若年寄の遺言

リバタリアンとしての主義主張が、税消費者という立場を直撃するブーメランなブログ。面従腹背な日々の書き物置き場。

道徳的な規制が複雑な問題を悪化させる ~介護とか性風俗とか~

2020年08月27日 | 政治

【複雑な問題に簡単な答えはない】

厚生労働省は、高齢者虐待防止法や介護保険事業所の指定基準等を通して、介護施設を利用している高齢者に対する身体拘束を禁止しています。

○東京都北区の高齢者マンション、拘束介護で利用者を虐待|メドフィットコラム
======【引用ここから】======
利用者の多くは事業所近くの「シニアマンション」と称する民間マンション3棟に入居し、事業所のヘルパーから食事や排せつの介助、おむつ交換などの介護サービスを受けていた。
        (中略)
都や区によると3棟には159人が暮らしおり、うち76人に入居者の主治医である岩江理事長の指示による拘束の可能性がある。
行われていたのは4畳半ほどの部屋で長時間にわたり太いベルトで身体をベッドに縛り付ける拘束介護だ。 ベッドを柵で囲んで行動を制限したり、指の自由が利きにくいミトン型の手袋を着用させたり、部屋の外から施錠して出られなくするなどの虐待行為も確認された。
事業所側は「(医師の)指示による正当な行為」と説明した。 厚生労働省は身体拘束を原則禁止としている。

======【引用ここまで】======

この、身体拘束の問題に簡単な答えはありません。

認知症の高齢者に対する見守りが不十分なら施設は責められ、
高齢者が徘徊し線路で事故を起こせばJRから訴えられて損害賠償を負わされる可能性もあり、
かといって徘徊しないようヒモで縛ったり部屋に鍵をかけて閉じ込めれば虐待だ身体拘束だと非難され、
見守り体制強化のためにスタッフを増やそうにも介護報酬は公定だから値上げできないし、
介護報酬を上げようにも保険料負担は既に制度開始時の倍になっているから慎重にせざるをえないし、
そもそも見守りと言いつつ監視と何が違うのか分からないし、
拘束しなかった入所者がスタッフに噛みついてもスタッフは泣き寝入りするしかないし、
そもそも高齢者が増加する一方で現役世代は減少し続けるので介護の担い手は必要数を確保できないし、
部屋に鍵をかけて部屋に閉じ込めるのは虐待だけど施設の玄関に鍵をかけて施設内に閉じ込めるのはOKで、
だから徘徊防止のため玄関に鍵をかける施設がある一方で、
玄関は開錠しているが入所者が出ようとするとスタッフが慌ててロックする施設もあり、
身体拘束と非難される事を恐れて入所者の出入りを制限しなければ徘徊時の責任を・・・(以下ループ)

利用者、家族、事業者、スタッフなどなど、関係者や地域ごとに事情は千差万別です。そんな中、厚生労働省が「身体拘束は原則禁止」というルールを全国に適用しているのですが、これは果たして妥当なのでしょうか。

【win-winだから成立する契約】

事情は当事者ごとに千差万別です。中には、こんな利用者・家族もいるのです。

○あと3万円…月額費用捻出できず認知症妻の身体拘束の悲劇(幻冬舎ゴールドオンライン) - Yahoo!ニュース
======【引用ここから】======
テレビの取材を受けていた入居者のご主人は、おそらく80代の男性だったと記憶していますが、その老人ホームに対し感謝の言葉しか出てきませんでした。

もちろん、奥さまが縛られていることは承知していたようです。しかし、問題の老人ホームが無ければ、今頃この団地から二人で飛び降りて自殺をしていたはずだと話していたことが、印象的でした。後日、区の介護保険担当者がテレビの取材に応じ、入居者の家族からホームに対する苦情はなく、逆に当該ホームが廃止になってしまった場合、自分たちはどうすればよいのかという心配が寄せられている、という事実を公表しています。

======【引用ここまで】======

違法な契約であったり、不道徳な契約内容であったとしても、それが無いよりマシだという人が世の中には存在します。

契約に基づく商品やサービスを提供する中で、法律に照らして違法な行為、あるいは道徳観念に照らして不道徳な行為が行われていたとします。
こうした行為について、

「違法な行為を許すな!行為者を処罰しろ!事業者を廃業させろ!」
「不道徳な行為を許せない!野放しにするな!行政は取締を強化しろ!」

と第三者が非難するのは簡単です。

ところが、サービスを提供する側と利用する側は、サービスの値段と内容を検討した上で、誰にも強制されることなく同意し契約を締結しています。
契約に基づくサービス提供は、

事業者「△円でサービス提供できますよ。ただ内容はこの程度ですよ」
利用者「△円でサービス提供受けられれば構わない。」
事業者「時給○円でスタッフを雇用します。低賃金ですが。」
従業者「時給○円でこの業務内容なら引き受けます」

といった複数の合意から成り立っています。通常、誰かが殴ったり脅したり、あるいは騙しているわけではありません。

法律や道徳に照らして問題のある契約であったとしても、当事者はそれぞれの背景・事情に応じてその内容で契約をしています。この契約を通して、当事者全員が、契約がある前よりも満足を得られる状態になっています。

第三者が道徳的に非難し、非難の声が選挙の票となり、政府が法律や規則でもって契約を禁止する、というのはよくある光景です。しかし、その契約を禁止することで、事業者は利益を得る手段を失い、従業者は賃金を失い、利用者はサービス提供を受ける機会を失います。第三者の道徳的な正義感を満たすだけで、当事者は誰も得をしないのです。

【禁止は根本的な解決策たり得ない】

繰り返しになりますが、ある一定の契約内容について、第三者が廃止を求め、政府が規制を発するのはそれほど難しいことではありません。

しかし、それで問題は解決しません。

「身体拘束はダメだ」という道徳的な第三者の声に行政が押され、身体拘束を繰り返す老人ホームを営業停止にしたとしましょう。

そこに住んでいた老人はどうなるのでしょうか?
在宅介護ですか?在宅で無理だから老人ホームを選んだんでしょ?
見守りスタッフを増やして身体拘束せずに済む体制を採らせますか?その人件費増で利用料金上がったら費用面で成り立ちます?
行政が新しく老人ホームを建てますか?その費用を納税者に強制的に追加負担させるのは不道徳ではないんですか?

