東洋大学において、学生が教授を批判する立て看板を立て、批判ビラを配った学生のニュースが紹介された。
そのビラの内容が、↓こちら。
○東洋大学生の竹中平蔵氏批判の背景にある若者の貧困とワーキングプア
======【引用ここから】======
竹中氏の過悪、その一つは大規模な規制緩和である。特に2003年の労働者派遣法の改悪がこの国にもたらしたものは大きい。それまで限定されていた業種が大幅に拡大されることで、この国には非正規雇用者が増大したのである。「正社員をなくせばいい」や「若者には貧しくなる自由がある」といった発言は、当時の世論を騒がせた。
======【引用ここまで】======
竹中平蔵氏は規制緩和をしたとして責められているが、私に言わせてもらえば、「規制緩和をし足りなかった」から竹中氏はダメなのだ。
「正社員をなくせばいい」と主張したのであれば、その正社員の身分保障の根幹を為す解雇規制を撤廃し解雇ルールの明確化を図る必要があったのだが、竹中氏はここに手を付けられなかった。
「規制緩和によって竹中の会社が不当な利益を得た」
と叫べば一時的に気分が晴れるかもしれないが、だからといってその規制緩和を元に戻したところで派遣労働に従事している人が正社員になれる訳ではない。
これは、獣医学部新設騒動でも同じ構図が見られた。
獣医学部の新設を文科省の告示レベルで全面禁止していた規制運用について、特区制度によって約50年ぶりに1校の新設が認められた。
これに対し、野党やその支持者は
「首相がお友達を優遇した」
という非難を長期間にわたって行い、規制緩和を批判した。
強固な規制がかけられている分野においては、部分的に規制を緩和したことによって利益誘導の構図が生じる場合がある。
だからといって、
「規制緩和によって悪くなった。だから緩和前の規制は正しい」
ということにはならない。
一部分を規制緩和したことで生じた一部の者への利益誘導を解消するために最も有効なのは、規制の巻き戻しではなく、規制の全廃である。
規制緩和を否定して元の規制に戻したら、新規参入を防ぐことで以前からの既得権益層の地位の安泰が図られるという、いつもの構図が復活するだけである。
若者の貧困は、中高年正社員が居座っているために正社員の椅子が空かないことが原因の一つ。
中高年正社員という既得権益層が解雇規制で守られており、若年層労働者の新規参入の道が狭められている。
正社員になれなかった者が、不本意非正規労働者となっている。
大企業や官公庁においては特にそうなのだが、明らかな能力不足や適性の無さが認められても、正社員を解雇するのは大変な困難を伴う。
たとえば。
Aさんは派遣社員だったとしよう。
Aさんの仕事ぶりが大変高く評価され、派遣先の職場の課長が
「派遣社員A君は、若くてやる気もあって仕事の覚えも早い。他の正社員と比べて半分位の賃金でやってくれていた彼の働きに報いたい。機会があれば派遣から正社員にしたい。」
と考えている。
しかし、そこから先に話を進めるのは困難だ。
この課長は、同時に
「・・・でも、うちの職場には、50代半ばの正社員がゴロゴロいる。彼らのクビを切ることは事実上不可能に近い。さほど能力もないのに、年功賃金で単価ばかり上昇した彼らを抱えながら、並行して派遣社員A君を正社員にしたら、将来、不景気になった時に人件費で会社の経営を圧迫することになる。そうなれば、私の管理者としての責任を問われかねない。」
と考え、A君正社員化の案は課長の思い付きレベルで消えてしまう。
正社員化を阻んでいるのは、労働者派遣法ではない。
原因は、正社員を容易には解雇できないという、労働組合と裁判所が作り上げた雇用慣行にある。
「3年ルール」期限迫り、派遣切りの相談続々 直接雇用に壁 - 産経ニュース
======【引用ここから】======
同会議の小野順子弁護士は「法改正で派遣労働者が次々と切られている実態がある。改正前より身分が不安定になり、雇用安定に全然つながっていない」と指摘する。
======【引用ここまで】======
派遣3年無期転換ルールが施行され、3年が経過した。
3年経過の直前になって、正社員になれるどころか、派遣先から切られてしまったのだ。
企業にとって、解雇規制に守られる正社員を抱えることは高いリスクになっている。
立法者の意図もむなしく、正社員化は進まなかった。
規制を強化して安定雇用を増やそうとした立法者の意図とは逆に、派遣社員を更なる不安定な環境に陥れてしまうという皮肉な結果になった。
立法者は、冒頭の東洋大生と同様、なぜ非正規雇用が増えたのかという原因を見誤っていた。
非正規雇用から正社員への転換を推し進めよう、という善意からの規制が、実際は非正規雇用の更なる不安定化を進めてしまう。
こうしたことは規制全般に言える。
まさに「地獄への道は善意で舗装されている」だ。
冒頭の東洋大生は、そのビラの中で、
「2003年の労働者派遣法の改悪がこの国にもたらしたものは大きい。それまで限定されていた業種が大幅に拡大されることで、この国には非正規雇用者が増大したのである」
と述べているが、この因果関係は本当だろうか?
