若年寄の遺言

リバタリアンとしての主義主張が、税消費者という立場を直撃するブーメランなブログ。面従腹背な日々の書き物置き場。

小さな政府は幻想? ~ GDP信仰への素人疑問 ~

2013年07月31日 | 政治
リバタリアンでない人と話をする時によく議論になるのが、「無政府、あるいは政府を小さくし過ぎると、無秩序になってしまうのではないか?」という点。この論点について、「無政府社會は可能だ - ラディカルな經濟學」では、政府が無いのに秩序が成立しうることについて、事例を挙げて論じている。

ところが…

○高校生からのマクロ・ミクロ経済学入門 政治経済 現代社会  小さな政府論は、本当にむちゃくちゃ
=====【引用ここから】=====
あるいは、「無政府社会(小さな政府の究極)」は可能だといって、ソマリアを例に出して、「ほらどうだ!」と言います。
クリック

無政府社會は可能だ

厳密には、ソマリアと、ソマリア内のソマリランドは別ですが・・
 なんだか、もう、ついていけません。ソマリアを出して、「可能だ」と言われても…そりゃ可能は、可能でしょうが、無秩序(部族による秩序はあるらしいですが)地帯で、人(内国人・外国人)が住めるか?です。

=====【引用ここまで】=====

・政府が無くとも秩序は成立しうる
・実際にソマリランドで秩序が成立している
これらの点について反論をせず、
もう、ついていけません
無秩序地帯で、人は住めるか?
と述べている。なんと中身のない印象操作であることか。
小さな政府論は、本当にむちゃくちゃ
と題名を付けているが、菅原氏には、具体的にどこがどう無茶苦茶なのかを指摘してもらいたいものだ。

さて。

○高校生からのマクロ・ミクロ経済学入門 政治経済 現代社会  小さな政府論は、本当にむちゃくちゃ
=====【引用ここから】=====
そもそも、そんなに、「小さな政府」が経済的にいいのなら、「小さな政府の方が、経済成長する」とか、「小さな政府の方が、一人当たりGDPは大きくなる」ということを、実証しなければいけません。
=====【引用ここまで】=====

「GDP=民間消費+民間投資+政府支出+純輸出」
という算式で表現される、GDP。
「高校生からの~」のブログ主である菅原氏は、しきりにGDPが増えることを求めているが、算式からも分かるように、政府支出が増えればGDPは増える。GDPを増やすだけなら簡単なことだ。政府が金を使えば、定義に従いGDPは増える。
ところが、それで世の中が良くなるほど単純ではない。

菅原氏は別のところで、

高校生からのマクロ・ミクロ経済学入門 政治経済 現代社会  三権分立 行政 その1
=====【引用ここから】=====
経済=エコノミー=節約のことです。経済学=エコノミクス=それを追求する学問です。
節約とは、「最少費用で、最大効果」つまり「効率」を追求することです。時間や、費用や、人員をいかに合理的に使うか、いかに効率的に使うか、これが経済学です。

=====【引用ここまで】=====

と経済学の意義を述べている。限られた資源をいかに合理的に、効率的に使うかが経済学だ、と。これは正しい。
ここで、GDPの総体を眺めてみても、政府支出の効率性は分からない。
むしろ、「GDPの増加が経済成長の指標である」と単純な声が、政府支出による非効率な事業を後押しする。「一見無駄に見えるこの公共事業でも、結果的にはGDPを押し上げることになるんだから」と正当化することになってしまう。

GDPはあくまでも
「民間消費+民間投資+政府支出+純輸出」
でしかない。政府支出を増やせば、いかに無駄なもの、馬鹿げたのもが含まれていても、GDPとしては増えることになる。GDPは味噌糞混ざったものである。GDPの増加を手放しで喜ぶのではなく、GDPの増加分が果たして味噌が増えた分なのか、糞が増えた分なのかを厳しく峻別し問いただす姿勢、つまり、「時間や、費用や、人員をいかに合理的に使うか、いかに効率的に使うか」を追い求めることが、経済学の考え方のはずだ。

「GDPが増えた=国民の富の総量が増えた、経済成長を遂げた」
という関係が成り立つためには、政府支出の中身が効率的であるということが前提として必要だ。ところが、政府の支出は非効率的なものが山ほど含まれており、この前提が成立していると考えるのは無理がある。

当の菅原氏も、

○高校生からのマクロ・ミクロ経済学入門 政治経済 現代社会  三権分立 行政 その1
=====【引用ここから】=====
官僚が、つまり政府が、産業振興を企図して、成功した例があるのでしょうか?
=====【引用ここまで】=====

と述べた上で、
経済産業省のシャープへの補助金
札幌市営地下鉄
赤字空港
クールジャパン
基礎技術研究促進センター
新エネルギー・産業技術総合開発機構
・・・等を無駄な事業として列挙している。
GDPの構成要素である政府支出には、こういった無駄が大量に含まれている。このように政府支出が含まれるGDPを増やしたところで、果たしてそれが経済成長と言えるのか。GDPを経済成長の指標として用いることに、大きな疑問を持つ。指標として全く使えないというわけではないが、使う際には吟味が必要だろう。

