プレミアムフライデーの実施方針・ロゴマークが決定しました(METI/経済産業省)
=====【引用ここから】=====
1. プレミアムフライデーとは
個人が幸せや楽しさを感じられる体験(買物や家族との外食、観光等)や、そのための時間の創出を促すことで、
(1) 充実感・満足感を実感できる生活スタイルの変革への機会になる
(2) 地域等のコミュニティ機能強化や一体感の醸成につながる
(3)(単なる安売りではなく)デフレ的傾向を変えていくきっかけとなる
といった効果につなげていく取組です。
官民で連携し、全国的・継続的な取組となるよう、この取組を推進するための「プレミアムフライデー推進協議会」が設立されました。本日、第1回会合が開催され、実施方針・ロゴマーク等が決定しました。また、本取り組みを進めるに当たっては、働き方改革などライフスタイルの変革ともあわせて推進してまいります。
=====【引用ここまで】=====
政府当局が一定の政策目的のために特定の生活様式を推奨し、スローガンを掲げ、官民で連携し全国的・継続的な取組みを国民に促す。
戦前の
「欲しがりません 勝つまでは」
「月月火水木金金」
「胸に愛国 手に国債」
と、大した差はない。
月末金曜日に休んだり早退できる業種や企業は限定されている。プレミアムフライデーを活用できる人はごく一部だ。外食、旅行、サービス業などに従事する人とっては忙殺される業務が追加されるだけだし、編集や経理等で週末・月末締切の仕事を抱える人も休むどころではないだろう。金曜どころか隔週土曜日まで仕事で、最後に有休取ったのがいつか思い出せないような人からは「何がプレミアムフライデーだ馬鹿野郎」と反感を買っていた。時給で働く人にとっては、単純に収入減となるおそれもある。
「金曜日に有休使って買い物や旅行に行こう」なんて、大きなお世話だ。いつ働き、いつ休むかは、雇う側と雇われる側の契約で決めれば良いのであって、政府が口出しする必要性も妥当性も存在しない。契約で全て決めるべきであって、契約に不満なら辞めれば良い。再就職先が少なくておいそれと辞められない、というのは、正社員の解雇規制が強固過ぎて雇用の流動性が失われているからだ。
プレミアムフライデーは、サービス業を除くホワイト大企業の正社員や官公庁閑職部署の公務員といった上級国民と、それ以外の下級国民という身分格差を固定、拡大する方向に作用するだろう。
それにしても、
「(3)(単なる安売りではなく)デフレ的傾向を変えていくきっかけとなる」
というくだりは、変な意味で感心してしまった。
安倍首相は、
「アベノミクスでデフレから脱却しつつある」
と言ってきた。経産省の中の人としては、「デフレ脱却のため」という表現を再度用いることで「今までやってきたアベノミクスではデフレ脱却できないの?」とツッコミが来ることを避けたい。首相の顔に泥を塗りたくない。そこで、
「デフレ的傾向を変えていく」
という表現を新たに編み出した、経済産業省 流通政策課の担当者。上役や関係者の面子を保つための配慮、作文に労力を費やした結果なのだろうと推察する。「アベノミクスの成果によりデフレから脱却しつつありますが、未だデフレ的傾向にはあります。このデフレ的傾向を変えていくきっかけを経産省が作り、デフレに逆戻りしないようはたらきかけます」といった作文の苦労の跡を感じたのは、私だけだろうか。
アベノミクスの成果は、散々なものである。
金融緩和をしたが、物価上昇2%の目標を達成することはできなかった。
財政出動は、旧態依然の補助金行政や看板の付け替えに終わった。
成長戦略は、医療・農業・教育・雇用などのいわゆる岩盤規制にはほとんど手付かずのまま。
無駄と非効率は温存され、豊かさや利便性の向上はもたらされず、社会保険料負担は上昇し続け、可処分所得や実質所得は減り続ける。
そんな中、「アベノミクスによるデフレ脱却が上手くいかなかったので、追加施策を打ち出した」なんてことは口が裂けても言えない。そこで新たに「デフレ的傾向を変えていくきっかけ」という婉曲な表現を採用した。これぞ霞ヶ関文学と言えよう。
さてさて。
貨幣数量説における流通速度は一定ではなく、金融政策でインフレ率を狙い通りにコントロールすることはできなかった。そもそも望ましいインフレ率が何%なのか誰にも分からないし、デフレ脱却は必要ない。 GDPはおおよその経済規模を示しているに過ぎず、「GDPの増加=便利で豊かになった」という評価は妥当でない。政府が旗を振って消費を促すというのは、短期的には景気が上向くかもしれないが、長期的に続けられるものではない。
政府がやるべきは、金融政策でも財政政策でもない。小手先の働き方改革やプレミアムフライデーでデフレ的傾向を変えていくことでもない。霞ヶ関文学でお茶を濁すことでもない。雇用に関する法制度、特に本丸である解雇規制を撤廃し、正社員と非正規という身分制の壁に穴を開けることだ。今こそ「身分から契約へ」である。
