若年寄の遺言

リバタリアンとしての主義主張が、税消費者という立場を直撃するブーメランなブログ。面従腹背な日々の書き物置き場。

行橋市・住民投票条例案の否決と補助金の呪縛

2017年12月26日 | 地方議会・地方政治
当ブログでは、否定的な立場から数年にわたり福岡県行橋市の「図書館等複合施設建設問題」を追いかけてきた。

○不可解な自己評価100点市長  - 若年寄の遺言
○ハコモノ行政は止まらない ~ 応募がなければ予算額を増やせばいいじゃない ~ 行橋市図書館等複合文化施設 - 若年寄の遺言
○墓標の候補 ~ 行橋市図書館等複合施設整備事業 ~ - 若年寄の遺言

建設計画をめぐり議会は真っ二つ。住民が地方自治法の直接請求権を行使して住民投票条例の制定を求める事態にまで発展。
この一連の動きが、平成29年12月21日に一応の決着をみた。

議会は住民投票条例案を否決し、多額な建設費を要する契約案を可決。
議会は行政による歳出拡大を抑制することができなかった。
非常に残念である。

原則としての間接民主制と、例外としての直接民主制。
どちらも所詮は民主制である。
民主制は、将来世代に対する無責任な支出の誘発という欠陥を持つ。民主制の欠陥を民主制で是正しようとするのは無理な話だったのだろうか。

【住民投票を拒否した行橋市】


○行橋市議会 住民投票条例案否決 - NHK北九州のニュース
======【引用ここから】======
行橋市が計画している、図書館などが入る複合施設の建設の是非を問う住民投票の条例案について、行橋市議会は21日の本会議で否決しました。

この計画は行橋市がJR行橋駅の東側に、およそ55億円をかけて図書館やカフェなどが入る複合施設を建設するというものです。
計画に対し地元の市民グループは、市に対して施設の建設の是非を問うための住民投票の実施を求める直接請求を行い、行橋市議会で住民投票の条例案について審議を行ってきました。
21日開かれた本会議では、住民投票の実施を求めた市民グループの山下宏道さんが意見を述べ、「高額な費用を使って、子どもたちに納得できない事業の負担を強いることはできません」と理解を求めました。
このあと条例案について討論が行われ、賛成、反対それぞれの立場から意見が出されました。
そして議長と退席した3人を除く、16人の議員で採決が行われました。
その結果賛成、反対が8票ずつで同数となり、最後、諫山直議長の判断で条例案は否決されました。

======【引用ここまで】======

平成29年12月定例会 本会議5日目(H29.12.21)① 行橋市議会(youtube動画)
======【動画から確認】======
1時間21分50秒~採決結果確認(敬称略)
賛成8人:西本、田中(次子)、瓦川、工藤、藤木、鳥井田、二保、徳永
反対8人:井上、村岡、大池、澤田、藤本、田中(建一)、城戸、豊瀬
退席:小坪、小原、西岡
議長:諫山
⇒ 可否同数で議長裁決により否決※1

======【動画から確認】======

動画では、3人が賛成討論、2人が反対討論を行っている。反対討論2人のうち1人は退席の理由を述べたもの。重要案件の採決に臨み、判断の理由を公の場で述べるのは良いことである。議場で述べた内容が公開され、それを元にこうやって論評することができるようになる。

この討論の中に、気になるものがあった。
井上市議の反対討論(上記動画57分~1時間6分)に登場した「ゼロベース」という単語。
ちなみに、ゼロベースについては

○ゼロベース思考とは - コトバンク
======【引用ここから】======
「ゼロベース思考」とは既存の枠組みにとらわれず、目的に対して白紙の段階から考えようとする考え方の姿勢のことを指す。既存の枠組みでは、過去の事例や様々な規制などが思考の幅を狭くし、目的への最適な方法への到達を難しくなるため、「ゼロベース思考」で考えようとする姿勢が重要であるとされている。
======【引用ここまで】======

ということなのだが、はてさて、この建設計画に関し「ゼロベース」での議論は存在しただろうか。

【ゼロベースでないことの証拠】


ゼロベースでの議論でないことは、次の会議録を読めば明白である。

【 平成27年 9月 定例会(第16回)-09月07日-02号 】行橋市議会会議録
======【やりとり抜粋】======
◆15番(横溝千賀子君)
2点目の旧ミラモーレ跡地整備の核です。核は何でしょうかということを問いたいと思います。
 こういう言い方は、非常に大雑把で、お答えする方にとっても難しい面も正直あります。けれども、あの跡地の核は何でしょうかというのは、これはやっぱり図書館という言い方もされれば、具体的な図書館という言い方ではなくて、教育文化施設という言われ方をする。教育文化施設イコール図書館では、これはないわけですよね。その幅があるわけです。教育文化施設と言われると、幅がある。じゃあ本当は何なんですかと。本当は何が跡地の核になるんでしょうかということを、ひとつ聞きたいと思います。
◎副市長(山本英二君)
 教育文化施設ということにつきましては、もともとこの土地を防衛の補助事業で購入した経緯がございます。その中で、補助事業の目的として、教育文化施設を建設するための用地として取得したというところから、まずもって教育文化施設ということが出ているのかと思います。補助目的に即したところで教育文化施設ということがございますので、そういう枠組みの中で、核を何にするのかといったときに、図書館を中心とした、というものを決定しております。

======【やりとり抜粋】======

防衛補助を伴う土地購入の補正予算は平成25年3月に成立。
平成26年3月に市長が変わり、その後、ここで答弁している副市長が就任している。
図書館等複合施設建設計画を立てた市長、副市長は、予め設定された教育文化施設という補助目的の枠組みの中で検討し、図書館とすることを決定したと語っている。
ゼロベースでの検討には、場合によっては防衛補助の返還も辞さないという決意が必要なのだが、そういった検討をした痕跡は見られない。

【 平成28年12月 定例会(第4回)-12月12日-02号 】行橋市議会会議録
======【やりとり抜粋】======
◎市長(田中純君)
最初は、今さらこんなことを言ってもしようがないですが、あそこに住宅を、という観点も非常に強かったわけですよ。ただ、地元の皆さん方が、やっぱり集客力のある公共施設は図書館だろうということの意見が強く出て、それを我々がまとめて提案させていただいた、ということであって、
・・・
・・・(略)・・・
◆8番(藤木巧一君)
 どうも図書館ありきで、要はあの土地を防衛省から7千万円の補助金を貰って、文教施設という名目で買ったから、7千万円のために55億円使おうとしているんじゃないですか。その辺はどうですか。
◎副市長(山本英二君)
 確かにあの土地を購入したときには、防衛予算を活用いたしまして、教育文化施設をという名目で購入したと聞いております。
 しかしながら、それを果たすために、わざわざ図書館を造るということではございません。やはり何をしているかと言いますと、将来の行橋市のためを思って、そういう施設が必要だという判断をしております。
◆8番(藤木巧一君)
 どう聞いても、何か図書館ありきで、文教施設と言えば、もう民間の住宅を建てるということにはならないわけですよね。7千万円返せばよかったんですよ。そういうことも含めて、次から次へと項目はいっぱいありますので、次にいきますが、
・・・
======【やりとり抜粋】======

