法務省人権擁護局は、次のような目的・経緯で設置されたようだ。
法務省:人権擁護委員の制度について~人権擁護委員とは?~
=====【引用ここから】=====
1.法務省人権擁護局の設置
昭和22年5月3日に施行された日本国憲法は,基本的人権の保障を基本原理の一つとして掲げました。そして,政府自らがこれを実現するため,昭和23年2月15日に法務庁設置法が施行された際,アメリカの例に倣い,人権擁護の事務を担当する国家機関として,法務庁内に人権擁護局が設置されました。
=====【引用ここまで】=====
日本国憲法には、身体の自由、精神的自由、経済的自由、財産権、平等原則、社会権、参政権、適正手続の保障などなど、さまざまなものが謳われている。人権擁護局の目的は、日本国憲法に謳われたこれら基本的人権の保障を実現するためのものとされている。
ここから導かれる、人権擁護局の本来の任務は、例えば、
・被疑者に自白を強要する警察に対し改善を促す(憲法第38条第1項)
・薬局の開業に距離制限を設けている厚労省に制限撤廃を促す(憲法第22条第1項)
といった、「政府による個人の権利侵害」に対処するのがメインとなるはずである。
ところが、実際の人権擁護局を見てみると、
○平成27年における「人権侵犯事件」の状況について(概要)【PDF】
=====【引用ここから】=====
◆ 公務員等の職務執行に関する人権侵犯事件数が6,067件(対前
年比253件(4.0%)減少)
◆ 私人等に関する人権侵犯事件数が14,977件(対前年比421
件(2.7%)減少)
=====【引用ここまで】=====
と、私人等に関するものが多数を占めている。実際の事例として挙げているものも、子どものいじめ、外国人を拒否する理髪店、夫から暴力を受けた妻であり、また、人権擁護局として力を置いている活動も「ヘイトスピーチに焦点を当てた啓発活動」や「性的指向及び性同一性障害を理由とする偏見や差別をなくしましょう」と、私人間の問題ばかりである。これらは、国家権力を制限するという憲法の本質からすれば、傍流である私人間効力の問題である。厳密に考えると、憲法上の人権規定の範囲外と言わざるを得ないものも多く含まれている。「日本国憲法の基本的人権の保障の実現」という人権擁護局設置の趣旨からすれば、力点の置き方が間違っている。
私人間の問題に当局が介入すれば、一方を擁護しその利益を守るようになる。擁護されない側は、人権擁護局に行動を制限されるという場合も出てくる。今日は当局が味方となって擁護してくれても、明日は擁護してくれるとは限らない。私人間効力という憲法の傍流へ対処することで、「人権擁護局 対 相手側」という人権問題の本筋の問題を引き起こしては本末転倒である。介入権限・裁量を政府当局に持たせることで、個人の表現の自由や経済的自由が侵害される危険性と常に隣り合わせになる。
私人間の問題は、憲法上の人権問題として捉えるよりも、社会の道徳規範や個人間の名誉棄損として捉える方が適切な場合が多い。人権擁護局が行っている啓発活動の多くは、これに該当する。こうした啓発活動は、政府がやらなくても民間で出来る。例えば、ACジャパンは、差別や偏見、いじめ等、様々なテーマについて広く啓発活動を行っている。人権擁護局の存在を知らない人はたくさんいるだろうが、あの「エーシー♪」「エーシージャパン♪」を聞いたことの無い人はまずいないだろう。賛同する企業や個人から会費を集めてCMを作っているが、ここに政府からの補助金は投じられていない。また、弁護士はじめさまざまな士業の団体が、無料で相談会を開いている。
民間でできることを、わざわざ税金で行う必要はない。また、政府が介入することで、かえって本筋である「政府 対 個人」の人権侵害を引き起こす危険性すらある。憲法上の権利と社会通念上の道徳理念とをごちゃ混ぜにし私人間の問題に介入しようとする人権擁護局のあり方は、憲法で国家権力を縛るという立憲主義の理念とは、相容れない水と油のものである。
人権擁護局は、いっそのこと廃止してしまった方が良い。人権擁護局を廃止し、あわせて都道府県や市町村の人権課を廃止できれば、かなりの人件費を節約することができるはずだ。浮いた分が減税されれば、民間によるさまざまな啓発活動に回ってくる余地が増えるというものだ。
代用監獄に真正面から立ち向かうくらいの事をしないと、「人権擁護」の名前が泣く。これが出来ない人権擁護局の、どこに存在意義があると言うのだろうか。
