若年寄の遺言

リバタリアンとしての主義主張が、税消費者という立場を直撃するブーメランなブログ。面従腹背な日々の書き物置き場。

規制注意報 ~ 有期契約の終身雇用化 ~

2011年12月28日 | 政治
○ミルトン・フリードマン著『政府からの自由』(中公文庫)152頁
======【引用ここから】======
価値ある目的のための社会政策の数々、その実施結果やいかに。その疑問をもつ方々に、絶対間違いのない予測方法をお教えしよう。何でもいい、ある政策を強く推している公共心旺盛な善意の人のもとを訪れ、政策に何を期待しているかを尋ねるのである。そして、その人の期待と反対のことを言ってみる。実際の結果とピタリと一致することは、驚くばかりである。
======【引用ここまで】======


上記「フリードマンの予測の公式」をふまえ、次の記事を読んでみよう。


○有期雇用の労働者、5年超で無期雇用に…労政審 12月26日(月)
======【引用ここから】======
 厚生労働相の諮問機関・労働政策審議会は26日、契約社員など期間を定めて働く有期雇用労働者について、通算の契約期間が5年を超え、労働者が希望した場合は、期間の定めのない無期雇用に転換させる新制度を導入することが適当とする報告書をまとめた。
 厚労省はこの報告を踏まえ、来年の通常国会に労働契約法改正案を提出する。
 「有期」は長期間、同じ職場で正社員同様に働いても賃金が抑制され、貧困層を生み出す要因となるなどの問題が指摘されていた。厚労省では、「新制度の導入で、正社員ではないが、安定した雇用への転換が促される」としており、一定の改善を見込んでいる。

======【引用ここまで】======


「貧困層を生み出すことのないように!」という善意に基づき、厚生労働省が契約社員の雇用の安定を図る。フリードマンの予測の公式でいけば、契約社員の雇用環境はおそらく不安定なものになるだろう。

「通算の契約期間が5年を超え、労働者が希望した場合は、期間の定めのない無期雇用に転換させる」

この労働規制が成立した時、経営者が聖人君子なら
「5年を超えた有期雇用を無期雇用に転換。それは良いことだ。」
と素直に受け入れ、厚生労働省の思惑どおり、(既存の契約社員に限っては)雇用安定が達成されるかもしれない。

ところが、聖人君子なんてそう居ない。欲の皮の張った経営者ならどう考えるか。

「契約社員Aさんは、次の契約更新で通算で丸5年を超える。無期雇用を希望されるといつまでも人件費がかかる。これは困るから、何か理由をつけて次の更新をせず、新しい人を探そう。法改正される前に、契約を打ち切ってしまおう。あるいは今後、契約社員の採用をやめて正社員に残業させようか。」

・・・おそらくこうなる。
(この残業に、時間外勤務手当が付けばまだ良いほうだ)

通算5年超えで無期雇用に転換する、という法規制が成立すれば、成立時点で5年を超えている人には朗報となる。しかし、成立時点で4年半の人は、更新打ち切りの恐怖に怯えて眠れぬ夜を過ごすことになるだろう。

また、これによって契約社員の採用数が減れば「失業が続いて生活がいよいよ追い詰められた。正社員の採用は見つからない。とにかく就職しなければ。」という人にとっても、厳しい環境になる。

労働規制が強化されると、現時点で保護の対象となる人はラッキー。だが、しわ寄せは現時点で条件を満たしていない人の所にやってくる。経営者は欲の皮が張っているのだから、自分の懐が痛まないよう負担のツケ回しをするに決まっている。

経営者は欲深く、規制と経営者のイタチごっこは終わらない。労働規制が強まれば強まるほど、より貧しい人の生活を直撃する。そして、規制いたちごっこの果てに待っているのは「一度、線路からドロップアウトしたら終わる世界」だ。

規制が有効で有益なものになるためには、規制される経営者側が聖人君子でなければならない。しかし、経営者が強欲だから、規制の必要性を訴える声が生じてくる。



そもそも、経営者は強欲だからこそ起業するのであり、経営者が起業するからこそ雇用が生じる。

規制論者、介入主義者、社会主義者は、現状における富の偏在を問題視し、その再配分を求めるが、富を生み出すプロセスを軽視している。労働規制、解雇要件、勤務条件、社会保障費負担など、様々な規制強化で新規参入のハードルを上げ、起業意欲を奪い、富が生み出されなくなれば、富の偏在の問題は生じないし、再配分の必要性もない(というか、再配分するものがない)。ところが、富が生じないのだから多くの人は貧しいままだ。





しかしまぁ、次から次へと短絡的な規制を思いつくもんだ。

自治労のマニュアルで遊んでみる

2011年12月22日 | 労働組合
自治労熊本県本部のホームページで、「役員になったけど、何をすればいいの?」という人向けのマニュアルを見つけたので、ちょっと読んでみる。