=====【引用ここから】=====
1. プレミアムフライデーとは
個人が幸せや楽しさを感じられる体験(買物や家族との外食、観光等)や、そのための時間の創出を促すことで、
(1) 充実感・満足感を実感できる生活スタイルの変革への機会になる
(2) 地域等のコミュニティ機能強化や一体感の醸成につながる
(3)(単なる安売りではなく)デフレ的傾向を変えていくきっかけとなる
といった効果につなげていく取組です。
官民で連携し、全国的・継続的な取組となるよう、この取組を推進するための「プレミアムフライデー推進協議会」が設立されました。本日、第1回会合が開催され、実施方針・ロゴマーク等が決定しました。また、本取り組みを進めるに当たっては、働き方改革などライフスタイルの変革ともあわせて推進してまいります。
=====【引用ここまで】=====
政府当局が一定の政策目的のために特定の生活様式を推奨し、スローガンを掲げ、官民で連携し全国的・継続的な取組みを国民に促す。
戦前の
「欲しがりません 勝つまでは」
「月月火水木金金」
「胸に愛国 手に国債」
と、大した差はない。
月末金曜日に休んだり早退できる業種や企業は限定されている。プレミアムフライデーを活用できる人はごく一部だ。外食、旅行、サービス業などに従事する人とっては忙殺される業務が追加されるだけだし、編集や経理等で週末・月末締切の仕事を抱える人も休むどころではないだろう。金曜どころか隔週土曜日まで仕事で、最後に有休取ったのがいつか思い出せないような人からは「何がプレミアムフライデーだ馬鹿野郎」と反感を買っていた。時給で働く人にとっては、単純に収入減となるおそれもある。
「金曜日に有休使って買い物や旅行に行こう」なんて、大きなお世話だ。いつ働き、いつ休むかは、雇う側と雇われる側の契約で決めれば良いのであって、政府が口出しする必要性も妥当性も存在しない。契約で全て決めるべきであって、契約に不満なら辞めれば良い。再就職先が少なくておいそれと辞められない、というのは、正社員の解雇規制が強固過ぎて雇用の流動性が失われているからだ。
プレミアムフライデーは、サービス業を除くホワイト大企業の正社員や官公庁閑職部署の公務員といった上級国民と、それ以外の下級国民という身分格差を固定、拡大する方向に作用するだろう。
それにしても、
「(3)(単なる安売りではなく)デフレ的傾向を変えていくきっかけとなる」
というくだりは、変な意味で感心してしまった。
安倍首相は、
「アベノミクスでデフレから脱却しつつある」
と言ってきた。経産省の中の人としては、「デフレ脱却のため」という表現を再度用いることで「今までやってきたアベノミクスではデフレ脱却できないの?」とツッコミが来ることを避けたい。首相の顔に泥を塗りたくない。そこで、
「デフレ的傾向を変えていく」
という表現を新たに編み出した、経済産業省 流通政策課の担当者。上役や関係者の面子を保つための配慮、作文に労力を費やした結果なのだろうと推察する。「アベノミクスの成果によりデフレから脱却しつつありますが、未だデフレ的傾向にはあります。このデフレ的傾向を変えていくきっかけを経産省が作り、デフレに逆戻りしないようはたらきかけます」といった作文の苦労の跡を感じたのは、私だけだろうか。
アベノミクスの成果は、散々なものである。
金融緩和をしたが、物価上昇2%の目標を達成することはできなかった。
財政出動は、旧態依然の補助金行政や看板の付け替えに終わった。
成長戦略は、医療・農業・教育・雇用などのいわゆる岩盤規制にはほとんど手付かずのまま。
無駄と非効率は温存され、豊かさや利便性の向上はもたらされず、社会保険料負担は上昇し続け、可処分所得や実質所得は減り続ける。
そんな中、「アベノミクスによるデフレ脱却が上手くいかなかったので、追加施策を打ち出した」なんてことは口が裂けても言えない。そこで新たに「デフレ的傾向を変えていくきっかけ」という婉曲な表現を採用した。これぞ霞ヶ関文学と言えよう。
さてさて。
貨幣数量説における流通速度は一定ではなく、金融政策でインフレ率を狙い通りにコントロールすることはできなかった。そもそも望ましいインフレ率が何%なのか誰にも分からないし、デフレ脱却は必要ない。 GDPはおおよその経済規模を示しているに過ぎず、「GDPの増加=便利で豊かになった」という評価は妥当でない。政府が旗を振って消費を促すというのは、短期的には景気が上向くかもしれないが、長期的に続けられるものではない。
政府がやるべきは、金融政策でも財政政策でもない。小手先の働き方改革やプレミアムフライデーでデフレ的傾向を変えていくことでもない。霞ヶ関文学でお茶を濁すことでもない。雇用に関する法制度、特に本丸である解雇規制を撤廃し、正社員と非正規という身分制の壁に穴を開けることだ。今こそ「身分から契約へ」である。