道徳的観点から政府が禁止で対応するよりも、不道徳な契約であっても当事者が良しとしているなら第三者はそれを容認する方が、生きやすい世の中に一歩近づくと思います。

さてさて。

道徳的で熱意ある厚労省官僚が、身体拘束を始めとする不道徳なサービス提供を行う介護事業者を徹底的に指導し、少しでも違反があれば直ちに営業停止、指定取消にするよう、市町村に通知を出したとします。

比較的大手の法人なら、厚労省官僚の定める基準を満たすサービス提供体制を整えることができるかもしれません。しかし、小規模な事業所では、新たな人員確保や設備の整備、給与・勤務面の改善に着手する余力は無いでしょう。ただでさえ介護分野の人手不足は深刻ですから。現在の基準でも人手不足や不採算を理由に事業縮小や廃業に迫られる介護事業者が多い中、基準が強化されその分コストが上がれば廃業する事業者は増える一方です。

一部の大手のみが政府の定める基準に沿ってサービス提供を継続する一方、小規模事業所は「そんな基準は満たせないよ」と廃業することとなり、多くの認知症高齢者は住処を失うこととなります。こういった人にとっては、悪徳NPOが貧困ビジネスで提供される狭小劣悪な住居であっても、無いよりマシという事になります。

【規制が反社を育て、規制が危険性を生む】

このように、規制強化によって、寡占化が進むのと同時に、多くの利用者がサービス提供を受ける機会を失います。そして、需要はあるのに規制があってサービス提供がされない分野では、闇サービスが横行します。

禁酒法時代や戦後の食糧統制下において、多くの人が密造酒やヤミ米を求めたのと同じ状態になることでしょう。禁酒法の例を見てもわかるように、政府が規制をかけた時、政府による摘発をリスクと思わない者か、あるいは規制をかいくぐることのできる者だけが商品やサービスを提供するようになります。一般の企業は規制があるために参入に二の足を踏む一方で、競争相手の少ない好機と見たマフィア、ギャング、ヤクザといった反社会的勢力が、この領域で商品やサービスを提供し、利益を上げることとなります。規制が厳しく、あるいは複雑であればあるほど、企業の参入ハードルは上がり、反社会的勢力のシェアは安泰となります。

性風俗産業も同様です。この業種では、暴力団が経営している、関与しているお店が多いのではないかと言われていますが、それも、売春防止法による禁止事項や風営法による複雑な規制の下で一般の企業が参入しづらいために生じている現象です。

「じゃあ暴力団を規制すればいいじゃないか」と暴対法や暴排条例で規制をかけた結果、どうなったでしょうか。暴力団に属さない半グレがJKビジネスで利益を得るようになり、あるいは出会い系やパパ活といった個人売春が闇で行われ、事業者を通さず個人で会うようになった結果、かえって犯罪に巻き込まれる危険性が増しています。

このように、規制が反社会的勢力に利益をもたらす土壌を育み、あるいは関係者の危険性を増しています。道徳的で熱意ある官僚は、ある意味で反社会的勢力を育成する存在となるのです。

【規制論者が危険性を高める】

さて。

当ブログのネタ提供元である聖学院大学客員准教授、四国学院大学客員准教授、NPO法人ほっとプラス理事、社会福祉士の藤田孝典氏は、性風俗産業について、
ピンプ(性風俗業者、性搾取斡旋業者)は新型コロナ対策を契機に廃業してください
と述べ、この前後でしきりに規制強化を訴えています。


ですが、性風俗は社会における文化的な暮らしと密接なかかわりがあります。
藤田氏自身も、

と述べているように、事実として、性風俗産業は文化的な暮らしとかかわりがあり、人間らしい適度にリラックスできる趣味の一環を構成しています。
生活保護受給者がその保護費を生活の維持や再就職に向けた活動に費やすのではなく、風俗に通うことに費やすのを、藤田氏は容認しています。そのくらい性風俗は文化的な暮らしに根付いています。
そういった根強い需要のある事柄を、法律で規制し廃業させるようなことができるのでしょうか。

「性風俗産業を禁止しろ」
「性風俗業者は廃業しろ」

と道徳的高所から要求し、仮に、熱心で道徳的な官僚がこれに呼応し

「性風俗業は全て禁止!」
「既存の規制を例外なく厳格に適用!」

と乗り出せば、比較的まともな業者から廃業していき、違法を覚悟で営業している事業者が場所を変え業態を変え、表から見えない形で営業を続けていくことになります。表から隠れようとする過程で、暴力団や半グレが経営に介入するきっかけを生むことになります。また、新築・増改築が制限されれば、古い建物をそのまま利用せざるを得なくなり、防火や衛生の観点からも危険性が生じるようになります。

性風俗への需要が人間社会からなくなることは、恐らくありません。需要は地下で存在し続けます。地下に潜った需要を糧に、反社会的勢力がピンハネして利益を得る土壌が広がるというのは、いつか来た道です。