○単組役員活動マニュアル(自治労熊本県本部作成)
======【引用ここから】======
労働組合は、西暦を使用します。元号(P33)は支配階級を象徴するものとして使われてきた歴史があります。特に大日本帝国憲法(明治憲法)下では戦争が行われ、当時の統治権(立法権・行政権・司法権)はすべて天皇にありました。日本国憲法では天皇は象徴とされ、いったんは元号を使う法的な根拠はありませんでしたが、1979年(昭和54年)6月6日に国会で元号法が成立、同月12日に公布・即日施行されました。元号は明治維新以降、皇位の継承があった場合にのみ改める事(一世一元の制)となっていますが、絶対主義的天皇制の問題や、国外には通用しないこと、未来の紀年を正確に表現できないことなどもあり、組合は西暦を使用しています。
======【引用ここまで】======


ここに出てくる「絶対主義的天皇制」とは・・・


○用語解説/絶対主義的天皇制
======【引用ここから】======
 戦前、天皇が絶対的な権限をもって国民を支配した体制。1889年の大日本帝国憲法で法制化されました。天皇は、大臣の任免権、宣戦・条約締結の権利、軍の統帥権などをもち、勅令の名で法律も公布できました。このもとで、資本家と地主の利益を擁護し国民を無権利状態においた専制支配がおこなわれました。
======【引用ここまで】======

○32年テーゼ - Wikipedia
======【引用ここから】======
戦前日本の支配体制を、絶対主義的天皇制、地主的土地所有、独占資本主義の3ブロックの結合と規定し、地主階級と独占資本の代弁者かつ絶対主義的性格をもつ政体として天皇制をみた。そこから、当面する革命は絶対主義的天皇制を打倒するためのブルジョア民主主義革命(反ファシズム解放闘争)であり、プロレタリア革命はその次の段階であると位置づけた(いわゆる二段階革命論)。また、反天皇制に加え、寄生的土地所有の廃止、7時間労働制の実現なども柱としており、「帝国主義戦争と警察的天皇制反対、米と土地と自由のため、労働者、農民の政府のための人民革命」をスローガンとした。
======【引用ここまで】======


支配階級とか、絶対主義的天皇制とか・・・活動マニュアルを書いた人のお里が知れる。

政治や歴史にあまり興味のない人が地方公務員になり、自治労の役員になると、こういう文書や活動によって少しずつ思想教育される。素直な人、感受性の強い人は、こうした思想教育の結果として「革命の闘士」になってしまうのだろう。

こうした思想は、労働組合の様々な活動、用語の根底に流れている。そのため、「私は政治思想とか興味も関係もないし」という人であっても、組合の慣習や常識に慣れ親しむことで、自然と組合の思想に沿った言葉の使い方をするようになり、また、社会主義的な政策を抵抗無く受け入れることができるようになる。

だいたい、大日本帝国憲法の下で「国民を無権利状態においた専制支配」というのは大きな誤り。そうであるならば、大正デモクラシーなんて成立するわけがない。大日本帝国憲法では、統帥権を輔弼すべき大臣を明文化していなかったという欠陥はあったが、これは日本国憲法でも同じこと。自衛隊の存在、役割、指揮権の所在を憲法上明記していないのだから。


○単組役員活動マニュアル(自治労熊本県本部作成)
======【引用ここから】======
19世紀前半のイギリスでは使用者と労働者の立場は完全に主と従の関係にありました。(労働契約を自由に締結できたため)
� 安い賃金で働く労働者を探して契約…格差が6倍
� 安くしかも長期に働かせるため七歳くらいの子供を親が契約させる。
� 労働時間は18時間程度、休憩時間は無し
� 病気、ケガなどしたら解雇
� 団結権などはもちろん存在せず、ストライキなどは業務妨害として扱われました。

======【引用ここまで】======


労働契約を自由に締結できたため、使用者と労働者の立場は完全に主と従の関係?馬鹿は休み休みいえ。

どちらが有利になるかは、雇いたい人と雇われたい人の多少によって決まるものであり、契約自由の原則が貫かれていれば主従が固定されることはない。(社会保障の企業負担を含む)参入規制により起業が制限されていなければ、数多くの企業が競争し、より良い労働者をより良い条件で雇用しようとするだろう。労働者の方が使用者よりも優位な立場にあることも考えられるだろう。

子供の労働は、法律で規制すれば良いというものではない。貧しいが子沢山な家庭では、法律が何と言おうと子供を働きに出すだろう。そうした時、子供の労働が禁止されていれば、非合法の働き口しかなくなってしまう。法律による児童労働の禁止は、貧しい家庭の子供をむしろ危険に晒すことになる。