法務省:人権擁護委員の制度について~人権擁護委員とは?~
=====【引用ここから】=====
1.法務省人権擁護局の設置
昭和22年5月3日に施行された日本国憲法は,基本的人権の保障を基本原理の一つとして掲げました。そして,政府自らがこれを実現するため,昭和23年2月15日に法務庁設置法が施行された際,アメリカの例に倣い,人権擁護の事務を担当する国家機関として,法務庁内に人権擁護局が設置されました。
=====【引用ここまで】=====
日本国憲法には、身体の自由、精神的自由、経済的自由、財産権、平等原則、社会権、参政権、適正手続の保障などなど、さまざまなものが謳われている。人権擁護局の目的は、日本国憲法に謳われたこれら基本的人権の保障を実現するためのものとされている。
ここから導かれる、人権擁護局の本来の任務は、例えば、
・被疑者に自白を強要する警察に対し改善を促す(憲法第38条第1項)
・薬局の開業に距離制限を設けている厚労省に制限撤廃を促す(憲法第22条第1項)
といった、「政府による個人の権利侵害」に対処するのがメインとなるはずである。
ところが、実際の人権擁護局を見てみると、
○平成27年における「人権侵犯事件」の状況について(概要)【PDF】
=====【引用ここから】=====
◆ 公務員等の職務執行に関する人権侵犯事件数が6,067件(対前
年比253件(4.0%)減少)
◆ 私人等に関する人権侵犯事件数が14,977件(対前年比421
件(2.7%)減少)
=====【引用ここまで】=====
と、私人等に関するものが多数を占めている。実際の事例として挙げているものも、子どものいじめ、外国人を拒否する理髪店、夫から暴力を受けた妻であり、また、人権擁護局として力を置いている活動も「ヘイトスピーチに焦点を当てた啓発活動」や「性的指向及び性同一性障害を理由とする偏見や差別をなくしましょう」と、私人間の問題ばかりである。これらは、国家権力を制限するという憲法の本質からすれば、傍流である私人間効力の問題である。厳密に考えると、憲法上の人権規定の範囲外と言わざるを得ないものも多く含まれている。「日本国憲法の基本的人権の保障の実現」という人権擁護局設置の趣旨からすれば、力点の置き方が間違っている。
私人間の問題に当局が介入すれば、一方を擁護しその利益を守るようになる。擁護されない側は、人権擁護局に行動を制限されるという場合も出てくる。今日は当局が味方となって擁護してくれても、明日は擁護してくれるとは限らない。私人間効力という憲法の傍流へ対処することで、「人権擁護局 対 相手側」という人権問題の本筋の問題を引き起こしては本末転倒である。介入権限・裁量を政府当局に持たせることで、個人の表現の自由や経済的自由が侵害される危険性と常に隣り合わせになる。
私人間の問題は、憲法上の人権問題として捉えるよりも、社会の道徳規範や個人間の名誉棄損として捉える方が適切な場合が多い。人権擁護局が行っている啓発活動の多くは、これに該当する。こうした啓発活動は、政府がやらなくても民間で出来る。例えば、ACジャパンは、差別や偏見、いじめ等、様々なテーマについて広く啓発活動を行っている。人権擁護局の存在を知らない人はたくさんいるだろうが、あの「エーシー♪」「エーシージャパン♪」を聞いたことの無い人はまずいないだろう。賛同する企業や個人から会費を集めてCMを作っているが、ここに政府からの補助金は投じられていない。また、弁護士はじめさまざまな士業の団体が、無料で相談会を開いている。
民間でできることを、わざわざ税金で行う必要はない。また、政府が介入することで、かえって本筋である「政府 対 個人」の人権侵害を引き起こす危険性すらある。憲法上の権利と社会通念上の道徳理念とをごちゃ混ぜにし私人間の問題に介入しようとする人権擁護局のあり方は、憲法で国家権力を縛るという立憲主義の理念とは、相容れない水と油のものである。
人権擁護局は、いっそのこと廃止してしまった方が良い。人権擁護局を廃止し、あわせて都道府県や市町村の人権課を廃止できれば、かなりの人件費を節約することができるはずだ。浮いた分が減税されれば、民間によるさまざまな啓発活動に回ってくる余地が増えるというものだ。
代用監獄に真正面から立ち向かうくらいの事をしないと、「人権擁護」の名前が泣く。これが出来ない人権擁護局の、どこに存在意義があると言うのだろうか。