冒頭の記事中にリンクの貼られている厚労省資料によると、
○平成14年(2002年)
非正規労働者数 1451万人
派遣労働者数 43万人
○平成29年(2017年)
非正規労働者数 2036万人
派遣労働者数 134万人
15年間で、非正規労働者数が約580万人増えているが、うち、派遣労働者数の増加は約90万人。
2003年の労働者派遣法改正だけでは、非正規労働者の増加は説明がつかない。
それ以前も以後も、非正規労働者の数は上昇し続けている。
もし労働者派遣法がなかったら、この間に派遣労働者になった90万人が正社員になれていたとは考えにくい。
それよりも、他の契約社員やアルバイト、パートになっていて、2036万人という非正規労働者総数に変わりは無かったのではないか。
この東洋大学生は、純粋に竹中氏の経済政策を批判しようとして立て看板を立ててビラを撒いたのかというと、100%そうという訳でもなさそうだ。
竹中氏批判の東洋大学生語る「組織の問題を指摘」(日刊スポーツ) - Yahoo!ニュース
======【引用ここから】======
船橋さんは授業前の21日午前9時に「竹中平蔵による授業反対!」と書いた立て看板を校内に立て、ビラを配るなどしたが、10分後に大学の関係者に撤去され、学生課の男性職員4、5人に2時間半にわたって事情聴取された。
~~~~~~(中略)~~~~~~
船橋さんは今回の行動を起こした要因として、国際化を進め14年に文部科学省からスーパーグローバル大学に認定され、竹中氏が教授に就任した16年以降、さらに国際化を加速した大学側が、1887年(明20)に「哲学館」として開学した際から専門分野にしてきた、哲学科を統合再編するなど縮小に向かったことへの疑問があったと語った。
======【引用ここまで】======
大学において、自分の専門とする哲学分野の予算や人員が圧迫されたという、私憤の方も大きいようだ。
その意図は非正規雇用の問題を訴えたかったところにあるのか、実は自分が属する哲学科縮小を嘆いたものだったのか。
いずれにせよ、校舎や敷地を所有する大学の財産権に抵触しない範囲において、大いに主張したらよい。
ただ残念なのは、その理解の浅さと、「竹中平蔵による授業反対!」という主張。
折角竹中氏の授業があるのだから、授業そのものに反対するのではなく、その講義を聴いた上で氏の経済政策や考え方について反論を展開すれば良かったのではないか。
これが学問というものだ。
そのビラの内容が、↓こちら。
○東洋大学生の竹中平蔵氏批判の背景にある若者の貧困とワーキングプア
======【引用ここから】======
竹中氏の過悪、その一つは大規模な規制緩和である。特に2003年の労働者派遣法の改悪がこの国にもたらしたものは大きい。それまで限定されていた業種が大幅に拡大されることで、この国には非正規雇用者が増大したのである。「正社員をなくせばいい」や「若者には貧しくなる自由がある」といった発言は、当時の世論を騒がせた。
======【引用ここまで】======
竹中平蔵氏は規制緩和をしたとして責められているが、私に言わせてもらえば、「規制緩和をし足りなかった」から竹中氏はダメなのだ。
「正社員をなくせばいい」と主張したのであれば、その正社員の身分保障の根幹を為す解雇規制を撤廃し解雇ルールの明確化を図る必要があったのだが、竹中氏はここに手を付けられなかった。
「規制緩和によって竹中の会社が不当な利益を得た」
と叫べば一時的に気分が晴れるかもしれないが、だからといってその規制緩和を元に戻したところで派遣労働に従事している人が正社員になれる訳ではない。
これは、獣医学部新設騒動でも同じ構図が見られた。
獣医学部の新設を文科省の告示レベルで全面禁止していた規制運用について、特区制度によって約50年ぶりに1校の新設が認められた。
これに対し、野党やその支持者は
「首相がお友達を優遇した」
という非難を長期間にわたって行い、規制緩和を批判した。
強固な規制がかけられている分野においては、部分的に規制を緩和したことによって利益誘導の構図が生じる場合がある。
だからといって、
「規制緩和によって悪くなった。だから緩和前の規制は正しい」
ということにはならない。
一部分を規制緩和したことで生じた一部の者への利益誘導を解消するために最も有効なのは、規制の巻き戻しではなく、規制の全廃である。
規制緩和を否定して元の規制に戻したら、新規参入を防ぐことで以前からの既得権益層の地位の安泰が図られるという、いつもの構図が復活するだけである。
【雇用問題における既得権益と参入規制】
さて。若者の貧困は、中高年正社員が居座っているために正社員の椅子が空かないことが原因の一つ。
中高年正社員という既得権益層が解雇規制で守られており、若年層労働者の新規参入の道が狭められている。
正社員になれなかった者が、不本意非正規労働者となっている。
大企業や官公庁においては特にそうなのだが、明らかな能力不足や適性の無さが認められても、正社員を解雇するのは大変な困難を伴う。
たとえば。
Aさんは派遣社員だったとしよう。
Aさんの仕事ぶりが大変高く評価され、派遣先の職場の課長が