この文中の市長答弁を平成27年9月の副市長答弁で補完し要約すると、

「あそこに住宅を、という観点も非常に強かった。ただ、地元の皆さん方から集客力のある公共施設は図書館だという意見が強く出て、(教育文化施設という補助目的に即した枠組みの中で)我々が意見をまとめて提案させていただいた」

ということになろう。
だから、議員側から

「文教施設と言えば、もう民間の住宅を建てるということにはならないわけですよね」

という指摘が生じるのだ。
教育文化施設なので住宅は選択肢に入らない。
「住宅が良いのではないか」という声があり、これがゼロベースで考えた時に最善の方法だったとしても、選択することはできない。

学校か図書館か美術館か史料館か。
教育文化施設名目の枠組みが先に設定されており、この限られた選択肢の中から選んだ決定に対し「中心市街地の活性化のため」と後付けで理由を付けているに過ぎない。

【補助金の呪縛】


補助金には条件が付いている。
国の官僚が
「市町村や事業者に対し補助金を交付し、我が省の目標達成に資する活動を後押ししよう」
と考え、補助メニューを作成する。官僚は、市町村や事業者の活動を省の目標に沿ったものに矯正するため、補助金の対象となる活動の内容、期間について様々な条件を設定する。

補助を受ける側の市町村や事業者から見たとき、
「国の補助メニューを眺めていたら、うちの事業と似たのがあった。うちの事業内容を修正して、補助メニューに引っかけられないか?」
というパターンが多いだろう。

あるいは、補助を受ける側の市町村や事業者が、たまたま
「うちでやろうとしていた活動が、国の補助メニューにピッタリ該当している」
と判断して補助申請するケースもあるかもしれない。
ただ、このケースであっても、補助を受け事業を開始した後に、
「従来の方法より新しい方法に修正した方が効率良いし、利用者数も売上げも伸びそう」
と気づくことがあるだろう(開始後に何らかの軌道修正を要しない事業の方が少ないのではないか)。
そう気づいたとしても、補助を受けている限り、補助条件から外れる路線変更はできない。
事業者側が
「A名目で補助金を貰っているが、Bに補助金を投じる方が良い成果が出るのではないか」
と判断し、補助金を交付した省庁の許可なく使途を変更したら詐欺となってしまう。

○スパコン詐欺、社長ら2人起訴へ 東京地検特捜部

合理的な事業展開、きめ細かいサービス提供が可能な体制に変えようとしても、補助金がこれを妨げる。

補助金は、事業の開始時や内容変更に制約を生じさせる。
本件の図書館問題では何を建てるか決める前に補助を貰って土地を買っているので、事業内容に関する制約の度合いが特に大きい。

例えるなら、広場に子ども数十人集めて500円ずつ渡して両手を縄で縛り、
「さぁみんな、野球でもテニスでもサッカーでも好きに遊んでいいよ」
と言うようなものだ。
子ども達が話し合いの末、
「両手を縛って野球やテニスが成立するか!仕方ないからサッカーしよう」
という結論に至った時、これはゼロベースの議論の結果でないことは明らかだ。

【最初から間違っていた図書館等複合施設建設計画】


話は平成20年頃に遡る。
とある財団法人の所有する宴会場が、利用者低迷のため閉館。
財団法人は元宴会場を市へ無償貸与。市が維持管理費を負担した。
その後、建物を解体。
残った土地を財団法人から市へ売却する話が持ち上がり、市が財団法人から購入。
その際、国に対し市が「教育文化施設建設のための土地取得」という理由で補助金を申請。
この土地こそが、図書館等複合施設の建設用地である。

お荷物となった土地・建物を市に押付け、維持管理経費を軽減でき、売却代金を手にすることができた財団法人。
(「美術館の半分を押し付けて名誉市民の称号を得た」もあるが、これは本件とは別の話。)
古い建物と隘路に囲まれた土地を押付けられ、国から補助を受けて購入資金を捻出した市。
「根拠不明な配慮」
「過剰な便宜供与」
が核となり、維持管理費や土地購入費、補助金による束縛、そして図書館建設を誘発してしまい、後世の住民に対する負担はまさに雪だるま式に膨れ上がった。

予算・債務負担が成立し、契約案も可決。
これに異議を唱える請願や住民投票条例は否決。
計画見直しの機会を逸し、この市は公共施設の維持管理と利権に食いつぶされる。

※1 可否同数の場合における議長の裁決権行使については、議会の慣習として「現状維持の原則」というものがある。
議会のあらまし(議長は表決に加わらない原則)
======【引用ここから】======
 議長は、問題に対する表決に加わらないという原則である。会議規則14の「議長の中立公平の原則」から派生したものである。
 地方自治法は「議長は、議員として議決に加わる権利を有しない」(第116条第2項)と定めている。議長は、このように表決権は持たないが、「可否同数のときは、議長の決するところによる」(同条第1項)と議長の裁決権を認めている。
 この裁決権の行使に当たり、議長は現状維持に決する原則がある。これも、議長の中立公平の原則から派生したものである。

======【引用ここまで】======
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不可解な自己評価100点市長 

2017年12月15日 | 地方議会・地方政治
自分に100点の評価を与える人は、あまり見かけない。
ましてや、市長となると100点というのは原理的にあり得ない。

あちらを立てればこちらが立たず。
行政の機能は「Aから徴収して中抜きしてBに配る」であり、徴収額が給付額を大きく上回る「取られ損」な人が原理的に必ず存在するからだ。「取られ損」な人は当然、市長の政治手腕や政治姿勢に強い不満を持っている。

選挙:行橋市長選 田中氏、再選出馬表明 4年間、自己評価「100点」 /福岡 - 毎日新聞
======【引用ここから】======
 田中市長は4年間を振り返り「自主財源はこの3年で毎年1・5億円程度増え、小中学校のトイレ・空調整備や海岸部のにぎわい創出などにも着手した。点数を付ければ100点満点だ」と自己評価した。
======【引用ここまで】======

さて、
リバタリアンとしては、新規支出項目を増やした時点で論外である。
既存の支出を減らし、規制を減らし、できれば既存事業の枠組みごと廃止し、役所の役割と機能を小さくして住民の役所依存を減らしていかなければならないのに、逆に新たな事業を増やすなんて!

この視点を脇に置いてもなお疑問は残る。
本当に満点なのか?減点対象はないのか?