家庭は貧しい。しかし児童労働が厳しく取り締まられ、子供を働きに出せない。そこで待っているのは、口減らしだ。養えない子供の口減らしは、悲しいが実際にあったことだ。かつての日本や今のアフリカの状況で、労働組合が旗を振って児童労働を禁止する法律を作ったとする。そうすれば、子供が非合法の労働にシフトするか、口減らしに遭うかのどちらかだ。


○単組役員活動マニュアル(自治労熊本県本部作成)
======【引用ここから】======
ヨーロッパでは、このような過酷な状況を打破するため、労働者が連絡を取り合って団結してたたかう権利を獲得するまで流血の歴史がありました。支配階級と呼ばれる人達と労働者の闘いとしてフランス革命などの革命にまで波及しています。労働者達の根気強い闘いが、やがて、支配階級に弾圧をもってしても、組合活動は禁止し得ないことを事実として知らせ、これを認めさせることになります。
日本でも同じような実態でありましたが、遅れること100年間ほどの時間が必要でした。

======【引用ここまで】======


フランス革命によって、多くの人の生命、身体、財産が失われた。学者や芸術家が処刑され、文化財が破壊され、貿易が中断され、自由が抑圧され、富が消え、富を生産する術も失った。「労働者の闘い」は、戦争と同じで何も生み出さない。労働者自身を含む、多くの人を貧しくするだけだ。


○単組役員活動マニュアル(自治労熊本県本部作成)
======【引用ここから】======
使用者が思うままに賃金を決めるとしたら、その顔色をうかがったり、気に入られるように不要な仕事までしたりすることも出てきます。
労働組合は、労働者同士が信頼し合うことを基本として、不必要な競争を排除し、全ての労働者の賃金や労働条件を守り向上させていくことをめざします。
「万人は一人のために、一人は万人のために」が労働組合の理念です。

======【引用ここまで】======


使用者は、思うままに賃金を決めることはできない。双務契約なのだから、使用者と労働者の合意が無ければ契約は締結できない。労働者は契約を強制されることはない。

次に、労働組合は、労働者(組合員)の権益擁護を目的としている。そのため、失業者の利益は考慮していない。全ての労働者の賃金を向上させると、人件費が経営を圧迫し、使用者側の新たな雇用を生み出す意欲を奪う。労働組合の活動は、失業者の将来の就業機会を奪うことで成り立っている。

労働組合が失業者の利益を考慮することは、組合員に対する背信行為となる。労働組合が頑張れば頑張るほど失業率の改善は阻まれるのだが、そんなことは労働組合の知ったこっちゃ無い。「組合は組合員のために、組合員は組合のために」である。


○単組役員活動マニュアル(自治労熊本県本部作成)
======【引用ここから】======
(5) 給料の構造と運用の違いによって、自治体ごとに差がついてしまうことがあります。
また、同じ自治体でも職種や性別で年齢や勤務年数が同じであっても差が生じています。
自治労は、職種や学歴、性別によって賃金差別があってはならない、自治体規模の大小で賃金に格差があってはならないという考え方で賃金闘争を進めています。

======【引用ここまで】======


自治体によって賃金に差があって、何が悪い?また、職種が違えば仕事内容も違うのだから、賃金に差があることはおかしいのか?熊本県にある市町村と一口に言っても、その財政状況や公共サービスの程度には差があるにもかかわらず、賃金に差が無いということで、住民の納得を得られるわけがない。

別の所では、
「労働者(自治体職員も労働者)は、使用者に労働(働く能力)を売って給料(賃金)を貰って生活しています。」
と言っているのだから、労働の内容や働く能力の評価によって賃金に差が生じるのは当たり前のことである。


○単組役員活動マニュアル(自治労熊本県本部作成)
======【引用ここから】======
(6) 労働者の賃金は、使用者と労働者の組織である労働組合との交渉によって決めるのが本来の姿です。しかし、政府は地方公務員法で自治体労働者の権利を制限してしまいました。そのため私たちの賃金決定は「人事院勧告制度」に大きく規定されるようになっています。
======【引用ここまで】======


本来の姿は、「使用者と労働者との交渉」であって、「使用者と労働者の組織である労働組合との交渉」というのは法律で設定された特権であり、常態ではない。

しかも、これは通常の労働者について言えることであって、公務員には当てはまらない。物やサービスを売って、その対価が売り上げとなっている企業と違い、市町村は法律・条例に基づき税金を強制的に徴収することで成り立っている。であるならば、賃金も法律・条例に基づき強制的・一方的に決められるべきもの。一方で住民から強制的・一方的に税金を徴収しておいて、他方では「労使交渉で賃金は決定されるべき。労働者の同意なき賃金決定は許されない」と主張するのは、税金を払っている住民の納得を得られるものかどうか。

