アメリカ大統領選からこのかた、「ポリコレ 対 反ポリコレ」の争いが改めて話題になっている。
ポリコレ。
ポリティカル・コレクトネス。
wikiで見てみると、
======【引用ここから】======
ポリティカル・コレクトネス(英: political correctness、略称:PC)とは、政治的・社会的に公正・公平・中立的で、なおかつ差別・偏見が含まれていない言葉や用語のことで、職業・性別・文化・人種・民族・宗教・ハンディキャップ・年齢・婚姻状況などに基づく差別・偏見を防ぐ目的の表現を指す。
1980年代に多民族国家アメリカ合衆国で始まった、「用語における差別・偏見を取り除くために、政治的な観点から見て正しい用語を使う」という意味で使われる言い回しである。「偏った用語を追放し、中立的な表現を使用しよう」という運動だけでなく、差別是正に関する活動全体を指すこともある。
======【引用ここまで】======
とのこと。
んで、いろいろ検索してみた中で、気になった記述を発見。
ポリティカル・コレクトネスとは?「言葉狩り」は絶対必要だろ! | ヨッセンス
======【引用ここから】======
結論として状況によっては「言葉狩り」は必須
ポリティカル・コレクトネスの例で、こんなものもあります。
今ではほぼ聞くことがなくなった「痴呆症」という言葉。10年以上前の2004年に「認知症」という言葉に直されました。今では完全に浸透しきっているのではないでしょうか? 私も「認知症」って言葉が置き換えられたということすら忘れていました。
この病気になっている方が、昔から呼ばれている病名で呼ばれることで、偏見のような不利益を被っていたからだと思われますが、この変換は妥当だろうなと。
======【引用ここまで】======
さて、「痴呆症」という言葉を狩って「認知症」に置き換えたことで、そのイメージは改善されたのだろうか。どうにも疑わしい。
「認知が進んだ」とか「認知が入っている」などという表現を、医療介護現場から払拭したい。 - 鹿児島認知症ブログ
======【引用ここから】======
そもそも認知とは、「対象を知覚し、それが何かを判断したり解釈したりすること」なので、「認知が進んだ≒物事への理解が深まった」なら、まだ日本語として分かる。しかし実際には、「認知が進んだ≒認知症が進行した」という使われ方が蔓延っている。
----(中略)----
施設スタッフ「先生、○○さんの認知が大分進んできてますね~」
医者「ああ、認知が進んできたのね。じゃあ、抗認知症薬を増やしておくからね」
======【引用ここまで】======
お分かりいただけたろうか。
「痴呆症」という言葉を狩り「認知症」に置き換えて10数年が経過したが、「認知」という単語が変質し、「痴呆」の意味を込めて使われるようになってしまった。しかも、専門外の人間が無知であるが故に使っているのではなく、医療や介護に従事する人が使っているのである(これはネット上で見ただけでなく、現実に何度も耳にしたことがある)。
Aというものに対し「a」という呼称を使っていたが、イメージが悪いので既存の単語の中で手垢のついていない中立的なイメージの「b」という呼称を新たに使うようにした。ところが、年月が経過すると、Aに対し多くの人が有していた不快感や侮蔑感等の負のイメージが「b」に付加されるようになった。こうした例についてはいくつか思い浮かんでくる(具体例に言及すると、ポリコレ棒を振りかざした人から叩かれそうなのでやめときます)。
言葉を変えたところで、実態から生じるイメージは新しい用語に付いて回る。実態が変われば言葉へのイメージも変わるが、実態が変わらなければ結局のところ何も変わらない。蔑称だった「a」を狩ったところで、10年もすればこの通り「b」が新たな蔑称として蔓延してしまう。
さて。
上記ブログでは、「認知が進んだ≒物事への理解が深まった」が正しく、「認知が進んだ≒認知症が進行した」という用法で使っている医療職や介護職を非難しているが、これは筋違いだろう。上記ブログ主は、非難する相手を間違えている。非難されるべきは厚生労働省だ。