【減点対象その1 ビーチバレーボール大会使途不明金】


この市長が「海岸部のにぎわい創出」の一環として開始したビーチバレーボール大会では、大会運営費のうち約500万円の使途不明金が生じた。
この使途不明金に関して、この市長は当該職員に対し内部調査のみを経て軽い処分を下している。
○使途不明金における処分の相場 - 若年寄の遺言

また、大会運営費に関する資料要求に対し、この市長は過去の判例を無視して情報公開を拒むという違法性の疑われる行政運営を行っている。
○実行委員会方式で実施した事業の情報公開 ~ 実行委員会だから非開示とは限らない ~ - 若年寄の遺言

この二つをつなぎ合わせると、
「使途不明金の中に都合の悪いものがあるから、市長は隠蔽しようとしているのではないか」
という疑念が湧いてくる。
使途不明金の発生とその後の対応が、市長の頭の中では減点対象になっていないのが驚きだ。
使途不明金問題は市長の就任直後ではなく今年発覚した問題なのだが、忘れているのは加齢によるものだろうか。

減点対象は、まだある。
大きな大きな減点対象が。
図書館建設問題だ。

【減点対象その2 図書館等複合文化施設建設騒動】


選挙:行橋市長選 田中氏、再選出馬表明 4年間、自己評価「100点」 /福岡 - 毎日新聞
======【引用ここから】======
 2期目の課題に人口10万人を目指すまちづくりなどを挙げ、新図書館を核とする複合文化施設建設を起爆剤とする行橋駅周辺の開発に「一朝一夕でできず、引き続き取り組む」と主張。
======【引用ここまで】======

何を建てるか決める前に建設用地を購入し、購入の際に国から補助を受けた。
このため教育文化施設しか建てられないという制約が発生し、「じゃあ図書館とプラスアルファの複合施設で」となった経緯を持つ建設計画。

経緯のお粗末さもさることながら、

1・既に市中心部に図書館がある。
2・建設予定地は河川と一方通行の道路に囲まれた不便な土地。
3・多額の建設費+維持管理費が今後の市民負担になる。

と負の側面を抱えた建設計画である。
○墓標の候補 ~ 行橋市図書館等複合施設整備事業 ~ - 若年寄の遺言

このため反対意見も大きく、ついには地方自治法の直接請求により住民投票条例案が議会に提出される事態となったのだが・・・

【住民投票なんて無視します宣言都市 ゆくはし】


選挙:行橋市長選 田中氏、再選出馬表明 4年間、自己評価「100点」 /福岡 - 毎日新聞
======【引用ここから】======
一方、住民団体が7日に同施設計画の賛否を問う住民投票条例の直接請求をしたことに対し「計画を粛々と進めることに変わりはない」と述べた。
======【引用ここまで】======

行橋市:複合文化施設建設 契約と賛否問う住民投票条例、あす同時提案 市長「反対多数でも執行左右されない」 /福岡 - 毎日新聞
======【引用ここから】======
 行橋市の田中純市長は11日の議会運営委員会で、新図書館を核とする複合文化施設の事業契約案と、事業の賛否を問う住民投票の条例制定案を13日の本会議に同時提案すると明らかにした。一方で、住民投票の結果に拘束力がないことを踏まえ「仮に投票で計画反対が多数になっても、執行権は左右されない」とも主張した。
======【引用ここまで】======

計画を粛々と進めることに変わりはない
仮に投票で計画反対が多数になっても、執行権は左右されない

住民投票の結果に従うどころか、考慮しようとする姿勢も気配もない。
この市長、住民投票の結果を無視する気満々である。
確かに、条例に基づき実施する住民投票に法律上の拘束力はない。
しかし、民主制は民意によって為政者に正当性が付与される建前であり、住民投票もまた民意の発現の一形態である。実施前から「住民投票を実施しても結果は無視します」と公言する無神経さを、どう評したら良いのだろう。

なお、住民投票条例には一般的に
「市長は、住民投票の結果を尊重しなければならない」
という努力義務規定が設けられることが多い。
「住民投票の結果がどうあれ計画を進める」と市長が言うことは、
「住民の皆さん、市が定める条例・規則中の努力義務規定は無視して構いません」
と宣言することに等しい。

【二元代表制を理解しない市長】


行橋市:複合文化施設建設 契約と賛否問う住民投票条例、あす同時提案 市長「反対多数でも執行左右されない」 /福岡 - 毎日新聞
======【引用ここから】======
また、別の市議の「住民に決めさせるべきでは」との意見に対し、「決めるのは議員であり、間接民主主義に反する。議員の存在自体が疑われる」などと述べた。
======【引用ここまで】======

このやりとりが議員間の議論なら納得できるのだが、議員と市長のやりとりとしてはおかしい。

地方自治法は首長と議会という二元代表制を採用している。首長と議員がそれぞれ選挙を通じてその地位を得ているが、その任期途中で住民投票が実施された場合に、この結果を行政施策にどの程度反映させるかは首長と議会でそれぞれで判断すべき事項である。

今回、市長は住民投票の結果に左右されず建設計画を進めると宣言した。その判断は市長単独ですれば良いし、これに対し当然上がる「市長は民意を無視した」という批判も市長単独で受ければよい。

一方、議会としても判断に迫られる。

・住民投票の結果が反対多数であればこれに沿って契約案を否決し予算を削減する。
・住民投票の結果を無視して契約案を可決する。
・「そもそも住民の意見を聞く必要はない」として住民投票条例自体を否決してしまう。

いずれの判断にしても、決めるのは議会の構成メンバーである議員。そして、この判断から生じる批判を受けるのも議員。
選挙を通じた間接民主制と、住民投票による直接民主制。双方をどう折り合いをつけるかは、批判を受ける当の議員が判断すべき。議員の判断から生じる住民批判は議員が背負うものであり、市長の立場から「議員はどう判断し、何を決めるべきか」を語るのは市長の議会軽視、二元代表制に対する無理解の表れだ。

議員の立場をあれこれ議論したいなら、市長の座を降りて評論家にでもなったら良いだろう。市長として公的な場で述べるべき性質のものではない。

歴史的に、議会とは国王(行政権)の課税や歳出に歯止めを掛けるために設けられた。今回、行政権の歳出に議会が歯止めを掛けられず、残念ながら、議会はその期待された役割を果たすことができなかった。そのため、地方自治法に設けられている直接請求という事態になった。地方自治法における直接請求の趣旨は「間接民主制の補完」であって、これを指して「間接民主主義に反する」という市長は不見識も甚だしい。

【自治体存亡の危機である】


行橋市:複合文化施設建設 契約と賛否問う住民投票条例、あす同時提案 市長「反対多数でも執行左右されない」 /福岡 - 毎日新聞
======【引用ここから】======
また「住民投票は合併など自治体の存亡に関してやるもので、一施設を造る、造らないでやることは間違っていると思う」とも主張した。
======【引用ここまで】======

一般会計約270億円、自主財源約102億円という予算規模の自治体で、建設費20億円と15年間の維持管理費24億円を背負う。これはまさに自治体存亡の危機ではないか。

また、人口年齢構成を見たとき、人口減少は不可避である。他市町村からの人口流入が多少あっても、この大きな流れを変えることはできない。将来に向けて公共施設やインフラの維持管理に要する費用と人手を抑えていかなければならないのに、これに逆行して新規施設を建てるという姿勢そのものが問題なのだ。