「派遣社員A君は、若くてやる気もあって仕事の覚えも早い。他の正社員と比べて半分位の賃金でやってくれていた彼の働きに報いたい。機会があれば派遣から正社員にしたい。」
と考えている。
しかし、そこから先に話を進めるのは困難だ。
この課長は、同時に
「・・・でも、うちの職場には、50代半ばの正社員がゴロゴロいる。彼らのクビを切ることは事実上不可能に近い。さほど能力もないのに、年功賃金で単価ばかり上昇した彼らを抱えながら、並行して派遣社員A君を正社員にしたら、将来、不景気になった時に人件費で会社の経営を圧迫することになる。そうなれば、私の管理者としての責任を問われかねない。」
と考え、A君正社員化の案は課長の思い付きレベルで消えてしまう。
正社員化を阻んでいるのは、労働者派遣法ではない。
原因は、正社員を容易には解雇できないという、労働組合と裁判所が作り上げた雇用慣行にある。
【善意の規制強化は裏目に出る】
これは、派遣3年無期転換のルールにより正社員化が進むどころか、派遣契約が切られてしまうという現実により裏付けられている。「3年ルール」期限迫り、派遣切りの相談続々 直接雇用に壁 - 産経ニュース
======【引用ここから】======
同会議の小野順子弁護士は「法改正で派遣労働者が次々と切られている実態がある。改正前より身分が不安定になり、雇用安定に全然つながっていない」と指摘する。
======【引用ここまで】======
派遣3年無期転換ルールが施行され、3年が経過した。
3年経過の直前になって、正社員になれるどころか、派遣先から切られてしまったのだ。
企業にとって、解雇規制に守られる正社員を抱えることは高いリスクになっている。
立法者の意図もむなしく、正社員化は進まなかった。
規制を強化して安定雇用を増やそうとした立法者の意図とは逆に、派遣社員を更なる不安定な環境に陥れてしまうという皮肉な結果になった。
立法者は、冒頭の東洋大生と同様、なぜ非正規雇用が増えたのかという原因を見誤っていた。
非正規雇用から正社員への転換を推し進めよう、という善意からの規制が、実際は非正規雇用の更なる不安定化を進めてしまう。
こうしたことは規制全般に言える。
まさに「地獄への道は善意で舗装されている」だ。
【数字を確認】
さてさて。冒頭の東洋大生は、そのビラの中で、
「2003年の労働者派遣法の改悪がこの国にもたらしたものは大きい。それまで限定されていた業種が大幅に拡大されることで、この国には非正規雇用者が増大したのである」
と述べているが、この因果関係は本当だろうか?
冒頭の記事中にリンクの貼られている厚労省資料によると、
○平成14年(2002年)
非正規労働者数 1451万人
派遣労働者数 43万人
○平成29年(2017年)
非正規労働者数 2036万人
派遣労働者数 134万人
15年間で、非正規労働者数が約580万人増えているが、うち、派遣労働者数の増加は約90万人。
2003年の労働者派遣法改正だけでは、非正規労働者の増加は説明がつかない。
それ以前も以後も、非正規労働者の数は上昇し続けている。
もし労働者派遣法がなかったら、この間に派遣労働者になった90万人が正社員になれていたとは考えにくい。
それよりも、他の契約社員やアルバイト、パートになっていて、2036万人という非正規労働者総数に変わりは無かったのではないか。
【立て看板東洋大生の意図はどこにあったのか】
さてさてさて。この東洋大学生は、純粋に竹中氏の経済政策を批判しようとして立て看板を立ててビラを撒いたのかというと、100%そうという訳でもなさそうだ。
竹中氏批判の東洋大学生語る「組織の問題を指摘」(日刊スポーツ) - Yahoo!ニュース
======【引用ここから】======
船橋さんは授業前の21日午前9時に「竹中平蔵による授業反対!」と書いた立て看板を校内に立て、ビラを配るなどしたが、10分後に大学の関係者に撤去され、学生課の男性職員4、5人に2時間半にわたって事情聴取された。
~~~~~~(中略)~~~~~~
船橋さんは今回の行動を起こした要因として、国際化を進め14年に文部科学省からスーパーグローバル大学に認定され、竹中氏が教授に就任した16年以降、さらに国際化を加速した大学側が、1887年(明20)に「哲学館」として開学した際から専門分野にしてきた、哲学科を統合再編するなど縮小に向かったことへの疑問があったと語った。
======【引用ここまで】======
大学において、自分の専門とする哲学分野の予算や人員が圧迫されたという、私憤の方も大きいようだ。
その意図は非正規雇用の問題を訴えたかったところにあるのか、実は自分が属する哲学科縮小を嘆いたものだったのか。
いずれにせよ、校舎や敷地を所有する大学の財産権に抵触しない範囲において、大いに主張したらよい。
ただ残念なのは、その理解の浅さと、「竹中平蔵による授業反対!」という主張。
折角竹中氏の授業があるのだから、授業そのものに反対するのではなく、その講義を聴いた上で氏の経済政策や考え方について反論を展開すれば良かったのではないか。
これが学問というものだ。