若年寄の遺言

リバタリアンとしての主義主張が、税消費者という立場を直撃するブーメランなブログ。面従腹背な日々の書き物置き場。

外国人参政権への反対論 自説まとめ

2010年01月29日 | 政治
○外国人参政権問題 官房長官「地方の意見は関係ない」(産経新聞) - Yahoo!ニュース 1月27日20時32分配信
 平野博文官房長官は27日の記者会見で、政府が永住外国人への地方参政権(選挙権)付与を検討していることに対し、都道府県知事や地方議会から反対表明や反対決議採択が相次いでいることについて「自治体のみなさんの決議・意見は承知していないが、そのことと、この問題とは根本的に違う問題だ」と述べた。参政権付与法案提出は、地方自治体の意見に左右されないとの見解を示したものだ。
 民主党は昨年の衆院選の政権公約(マニフェスト)で「地方主権」の確立を掲げているが、平野氏は「(この問題)地方主権の考え方とはまったく違う」と指摘。その上で「地方自治体の問題ではなく、わが国に住んでいる住民の権利としてどうなのかという概念だ」と主張した。


○原口氏、外国人参政権では地方の意見を聴く(産経新聞) - Yahoo!ニュース 1月22日20時33分配信
 原口一博総務相は22日の閣議後会見で、永住外国人に地方参政権(選挙権)を付与する法案について、「地方そのものの問題なので、地方側の意見をよく聴いていきたい」と述べ、全国知事会など地方側の意見を踏まえ、法案作成を進める考えを示した。

○亀井氏、外国人参政権法案は「今国会に提出できない」2010.1.28 17:27
 国民新党代表の亀井静香郵政改革・金融相は28日、産経新聞社のインタビューで、鳩山由紀夫首相が永住外国人への地方参政権(選挙権)付与法案の国会提出には与党合意が必要と表明したことを受けて、「国民新党が賛成しないと逆立ちしても法案を出せない。首相は分かっている。今国会に提出できないことは間違いない」と述べた。亀井氏は「帰化要件を緩和すればいい。(参政権を得るには)帰化し(日本国民として)同化していく方法を選ぶべきで、同化しないで権利だけ付与すると民族間の対立を生んでいく危険性がある」と指摘した。


官房長官は
「外国人参政権の問題は地方主権の考え方とは全く違う。地方自治体の問題ではない」
と述べ、総務大臣は
「外国人参政権は地方そのものの問題だ」
と述べる。郵政改革・金融担当大臣は
「国民新党が賛成しないと逆立ちしても法案を出せない。帰化要件を緩和すればいい。」
と述べる。

・・・てんでばらばらだなぁ、この内閣。

国籍が何かということを考えれば、この件に関しては亀井郵政改革・金融担当相が最もまともなことを言っている。

国籍というのは、個人と国家の帰属関係を表す法的紐帯である。国籍を持つことで、海外に行っても国籍国の法律が当該個人に及ぶ。また、国籍国は、国籍を持つ者の最終的な身柄引き受け元であり、外国に滞在できなくなった場合、国籍国はその者を受け入れる義務を持つ。国籍とは、民族的出自を表すものではなく、あくまで国籍国との法的なつながりを表すものだ。国籍に対し何らかの民族感情を持つのは個人の勝手だが、そうした感情を元に国籍の効力を論ずるのは間違いの元だ。

このように、海外にいても国籍という帯で国籍国との関係を保っているからこそ、在外邦人の参政権が行使できるということになる。日本国民が海外にいても現地の大使館で一定の手続きをとれば、日本の選挙で一票を投じることができる。これが可能なのは国籍の法的な効力があるためだ。

こうした取り扱いは日本独自のものではなく、国籍の効力として広く認められたものだ。例えば、韓国では在日韓国人の本国での選挙権が保障されており、日本に住民登録したままで韓国に居住申告すれば、韓国での投票権が行使できるようになっている。