一施設のことではない。将来にわたる財政運営、そして市長の政治姿勢が問われている。

【市長がすべきことは?】


市長がするべきことは、「私の施策は100点満点」と行政として原理的にあり得ない採点をすることではない。
住民投票に噛み付くことではない。
「商店街活性化と人口増加の起爆剤になる」
「市の中心部に賑わいを取り戻す」
といったフワフワとしたイメージを語ることではない。

「複合施設で商店街の通行量が何人増える見込み。
これにより商店街の売り上げが何円増え、
新規出店が何店見込まれ、
住民税、法人税、固定資産税が何円増えるから、
建設費+維持管理費を投じても何年で回収できる。」

と、投資額と投資期間に見合った投資計画を示すことだ。

私としては、住民投票条例が可決され、推進派・反対派でガチンコでぶつかってほしい。
市長を筆頭とする推進派は住民投票に反対するのではなく、住民投票期間を通じて、実現可能で具体的な投資計画を提示し反対住民を説得してまわってはどうか。
もしかしたら
「土地を買う前から予算規模だけは決まってたんでしょ?中身はともかく工事ありきなんでしょ?」
といったイメージを払拭できるかもしれない。



※ちなみに。

計画を白紙撤回、そして建設予定地を民間へ売却。補助金も国へ返還。
これが最善の一手であると私は思う。
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市民団体が議員特権の拡充を求める怪 ~ 熊本の子連れ市議 ~

2017年12月08日 | 地方議会・地方政治
子連れ市議は無能な一匹狼 - 若年寄の遺言
社会的なお手盛り ~ 社会というものはありません。あるのは個人と家庭だけです ~ - 若年寄の遺言
子連れ市議を擁護する駒崎氏の主張がどうもおかしい - 若年寄の遺言

に続く、熊本市の「子連れ市議」こと緒方氏騒動、第4弾(もう飽きてきた?)。
この騒動を受けて、さぁ出てまいりましたよ。「市民団体」が。

議会内の子連れ問題 「ベビーシッター配置」市民団体が申し入れ|熊本のニュース|RKK熊本放送 2017年12月06日
======【引用ここから】======
申し入れを行ったのは「男女共生社会を実現するくまもとネットワーク」の代表らです。申し入れ書では、緒方議員が生後7か月の赤ちゃんを連れて議場内に現れたのは議会事務局に相談していたにもかかわらず、「誰も真摯に向き合わなかったことが大きな要因」とし「厳重注意」処分は残念としました。
そのうえで子育て中の議員への配慮として議会内に保育室を設けて市の予算でベビーシッターを配置すること、議会で子育てについて検討する場合には当時者の意見を聞く場を設けることなどを申し入れました。

======【引用ここまで】======

【相談していたのに誰も真摯に向き合わなかった?】


まず、

緒方議員が生後7か月の赤ちゃんを連れて議場内に現れたのは議会事務局に相談していたにもかかわらず、『誰も真摯に向き合わなかったことが大きな要因』

これはおかしい。
議会事務局は2時間近く緒方氏の話を聞いた上で、

「議員がベビーシッターを手配して、会議中は議員控室で見てもらったらどうか」

という至極まっとうな回答をしているじゃないか。
この正論に反発し、議場に子どもを連れて入るという強行策に出た緒方氏。彼女の浅慮こそが騒動の最大の要因である。

【市議のために市の予算でベビーシッターを配置する?】


次に、

子育て中の議員への配慮として議会内に保育室を設けて市の予算でベビーシッターを配置すること

これについて改めて考えていこう。

子どもは親だけが関わって育つのではない。
祖父母や伯父・伯母がいれば彼らも面倒をみる場面があるだろうし、親が友人に頼む場面もあるだろうし、あるいは一時的な預かりや日常的な保育を業務とする人に有料で依頼するという場面もあるだろう。子どもは様々な人間関係の中で育つという意味で、子育ては社会的である。

ここで、片親で育児をしていて、頼れる祖父母も親戚も友人もおらず、かといって有料でベビーシッターを頼むような経済的余裕もない親が子育てで困っていたとする。

私はリバタリアンであり、この状況でもなお税金からの支出には懐疑的である。

【税金からの支出には慎重であるべき】


「男女共生社会を実現するくまもとネットワーク」という立派な団体があり、子育てに強い関心を持つ人たちが会員として集まっている。この団体が、会員の同意を得て子育て互助事業を立ち上げ、集めた会費からベビーシッター代を支出するといったことをすれば素晴らしいのに、と思う。

ある困りごとについて、個人や民間団体が自発的解決の道を採る代わりに行政機関が税金で解決しようとすることを繰り返すと、個人や民間団体は自分達で問題解決をしようとせず、行政に対し要望活動をすることがメインになってしまう。

また、こうした団体が行政からの委託事業として子育て支援に取り組んだり、補助金を受け取ったりするようになれば、あっという間に税金依存症の出来上がり。そのうち、税金からの支出が無ければ何もできなくなってしまう。

委託であれ補助であれ、税金からの支出には様々な制約が伴う。行政の事業になると、個別のケースに応じた柔軟な対応はできない。補助を受けると、行政の定める補助基準に適合しているかどうかに主眼が置かれ、個別の利用者のニーズに合わせようとするインセンティブが失われる。

税金からの支出は、麻薬なのだ。

【ましてや、対象は市議である】


百歩譲って、

「片親で育児をしていて、頼れる祖父母も親戚も友人もおらず、かといって有料でベビーシッターを頼むような経済的余裕もない親が子育てで困っていた」

といったケースについて税金でベビーシッター代の補助をするのは、やむを得ないとしよう。

ところが、今回の件では、対象者は市議である。
熊本市議会では議員報酬が月67万4千円、ボーナス含めた年収で1000万円を超える。ベビーシッターを頼むような経済的余裕がない・・・訳がない。

しかも、市議は知友人、支援者、後援会といった人間関係を多く有しているのが通常である。緒方氏もそうだ。現に、緒方氏は騒動を引き起こした際に友人を連れてきており、最終的にはこの友人に預けて本会議に出席している。

「子育て中の議員への配慮として市の予算でベビーシッターを配置する」
というのは、
「所得の少ない親の子育てを支援する」
「孤立した親の子育てを支援する」
といった税金支出の条件をクリアしていない。市議への配慮として過剰である。

残念ながら、緒方氏は「貧困と孤立に悩む子育て中の親」のシンボルにはなり得ない。なんせ、緒方氏は市議なのだから。

緒方氏も子どもを持つ親である。親として子育てにはいろいろと悩み、問題を抱えているだろう。しかし、少なくとも市議在職中は、これを金銭的に、あるいは人間関係を駆使して解消・軽減する手段を有している。

緒方氏は「弱者」ではない。「強者」なのだ。

【当事者の意見聴取の場?】


次に、市民団体の申し出にある、
議会で子育てについて検討する場合には当時者の意見を聞く場を設けること
についてだが、これはどういう場合を想定したものなのだろう?