藤田氏のような短絡的で安直な道徳的意見が、かえって、従業員や利用者を危険に晒し、反社会的勢力を育てているのです。

【藤田氏の差別的言動】

さて。
藤田氏は、
経済的に困る女性を食い物にして、性風俗業者、ピンプは助けることなく、性暴力、性搾取を促して、利益をピンハネする。
と述べています。


個人ごとの事情や背景を考慮せず、特定の集団や属性に属する個人に対して、その属性を理由にして集団を一括りに排除や蔑視、あるいは特別扱いしようとする態度を「差別」と呼ぶとしたら、藤田孝典氏は間違いなく「差別主義者」です。

事業者も従業者も利用者も同意の上で契約しているのであれば、それは「暴力」でもなければ「搾取」でもありません。また、「ピンハネ」が可能になるのは規制によって新規参入ハードルが上がり事業者数が少数に限られているからであって、規制を緩和・廃止し事業者数が多くなれば従業者の側から「この事業者は仲介手数料が高すぎるから、他の事業者に移籍する」という交渉が可能になります。
藤田氏のような規制強化論者が寡占を推し進める原動力となっているのに、その彼らが寡占の結果生じた高いピンハネを非難するのはマッチポンプでしかありません。

なお、

「親が借金の肩代わりに娘を売る」
「工場勤務という話で連れてこられたのに、実は売春だった」

のような、本人の同意なく性風俗産業に従事させるケースは、そりゃもちろんダメです。ダメなのは、「性風俗」という部分ではなく、「本人の同意なく」という部分が問題になるのです。

暴力をもって、あるいは騙して、強制的に他人に何かをさせるのは、性風俗に限らずダメです。

世の中には色んな人がいます。
どんな仕事であれ、従業者がなぜその仕事を選んだのかの事情は様々です。

誰にも依存せず学業と生活を打ち立てようと性風俗で働く人もいれば、夫婦で生活に困らないだけの一定の収入があるにも関わらず遊ぶ金欲しさに性風俗で働く人もいます。その仕事で得られる収入とその仕事の内容について、当事者双方が同意して契約を結ぶという点で、他の仕事と何ら変わりありません。その人がなぜその仕事を選んだかは、それぞれの個別の事情があります。向き不向き、経済的理由、期間、地域など、関係者ごとに事情は千差万別です。

そういった個別の事情を捨象して、一括りに「まじめな性風俗業者ってどこにいるの?」と嫌悪感を剥き出しにし、「卑しい産業」と見下す態度は、非常に差別的です。
藤田氏のソーシャルワークとは、自分の個人的嫌悪感に身を委ねて他人の職業を卑下しているに過ぎません。公開オ○ニーでしかありません。

その仕事が好きで、あるいは他の仕事にも就けた中でその仕事を選んでおり、当事者間の同意に基づいてサービス提供と対価のやり取りがされているケースが多数ある中で、それを外野の第三者が
「卑しい産業だ!早く廃業しろ!」
というのは、非常に失礼なことです。

聖学院大学や四国学院大学に入学すると、こういう偏見をもった藤田氏から教えを受けることができます。

○全世代に広がる貧困と格差 【講師】聖学院大学人間福祉学部客員准教授/NPO法人ほっとプラス代表理事 藤田孝典氏 | 【議員連盟】日本の未来を考える勉強会

○藤田孝典氏による社会福祉学部特別講義を開催しました。 | 四国学院大学

他の社会福祉士からの批判も強く、当事者団体から抗議書を提出される偏見に満ちたソーシャルワークの手法を学びたい方は、聖学院大学や四国学院大学でその機会を得ることができます。ぜひ入学をご検討ください。
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ちょっと怖いコメディ映画『帰ってきたヒトラー』 

2020年08月13日 | 政治
(注意:本記事は映画のネタバレを含みます。)


〇帰ってきたヒトラー : 作品情報 - 映画.com
======【引用ここから】======
ヒトラーが現代によみがえり、モノマネ芸人として大スターになるというドイツのベストセラー小説を映画化。服装も顔もヒトラーにそっくりの男がリストラされたテレビマンによって見出され、テレビに出演させられるハメになった。男は戸惑いながらも、カメラの前で堂々と過激な演説を繰り出し、視聴者はその演説に度肝を抜かれる。かつてのヒトラーを模した完成度の高い芸として人々に認知された男は、モノマネ芸人として人気を博していくが、男の正体は1945年から21世紀にタイムスリップしたヒトラー本人だった。ヒトラー役を演じるのは、舞台俳優オリバー・マスッチ。
======【引用ここまで】======




現代に復活したヒトラーが、1940年代と2010年代のギャップに戸惑い、モノマネ芸人と勘違いされつつも、SNSやテレビを通じ、その演説とカリスマによって再び現代のドイツ国民の人気を得ていくという、ちょっと背筋の寒くなるブラックなコメディです。



ヒトラーに対し、その人種差別政策や迫害政策、残忍な性格に強い反感を示す人々がいる一方で、外国人問題に悩む人々は排外主義的な内心を打ち明け、「強い指導者」の復活を歓迎します。



この映画の中で私が怖いと思ったのが、人種差別政策や迫害政策以外の、ヒトラーが行った諸政策については登場するドイツ国民が皆好意的に捉えていて、誰も反論しないというところです。


例えば。


前半のとある場面
======【テキスト起こし】======
(テレビ局にて、突然、会議室に入るヒトラー。会議室では役員が打合せ中。)

局長「状況はそんなに絶望的だったの?」
ヒトラー「あなたは正しい」
局長「何が?」
ヒトラー「状況は絶望的だ。ともに手を携えてドイツを救おう」
副局長「それはいいな。アドルフ、面接は終わりだ、帰ろう」
局長「まぁいいから。で、どうやって救うの?」
ヒトラー「あなたはコーヒーを飲むか?」
局長「時々ね」


(ヒトラーはいっとき無言で会議室を見渡し、他の役員の肩に手を置き)

ヒトラー「君は?コーヒーを飲むかね?」
役員「あぁ」
ヒトラー「どこで買ってくるかね?」
役員「大抵はスターバックス」
ヒトラー「そのコーヒーに誰が責任を持つ?」


(一同、??)