税金を取られる住民は税額について毎年交渉できないし、同意があろうが無かろうが税金は強制的に徴収される。


○単組役員活動マニュアル(自治労熊本県本部作成)
======【引用ここから】======
団体行動権(ストライキ権)とは、労働者は自らの労働力を売って賃金を得ているわけですから、一定以下の賃金・労働条件では労働力を売らない自由を持っています。使用者が賃金・労働条件の確保・改善を果たさない場合、労働組合に結集する労働者はストライキという形で一斉に労働の提供を拒否し、その力を背景に団体交渉を進めます。ストライキを成功させるため、労働組合は事前に全組合員の批准投票(ストライキを行って闘うべきかどうかを問う一票投票)を実施し、また様々な教宣活動も行います。ストライキ権は労働基本権の要といえます。しかし、そのストライキを公務員は禁止されています。
以上のように労働者の基本的人権である労働基本権を著しく制約されている私たち公務員労働者は、ストライキ権回復を最終目標として、「団体交渉による賃金・労働条件決定制度の確立」をめざし、ILO151号条約(公務における団体権の保護及び雇用条件の決定手続きに関する条約)批准と国内法改正の取り組みを進めています。

======【引用ここまで】======


「公務員はストライキを禁止されている。ストライキ権回復を目指して取り組みます」
と主張する自治労。ところが一方で、


○単組役員活動マニュアル(自治労熊本県本部作成)
======【引用ここから】======
(1) 民間労働者は3月段階の交渉で決着し、4月から賃金引上げが行われていますが、公務員の賃金決定システムは次のようになっています。
� ストライキを背景に交渉し、妥結します。人事院は民間企業と国家公務員の賃金の格差を埋めることを勧告しますから、民間労働者の賃金引上げのため自治労も連帯して闘います。

======【引用ここまで】======


「ストライキを背景に賃金交渉をします」と主張している。

これは、

「違法行為をします」

と公言していることに他ならない。デタラメだ。

法律があり、条例があるから、公務員は公務員でいられる。その公務員が法律や条例を無視することを公言しては、法体系なんて溶けて消えてしまう。

公務員による
「ストライキを解禁する法改正を求める」
という主張はまぁいいとして、公務員による
「ストライキを背景に賃金交渉をします」
という主張は無しだ。

「処分を受けても、どうせ口頭注意くらいだろ?」
と考えてはいけない。法体系を擁護すべき公務員が、違法行為のススメを公言することを深刻に受け止めてほしい。

それともあれか?

「自治労の活動は革命闘争である。目的は手段を正当化する!」

とでも思っているのだろうか。

脈絡のない結論 ~ 池田式法の支配 ~

2011年12月02日 | 政治
○池田信夫 blog : 法の支配と時間非整合性 - ライブドアブログ
======【引用ここから】======
法の支配というのは人類の普遍的な原則ではなく、英米圏に固有の法的イデオロギーである。それは13世紀以降のイギリスで、国王の権力を貴族が制限するために数百年かけて生み出したルールであり、他の文明圏に移植することは容易ではない。
======【引用ここまで】======


ふんふん。


======【引用ここから】======
法を執行する(実質的に立法する)官僚でさえ法の支配を理解していない日本で、それを実現することは不可能に近い。
======【引用ここまで】======


確かに、難しいだろうなぁ。


======【引用ここから】======
日本は中国的な「徳治国家」をめざしたほうがいいのかもしれない。
======【引用ここまで】======


・・・えっ?!?!?


官僚にとっては自分の裁量が大きい方が好ましいのは当たり前だから、「法の支配」の考え方に耳を貸さないのはある意味自然なことだ。官僚の側から「法の支配の理念に基づいて、自分達の裁量を制限していこう」という声が上がることは、まずない。

法の支配が英米圏固有の法理念であり、日本に根付かせることが難しい、ということは理解できる。だが、ここから、どうやったら「徳治国家をめざしたほうがいい」という結論が出てくるのか。私には全く理解できない。

だいたい、徳治国家って何だ?

同じ記事の中で、
「温情主義が事後的には望ましいようにみえる。しかし・・・それによって利益を得るのは、利用者ではなく天下り官僚である。」
と書いてあるが、官僚の裁量による温情主義と、為政者の徳による徳治主義とでは、どこが違うのだろうか。よく分からない。

温情主義を否定的に捉えていながら、徳治国家を(諦めも混じりつつ)目指すべき体制としている。よく分からない。

こうなってくると、再び
「果たして、池田氏は本当に法の支配を理解しているのだろうか」
という疑いが、頭をもたげてくる。

まぁ、私も理解しているかどうか疑わしいけど・・・


『法の支配―オーストリア学派の自由論と国家論』
『「近代」立憲主義を読み直す―フランス革命の神話』


この2冊で、要復習だ。