【子育て関連の議案審議全てを指すとしたら】


議会で子育てについて検討する場合」というのは、子育てに関係のある条例案の審議、子育て分野に支出される予算案の審議など、子育てが関連する議案審議全てを指すのだろうか?
この場合、子育て中の市民の誰かを公述人あるいは参考人として本会議や委員会に呼ぶということになるだろう。

当事者の意見を聞く場を設ける議案を限定しなければ、非常に煩雑になるだろう。一般会計予算には子育て関連の予算が含まれているから、ほぼ全部の定例会に子育て中の市民を呼ばなければならなくなる。毎回、子育て中の市民の中から無作為抽出するのだろうか?

また、当事者の意見を聞く場を設けるのは、子育てについて検討する場合だけで良いのだろうか?
障害者施策について検討する場合は?
高齢者施策は?
学校教育は?
生活保護は?
行政が実施している施策は広範囲、他分野に及んでしまっているが、子育ての当事者だけを呼んで意見を聞く機会を設けるというのは「法の下の平等」に反する特権ではなかろうか。

【子育てしている議員の待遇について見当する場合なのか】


あるいは、「議会で子育てについて検討する場合」とは、今回の騒動のように
「市議用のベビーシッターを公費で雇うかどうか」
「子連れで議場に入ってよいかどうか」
等、市議の待遇を検討する場合を想定しているのだろうか?
この場合、子育て中の市議を呼んで意見を聞く場を特別に設けるということになる。

これについて、必要性は全くない。

市議は委員会に出席し発言することができる。
議会運営委員会に所属していなくても、委員会に要望書を提出したり、本会議に議案を提出したりすることができる。
また、市議であれば他の市議に働きかける機会が一般の市民と比べて格段に多いはずだ。

既存の制度や機会を活用できていない市議のために、新たな意見聴取制度を創設する必要はない。




・・・とまぁ色々と検討し批判を述べてきたが、ニュース記事から伝わる断片でなく団体からの申し入れの全文を読んだら印象が変わるだろうか?
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子連れ市議を擁護する駒崎氏の主張がどうもおかしい

2017年12月05日 | 地方議会・地方政治
駒崎弘樹(認定NPOフローレンス代表理事/全国小規模保育協議会理事長)なる人物が熊本市議会の緒方氏を擁護する記事を読んだのだが、これが酷いものだった件。

【駒崎氏による熊本市と北谷町の不正確な対比】


駒崎氏は、子連れで議場に強行入場した緒方氏を処分した熊本市議会を指して
「これが我が国の地方議員のレベルか」
と批判し、沖縄県北谷町議会を柔軟な議会、熊本市議会を「けんもほろろに突っぱねた」議会という対比をしている。

赤ちゃん連れ議員を処分する熊本、保育スペースを作る沖縄
======【引用ここから】======
一方で、沖縄県北谷町では、このような事例がありました。

------(引用中の引用)------
宮里議員、娘と登庁 控室を保育スペースに 北谷町議会、全会一致で実現
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-596102.html

宮里さんは、今年5月に長女たらちゃんを出産した。6月定例会は育児を優先し欠席したが、7月の臨時会から復帰、臨時会中は家族に娘を見てもらった。しかし終日行われる定例会は、育児と活動を両立できるか不安も抱えていた。
 9月定例会前に、宮里さんが議会事務局に相談し、事務局は「女性議員が働き安い環境づくりにつながる」と保育スペースを提供する方針を固め、町議による全体協議会が全会一致で了承、実現した。

------(引用中の引用)------

 熊本の緒方市議と全く同様に、事務局に相談し、緒方議員はけんもほろろに突っぱねられ、宮里議員は「女性議員が働きやすい環境づくりにつながる」と保育スペースを提要する方針を固めたそうです。
 ここから分かるのは、
「神聖な議会なんだから、子どもなんて連れてくるな」
「赤ちゃんが泣いたら、議論に集中できなくなる」
なんていうのは、単なる排除の論理でしかない、ということです。

======【引用ここまで】======

これを読んだ人はきっと、
「熊本市議会はひどい!北谷町議会では柔軟に対応できてるじゃないか!」
と憤慨したことだろう。
しかし、この対比は極めて不正確である。印象操作ですらある。

【改めて、熊本市議会の対応を確認】


当ブログの前2回の記事で紹介したように、熊本市議会に対する緒方氏の要求は

「公費で議員用の託児所を作ってほしい。駄目なら公費でシッターを用意してほしい」

というものだった。
これに対し、熊本市議会事務局からは

“子連れ市議”緒方夕佳さん激白「あの日の行動はまったく後悔していません」
======【引用ここから】======
緒方 第2子の妊娠がわかってから、去年の11月28日にアポイントを取って、議会の事務局長、次長、課長が同席している場で「出産してからは議員活動と子育ての両立が難しい点もあるので、これからの活動のサポートをよろしくお願いします」とお伝えしています。
------(中略)------
でも、事務局からのお答えは、「個人でシッターを雇って、控室で見てもらうことでしょうね」という感じでした。
======【引用ここまで】======

・個人でシッターを雇ってね。
・会議中は議員控室で見てもらってね。


との回答。
予算措置を必要とする要求が通らなかったので、緒方氏は子どもを連れて議場入場を強行した・・・というのが、熊本市議会での騒動の流れ。

【沖縄県北谷町では何が実現したのか?】


一方、沖縄県北谷町では宮里町議が何を要求し、何が全会一致で実現できたのか。
琉球新報の記事から、北谷町議会の対応の中身を見てみよう。

宮里議員、娘と登庁 控室を保育スペースに 北谷町議会、全会一致で実現
======【引用ここから】======
 議員控室を保育スペースとして利用し、本会議や委員会中は、宮里さんが依頼したファミリーサポートの職員が娘を見ている。町議の全会一致で保育スペース提供が実現したことに、宮里さんは「子育てを社会全体で協力してやっていこうという北谷町議の気持ちの表れだ」と感謝する。
======【引用ここまで】======

・町議会が、議員控室を保育スペースとして提供する。
・会議中、宮里町議が依頼したファミリーサポートの職員が娘を見ている。

(「ファミリーサポート」というのは子育て支援の有償ボランティア活動であり、熊本市にもある。)

【熊本市議会と北谷町議会の対応が同じだった】


・個人でシッターを雇う。
・会議中は議員控室で見てもらう。


という回答をした熊本市議会と、

・町議会が、議員控室を保育スペースとして提供する。
・会議中、宮里町議が依頼したファミリーサポートの職員が娘を見ている。


という対応をした北谷町議会。

駒崎氏は
「赤ちゃん連れ議員を処分する熊本、保育スペースを作る沖縄」
と熊本市議会を非難するタイトルを付けているが、熊本市議会事務局の提案は北谷町議会の対応とほぼ同じだったのだ。
駒崎氏は自分が引用した新聞記事をちゃんと読めていない。

北谷町議会の町議への対応についてだが、これなら妥当な範囲だろう。
この方法なら、町議会が議員控室を保育に使用してよいと許可するだけで済む。市議だけが対象となる税金の追加支出も発生しないので「お手盛り」批判は生じない(多少の物品を消耗品費等で購入している可能性はあるが、それほど額は大きくないだろう)。