外国人が日本に来る。日本人が海外へ行く。それぞれが帰国する。また出国する。こうした国境を越えた人間の出入りが激しくなっても、国籍の意義は失われない。むしろ、存在感が強まるのではなかろうか。A国の国籍を持つ人がB、C、D国と転々としているとして、最終的にどの国に帰属しているのかと言われればA国になる。B、C、D国で何かトラブルがあって滞在できなくなった場合、その者はA国に戻らなければならないし、A国はその者を受け入れる義務がある。

A国の国民とは、誰か。A国に滞在している者か、A国籍を持つ者か。A国はA国籍を持つ者の受け入れを拒むことは出来ないが、A国籍を持たない者の滞在には法律で条件を付けることができ、この条件に合わない者の滞在を拒むことができる。こういう観点から、国民とは、その国の国籍を持つ者(=最終的にその国に帰属する者)と解すべきであり、参政権は最終的に帰属する国に対して行使すれば良いということになる。

国籍を持っていれば、国籍国は滞在を拒むことはできない。しかし、その国の国籍を持っていない場合、その国に滞在できるかどうかはその国の法律のさじ加減となってしまう。法律のさじ加減でその国に滞在できるかどうかが決まってしまう者を、その国の国民として取扱うことはできない。

上記のような考え方は、在留期間が1年程度の外国人であろうと、永住許可を持つ外国人であろうと、同じことだ。外国人はあくまで外国人であり、在留期間の長短によって国籍国の法的管轄がなくなってしまうということはない。たとえ日本での永住許可を持っていても、その外国人が日本から一歩外へ出て国籍国へ帰ると、何事もなかったかのようにその国の国民として生活することになる。生まれも育ちも日本で、韓国では生活したことのない在日韓国人であっても、日本との法的なつながりは(刑法や再入国手続き等を除いて)一歩国境を出た瞬間にほぼなくなる。

基地移設問題が最大の争点となった名護市長選のように、外交・防衛に直結する問題が地方選で争点となることはこれからもあるだろう。そのような選挙で、「日本から一歩外に出たら、もう日本とは関係ありません」となる外国人に票を委ねることは避けなければならない。

さて。

外国人参政権の賛成論として、「外国人に参政権を認めないのは差別」「納税しているのだから参政権が付与されて当然」といったものがあるが、これは現在の法体系に照らして筋が通らない。

まず、「外国人に参政権を認めないのは差別」について。

日本国籍を取得せず外国籍を保持し続けるということは、いざという時に国籍国はその者を受け入れる義務がある等、国籍国との一定の法的関係を維持したままになっているということだ。国籍という法的紐帯を基準として参政権の有無を判断することが差別となってしまうのであれば、在外邦人の参政権は認められなくなってしまう。

特定の人種・民族のみに対して日本国籍の取得を制限していたり、日本国籍を取得したのに人種・民族を理由に参政権行使を制限していたりすれば差別となるが。差別うんぬんを言うのであれば、むしろ、国籍国との法的な関係は同じなのに、在留期間の長短で選挙権を持てる外国人と持てない外国人とを分けてしまう「永住外国人への地方参政権付与」こそが差別だ。

次に、「納税しているのだから参政権が付与されて当然」について。

納税の有無に関係なく、成人であれば選挙権を行使できる。これを普通選挙という。普通選挙制を採用している限り、納税の有無と選挙権の有無とは切り離されている。納税しているから投票させろ、というのは普通選挙制を根底から揺るがすものだ。納税を基準とするのであれば、憲法改正は避けて通れない。


(私は、日本国民であっても、税金を払っている者に対してのみ選挙権を付与し、生活保護受給者・年金生活者・公務員といった税金からの給付で専ら生計を立てる者には選挙権を認めるべき、普通選挙制は放棄すべき、と考えている。国籍を基準とせずに外国人参政権を認めるのであれば、納税を基準とすべきだ。払わない者は口を出すな。払った者が払った分だけ口を出せる、ということだ。)


