を害することになります。
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地に落ちた労働運動家 ~ 藤田孝典氏の信頼は皆無 ~

2019年04月14日 | 労働組合

【私は○○をする】

「私は○○をする」
とか
「私の会社では△△をする」
といった主張や宣言は、個人の自由です。
暴力を伴う強制力を行使して私の身体や財産を侵害しようとする主張でない限り、各個人がどのような理念や行動指針を掲げても構いません。

ここで、○○をしなかった、あるいは△△を出来なかったとしても、私としては
「そうなんだ」
「出来なかったのは残念だったね」
と思うだけです。そこに非難の要素はありません。

○○がその個人にとって重要であり続ければ再度挑戦すれば良いでしょうし、△△がその会社経営において重要性が失われたのであれば、△△をするという目標を取り下げても構わないでしょう。
やらなかった理由が単に「しんどいから」というだけでも、それは非難の対象とは思いません。
主張するのも、行動するのも、その人の判断次第です。

【お前は○○をすべきだ】

他方で、
「(自分以外の)お前は○○をすべきだ」
とか
「(自分以外が経営する)企業は△△をすべきだ」
といった主張の場合、ちょっと違ってきます。

○○や△△の内容によって、私が肯定的な評価をするか否定的な評価をするか分かれますが、いずれの場合においても、
「(自分以外の)お前は○○をすべきだ」
「(自分以外が経営する)企業は△△をすべきだ」
と主張した当人が、逆のことをした場合、強い反感を持つことになります。

「ふざけるな!まずはお前がやれよ!」

といった非難感情が湧き起こります。

【時には矛盾もあろうけど】

人は時に矛盾した主張をすることがあります。
また、年月を経ることで考え方や思想が変わることもあります。

私がこのブログを書き始めてから10年が経過しました。
その間、主張に矛盾やズレ、ブレがあることは否定できません。

しかし、短期間の間に主張の矛盾が生じたり、真逆のことを言ったりはしないよう気をつけているつもりです。
そういうことをしていては、主張の説得力を失うからです。

【藤田氏の言動】

さてここに、藤田孝典氏という人物がいます。

twitterのプロフィールを見ると、

ほっとプラス代表理事。聖学院大学人間福祉学部客員准教授。反貧困ネットワーク埼玉代表。ブラック企業対策プロジェクト共同代表。著書『貧困クライシス』『下流老人』『貧困世代』共著『未来の再建』『知りたい!ソーシャルワーカーの仕事』など。
とあります。

このプロフィールや著作から分かるとおり、この人は、非正規労働者の低賃金、不安定な雇用条件を厳しく批判し、インターネット上でも
「企業は残業代を払え!」
「労働者は労働組合に入ってたたかおう!」
過去の業績や政治スタンス、人間性などを理由にパワハラを擁護することは許されない
といった内容を幾度となく主張していました。

さらには、契約に基づく賃金を支払っており、その額も最低賃金を上回っていたzozoに対してまで、
賃金上げろ
広報担当者のtwitterを休止させろ
と数ヶ月にわたって粘着していました。
zozo以外にも、様々な企業を攻撃していました。

そんな彼のところに、とある知らせがやってきます。

〇労働組合が組合潰し!「ガイアの夜明け」「アリさんマークの引越社」で知られたプレカリアートユニオンで組織内労働組合 @dmu_in_pu が発足。ところが…… - Togetter

労働組合で働く職員に対する残業代不払い、さらには労組委員長による職員へのパワハラを指摘する声が内部から上がってきたのです。

藤田氏のこれまでの主張に照らせば、当然彼は

「残業代を払え!」
「パワハラはいかなる場合も許されない!」
「労働環境の改善を訴える労組が率先して職員の労働環境を改善していくべきだ!」

といった主張・要求の急先鋒になるだろう、と思っていました。

【地に落ちた藤田氏】

ところが、この件に対し藤田氏が発したコメントは、驚くべきものでした。



何のアナリストか知らんが、労働組合や繰り返される分派活動の歴史や経緯を知らないと軽々しく発言できるのだと思う。今できることは組織を信頼して見守ること。

これを見たとき、最初、アカウント乗っ取りだと思いました。
別人がアカウントを乗っ取り、今までの主張と真逆のコメントをわざと投稿したのだ、と。
そのくらい、今までの主張と整合性の取れないものです。