ヒトラー「添加物に関しては誰が責任を持つ?もちろんスタルバックス氏ではない。スタルバックス氏は責任を取らない。誰も取ろうとしない。」
役員「・・確かに」
ヒトラー「だから変革が必要なのだ。指導者は明確に責任を持たねばならない。ドイツは思い出すべきだ!アウトバーンはどこかの道化によって作られたのではない!違う!作ったのは総統だ!ゆうべにパンを食べるときは、誰が焼いたか知らねばならない。朝、チェコスロバキアに進軍する時は、総統が命じたと知らねばならない。」

======【テキスト起こし】======

「モノマネ芸人がテレビ局に演説ネタを売り込みに来た」と思って笑う役員がいる一方で、その演説内容や力強さに関心する役員がいるのです。この作中で、人種差別政策や迫害政策以外の、ヒトラーの政治的主張に正面から反対、反論する人はほぼ出てこなかったかと思います。

そこが怖いのです。

高速道路からコーヒー、パンに至るまで、国民が利用する全ての物について、指導者が明確に責任を持たなければならない、という思考方法。ヒトラーが復活する土壌はここにあります。

これは、商品やサービスで何かトラブルがあった時は誰かが対処してくれたらいいのになぁ、誰かが安全性を保障してくれたらいいのになぁ、いっそのこと商品やサービスを選んで私に提供してくれたらいいのになぁ、という国民の甘え・依存心に呼応するものです。

高速道路の建設からコーヒーの安全性に至るまで、全てのものに指導者の責任を求める国民の声が、最終的には、指導者に全てのものの決定権限を委ねることに繋がります。

政府・指導者への権限の集中が、大規模な迫害、虐殺を可能にしました。権限が大きくなり、その範囲が広大になれば、いざ指導者が間違った何かをしようとしても誰もこれを止められません。社会保障政策や労働政策、経済政策を迅速かつ力強く実施してもらうためには指導者の広範な権限を予め認めておく必要がありますが、この権限を他に転用したとしても待ったをかけられないのです。また、指導者の定めた社会経済政策に反対の少数派がいたとしても、その声は無視されることとなり、個人主義はその分後退することになります。

フロムの『自由からの逃走』をふと思い出しました。

指導者に何でも決めてもらい、責任を取って欲しいと願う国民の声が、虐殺や迫害の生みの親なのです。虐殺や迫害を可能にする強力な権限と、虐殺や迫害の歯止めとなるべき個人主義の後退を招くのが、「指導者の明確な責任による政策遂行」なのです。

【単一制度を国民全体に適用する民主制の危険性】

このように、ヒトラーの政策は国民の声、願望に支えられていました。そういう意味で、ヒトラーは民主主義者です。この映画でも、作中、ヒトラーは民主主義という言葉を何度も用いています。

国民の声を反映させて決めたとしても、国民の声に従ったものだと言い張る指導者が決めたとしても、いずれにせよ、その決まった事を政府が一律に全国民に適用するという点では同じです。一つの意思決定内容を多種多様な考え・価値観を持つ人に適用するのは、全体主義的な手法です。

公平・公正な選挙制度、国会における審議機能などによって民主制がいかに充実しようとも、そこで決まるのは単一のルール。単一のルールを適用する事に適した分野と、そうでない分野とがあります。実のところ、単一のルールに適した分野なんてそうそうありません。
何か問題が起きた時に
「これは社会的な問題だ!」
と騒ぎ政府の責任の下で規制を求める声が沸き起こりますが、いやいやいや、個人や企業において個別に対応すれば済むだろう、こっちの方が効率的で素早くベターな解決に導けるだろうと思うわけです。

国民が決めたものでも、指導者が決めたものでも、一つの意思決定内容を国民全体に適用する領域そのものを少なくしなければなりません。パンやコーヒーの中身も政府が決めるのではなく、各メーカーが提供し、消費者が選択する中で決めればそれで良いのです。

これは、ドイツのコメディ映画の中の話だけで済む話ではありません。

現代日本においても、個人の選択の自由を放棄して消費先を民主主義的に決めて問題ないと暗に主張する意見が登場したり、
〇「お盆に帰省していいのか、ダメなのか」それすら明言しない安倍政権の責任逃れ
という記事が掲載されたり、と、指導者の責任と指示を求める声は至る所に存在します。惨事を招いた戦前ドイツを笑えない状況になっています。
また、
ヒトラーは正しい財政・金融政策をしていた
などと言う人も。
これが誤りのもと。ヒトラーは、迫害政策のみならず、財政・金融政策も込みで全体主義的政策を推し進め、各政策が相互に個人主義・自由主義を侵食していったのです。

政府に極力何もさせない事が、自由を保障する上で重要なことです。民主的な政府であれ、強い指導者に導かれた政府であれ、選択肢が幾つもある中でわざわざ政府が一つの選択肢に絞る必要性はそうそうありません。
そして、様々な分野にまたがる広範で強力な権限を政府に持たせる事は、危険なのです。