「法案は明らかに違憲」 外国人参政権の理論的支柱が自説を撤回 2010.1.28 21:47

外国人参政権をめぐる長尾教授インタビュー詳報「読みが浅かった」 2010.1.28 21:52

司法サービスにおける小倉流「サプライサイドの理論」

2010年01月21日 | 政治
高校や大学を卒業したばかりで専門知識に乏しい新人を迎え入れ、職場で専門知識と実務能力を身に付けさせる。多くの業界では、こうしたことがごく当たり前のこととして行わなれている。

ところが・・・

la_causette: 需要が増えていないのに、拡大期の企業以上に大量の新人を採用し教育せよと言われても。
 それでも「3000人」という数字を出したのは弁護士の側なのだから、新人弁護士を教育する為のコストは専ら弁護士のみが負担せよと言われてしまうと、何だかなあと思ってしまいます。


「専ら弁護士のみが負担」?

政府に法曹人口の上限を設けてもらい、政府から補助を受ける法科大学院や司法研修所である程度教育を施された新人を受け入れる。このような他業界には珍しい措置を受けておきながら、「新人弁護士を教育するためのコストは専ら弁護士のみが負担」と言われると、何だかなあと思ってしまいます。

このような「法曹は特別扱いして当然」というのは、小倉氏の過去の文章を見て何度か感じたのだが、今回も・・・

la_causette: 後進育成の役割を既存の法律事務所にのみ押しつけるのなら、その上限人数について財界は口を挟まないで!
(「路頭に迷う弁護士が大量に現れるのを見て溜飲を下げたい」というのであれば、既存の法曹三者の吸収能力を無視して、司法試験合格者数を3千人だ、1万人だと闇雲に増やすのが合理的だということになろうかと思いますが、その場合、「もはや優秀な人材は法曹にはならない」社会となることを覚悟していただく必要があります。)


水産業、農林業、建設業、食料品、鉄鋼業、機械 電気機器産業、電気・ガス業、運輸業、情報・通信産業、卸売業、小売業、銀行業、不動産業、サービス業と、世の中には様々な分野で優秀な人材を必要としている。弁護士業だけが優秀な人材を必要としているわけではない。「合格者数を闇雲に増やしたら優秀な人材が法曹にならなくなりますよ。大変なことになりますよ」と言ったところで、弁護士業だけを特別視する理由にはならない。

高校や大学を卒業したばかりの素人を雇い、政府の特別な研修等を介さず、働きながら専門知識と実務能力を身に付けさせる。多くの業界で一般的に行われていることが、弁護士業界では出来ないらしい。職場での新人教育を施す前に、法科大学院と司法修習という二重に下駄を履かせてもらっている現状は、他の産業から見ればかなり特殊であろうし、他の法律系士業(司法書士、社労士など)から見ても異色の存在だろう。

さて。

世間では、
「小泉改革の規制緩和は、大企業だけを優遇するサプライサイドの理論だ!」
なんて批判がなされている。小泉改革全体としての評価なんぞ知らんが、規制緩和がサプライサイドの理論というのには違和感を覚える。
小倉氏のように
「大企業は雇用確保のため、不必要でもどんどん採用して社会的責任を果たせ。解雇要件は厳格に運用せよ。でも弁護士は違う。今の所得レベルを落とすのは嫌なので、雇用は控えめにしたい。同業者との競争はきつい。また、政府はそうした弁護士の要求を満たすため、司法試験合格者数を低く抑えるべきだ。そうしないと優秀な人材が弁護士にならない社会になるぞ」
と非難し、規制で弁護士人口を抑制しようとする主張こそ、サプライサイド、すなわち供給側の都合に合わせた理屈だ。

現在はまだ「高い分良い」か「高いけど悪い」司法サービスしか提供されていない印象が強い(多くの事務所の相談料がほぼ横並びで30分5000円とか)。規制強化の理屈には、「安かろう悪かろう」な司法サービスや、「お値段以上」な司法サービスも提供し、消費者の多様な選好に応えようとする視点が欠けている。規制緩和論というのは、消費者の選好が直接的に反映するものだ。


la_causette: 需要が増えていないのに、拡大期の企業以上に大量の新人を採用し教育せよと言われても。
弁護士もまた普通のサービス業者であると位置づけようとした司法改革推進論はどこに行ってしまったのだろうという気になってしまいます。