考えてみてください。
全ての企業、団体において、それぞれの組織が出来上がり今日に至るまでの歴史があるわけです。
市場環境の変化、経営状況、職員との契約、創業者の理念、役員間の人間関係・・・などなど、様々な経緯や条件の中で、賃金、休暇、残業、そういったものが決まります。

藤田氏は今まで、そういった各企業の内部事情を全て無視して、外野から

「企業は賃金を上げるべきだ」
「労働者は逃げずに労働組合に入って企業と戦うべきだ」
「残業代や休暇は法律どおり運用すべきだ」

と主張してきました。
その彼が、
「歴史や経緯を知らずに軽々しく発言するな。(労働者側でなく)組織を信頼して見守ろう」
という180度反対のことを言ってのけたのです。
にわかには信じられませんでした。
その後、アカウント乗っ取りでなさそうだと分かると、物凄い嫌悪感、不快感が湧き上がりました。

「自分に甘く身内に甘く、主張の一貫性を保とうという発想を持ち合わせていない」

と。

彼の労働問題や貧困問題に関する様々な主張とその論拠は、組織内部の分派活動の経緯に劣後する程度のものでしかない、ということになります。
貧困者やパワハラの被害者よりも労働組合を優先するのは、労働組合から助成金や講演依頼を貰っているからでしょうか。

【藤田氏の発言の説得力は皆無】

従来の藤田氏の主張も納得のいくものは少なかったのですが、今後、藤田氏がいかに綺麗事を並べ立てても説得力あるものとは受け取れないでしょう。
彼が労働問題で何かペラペラ喋っていても、
〇〇事業や△△事業の賃金や労働条件はだいたいこんなもんです。
「個々の企業の歴史や経緯を知らずに発言するな。今出来ることは組織を信頼して見守ること」
でたいていは反論可能です。

そう、言論人としての彼は死んだも同然です。
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応召義務と法治国家と残業ゼロ

2019年04月04日 | 労働組合

【医者の応召義務】

医者には、法律で「応召義務」というものが定められています。
医者は患者を選べません。患者から診察してくれと言われたら、医者が拒むことは法律上認められていません。
○参考 医師の応召義務について
============
医師法
 第19条 診療に従事する医師は、診療治療の求めがあつた場合には、正当な事由がなければ、これを拒んではならない。

============

ここに、「正当な事由」という文言があります。
これに該当すれば医者も診療を拒むことができるようになります。

ただ、この「正当な事由」の意味内容はあいまいであり、法律の中だけでこれを明確にすることはできません。
このため、所管官庁から解釈のための通知が幾つも出されているわけですが、その中には、

「医業報酬が不払であっても直ちにこれを理由として診療を拒むことはできない」
「診療時間を制限している場合であっても、これを理由として急施を要する患者の診療を拒むことは許されない」
「『正当な事由』のある場合とは、医師の不在又は病気等により事実上診療が不可能な場合に限られる」

等々、医者自身が病気になるまで患者の求めに応じて診察しろと言わんばかりの恐ろしい内容が書かれています。
この応召義務に反して患者への診療を拒否し、その結果損害が生じた場合に、医者に対し賠償責任を認めた裁判例もあります。

理不尽だなぁ、曖昧だなぁ、複雑だなぁ。
そんなルールであっても、法律が法律である以上はこれに従え、というのが法治国家というものです。

この法治国家の理念がさらに過激になると、

「法治国家なんだから法律は守れ。法律を守れない事業者は廃業してしまえ」

といった主張につながります。

【医療費無償化の弊害】

さて他方で、患者側の事情を見てみますと、健康保険法や国民健康保険法に基づき原則として自己負担3割で受診することができるようになっています。
さらに、高齢者であれば、高齢者の医療の確保に関する法律に基づき原則として自己負担1割で受診することができます。
おまけに、生活保護法に基づき生活保護受給者であれば自己負担無しで受診することができますし、自治体の条例に基づき子どもも自己負担無しで受診することができます。