作中、ヒトラーはしきりに民主主義と政治を強調していました。この民主主義と政治の力を強化することは、実は、全体主義への最短ルートだったりします。

そんなこんなで、色々考えさせられつつ、でもコメディ要素も豊富なこの『帰ってきたヒトラー』。ちょっと前の作品ですが、機会があれば是非ご覧ください。
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別居における連れ去りと連れ戻し ~未成年者略取・誘拐罪の運用と啓発の在り方~

2020年08月13日 | 政治
○刑法
============
(未成年者略取及び誘拐)
第二百二十四条 未成年者を略取し、又は誘拐した者は、三月以上七年以下の懲役に処する。

============

略取し、又は誘拐した」というのは、どういう行為を指すのでしょうか。

○未成年の略取と誘拐罪(刑法)本人や保護者の同意があっても有罪? | 弁護士法人泉総合法律事務所
======【引用ここから】======
【略取、誘拐の定義】
 「略取」も「誘拐」も、共に、他人を従来の生活環境から離脱させて自己又は第三者の実力的支配下に移すことです。そして、「略取」は暴行・脅迫を手段とするのに対し、「誘拐」は欺罔・誘惑を手段とするものです。
 これらの手段は、必ずしも未成年者自身に対して加えられる必要はなく、その保護監督者に対して加えられてもよいとされています(大判大13.6.19刑集3・502)。

======【引用ここまで】======

物理的に無理矢理連れていくのが「略取」、騙して連れていくのが「誘拐」です。そして、連れていくときに未成年者を無理矢理、あるいは騙して連れていくだけでなく、保護者の元から無理矢理、あるいは保護者を騙して連れていく行為も、この「未成年者略取及び誘拐罪」に当てはまるとされています。

【「連れ去り」と「連れ戻し」の差】

さてここで。

夫婦が別居を始める時、住居を移す一方の親が子供を無理矢理、あるいは他方の親を騙して子供を連れ去る行為は、法律上問題とされる事がまずありません。ところが、別居・連れ去りがあった後に他方の親が子供を元の住居へ連れ戻す行為は犯罪と扱われます。

法律の原則として「自力救済の禁止」というものがあります。個人で実力行使して紛争解決を図ることを認めず、裁判手続きを通すべきとする法原則です。
別居後、連れ去られた子供を実力行使で連れ戻す行為も「自力救済の禁止」に当たるとされており、交渉や裁判手続きを通して解決を図るべきと言われています。連れ戻しについては、実際に逮捕、有罪となったケースもあります。

ところが、最初の、別居開始する際の連れ去りについては、運用上、民事・刑事ともにあまり問題視されていません。

「同居→別居」の際の「連れ去り」はなぜか逮捕されず。
「別居→元住居」への「連れ戻し」は逮捕、起訴される。

子供を無理矢理、あるいは騙して実力的支配下に移すという、外形的に同じ行為であるにも関わらず扱いが違うのです。
加えて、離婚協議、調停等にでの親権者の指定に際し、裁判所は「継続性の原則」という考え方を重視していることから、最初に連れ去りをした側の親が親権取得に際して優位に立つことができます。

○子の「連れ去り」規制を 引き離された親ら、国を集団提訴  - 産経ニュース
======【引用ここから】======
家事手続き上の親権争いでは、子供にとって育成環境が変わるのは不利益との考えから、同居する親を優先する「監護の継続性」に重きが置かれるとされる。一方で、無断で連れ去ったこと自体にペナルティーはなく、原告代理人の作花知志(さっか・ともし)弁護士は「完全な無法地帯で、連れ去った者勝ちの状態だ」と話した。
======【引用ここまで】======

最初の実力行使は不問とされ、次からの実力行使は法律で処罰されるのであれば、最初の実力行使をした者勝ちとなるわけです。
こうした法運用の下では、当然ながら、別居時の子供の連れ去りが横行します。

刑法が禁止する未成年者略取・誘拐罪の構成要件に該当する行為であるにもかかわらず、
「別居後最初の連れ去りは目をつむります。その状況が継続すれば連れ去り親を親権者とします」
という運用を裁判所が採っていることで、結果として、裁判所が犯罪を推奨している形になっています。

【別居の際の連れ去りは国際問題に】

日本政府・裁判所の運用が未成年者略取・誘拐罪を(結果として)推奨していることは、国際的にも問題になっています。

第200回国会 法務委員会 第12号(令和元年11月27日(水曜日))
======【引用ここから】======
○串田委員 原則は、連れ去ったら違法だという前提から始まらないと、世界は通用しないですよ。
 この六十年記念誌には、「子の連れ去り天国であるとの国際的非難を受けている」となっています。大臣、こういう非難を受けているという認識はあるんでしょうか。

======【引用ここまで】======

自力救済を禁止しているのは他の国でも同様です。そのため、別居開始時の実力行使を容認、追認するという考え方をとっていません。

これだけは知っておきたい ハーグ条約 基本のキホン - Onlineジャーニー
======【引用ここから】======
どちらの親が子どもの世話をすべきかの判断は、子がそれまで生活を送っていた国の司法の場において、子の生活環境の関連情報や両親双方の主張を十分に考慮した上で、子どもの監護について判断を行うのが望ましいと考えられているため、まずは子どもを前居住地に戻した上で、必要であれば現地での裁判を促すという形をとる。
======【引用ここまで】======