この問題の発端は、2004年に厚生労働省が行った「痴呆症」の代替用語の検討の中にある。この時、「認知失調症」「認知低下症」といった用語を採用していれば、「認知が進んだ≒認知症が進行した」という用語法が蔓延することはなかっただろう。(「ビタミン欠乏症」の患者に対し「あの人はビタミンが進んでるから」という言い方はしないはずだ。)
代替用語の検討にあたって、厚生労働省は、
「痴呆」に替わる用語に関する検討会『報告書』
======【引用ここから】======
(1) 一般の人々にわかりやすく、できれば短いこと。
(2) 不快感や侮蔑感を感じさせたり、気持ちを暗くさせたりしないこと。
(3) 「痴呆」と同一の概念をあらわすものであることについて疑義を生じさせず、混乱なく通用すること。
なお、「痴呆」の内容を正確にあらわし、他の疾病や状態と明確に区別できることは望ましいことではあるが、(1)ないし(2)のメリットのためには、正確性はある程度犠牲にされてもやむを得ないこと。
======【引用ここまで】======
を代替用語が備えるべき要件とした。
この時、厚生労働省は(2)のポリティカル・コレクトネスの観点を重視し、「障害」「失調」「低下」といったマイナスイメージのある単語を避けた。そして、厚生労働省は結論ありきのアンケートを実施した後、「痴呆」の内容を表すための用語として新たに「認知」を用いることとし、語尾に病気の状態を表す「症」につけて「認知症」とした。
「痴呆」=「認知失調」「認知低下」の方が正確であり、「痴呆」=「認知」は日本語として不正確だが、厚生労働省は正確性を犠牲にして「認知症」という用語を誕生させたのだ。「認知が進んだ≒認知症が進行した」という用法は、日本語としては誤用であるが、用語を生み出した厚生労働省の意向に沿ったものである。
マイナスイメージを払拭しようとしたが言葉の誤用を生んだだけだったという、ポリコレの失敗例。厚労省ポリコレ棒の「痴呆症」叩きは、「あの人はニンチが入ってるから」という新たな蔑称を生んでしまったのだ。
ポリコレ。
ポリティカル・コレクトネス。
wikiで見てみると、
======【引用ここから】======
ポリティカル・コレクトネス(英: political correctness、略称:PC)とは、政治的・社会的に公正・公平・中立的で、なおかつ差別・偏見が含まれていない言葉や用語のことで、職業・性別・文化・人種・民族・宗教・ハンディキャップ・年齢・婚姻状況などに基づく差別・偏見を防ぐ目的の表現を指す。
1980年代に多民族国家アメリカ合衆国で始まった、「用語における差別・偏見を取り除くために、政治的な観点から見て正しい用語を使う」という意味で使われる言い回しである。「偏った用語を追放し、中立的な表現を使用しよう」という運動だけでなく、差別是正に関する活動全体を指すこともある。
======【引用ここまで】======
とのこと。
んで、いろいろ検索してみた中で、気になった記述を発見。
ポリティカル・コレクトネスとは?「言葉狩り」は絶対必要だろ! | ヨッセンス
======【引用ここから】======
結論として状況によっては「言葉狩り」は必須
ポリティカル・コレクトネスの例で、こんなものもあります。
今ではほぼ聞くことがなくなった「痴呆症」という言葉。10年以上前の2004年に「認知症」という言葉に直されました。今では完全に浸透しきっているのではないでしょうか? 私も「認知症」って言葉が置き換えられたということすら忘れていました。
この病気になっている方が、昔から呼ばれている病名で呼ばれることで、偏見のような不利益を被っていたからだと思われますが、この変換は妥当だろうなと。
======【引用ここまで】======
さて、「痴呆症」という言葉を狩って「認知症」に置き換えたことで、そのイメージは改善されたのだろうか。どうにも疑わしい。
「認知が進んだ」とか「認知が入っている」などという表現を、医療介護現場から払拭したい。 - 鹿児島認知症ブログ
======【引用ここから】======