さてここで、

○高校生からのマクロ・ミクロ経済学入門 政治経済 現代社会  小さな政府論は、本当にむちゃくちゃ
=====【引用ここから】=====
 では、マクロではどうでしょうか。「小さな政府の方が経済成長する」「小さな政府の方が1人当たりGDPは大きい」を検証しましょう。
=====【引用ここまで】=====

として、OECD諸国の租税・社会保障国民負担率とGDP成長率の比較や1人当たりGDPとの比較を行っている。そして、

恐ろしいことに「国民負担率が大きくなる(大きな政府)方が、1人当たりGDPも多い」ということになりました。
<結論>
「大きな政府は国を滅ぼす」などということは全くないのです。実際は真逆です。


と結論づけているが、これは誤りだ。
社会保障制度を拡充して「大きな政府」にしていけば、社会保障国民負担率は上がる。そして同時に、社会保障費が増えて政府支出も増える。「GDP=民間消費+民間投資+政府支出+純輸出」という算式に基づき、政府支出が増えればGDPは自動的に増えることになる。
大きな政府で経済全体が効率化したからGDPが増えるのではない。GDPの算式上、そうなるに過ぎない。

○知っておきたい経済用語 政府最終消費支出 ―個人消費に次いで大きなGDP の構成項目―
=====【引用ここから】=====
医療費の給付負担の高まりは、GDP 統計上では政府最終消費支出の拡大に寄与しています。しかしながら、医療費の増大が財政構造を悪化させる要因となっているとすれば、政府最終消費支出の拡大が経済成長をもたらしていると評価するわけにはいきません。
=====【引用ここまで】=====

GDPを単純に用いた分析は、誤りのもと。GDPの集計や単純比較に囚われることなく、その中身や性質をきちんと見て、「時間や、費用や、人員をいかに合理的に使うか、いかに効率的に使うか」を考えるのが経済学である。

そして、政府に任せていても効率化せず、無駄な事業が一向に減らないのであれば、政府の手にある予算と権限を削っていくことを考えなければならない。
そう、小さな政府である。
コメント (4)
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「納税者 vs 税消費者」 「自由主義 vs 民主制」

2013年07月17日 | 政治
最近、普通選挙制というものに嫌気がさしている。

○essay807 正しい保守
=====【引用ここから】=====
実は、納税額に基づく制限選挙というのは、義務と責任という意味においては極めて有効なシステムである。初期の帝国議会においても、議員たちは「自分達が納めた税金が無駄に使われてはいないか」という監査機能を発揮し、政府の勝手な支出拡大に対し強力にダメ出しをした。自分たちが納税の義務を果たしている以上、その使途にはモノを申すし、議会が強力なチェック機能を持つことでその責任を果たすことができる。
実は明治憲政においては、発言権さえ担保されれば、少数意見でも認められた。実際、帝国議会では、いろいろなバックグラウンドを持つ利益代表が、自分たちの納めた税金の使い道をチェックするという視点から、政府の行動を厳しく批判した。予算に対する厳しい判断は、それが主義主張ではなく実質に結びついているからこそ、一筋縄ではいかない。軍事予算がカットされることもしばしば見られた。だが大衆社会化が、それを奪ったのだ。
すなわち、納税額に基づく制限選挙で選ばれた議会は、政府のバラマキや無駄遣いは許すことはなく、必然的に小さい政府を目指すことになる。

=====【引用ここまで】=====

制限選挙制では、有権者=納税者であった。議員は全て納税者の代理人であり、そのため、議会による「俺の払った税金を無駄に使うのは許さん」というチェック機能が作用していた。
一方、普通選挙制では、有権者=納税者・・・とは限らない。税金を払うどころか、逆に、税金に依存して飯を食う生活保護受給者、年金生活者、公務員等の税消費者であっても、納税者と同等の発言権を有している。議員がそうした税消費者の代理人である場合、「俺の払った税金を無駄に使うのは許さん」とチェックしようとする意識は薄い。むしろ、声を上げて税金の分け前を要求することが議員の役割となる。税消費者であっても有権者となる普通選挙制において、議員の役割は利益誘導である。

日本で普通選挙制が導入されたのが、1925年。
同時進行で、社会福祉の理念やケインズ経済学が流行り、様々な分野で支持団体への利益誘導を可能とする公的支援・公共事業のメニューが打ち出された。この結果、納税者であっても、
 納税額 < 受給額
となる人が増え、納税者から税消費者へと軸足を移す有権者が続出した。
「この機に私も税消費者の側になって、美味しい思いをしよう」
という動きが強くなった。

一口に「住民」「有権者」というが、中身は大きく納税者と税消費者に分かれている。
無駄な支出を許さない納税者。
無駄のチェックよりも分け前の増加を求める税消費者。
納税者と税消費者の利害は対立するものであり、両者をひっくるめた総体としての「住民」の声なんてものは存在しない。