やれ大学院だ、やれ司法修習と、法律で義務付けられた(本人が負担したり、税金で負担したりする)初期投資があまりに大きすぎるから、「弁護士にそれなりの収入を確保させるため、人数は抑える方向で~」なんて議論が出てくる

そこで。弁護士もまた普通のサービス業者として位置づけするために・・・

1・法曹になるために大学院の卒業を義務化した法科大学院制度を廃止
2・新規参入を阻む試験制度を廃止
3・官立の研修所での1年間(かつては2年間)の修習の廃止

そして、弁護士業を届出制にしたら良い。なりたい奴が手を挙げて、弁護士になってみる。ダメだったら撤退する。それで良いじゃないか。弁護士の人数を政府が決めるのではなく、消費者の選好で決めれば良い。

温暖化を疑う ~ スケプティック ハンドブック ~

2010年01月21日 | 政治
MikeRossTky氏のブログ「保守思想 Conservatism」にて、温暖化に懐疑的な人の背中を押してくれるハンドブック(日本語版)が紹介されている。

保守思想 Conservatism Skeptic Handbook - スケプティック ハンドブック 温暖化論疑問者向けハンドブック - Windows Live

国民・企業へ負担をかけて、二酸化炭素排出量を目標どおり25%削減したとして、
「温暖化に二酸化炭素は関係なかったみたいですね、ってかそもそも温暖化してなかったみたいですね。」
なんてことになったら、費やされたものは無駄になる。脱税総理がお母さんから貰ったお小遣いを全て吐きだす位では、この損失は埋まらないだろう。

鳩山大人買いはやっぱり社会主義路線~『新自由主義か 新福祉国家か』~

2010年01月17日 | 政治
今日は小倉でお買い物。その途中で、書店で1時間ほど立ち読みする時間が与えられた。「経済学の教科書が欲しい」と思い、池田信夫blogで紹介されていた『ミクロ経済学(プログレッシブ経済学シリーズ) 』(八田達夫著 東洋経済新報社)という本を探してみたのだが、店頭では見つけることが出来なかった。

代わりに、『新自由主義か 新福祉国家か <民主党政権下の日本の行方>』という本を見つけた。これは、先日の「鳩山総理が書店で5万円分の大人買い」という報道の中で紹介されていた本だ。

妻がこの報道を見た時、
「民主党代表で総理大臣の鳩山さんが、『民主党政権下で日本の行方がどうなるのかな?』って気にしてるwwwww」
と大ウケしていたので、記憶に残っていた。

んで、ざっと立ち読みしてみたわけだが・・・本書の言う「新福祉国家」のどこが「新」なのかがさっぱり分からなかった。

「教育費を軽く、医療費を軽く、生活保護を手厚く、失業手当を手厚く、雇用規制を強化し、ナショナルミニマムを保障するために地方交付税制度を堅持すべし。これらの施策を大企業や高額所得者、不動産や相続等の不労所得者が支えるのは応能負担原則からいって当然!!!」

・・・こうした主張は、社会党(社民党)や共産党が昭和の頃からずーっと言ってきたことと全く同じ。昔ながらの福祉国家論をそのまま繰り返しているにすぎない。強いて「新」なところを挙げるとするなら、枕詞として「新自由主義が諸悪の根源だ!」と付いている位だろう。


ネット上では、この本の要約と読書感想文もあった。

触媒生活 新自由主義か 新福祉国家か

リンク先では本書が好意的に紹介されているが、私は逆。こんな本を一国の総理大臣が購入して読んでいるという事態に、薄気味悪いものを感じる。

「日本の風土にあった新しい資本主義」を目指す総理。「新しい資本主義」とは「社会主義」のことか

2010年01月13日 | 政治
最近、スーパーで100g88円の鶏むね肉にハマっている。これが、から揚げにすると美味いんだ。アメリカ産牛肉が100g250円とかするのを見ると、鶏肉の安さについつい惹かれてしまう。これがタイムセールで3割引きとかになると、即買いである。