一方、熊本市議会事務局側が採りうる道筋を示しているにも関わらず、
「シッターを個人で用意しろとはどういうことか!子育ては個人の問題じゃない、社会的な問題なんだ!」
と反発し、マスコミを招いた上で議場への子連れ入場を強行した緒方氏。
思想的に凝り固まり、柔軟性を失っていたのは緒方氏の方である。

北谷町の宮里町議と異なり、緒方氏の要求はハードルの高い露骨な「お手盛り」だった。
熊本市議会事務局も他の熊本市議も
「緒方さんの要求、あれでは話にならない。」
と感じていたのではなかろうか。

【報酬から見る北谷町議会と熊本市議会】


北谷町と熊本市の例規集を見てみよう。

北谷町議会議員は、報酬が月額24万6千円。
熊本市議会議員は、報酬が月額67万4千円。

北谷町議会議員は、政務活動費が月額1万5千円。
熊本市議会議員は、政務活動費が月額20万円。

北谷町議会の宮里町議は自分で有償ボランティアを手配した。
熊本市議会の緒方氏は同様の対応に反発し公費でシッターを雇えと要求した。

宮里町議と緒方氏、どちらの対応が妥当であったかは言うまでもない。
緒方氏の要求に応じることは、熊本市議会議員という高額所得者への給付という逆進性の強いものであり、再分配施策としても悪手である。

【緒方氏を無理に擁護しようとする駒崎氏】


「全国小規模保育協議会理事長」という仕事柄か、駒崎氏は、子育てに携わる人や子育て分野への公金支出拡大、補助金拡大の糸口になりそうな話題には賛意を示してしまうのだろう。
その一環として緒方氏擁護の論を展開したのだろうが、どうも言ってることがおかしい。

赤ちゃんを市議会に連れ込むことは、悪いことなのか?
======【引用ここから】======
 熊本市議会の規則においては、「議員以外は傍聴人とみなす」とし「傍聴人はいかなる事由があっても議場に入ることができない」ということなんです。
 そもそもこのルールがおかしくないですか?
 じゃあ、例えば脳性麻痺の障害者が当選した際には介助者が常時必要になりますが、介助者は議場に入ってはいけないんでしょうか?
 医療的ケアの必要な方は、時に看護師が必要になりますが、看護師は議場に入れないんでしょうか?
 そして子どもの預け先がなかった父親、母親は、たとえ選挙によって選ばれた市民代表だったとしても、子連れだと議場に足を踏み入れてはいけないんでしょうか?
 おかしいですよね。

======【引用ここまで】======

いやいや、おかしいのはあなたの例示だ。

・障害者である議員が介助者を連れて入る
・医療的ケアが必要な議員が看護師を連れて入る


これらは、議員が議場における権限を行使するために必要な措置。

実際に障害者や医療的ケアが必要な人が当選した場合、おそらく、どの地方議会でも速やかに会議規則の改正や内規の見直しにより介助者の入場を可能にし、介助者の席を本人の横に設置するといった何らかの措置を講じるだろう。
議員としての発言権や議決権の行使を可能にするという視点で考えた時、これらの措置は不可欠である。

一方、

・子どもの預け先がなかった父親、母親

については、子どもを連れて入らなくても、
「議員個人でシッターを手配し、会議中は議員控室でシッターに見ていてもらう」
という方法で発言権等は十分に確保できる。
熊本市議会事務局が緒方氏に提案し、また、北谷町議会で実例が示されたとおりである。

【ベクトルが逆の例示の混在】


上記の駒崎氏の例示は、

「議員本人に対してサポートが必要なケース」
「議員本人がサポートしている誰かを連れて入るケース」

というベクトルが逆のものが混在していて、何を言いたいのかさっぱり分からない。

・子どもの預け先がなかった父親、母親

に対応するものを挙げるなら、

・認知症の老親を介護している息子、娘
・精神障害を持つ15歳の子どもを介助している父親、母親
・入院患者を多数受け持つ看護師


といったものになる。
地方議員の中には、親を介護している人、障害児を介助している人もきっと多いことだろう。

議員ではないが、例えば、母親の介護を著書に記している舛添前都知事が、都知事時代にその母親が存命だったとして、
「都議会開会中も母親から目が離せないので、都議会にある都知事席の横に母親を座らせて介護する」
と主張して賛同が得られただろうか?
おそらく、多くの人が
「いやいやいや、会議中はヘルパーを手配して自宅か知事室でみてもらうか、施設に預けてこいよ。」
とツッコミを入れるだろう。

駒崎氏は
「連れて議場に入って良い」
と主張するのだろうか。
そうなると、議場では病院や介護施設並みの衛生・感染症対策を要求されるということになる。

もし、

「赤ちゃんは良いが認知症の親は駄目」
「赤ちゃんは良いが15歳の子どもは駄目」
「赤ちゃんは良いが担当の患者は駄目」

として他の要介助者と比べて赤ちゃんを特別扱いにするなら、議員間の議論を経た上でルール化し、認知症の親を介護する議員等が納得できるよう、その理由を明示する必要がある。

いずれにせよ、緒方氏の強行突破は論外だ。擁護する余地がない。

※ちなみに、子どもを連れて議場に入ることについては、駒崎氏が称賛した北谷町議会も否定的だ。
「先例できたら政治も変わる」沖縄県内市町村で初、議員が産休 北谷町議の宮里歩さん 沖縄タイムス+プラス2017年4月1日 06:01
======【引用ここから】======
 町議会事務局は柔軟に対応したいとの姿勢だ。比嘉良典局長は「赤ちゃんは議場に入れないが、控室や役場の授乳室使用など方法を考える。何しろ初めてのケース。制度を深められる運用を探りたい」と話す。
======【引用ここまで】======

【訴える方法がない?】


駒崎氏は、
「緒方氏が1人会派だから議論の場に参加できない」
と主張する。これまたおかしい。

赤ちゃんを市議会に連れ込むことは、悪いことなのか?
======【引用ここから】======
 また、「事務局ではなく、議会運営委員会という政治家同士でルールを取り決める場所で訴えるのが本筋」という意見もあるでしょうが、彼女は無所属の1人会派なので、3人以上の会派でなければ議会運営委員会に入れない熊本市議会のルールでは、政治家同士の話し合いの場にも参加できませんでした。
 よって、「訴え方がおかしい」と言われても、「じゃあどうやって訴えるの?」と言わざるを得ません。

======【引用ここまで】======

「じゃあどうやって訴えるの?」
に対する回答は、熊本市議会会議規則に書いてある。
ちゃーんと書いてある。

駒崎氏は門外漢だから分からないかもしれないが、緒方氏は自称「会議規則を読み込んだ市議」なので分かるはずだ。読み込んだのに分からないのであれば、緒方氏は市議には向いていない。
会議規則を読み込んでその方法が分かったものの、その条件を満たすことができないのであれば、やはり緒方氏は合議体である議会の人間には向いていない。