さて。

日本で普通選挙制が導入されてから、88年が過ぎた。
税消費者が今、どんなことを言っているか見てみよう。

○「喜多方市議会改革に関するアンケート調査結果報告」市民からの意見一覧
「僻地は、平日はバスがありますので、年を重ね一人暮らしで通院や買い物はバスなので、とても有難いです。バスの運行は続けて下さい。タクシーは料金が高くて無理です。」
「観光客の勧誘の件でラーメン店の対応のしかたの悪い面等を、議員さんも町中ラーメン店を見た方がよいのではないか。というのは、当市は特にラーメンで観光客がきているのに、各店対応が非常に悪い。その辺を、指導して欲しい。」
「直売所の整備等を考えるべきだと思います。」
「元気が出るような街にしていただきたい。若者が、働きやすいような企業があればいい。」


○太田市議会に関する市民アンケート調査結果報告書
「老人に対する福利厚生のさらなる充実、障害者に対しても充実させていただきたい。」
「地域にもっと集まれる集会所などを充実させ、いつでも使えるように願います。」


○市民アンケート調査の結果について 5.境港市の施策へのご意見(自由記述)
「夕日ヶ丘にスーパーマーケットがほしい。」
「荒廃農地対策をできるだけ早く具体策を立て、有効利用を目指して取り組まれるように期待しています。」
「休耕地が一般住宅の際まで在る所は、草木が枯れる秋や冬季には火災の危険性が考えられます。住宅地近くの休耕地・空地には地主が責任を持って定期的に草刈をするよう市から指導をお願いします。幸いなことに、そういった火災は起きていませんが、もしもそのようになったら恐ろしい事になり、誰が責任を取るのかが心配です。是非市の調査と指導をお願いします。」
「放置され荒れている農地をたくさん見かけますが、市が中心となって有効活用されてはいかがでしょうか。」
「市への要望ですが、公園の一部をドッグランに解放してほしい。もちろん駐車場も整備してほしい。」
「外江町の日新の近くの草むらにゴミが散乱している。翌日は更に増えているので対策をお願いしたい。」
「社会的弱者(病人、高齢者、障害者、母子家庭など)を救済すべき。」
「図書館にインターネットを設置してほしい。」


○行橋市議会についてのアンケート 自由記載のうち、行政施策に関するご意見
「映画館やボーリング場、現在閉鎖中の市民プールを開放して欲しい。」
「行橋の特産物を使った季節毎イベント実施してほしい。」
「もっと町中に市民の集まる場所を作ってほしい。デパートがほしい。道の駅を作ってほしい。」
「子どもを育てやすい市にして下さい。手取り20万ちょいで保育料5万・・・むりです!!」


○市議会に関するアンケート調査結果報告
「名取市図書館の本をもっと増やせるようにしてください。子どもたちがジュータンなどでゆっくり安心して読書するスペースがあればと思います。」
「安く都市ガスを使いたい。」
「定期検診などにも、もっと助成をして頂ければ良いと思います。」
「なとりん号のバスの本数が少ないし朝早いのもあってもいい。」
「仙台市のように低肺患者のリハビリ勉強会を名取市に於いても実施してください。」
「私立幼稚園の奨励費、名取市は一律6000円ですが、これはあまりにも安すぎです。もう少しアップさせていただけないでしょうか。」


施設を作ってくれ!
補助金くれ!
行政が指導してくれ!
福祉を充実してくれ!
くれ、くれ、くれ、くれ、くれ、くれ、くれ・・・・・

自立心?何それ?
費用対効果?何それ?
私有財産制?聞いたこともないしー。
財源?国債増やせばいいんでしょー。

役所に対し、ラーメン店の接客指導、スーパーマーケットや映画館・デパート建設、農地経営等、ありとあらゆることを求める税消費者。情けないことである。これは極端な例かもしれないが、税消費者の要求には際限がない。

こうした声が高まれば、自由主義は今以上に後退を余儀なくされるのは間違いない。「前回の衆院選では新自由主義以外の選択肢がなかった」と言っていた大学教授がいたが、全くもって的外れである。『子どもの貧困対策法』のような社会主義的立法が衆参両院とも反対者なく可決した国会の状況下で「新自由主義以外の選択肢がなかった」というのは、ボケの中のボケ、寝言、世迷言でしかない。実際は、前回の衆院選でも、今回の参院選でも、自由主義に沿った選択肢を探すのは難しい状況なのだ。

リバタリアンとしてベターな肢、「社会保障や公共事業の拡充を求める税消費者の代理人」であることに否定的で、「より少ない税額、よりシンプルな税制を求め、税の使途を厳しくチェックする納税者の代理人」であることに重心を置いている候補者を探さなければならない。

今回の参院選で
「憲法第15条第3項を改正し、制限選挙を目指します」
という候補者はいないかなぁ。
自由主義と民主制の妥協可能なラインは、制限選挙制だ。
コメント (4)
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