国際的には、連れ去り後の状況をベースに考えるのではなく、子供を元の場所に戻した上で話し合い、あるいは裁判手続きというのが基本的な考え方です。

「連れ去り別居の後に継続した生活を重視し、連れ去り親を親権者に指定する」という日本政府・日本の裁判所の判断傾向が、別居開始時の実力行使、自力救済を推奨することとなり、「日本は政府が誘拐を助長・誘発している」という外国からの批判を招いています。

【連れ去り別居の推奨は人権侵害】

別居開始時の連れ去り行為は、刑法224条の未成年者略取・誘拐罪の構成要件に該当する行為であり、本来であれば犯罪となる可能性があるものです。ところが、日本政府や裁判所がこうした連れ去り別居を放置・黙認してきたことが、子供を連れ去られた親や元の居住地から連れ去られた子供への権利侵害に繋がっています。

憲法上の基本的人権を「個人 vs 政府」の権利問題に焦点を絞る考え方を、立憲主義と言います。

個人間での紛争について、外形的には同じ態様の一方の自力救済のみを容認し、他方の自力救済を政府が刑罰をもって禁止するのは、捜査権・司法権の恣意的な運用です。立憲主義の観点から人権侵害を厳格に考えた場合であっても、国民に対する政府の捜査権・司法権の恣意的な行使は人権侵害と言えましょう。

別居開始時の無理矢理連れ去る行為、あるいは騙して連れ去る行為は、本来であれば犯罪行為です。ところが、この犯罪後に自力で現状に戻そうとする行為のみを犯罪として処罰し、最初の連れ去りを黙認・追認しています。こうした政府の運用方法は、極めて恣意的なものと考えます。

連れ去り別居について民事不介入の立場から犯罪と扱わないのであれば、別居開始後の連れ戻しも同様に扱うべきです。逆に、別居開始後の連れ戻しについて逮捕、起訴するのであれば、連れ去り別居についても厳格に逮捕、起訴すべきです。一方にのみ自力救済を認め、他方には自力救済を認めない(=当事者に長期間の裁判手続きを強いる)現状は、とても公平とは思えません。

【人権擁護局はたまには仕事しろ】

さて。

法務省人権擁護局は憲法上の基本的人権を擁護していない、というのは、私が以前から主張しているところです。
(振り返ってみたら、2009年にも同じような事を書いていて、よく飽きずに繰り返せるなぁ、と思わずにいられません。)

法務省人権擁護局や、その通知に沿って動く全国の自治体の人権啓発部署は、
「みんな仲良く」
「誰にも優しく」
などといった個人間の道徳教育を「人権」と詐称する暇があるなら、こういった犯罪行為の横行を非難し、政府の恣意的な制度運用を非難する啓発活動を行うべきです。

「夫婦間の同意なく、別居時に無理矢理、あるいは騙して子どもを連れ去る行為は犯罪です」
「連れ去りを放置・優遇し、連れ戻しのみを逮捕・起訴する政府の運用は人権侵害です」

ってね。
これをきちんとしないから、海外から「日本は人権後進国だ」と言われるのです。

【参考】


○「ぼくは、父(母)親に絶対会いたくありません」~「連れ去り洗脳」という児童虐待

○当事者/サバルタンである子どもは日本の離婚システムでは語れない~思想、裁判所、弁護士、法学者、NPO
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そもそも、副市長が二人も必要ですか?一人じゃダメなんですか?以前の二人体制の時は人件費に見合う働きをしていましたか?

2020年08月07日 | 地方議会・地方政治
前回記事の続編となります。

副市長人事案に市議会が不同意 行橋市 /福岡 毎日新聞2020年7月31日 地方版


そもそも、副市長って何なのでしょうか。

【副市長にかかる人件費】


○お知らせします 行橋市職員の給与
======【抜粋ここから】======
■特別職の報酬等の状況(平成31年4月1日現在)

副市長 
 給料・報酬月額  708,000円
 期末手当 6月期 1.675月分
      12月期 1.675月分
        計 3.35 月分

======【抜粋ここまで】======

行橋市の場合、副市長の給料は期末手当を合わせて年間10,867,800円となります。

加えて、副市長は常勤の特別職であるため、市町村職員共済組合に加入します。共済組合は一般企業で言うところの厚生年金・健康保険と同じものであり、労使折半ということで、事業主(地方自治体)が保険料の半額を負担金として支払います。社会保険の自治体負担をざっくり15%程度と考えたとき、計算すると約160万円。

給料と社会保険の事業主負担を合わせると、年間で約1,250万円かかる試算になります。

副市長一人の人件費が、年間約1,250万円。
二人置けば年間2,500万円です。
全て税金です。

【副市長の人数】

この副市長の人数については、地方自治法に規定があります。

○地方自治法
============
第百六十一条 都道府県に副知事を、市町村に副市町村長を置く。ただし、条例で置かないことができる。
2 副知事及び副市町村長の定数は、条例で定める。

============

副市長を何人置くか、そもそも置くか置かないかについては、自治体ごとに判断し条例で規定する仕組みです。
実際、各自治体はどのくらいの人数を置いているのでしょうか。

○副知事・副市町村長の定数に関する調 (平成30年4月1日現在) 総務省

都道府県の場合、副知事の定数は平均で2.1人。

1,741ある市町村では、副市町村長の定数は平均で1.2人。ほとんどの市町村では副市町村長を一人置き、指定都市などの大きな所では複数置く傾向にあります。また、条例定数を一人としているが実際には副市町村長を置いていないケースや、条例定数を二人としているが実際には一人しか置いていないケースなどもあります。