緒方氏が訴える方法として議場で子連れ強行入場するしか思い付かなかったのであれば、市議よりも路上でデモをする人の方が向いてそうだ。
(そういう意味で、本記事では「緒方市議」ではなく「緒方氏」という表記を用いました。)
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社会的なお手盛り ~ 社会というものはありません。あるのは個人と家庭だけです ~

2017年12月02日 | 政治
熊本市議会の「子連れ市議」こと緒方市議の続編



○「社会的な問題」を笠に着たお手盛り


「子育ては社会的な問題。個人の問題にしないで」 子どもを連れて議場に入った緒方市議の思いと今後 2017.12.1
======【引用ここから】======
自身が妊娠してからの事務局の対応にも、強い疑問を持った。緒方市議は、現状の市議会環境は子育て世代の議員やスタッフが安心して働けないと思い、託児所の設置を求めた。議会内にいる各議員のスタッフは女性が多いため、彼女らの働きやすさ向上も念頭にあったという。しかし、事務局からの答えは一貫して「個人でどうにかしてください」との答えだった。
個人でベビーシッターを雇うことも可能だったが、この「個人で」という対応に、子育て世代が直面している難しさが表れていると感じたという。

「子育てはみんなでするものなのに、親だけの責任と思われてしまう。子どもを育てているのに、まるで育てていないかのような働き方を要求される。こういうことが親の負担になって虐待などの社会問題に繋がったり、少子化を進めているというのに、個人の問題として扱われてしまう現状に、おかしい、と心に湧いてくるものがありました。たくさん寄せられる子育て世代の悲痛な声を、いい加減聞いてほしいと思いました」

======【引用ここまで】======

いかに「子育ては社会的な問題」であろうとも、その施策が
「市議会に託児所を設置しよう」
ではお話にならない。
市議が議会事務局に圧力をかけ、財政当局に予算要求させ、議会に補正予算が上程され、自分が審議に携わり議決に加わる。そして税金で託児所が設置され、市議が子どもを預けることができるようになる。

自分の利益になることを自分で決める。こういう手法を「お手盛り」という。
自分が妊娠した後に、「社会のみんな」ではなく議員関係者(主に緒方氏自身)が利用する託児所の設置を求めることが、他の人から見たらどう映るか。
受益者と費用負担者が多数存在すると構図が複雑になってよく分からなくなることがあるが、今回の託児所設置で恩恵を受けるのは議会関係者(主に緒方氏自身)しかおらず、お手盛りの構図がハッキリクッキリと浮かび上がる。

○お手盛りは醜い


もし緒方氏の要望どおり議会棟に議会関係者用の託児所を設置したら、どうなるか。

まず、熊本市役所の職員は不満を述べるだろう。
「市議は日ごろ偉そうなことを言っておきながら、マスコミまで使って、自分達だけ税金で優遇されるよう美味いことしやがって」
と。
次に、これを伝え聞いた熊本市民も不満を述べるだろう。
「市は税金ばっかり徴収して、『市民の育児環境を整備します』なんて言いながら、真っ先に自分の職場で育児環境を整備したよwwだいたい、市議って月収60万以上、年収で1000万くらいあるんだろ」
と。

キレイゴトと利益誘導とのギャップがあまりに大きくて、非常に醜い。嫌悪感すら覚える。
自分への利益誘導がハッキリしている点、いわゆる「モリカケ騒動」の安倍首相よりも醜い。

緒方氏は税金の使い道に影響力を行使することができる市議という権力者なのだが、上記引用元の緒方氏発言を見ていると自身が市議であるという認識がなく「子育て世代のいち市民」と勘違いしているようにすら思える。

その点、熊本市議会事務局は分かっている。

緒方市議の赤ちゃん同伴騒動、未だ収まらず 熊本市議会事務局「要望書の提出など、他にやりようあった」2017.11.27
======【引用ここから】======
議会事務局によると今年1月頃、緒方議員から、「子どもを連れて議会に参加したいので託児所を作って欲しい、だめな場合はベビーシッター代を公費で出してほしい」との要望があり、事務局側は、市民が子供を預ける際には個人的にお金を払っていることを挙げ、「気持ちは分かるが、議員のために税金で作ることはできない。個人で預けてきてください」と回答してきたという。
======【引用ここまで】======

「気持ちは分かるが、議員のために税金で作ることはできない。」
そのとおりである。

○「社会的な問題」なんて存在しない


よく「社会的な問題」という表現が使われるが、これを詳細に見ていくと、受益者も費用負担する者も結局は特定の個人なのだ。

今回の託児所の件は受益者がごく少数(主に緒方氏自身)なので分かりやすいが、複数の受益者と費用負担者が入り混じり、誰がいくら負担し、誰がいくら利益を受けているか分からないということも多々生じる。分かりにくいのだが、詳細に観察していけば結局は個人の問題に行き着く。

「社会的な問題」と言えば聞こえがいいが、結局のところ、個人のところで生じる負担をどの個人に転嫁するかという問題になる。「社会的な問題」を行政の力で解決しようとすることは、負担を強制的に誰かに押し付けることを意味する。自発的に負担するのであれば不満は生じないが、負担を押し付けられたら強い不満が生じる。

また、行政を介することで徴収と給付の関係が複雑になり、その複雑さに付け入って非効率や不合理が横行する。新規参入制限により既存業者が有利になる、補助金を騙しとる等だ。

緒方氏の主張に見られるような、自称『社会的な問題』を行政的手法で解決することはまず無理だ。むしろ、解決しようとする過程で新たな問題が発生する。この連鎖を断つべく、緒方氏のような「○○は社会的問題だから行政が施策を講じなければならない」という声をこれからもひとつひとつ批判していこう。

マーガレット・サッチャー「社会というものはありません。あるのは個人と家庭だけです。」
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子連れ市議は無能な一匹狼

2017年12月01日 | 地方議会・地方政治
今回のお題は、全国的なニュースとなった熊本市の「子連れ市議」。
インタビュー記事があったので、これを俎上にのせてみよう。

○ルールを作るのは市議


“子連れ市議”緒方夕佳さん激白「あの日の行動はまったく後悔していません」
======【引用ここから】======
―― 市議会の事務局側とは、赤ちゃんを連れて行くことも含めて、事前にやりとりはあったのでしょうか?