そもそも認知とは、「対象を知覚し、それが何かを判断したり解釈したりすること」なので、「認知が進んだ≒物事への理解が深まった」なら、まだ日本語として分かる。しかし実際には、「認知が進んだ≒認知症が進行した」という使われ方が蔓延っている。
----(中略)----
施設スタッフ「先生、○○さんの認知が大分進んできてますね~」
医者「ああ、認知が進んできたのね。じゃあ、抗認知症薬を増やしておくからね」
======【引用ここまで】======
お分かりいただけたろうか。
「痴呆症」という言葉を狩り「認知症」に置き換えて10数年が経過したが、「認知」という単語が変質し、「痴呆」の意味を込めて使われるようになってしまった。しかも、専門外の人間が無知であるが故に使っているのではなく、医療や介護に従事する人が使っているのである(これはネット上で見ただけでなく、現実に何度も耳にしたことがある)。
Aというものに対し「a」という呼称を使っていたが、イメージが悪いので既存の単語の中で手垢のついていない中立的なイメージの「b」という呼称を新たに使うようにした。ところが、年月が経過すると、Aに対し多くの人が有していた不快感や侮蔑感等の負のイメージが「b」に付加されるようになった。こうした例についてはいくつか思い浮かんでくる(具体例に言及すると、ポリコレ棒を振りかざした人から叩かれそうなのでやめときます)。
言葉を変えたところで、実態から生じるイメージは新しい用語に付いて回る。実態が変われば言葉へのイメージも変わるが、実態が変わらなければ結局のところ何も変わらない。蔑称だった「a」を狩ったところで、10年もすればこの通り「b」が新たな蔑称として蔓延してしまう。
さて。
上記ブログでは、「認知が進んだ≒物事への理解が深まった」が正しく、「認知が進んだ≒認知症が進行した」という用法で使っている医療職や介護職を非難しているが、これは筋違いだろう。上記ブログ主は、非難する相手を間違えている。非難されるべきは厚生労働省だ。
この問題の発端は、2004年に厚生労働省が行った「痴呆症」の代替用語の検討の中にある。この時、「認知失調症」「認知低下症」といった用語を採用していれば、「認知が進んだ≒認知症が進行した」という用語法が蔓延することはなかっただろう。(「ビタミン欠乏症」の患者に対し「あの人はビタミンが進んでるから」という言い方はしないはずだ。)
代替用語の検討にあたって、厚生労働省は、
「痴呆」に替わる用語に関する検討会『報告書』
======【引用ここから】======
(1) 一般の人々にわかりやすく、できれば短いこと。
(2) 不快感や侮蔑感を感じさせたり、気持ちを暗くさせたりしないこと。
(3) 「痴呆」と同一の概念をあらわすものであることについて疑義を生じさせず、混乱なく通用すること。
なお、「痴呆」の内容を正確にあらわし、他の疾病や状態と明確に区別できることは望ましいことではあるが、(1)ないし(2)のメリットのためには、正確性はある程度犠牲にされてもやむを得ないこと。
======【引用ここまで】======
を代替用語が備えるべき要件とした。
この時、厚生労働省は(2)のポリティカル・コレクトネスの観点を重視し、「障害」「失調」「低下」といったマイナスイメージのある単語を避けた。そして、厚生労働省は結論ありきのアンケートを実施した後、「痴呆」の内容を表すための用語として新たに「認知」を用いることとし、語尾に病気の状態を表す「症」につけて「認知症」とした。
「痴呆」=「認知失調」「認知低下」の方が正確であり、「痴呆」=「認知」は日本語として不正確だが、厚生労働省は正確性を犠牲にして「認知症」という用語を誕生させたのだ。「認知が進んだ≒認知症が進行した」という用法は、日本語としては誤用であるが、用語を生み出した厚生労働省の意向に沿ったものである。
マイナスイメージを払拭しようとしたが言葉の誤用を生んだだけだったという、ポリコレの失敗例。厚労省ポリコレ棒の「痴呆症」叩きは、「あの人はニンチが入ってるから」という新たな蔑称を生んでしまったのだ。