そんな中、福岡県にある人口7万人程度の自治体・行橋市は、副市長の条例定数を二人としていました。
それを前回、利権副市長を解職して副市長一人体制とました。
今また二人体制にしようとしたわけですが、二人にすることで年1,250万円の追加費用が生じるのですから、その金額に見合うだけの具体的かつ明確な理由を聞きたいところです。
さて、行橋市の田中純市長はどう答えるのでしょうか。

【杜撰な市長答弁】

副市長の解職は市長の専権事項ですが、副市長の選任には議会の同意が必要です。
そのため、選任しようとする市長としては、議員に対し
・二人目の副市長ポストが必要であること
・選任しようとする対象者を選んだ理由

を説明しなければいけません。

特に今回の場合、
・条例改正して副市長の定数を二人に増やしたのはこの市長。
・二人いた副市長のうち一人を解職して一人体制にしたのもこの市長。

という背景があるため、人事案に同意を求める市長としては、平身低頭、
「副市長が一人だったこの期間中、具体的に~~~の面で業務に支障や不都合がありまして、そこで今回、再び二人体制にしたいと思います。皆さんご同意お願いします。」
という説明をするのが筋です。

では、実際にどういう説明をしたのかを見てみましょう。

======【テキスト起こし】======
36:30~
鳥井田幸生議員
「全国に1,500か1,700かあります自治体でですね、人口73,000人の自治体の中でですね、二人副市長制を採っているところはありません。我々も、前回まで21人の議員でやっておりました。一人欠が出ました、死亡によってです。区長連合会から、それで十分できるじゃないかという指摘の下に、20人という形で4月12日の選挙を迎えました。私が感じるところは、先ほどから言ってますけど、『市長の補佐』『市長の補佐』『忙しい』と。過去ずっと、市長・副市長は1名体制でやってきたわけです。私は、それだけ業務が多くなったとは全く思っていません。逆に問いたい、能力不足ですか。捌けないんですか。補佐、補佐、言葉は良いです、しかし、市民は何なんでしょうか。この議会に対して20人という定数削減を求めています。執行部側は、頑としてそれを実行しようとしません。これは市民が望んでいる姿なんでしょうか。そのあたりを踏まえたところで、市長は、今回提案されたものですけど、どうなんでしょうか市長、そのあたりの考え方をお聞きしたいと思います。」
田中純市長
「お答え申し上げます。議員定数の問題と、副市長2名制とは、次元の全く違う議論だという具合に感じております。したがって、鳥井田議員の質問に対しては、次元の違う話だというお答えで申し上げさせていただきます。」

======【テキスト起こし】======

・・・これ、同意を求める人の答弁じゃないですよね。
こんな不誠実な説明をして、議員達が同意をすると思ったのでしょうか。
この田中純市長の議会軽視は今に始まったことではありませんが、これはひどい。

歳出の見直しは自治体に常に課されている至上命題であり、議会側は議員定数削減という形でひとつの成果を出しています。
これに対し、市長側は、副市長2名体制、人件費1,250万円増という施策を打ち出したわけです。市長の能力不足なのか、前にいた二人の副市長の能力不足なのか、市長が徒に業務量を増やして対処できなくなったからなのか、いずれにせよ1,250万円の人件費を投じるのですから、定数削減をし人件費抑制に努めた議会側と対比されるのは当然のことです。
「次元の違う話だ」と言うこの市長の頭の次元が低いと言わざるを得ません。

この市長の説明で、年間1,250万円、4年任期で5,000万円のヘッドハンティングにGOサインを出せる人が居たら、その人は金銭感覚が狂っています。
もし、この田中純市長が、
「議員おっしゃる通り、仕事の捌けない私の能力不足を補うために副市長が二人必要なので、是非ご理解ください。」
って言っていたら、まだ可愛げがあったんですけどね。

======【テキスト起こし】======
44:00~
瓦川由美議員
「市長にお尋ねをしたいと思いますが、今回の副市長に、どのようなことを要望し、どのようなことを期待をされているのかを教えていただきたいと思います。」
田中純市長
「お答え申し上げます。何度も先程来、えー執行部の方から答弁させていただいておりますけど、副市長職とは市長の補助機関ということで明確に法に定められております。つまり、市長を補助する機関でありますので、所管は、大雑把には所管は決めておりますけれども、具体的には、都度都度、まして今現在の我が行政当局の方はいわゆる縦割りをできるだけ排する形で、プロジェクトごと、あるいは全体を総括しながら俯瞰しながら問題を解決していく指針を基本的に強く持っているつもりでございますので、組織図に書いたとおりに全部縦割りでやっていくという考えは持っておりません。したがって、二人の副市長の間では、問題が起きた都度、どちらかの所管であると、この案件では6割一人の副市長で4割ぐらいのウエイトでもう一人の副市長ということがありえるわけでありまして、縦割りでルーティーン的にいけるところは縦割りで組織図のままで分担していただこうと思っておりますけど、問題によっては共同しながら、あるいは私も入れてもらって三者で共同しながらやっていくということでございます。」

======【テキスト起こし】======

「縦割りを排す」と言いながら、基本的には副市長二人に組織図にあるいくつかの部をそれぞれ分担させる、これは縦割りそのものですどうもありがとうございました。
副市長一人が全ての部の業務を総括・監督し、市長を補佐するのであれば、縦割りは排されることになります。ところが、副市長が二人いて組織図に沿った所管を有しているのであれば、問題が起きた都度、これはどちらの副市長が担当するかを調整しなければなりません。調整役の調整が必要になってきます。