 緒方 第2子の妊娠がわかってから、去年の11月28日にアポイントを取って、議会の事務局長、次長、課長が同席している場で「出産してからは議員活動と子育ての両立が難しい点もあるので、これからの活動のサポートをよろしくお願いします」とお伝えしています。
 具体的には、議会に赤ちゃんを連れていけるようにすること、議会場内に託児所を設けて傍聴者や来訪者、または議員が利用できるような託児スペースを確保すること、もしくは託児所の設置がすぐに難しければスタッフの確保だけでもお願いしたい、といった内容です。もっと子育て世代が議員になれる環境作りをしたいとの一念で活動してきましたので、確か2時間ぐらいでしょうか、じっくりと話をしました。でも、事務局からのお答えは、「個人でシッターを雇って、控室で見てもらうことでしょうね」という感じでした。

======【引用ここまで】======

もし、事務局長が
「どうぞどうぞ、赤ちゃんを議場に連れてお入りください。」
なんて回答していたら、議長や他の議員達が
「何の権限があって事務局長は許可をしたんだ!」
と大騒ぎになっていたことだろう。事務局長の進退問題にもなりかねない。

地方自治法にも会議規則にも(おそらく内部の取決め等にも)
「議員は、議場に子どもを連れて入ることができる」
と書いていない。議員の子どもの位置づけに関する明文規定が無い以上は、事務局長からの回答が
「個人でシッターを雇って控室で見てもらうことでしょうね」
になって当然だ。
地方自治法や条例・規則に則って議会運営をサポートし、議員にアドバイスするのが議会事務局の役割であり、限界でもある。

市議には条例案をはじめとする議案の提出権や会議での発言権、表決権が与えられている。
ルールを作るのは市議であって、議会事務局ではない。
会議規則をはじめ、議場におけるルールは市議が決めるものだ。
議員間で議論をし、条例等のルールを定めるのが市議の本務である。

ただ要望するだけでなく、市議としてルール化するのであれば、論じるべき点は山ほどある。

・子どもが泣き叫んだ場合の対処について。単独で退場させるのか?親である市議も退場させるのか?
・入場を認める範囲について。精神障害があって目を離せない15歳の子どもも良いのか?認知症状のある75歳の親も良いのか?
・子連れ市議本人が併せて主張している「書面での議決権行使」等の方法が整備されれば、議場に連れてくる必要はないのではないか?
・とりあえず子連れ入場は認めて、不都合が生じたら議長の議事整理権に当面は委ねるという運用が一番簡易だろうが、これに他の市議が了承するか?

様々な論点をすっ飛ばして議場に子連れでやってくるというのは、市議としての責務を放棄したものとしか映らない。

「議員活動と子育てのサポートをお願いします」
というフワッとした投げかけだけでなく、
「こういった形で会議規則改正案を提出しようと思うので、賛同してほしい」
と他の市議・会派の間を駆け回ることが必要なのだ。

○ルール化する以前の読み込み不足


======【引用ここから】======
―― 熊本市議会の会議規則には「本会議中はいかなる理由があっても議員以外は議場に入ることができない」と定められていると報じられています。ルールを作る側である議員が、決められた規則に従わないのはおかしいという批判もありました。

 緒方 これは報道に不正確な部分があって、実は「破ったルール」なるものは存在しないんです。もちろん、私もこういう行動をするからに会議規則はしっかり読み込んでいます。会議規則には、ご指摘のような点は一切書かれていません。議場には記者さんや市役所の職員のように議員以外の人間もおりますから。
 後から事務局が主張したのは、熊本市議会の 傍聴規則 の中に「傍聴人は、会議中いかなる事由があっても議場に入ることはできない」との規定があって、事務局の解釈としては「赤ちゃんは傍聴人である」と。個人的には賛同しかねる解釈です。

======【引用ここまで】======

「会議規則はしっかり読み込んでいます」(キリッ)
「議場には記者さんや市役所の職員のように議員以外の人間もおりますから」(だから子連れもOKなはずだ!)
と主張する子連れ市議。
これについては「読み込みが全く足りていない」の一言に尽きる。

市役所の職員については、議長の出席要請を受けた者は審議の説明のために出席しなければならない。根拠は地方自治法第121条。
記者については、報道関係者席が設けられている。根拠は熊本市議会傍聴規則第7条。
この子連れ市議は、ルール化の前提となる条例や規則を読み込む能力を欠いている。

記者や市役所の職員については根拠条文があるが、市議の子どもについての条文はどこにも無い。
なので、
「市議の子どもは、議員でも説明員でも公述人でも参考人でも報道関係者でもない。傍聴人の規定しか該当するものがない」
という解釈は、現行のルールに照らして仕方ないとしか言いようが無い。
もし議会事務局に別の解釈を採用させたいのであれば、それこそ、他の市議を説得して回る必要がある。

○その費用、税金ですよ?


今回の子連れ市議は、子どもを議場に連れて入るだけでなく、

「託児スペースの確保をしてほしい」
「スタッフの確保をしてほしい」

といった要望も併せて行っている。
こうした要望は、単に子どもを議場に連れて入るのとは異なり、予算措置が必要になる。
これに幾らかかるのか、財源はどうするか、費用対効果はどうか、この子連れ市議は検討したのだろうか。

そんな新規予算を宙から宙に付けられるほど、自治体の財政は甘くない。市議のための託児所やスタッフを確保する余裕があるなら、震災復興のシンボルたる熊本城再建の費用をもっと手厚くしてほしいという市民もきっといるだろう。

議員報酬+政務活動費 おまけに託児費用まで?


そもそも、市町村のレベルで首長と議会という二元代表制は必要だろうか?
首長の提案に対し時にはノーを言うことが、地方議会には求められている。常に首長提案議案を無修正可決している議会の場合、二元代表制が機能しているかどうかは疑わしい。二元代表制が機能しないならば地方議会は必要なく、首長だけで良いのではないかということになる。

仮に地方議会の必要性の点はクリアできたとしても、欧米では地方議員はボランティアでほぼ無報酬というところもあるのだから、その水準での見直しは必要ではなかろうか。「欧米では会議に子連れOKの所がたくさんある」と海外の例を挙げるなら、報酬の面でも大いに参考にすべきである。

熊本市議会を見てみると、市議には任期中の生活費としては十分すぎる議員報酬(月額67万4千円×12月+ボーナス)が支給され、さらには広範な使途を認められた『政務活動費』という補助金(月額20万円×12月)も支給されている。
こうした状況の中、市議用の託児所設置やスタッフ確保という金のかかりそうな事柄を要望する子連れ市議。子連れ市議は、自身に対し現時点でどれだけ税金からの支出がなされているかをよく考えた方が良い。
「子育てと社会活動が両立できる社会づくり」と言いながら、「市議の特権拡張運動」のためにメディアを動員しているようにしか見えないのは、私だけではないはず。

市議としての適格性は


======【引用ここから】======
他にも、傍聴者用の託児施設設置について調査をしてもらったり、その設置を他会派に呼びかけたりもしましたが、どうも否定的な意見が多かったのです。「子育て世代が議会を傍聴したいと思ってるのかな? そうでもないんじゃないか」とか、すでにインターネットでの議会中継は行われていますが「インターネット環境を整えるほうが先じゃないか」といった意見が出て、なかなか理解が得られなかった。
======【引用ここまで】======

熊本市議会には、様々な有権者を背景にした49人の市議がいる。この人達の理解を得られなければ、新たなルールを作ることはできない。これが議会民主制である。
子連れ市議は他の48人を説得する能力を欠いており、強行突破しようとしたが止められた。それだけのこと。

主張内容は特権意識丸出し。主張方法は稚拙。
私は、この子連れ市議の主張には賛同できない。
よく見かける税金依存の「クレクレ」「シテシテ」の典型であり、この手合いを放っておくと税金の支出が増えるだけだ。
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