安いことはいいことだ。

ユニクロやしまむらで安い服を買い、スーパーで安い鶏肉を買う。これで何不自由なく生活できるんだから、本当に私は幸せ者だとつくづく思う。

一方、給与明細を見ると、
「税金や保険料が高いなぁ」
とつくづく思う(税金や保険料を徴収する立場の私が言うのも何だが)。

また、スーパーで米が売られているのを見ると、
「肉に比べて米は割高だよなぁ」
とつくづく思う(米農家の孫である私が言うのも何だが)。

やれデフレだ、やれ不景気だ、やれインフレターゲットだというけれど、デフレは悪いのだろうか。給料が下がっても、他の物価が並行して下がれば何ら問題はないような気がする。問題なのは、他の物価と比較して給料の下げ率が大きい場合や、他の商品やサービスが軒並み下がる中で特定の商品やサービスだけ関税や規制の為に高止まりしている場合じゃないのか。

(デフレにも○○デフレだの△△デフレだのと種類がいろいろあるのだろうけど、その辺は素人の私には難しいからパス。)


さて。

役所の中で、
「国から『地域活性化・きめ細かな臨時交付金』が下りてきますよ。各所管においては、対象となるような事業をピックアップしてください。」
というお触れがあった。

「地域活性化・きめ細かな臨時交付金」は景気対策の一環で、
「自治体は公共事業を新規に起こせ。国がその費用を交付金で手当てしてやる。地元中小企業が受注できるような公共事業を実施して、中小企業を元気づけろ。失業者を増やすな」
という政府の意向らしい。


・・・馬鹿馬鹿しい。
こういうことを続けているから、税金が下がらず、不要不急のところに金が投じられ、高コスト社会が継続していく。公共事業は根本的な景気回復策とはなりえず、財政状態を悪化させるだけだという、自民党政権時代に何度も言われてきたことが無反省で繰り返されている。麻生内閣の補正予算を「バラマキだ」と批判し続けた私だが、どうも鳩山内閣とも相性が悪いようだ(そんなことは初めから分かり切ったことか)。

さてさて。

公共事業について、ミーゼスは次のように述べている。

『ヒューマン・アクション』L.v.ミーゼス著 村田稔雄訳 820頁
いわゆる「民間企業による完全雇用の不可能性」によって生じたギャップを埋めるために、公共事業が、拡大すればするほど、また政府が、公共事業を行えば行うほど、民間企業の領域が、ますます縮小する。かくして、我々は、再び資本主義か社会主義かの二者択一を迫られる。


現在の日本は、麻生政権から鳩山政権への流れで
「二者択一の中で、社会主義への道を選択してまっしぐらに走っている」
ということになる。

総理が書店で5万円の大人買いをするのであれば、ぜひ、この本を手にして欲しかった・・・って、期待するだけ無駄なことか。

首相、経済書など28冊購入=「勉強したい。でも多過ぎ…」(時事通信) - Yahoo!ニュース

公金支出を語る資格

2010年01月11日 | 政治
2008年の年越し派遣村は、自民党政権批判・政権交代のためのPRイベントとして市民団体の手により開催された。そんな政治活動の効果があってか、2009年に彼らの希望通り政権交代が実現。2009年の年越しは政権批判をする必要がなくなったため、市民団体による派遣村は開かれなかった。内閣府参与となった湯浅氏は、自らの手を汚すことなく当局に働きかけ、政府の金と東京都の人員を動かして公設の派遣村を開かせた。