すると、

「子どもがちょっと風邪気味だから病院連れて行って薬貰ってこよう。無料だし」
「婆さんが血圧上がったとうるさいから病院に連れていこう。自分もちょっと腰痛だからついでに受診してこよう。自己負担1割だし」

みたいな安易な発想による病院通いが増えます。
(老人医療費が無料だった頃、病院が高齢者のたまり場と化していたのは有名な話です。)

法律に基づく国民皆保険と各種医療費助成制度によって、見かけの負担が減って医療への需要が膨れ上がり、その結果病院へ通う人数が膨れ上がりました。

法律による規制や助成制度に沿って、人々は自分に都合の良い方向に行動します。その結果、特定の商品やサービスに対する需要が異常に増えたり減ったりすることがあります。
これも法治国家の1側面と言えるでしょう。

【法治国家が医師の過重労働を生んでいる】

このように、法律によって医師の応召義務が定められており、同時に、法律によって医療費自己負担を低額または免除とすることで膨大な需要を喚起しました。

このため、医者は、その膨大な数の患者を拒むこともできず、自分が病気で倒れるまでひたすら義務として診療しなければなりません。

この法律や解釈通知には問題や矛盾点が多々あると思うのですが、これが廃止されるまでは従わざるを得ません。
日本が法治国家だからです。

こうした法律上の義務がなければ、

「あの患者は代金を払わないから、次回から診療拒否しよう」
「この患者は暴力をふるってくるので、次回からそもそも出禁にしよう」

といった対応をすることができます。
しかし、医療分野ではこれができません。
法治国家だからです。

このように、医療分野においては、

残業禁止にするために顧客を選ぶ
残業ゼロにするために理不尽な要求を断る

といった方法を採用することはできません。
法治国家だからです。

【悪法もまた法律、をわざわざ強調する必要はない】

上記リンク先の残業ゼロの話は、私が大変尊敬している経営者が書いているブログのものです。

残業ゼロにするために様々な努力をし、工夫をし、結果、従業員の労働環境を改善しています。
非常に素晴らしい内容です。

その素晴らしいのは、「法律を守っている」からではありません。
従業員の労働環境を改善するために、他の多くの企業では諦めていることに挑戦し、実現し、さらには収益まで改善させたからこそ、素晴らしいのです。

そして、改善された労働環境に優秀な労働者が集まり、この企業がさらに伸びていく。
これに対抗すべく、人材確保のために他社も労働環境の改善に着手せざるを得なくなる・・・
という好循環を期待しています。

さて。

そんな尊敬する経営者が携わるIT業界に、医療業界で適用されているような応召義務が法制化されたとしましょう。

同時に、

「IT分野の製品やサービスを、法律・政令・省令を通して網羅的かつ詳細に規定します」

という規制が敷かれたとしましょう。
きっとIT業界に携わる多くの方が

「政府は余計なことをするな!」

と言うことでしょう。

こうなった時に、残業ゼロを貫くことができるのでしょうか。
顧客を選ぶことはできません。理不尽な要求でも断れません。
それでもなお、

「法治国家なんだから法律は守れよ。法律を守れない企業は潰れた方がいい」

という声が多く上がるのでしょうか。
「法治国家なんだから法律を守れよ」
という主張は、悪法のせいで困っている人にとってはなんとも嫌なものです。
(記憶に新しいところでは、障害者強制不妊手術も悪法に基づくものでした)

繰り返しになりますが、法律を守っているから素晴らしいのではありません。
従業員の労働環境を改善しようと努力し、工夫し、これを実現し、さらに収益を上げ続けて雇用を維持し続けているから素晴らしいのです。

世の中には悪法がたくさんあり、また、一見良さそうだけど副作用の大きい法律もあります。
全国一律に馴染まない分野に法律で網をかけてしまっているものもあります。
作った側がそもそも漏れなく適用出来ると思っていない法律もあります。
そんな無数の法律がある中で、個人の側が
「法治国家なんだから法律を守れ」
と強調する必要はありません。
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