地方分権(地域主権)論とは、地域でできることは、地域が決定し実施するという考え方をいう。個人でできることは個人が決定して実施し、個人でできないことのうち地域でできるものに限って地域で実施するという、いわゆる補完性の原理に基づくものだ。個人の自己決定の範囲を超えた時に、初めて地方行政の出番となり、地方行政でも出来ない広域的なものに限って中央政府が行って良い、という地方分権論の論理であれば、中央政府を制約することができる。「小さな政府」に僅かでも近づくためのツールとして、私は地方分権論を支持してきた。
しかし、自治体や地方六団体、自治労の見解を見ていくと、どうも違う。
例えば、自治労栃木県本部が栃木県知事に出した要望書が、ホームページに掲載されている。その中身は・・・
○地方財政の充実・強化を求める要望書提出
=====【引用ここから】=====
1.政権交代により新たな予算編成となったことを踏まえ、自治体の予算編成に支障がないよう適宜、適切な情報提供を行うこと。
2.医療、福祉分野の人材確保をはじめとするセーフティネット対策の充実、農林水産業の再興、環境対策などの財政需要を的確に取り入れ、少なくとも、地方の一般財源総額について、2012年度の地方財政計画の水準を下回らないよう確保すること。
3.東日本大震災からの早期復興及び原発事故の抜本対策に必要な予算について、通常予算と別枠で確保すること。とくに、深刻化している被災自治体の人材確保対策を強化するとともに、職員派遣や採用に係る派遣元・派遣先自治体の財政支援を強化するため、2013年度以降も震災復興特別交付税等の財源措置をさらに拡充すること。
4.地方財政計画の給与関係経費・地方交付税の算定に当たっては、国家公務員の給与の臨時削減措置を反映させないこと。
5.大型補正予算などの今後予定される公共事業については、インフラの維持管理、更新など中長期的な視点で地域の必要性を踏まえ、事業の内容を精査し、対応すること。また、公共事業に係る財源措置については、過去の景気対策による債務を踏まえ、今後の自治体財政運営に支障が生じないよう地方への財政負担を慎むこと。
6.自動車取得税、自動車重量税の見直しについては、代替財源の確保を前提とすること。また、償却資産に対する固定資産税及びゴルフ場利用税については、市町村の貴重な税財源であるため、現行制度を堅持すること。
=====【引用ここまで】=====
また、地方六団体(知事会、市長会、町村長会、都道府県議長会、市議長会、町村議長会)の見解を見ると・・・
○平成25 年度地方財政対策・地方公務員給与についての共同声明
=====【引用ここから】=====
そもそも地方公務員の給与は、公平・中立な知見を踏まえつつ、議会や住民の意思に基づき地方が自主的に決定すべきものであり、国が地方公務員の給与削減を強制することは、地方自治の根幹に関わる問題である。ましてや、地方交付税を国の政策目的を達成するための手段として用いることは、地方の固有財源という性格を否定するものであり、断じて行うべきではない。
=====【引用ここまで】=====
長々と自治体側の主張が述べらている。
一言でまとめよう。
「国は地方に金をよこせ」
彼ら主流派の「地方分権」は、
「決定する権限は地方が持つ。国は、これを実施するための財源保障を行う責任を負う。」
というものだ。
ドラッカーの
「責任なき権限は専制であり、権限なき責任は無能である。」
という言葉を借りるなら、主流派の「地方分権」は「自治体の専制」である。
「地方分権」が盛んに言われながらも、中央政府の予算規模や規制は拡大してきた。中央主導で、消費税増税や、社会保険料率引き上げも行われた。
一方で、分権論に基づき自治立法論、自治体政策法務が展開され、自治体独自の無駄な事業も増えてきた。そして、自治体の首長、議員、職員は「自治体の専制」論を声高に唱えている。主流派の「地方分権」は中央政府に対する抑制・歯止めにはならなかった。中央政府は肥大化し、同時に、地方行政も「地方分権」を根拠に権限拡大していったのが、ここ数年の状況である。
「地方分権」が「小さな政府」を実現するためには全く使えないツールということであれば、「地方分権」を支持する理由はない。いっそのこと、自治体に予算編成権や条例制定権を持たせず中央集権化し、国の出先機関としてしまった方が、国・地方を合わせた行政の裁量権の総量を減らすことができるのではなかろうか。
出先機関であれば、企画、人事、法制、財務といった管理部門をフルセットで持つ必要はないし、出先機関で独自の議決機関を持つ必要もない。管理部門に従事する地方公務員数を大幅削減し、地方議員をゼロにできる。大幅な行政のスリム化が実現できる。