すると・・・

痛いニュース(ノ∀`):【派遣村】 就活費を受け取った直後に酒、タバコ…施設内の飲酒や盗難騒動も
年末年始に住居がない失業者に宿泊場所や食事を提供する東京都の「公設派遣村」で、一部の入所者が就労活動のため都から支給された現金を酒代やたばこ代に使い、施設内で禁止された飲酒などの問題行動を取っていたことが6日、分かった。都はすでに泥酔状態となった男性1人を退所処分にしたほか、悪質な入所者には退所時に支給額と領収書の差額の返金を求める方針。
派遣村は5日、国立オリンピック記念青少年総合センター(東京都渋谷区、4日に閉所)から大田区の都の臨時宿泊施設に移転。都は入所期限の18日までの就労活動用の交通費と昼食代として、入所者1人当たり計2万2千円を支給した(562人、総額約1236万円)。
ところが、多くの入所者が活動費を受け取った直後に近くの小売店で酒やたばこを購入していたことが判明。店員は「朝から1万円札を握りしめた入所者が大勢並んで買い物に来ている。たばこがかなり売れ、酒やスポーツ紙などを購入する人も少なくない」と証言した。60代の入所者の男性は「都に提出する領収書がいらない交通費に出費したことにして帳尻を合わせたい」と話した。



痛いニュース(ノ∀`):【派遣村】 就活費2万円支給後、入所者の半数の250人が行方不明に
年末年始に住居がない失業者に宿泊場所や食事を提供する東京都の「公設派遣村」で多数の所在不明者が出ている問題で9日、支給された就活費を持ったまま行方不明となった入所者が前日からほぼ倍増し、100人を超えたことが都の調査で分かった。外出したまま戻らない人を合わせると所在不明者は約250人となっている。
都によると、宿泊先の労働者用臨時宿泊施設「なぎさ寮」(大田区)の入所者名簿は9日午後9時現在、前日から6人退所したため548人となった。ところが、同日の夕食の配ぜん数は303人分で、外出したまま戻らない人は前日比6人減の143人になったものの、行方不明者は47人増加とほぼ倍増し102人だった。
都が就活費として支給した2万2千円支給後、4日間で入所者がほぼ半減した計算で、規則通り届けを出して退所した者はわずか14人(強制退寮、病死各1人含む)に止まっている。
都幹部は「もちろん就活費は返金されていない。出て行った理由は分からないが、集団生活が苦痛なのではないか」とした。都は当初、入所者への支給額を1日1千円としていたが、市民団体の要請で一括支給に切り替えた。




なんという杜撰さ。

市民団体による派遣村であれば、これで構わない。市民団体が誰にどのような金を配ろうとも、入所者がその金を酒やタバコに費やしてしまおうとも、金だけ貰ってドロンしてしまおうとも、その結果は市民団体が引き受ければ済むだけのこと。

ところが、2009年の年越しに開かれた公設派遣村については、働きかけをした湯浅氏は何ら結果を引き受けていない。自腹を切っていない。参与として内閣府当局に働きかけ、納税者から強制的に集めた税金を勝手に自分の理念に投じさせ、しかも金を持ち逃げされる。

税金の無駄遣い。公設派遣村なんて事業は二度と行うべきではない。

自分の理念が正しいと思うなら、まずは自分の労力と金を投じてその理念の実現を図るべきだ。そして、もし他人の金をどうしても投じなければならないのであれば、その管理は厳格でなければならない。強制的に集められた税金であればなおさら。たとえ、融通がきかない、杓子定規だと批判されようともだ。

もし、湯浅内閣府参与が
「入所者が就活費を酒やギャンブルに使おうとも、持ち逃げしようとも、それは必要な支援をする中でやむを得ないことだ」
なんて考えているとすれば、彼には政策に口を出す資格がない。

ガバナンス・国を動かす:第1部・政と官/7(その2止) 枠組みの変革にはいたらず - 毎日jp(毎日新聞)

規制緩和で必ず良くなるとは限らない。しかし、規制で良くなることはまずない

2010年01月09日 | 政治
la_causette: ILO対城?
 ところで、雇用規制というのは、連合が有力な支援団体となっている民主党中心の連立政権のみが唱えている政策ではありません。例えば、現在、国際労働機関(ILO)は、鉱業及び採石業における児童労働の廃止を目指しています。