年間1,250万円の人件費を費やして、一人の副市長の下に総括されていた市役所の業務をわざわざ縦に割るという愚挙。全国的に見て中小規模の自治体であれば副市長一人体制のところがほとんどであり、この自治体においても過去一人体制だったのですから、二人にしなければいけない明確な理由を市長は示すべきです。

「縦割りを排す → 副市長は二人必要」
という市長のロジックは破綻しています。
どうしても新しい人を副市長にしたいのなら、今いる副市長も解職して、新しい人で副市長一人体制を敷くべきです。

【部制の廃止】

話は変わりますが、行革に目を向けてみましょう。

『平成の大合併』の後、少子高齢化・人口減少社会を見据えて、多くの自治体で行政組織のスリム化、事務の効率化に取り組んできました。税収や地方交付税が減少しても自治体財政が持続できるよう、各自治体で様々な取組がされてきました。

その一つとして挙げられるのが、「部制の廃止」です。

○村上市 組織再編計画(案)(前期計画)
======【引用ここから】======
① 部制の廃止
行財政改革の計画期間である今後8年間の中で、356人の職員が定年退職し3割の補充に留めることから、全体で249人の減を予定しており、市の人口についても今後減少が予測される中で、組織規模、人口規模に見合った組織を作るため、また、いわゆる頭でっかちな組織を避けるためにも管理職を減らし、スリム化を図るために平成23年度から部制を廃止します。

======【引用ここまで】======

○銚子市 平成30年6月 市議会定例会 市長あいさつ
======【引用ここから】======
行政組織再編、部制から課制へ
 4月から部制から課制に移行し、市役所の組織が大きく変わりました。この議会から新たに答弁に加わる課長も多くいますが、よろしくお願い致します。課制移行に伴う効果と課題を検証しながら、組織改変の目的であるスピード感をもった意思決定、コミュニケーションの円滑化、業務の効率化、市民サービスの向上に繋げてまいります。

======【引用ここまで】======

多くの市町村では、市町村長、副市町村長の下に部、課、係という組織が置かれており、その中で

 部長 ー 課長 ー 係長 ー ヒラ職員

という職員の階層、稟議のラインが設定されています。
ここで、部という枠組みを無くしてしまえば、職員の階層が

 課長 ー 係長 ー ヒラ職員

とシンプルになり、稟議書に印鑑を押す人数が減るので意思決定がスムーズになります。また、部長は職員中で最も高給になっているのが常なので、このポストを廃止すればその分人件費の削減、抑制につながります。

【船頭多くして船山に上る】

話は行橋市に戻ります。

行橋市では部制を廃止した、かと言えばそうではありません。各部長ポストは健在。
しかも・・・

○平成30年6月第10回行橋市議会 定例会会議録(第1日)
======【引用ここから】======
 最初に、機構改革について、でございます。
本定例会に条例改正案を上程させていただいておりますが、8月に機構改革に着手したいと考えております。
 主な内容といたしましては、政策実現しやすい体制づくりのため、政策部署の充実を図るとともに、各種政策・各部間の調整役及びまとめ役も担う市長公室を新設する予定でございます。

======【引用ここまで】======

○行橋市事務分掌条例
============
(部の設置)
第2条 市の内部組織として、次に掲げる部を置く。
(1) 市長公室
(2) 総務部
(3) 市民部
(4) 福祉部
(5) 都市整備部
(6) 産業振興部
(7) 環境水道部

============

○行橋市職員の職の設置に関する規則
============
別表1 事務職員及び技術職員の職
 1 公室長及び部長

============

と、わざわざ、調整役・まとめ役の部を新設しているんです。
各部間の調整・まとめを行う市長公室の長を部長級ポストとして追加し、さらに、

○行橋市事務分掌条例施行規則
============
(役付職員)
第5条
4 前3項のほか、市長公室秘書課に市長が推進する政策に関する事務及び各部との調整を図る者として、政策調整監を置くことができる。

============

と、その下に調整役の役付職員を別枠で置いています。

各部を横断的に統括する副市長を二人置き、
各部のまとめ役の部長級ポストを新設し、
その下に各部との調整を図る役付職員を置く。

調整役ばかり、こんなに要らないでしょう?

村上市で問題視されていた、管理職の多い「頭でっかちな組織」そのものです。もし仮に、この副市長二人、市長公室長、政策調整監の仲が良くないなんて事になれば、銚子市長が言っていた「スピード感をもった意思決定、コミュニケーションの円滑化」を妨げることになってしまいます。「船頭多くして船山に登る」状態です。

※ちなみに、宮若市では、部制の廃止に伴い従来の部次長を調整監としています

二人目の副市長を置くことで追加費用1,250万円がかかっていますが、それだけでなく、この市長公室長と政策調整監の人件費も含めたら、田中純市長になってから追加で幾ら増えたことでしょう。

(以下、稲川淳二風に)

全国的にですね、人口が減るのだから職員数や施設数もそれに合わせて減らしていかなきゃいけないと、多くの自治体は合理化に取り組んでいたんです。
団塊世代の退職のタイミングに合わせて職員のポストも見直し、新規採用数も絞り、使用頻度の低い公共施設を廃止したり地元に払い下げたりして、固定費の削減に努めていたんです。

そんな中、真逆の方向に突っ走る自治体があったんです。
ポストを増やす、職員採用一次試験で受験者全員を合格させる、新規施設を建てる、おまけに民間の美術館を今のタイミングでわざわざ市営にしてたんです。
走る方向が逆なんです。

おかしいなー、逆の方向に走っていってるなー、そうしたら背中がぞぞぞーっときたんで、ふと振り返って見ると、その自治体の姿が見えないんです。

よく見ると、財政の崖から転落してたんです。
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