中央政府を制約しない「地方分権」は無用の長物。
「地方だから良い」ということにはならない。
中央政府であれ、地方行政であれ、結局のところは略奪のシステムでしかない。
しかし、自治体や地方六団体、自治労の見解を見ていくと、どうも違う。
例えば、自治労栃木県本部が栃木県知事に出した要望書が、ホームページに掲載されている。その中身は・・・
○地方財政の充実・強化を求める要望書提出
=====【引用ここから】=====
1.政権交代により新たな予算編成となったことを踏まえ、自治体の予算編成に支障がないよう適宜、適切な情報提供を行うこと。
2.医療、福祉分野の人材確保をはじめとするセーフティネット対策の充実、農林水産業の再興、環境対策などの財政需要を的確に取り入れ、少なくとも、地方の一般財源総額について、2012年度の地方財政計画の水準を下回らないよう確保すること。
3.東日本大震災からの早期復興及び原発事故の抜本対策に必要な予算について、通常予算と別枠で確保すること。とくに、深刻化している被災自治体の人材確保対策を強化するとともに、職員派遣や採用に係る派遣元・派遣先自治体の財政支援を強化するため、2013年度以降も震災復興特別交付税等の財源措置をさらに拡充すること。
4.地方財政計画の給与関係経費・地方交付税の算定に当たっては、国家公務員の給与の臨時削減措置を反映させないこと。
5.大型補正予算などの今後予定される公共事業については、インフラの維持管理、更新など中長期的な視点で地域の必要性を踏まえ、事業の内容を精査し、対応すること。また、公共事業に係る財源措置については、過去の景気対策による債務を踏まえ、今後の自治体財政運営に支障が生じないよう地方への財政負担を慎むこと。
6.自動車取得税、自動車重量税の見直しについては、代替財源の確保を前提とすること。また、償却資産に対する固定資産税及びゴルフ場利用税については、市町村の貴重な税財源であるため、現行制度を堅持すること。
=====【引用ここまで】=====
また、地方六団体(知事会、市長会、町村長会、都道府県議長会、市議長会、町村議長会)の見解を見ると・・・
○平成25 年度地方財政対策・地方公務員給与についての共同声明
=====【引用ここから】=====
そもそも地方公務員の給与は、公平・中立な知見を踏まえつつ、議会や住民の意思に基づき地方が自主的に決定すべきものであり、国が地方公務員の給与削減を強制することは、地方自治の根幹に関わる問題である。ましてや、地方交付税を国の政策目的を達成するための手段として用いることは、地方の固有財源という性格を否定するものであり、断じて行うべきではない。
=====【引用ここまで】=====
長々と自治体側の主張が述べらている。
一言でまとめよう。
「国は地方に金をよこせ」
彼ら主流派の「地方分権」は、
「決定する権限は地方が持つ。国は、これを実施するための財源保障を行う責任を負う。」
というものだ。
ドラッカーの
「責任なき権限は専制であり、権限なき責任は無能である。」
という言葉を借りるなら、主流派の「地方分権」は「自治体の専制」である。
「地方分権」が盛んに言われながらも、中央政府の予算規模や規制は拡大してきた。中央主導で、消費税増税や、社会保険料率引き上げも行われた。
一方で、分権論に基づき自治立法論、自治体政策法務が展開され、自治体独自の無駄な事業も増えてきた。そして、自治体の首長、議員、職員は「自治体の専制」論を声高に唱えている。主流派の「地方分権」は中央政府に対する抑制・歯止めにはならなかった。中央政府は肥大化し、同時に、地方行政も「地方分権」を根拠に権限拡大していったのが、ここ数年の状況である。
「地方分権」が「小さな政府」を実現するためには全く使えないツールということであれば、「地方分権」を支持する理由はない。いっそのこと、自治体に予算編成権や条例制定権を持たせず中央集権化し、国の出先機関としてしまった方が、国・地方を合わせた行政の裁量権の総量を減らすことができるのではなかろうか。
出先機関であれば、企画、人事、法制、財務といった管理部門をフルセットで持つ必要はないし、出先機関で独自の議決機関を持つ必要もない。管理部門に従事する地方公務員数を大幅削減し、地方議員をゼロにできる。大幅な行政のスリム化が実現できる。
中央政府を制約しない「地方分権」は無用の長物。
「地方だから良い」ということにはならない。
中央政府であれ、地方行政であれ、結局のところは略奪のシステムでしかない。