 もちろん、ILOから批判を受けている国々が鉱業及び採石業における児童労働を禁止する法律を制定しきちんと実施してしまうと、それまで鉱業及び採石業における労働に従事していた児童は失業してしまうわけで、おそらく、そこで失業した児童を吸収する産業はかの国々にはないのだろうとは思います。従って、城さんの立場からすれば、鉱業及び採石業における児童労働を禁止しようとするILOは間違っている、鉱業及び採石業者が利潤を極大化できるような雇用条件で児童を雇用し労働に従事させることに政府は文句をつけるべきではないということになるのだろうと思います。



鉱業及び採石業における児童労働の廃止という雇用規制が上手くいくのは、児童が鉱業や採石業に従事しなくても家族が食っていけるような豊かな社会でなければならない。鉱業等に従事しないと家族が食っていけないような社会で上記の雇用規制を強制したら、児童は鉱業等と同程度かそれ以上にきつい肉体労働に従事しなければならなくなるか、性産業に体を売らなければならなくなるか、あるいは死ぬか・・・といった選択肢しかなくなるだろう。

豊かな社会を築くためには、限られた資源をもとに、人々の需要をより効率的に満たしていくことが必要だ。これが実現できるのは、自由経済市場だけだ。

こう書くと、「需要不足で不景気に陥っている時に『効率よく供給しろ』とか馬鹿じゃないか」と言われるかもしれない。しかし、需要とは場合によっては見えないものであり、場合によっては消費者自身も気づいていないものも多い。たとえば、20年前に携帯電話がここまで普及すると誰が思っていただろうか。

自由市場経済においてのみ、企業家の度胸と才覚は生かされる。企業家の度胸と才覚が、人々の生活を便利なものにし、生活コストを下げていく。この積み重ねの結果として、児童が鉱業等に従事しなくても食っていけるようになる。雇用規制は社会情勢を追認したものでなければ、社会に害をもたらす。

度胸と才覚のない私としては、立法等を通じて度胸と才覚のある者の足を引っ張ることを主張しないよう、自分を戒めていきたい。


さて。


 ただ、労働法制の歴史を振り返れば、明日の失業率の上昇を恐れて劣悪な労働環境を容認し続けると、いつまでもそこから脱却することができなくなるので、どこかの段階で悪循環を断ち切るアクションが必要となります。失業するリスクがあっても、米国の黒人奴隷の多くが解放されることを望み、北軍の兵士として戦ったのです。その選択は間違っていたのでしょうか。間違っていたと考える人は、城さんの見解をありがたく拝聴し続ければよいでしょう。


「身分から契約へ」という点から眺めた時、雇用規制の撤廃と奴隷解放とは全く矛盾しない。むしろ、雇用を含む各種社会保障に関する法律によって契約自由の原則がゆがめられ、当事者間の合意に政府が介入し、場合によっては一方に特権を与えるということが横行している昨今の社会情勢は、「身分から契約へ」に逆らう「契約から身分へ」の流れであると言えるのではなかろうか。

「リスクを恐れず悪循環を断ち切ろう!」という主張は、法律によって与えられている特権の廃止に対して用いたいものだ。たとえば、関税の廃止とか。



○参考
第22回  法制度改革支援—先進国による押しつけか? - ジェトロ・アジア経済研究所
そのような市場経済を支える法制度の基本は、「身分から契約へ」という植民地インドの法制度整備にもかかわったイギリスの法制史家メインの言葉に要約することができます。その意味は、人類社会は、領主と奴隷など固定的な身分からなる社会から、自由かつ平等な個人からなる社会へと発展してきたと考えることができるということで、この言葉は、封建社会を打破した近代市民社会の誕生という史実を見事に表しています。同時に、この言葉は、対等な個々人が生産や取引活動の分業を担い、自由に契約関係を結ぶ市場経済が近代社会の一側面であることを、簡潔に捉えています。


○メモ
先進的な法律は悪法だ - 若年寄の遺言