規制緩和は間違いだった。
企業の勝手に任せていてはいけない。
自由市場に歯止めをかけなければいけない。
自由→格差拡大→貧困増大→不幸な社会。
サブプライム問題、リーマンショックは市場の暴走が原因。
市場という得体の知れないものを、選挙で選ばれた代表を通じて国民が統御していく必要がある。みんなにとって望ましい方向へ統御できるはずだ。
こんな意見は非常に根強い。
リバタリアン、自由至上主義者と呼ばれる人たちの間でも、
「小さな政府、制限された政府は可能でも、無政府資本主義は無理」
と言う人もいる。
自由=市場に対する信頼は、人それぞれ。大きな政府であれ、小さな政府であれ、何らかの形で政府は必要だと考える人が圧倒的多数だろう。やっぱ、無政府資本主義は不可能なのか・・・?
と、諦めてしまうのはまだ早い。
意外にも、日本国内に良い例が転がっていた(テレビからのネタで恐縮)。
○カンブリア宮殿:テレビ東京 不況でも売れ続ける驚異のディベロッパー~成長する街づくりビジネス~
1962年に入居が始まった千里ニュータウン、1971年に入居が始まった多摩ニュータウン。高度成長の時代、人々が希望に胸を膨らませ新都市計画が遂行された。あれから40年・・・。今や限界集落となってしまったニュータウンも少なくない。高度成長期に一斉に入居した住民は一斉に高齢化し、子供世代は新たな土地へと巣立っていた。
その結果、町は老人たちばかりが住むゴーストタウンと化してしまった。
そんな中、一線を画するのは、千葉県佐倉市にあるユーカリが丘ニュータウンだ。
1979年の入居開始以来、街は発展を続けており、人口も増え続けている。さらに高齢化率は全国平均の22%を下回る17%。今も若年層の入居希望者が後を絶たない。
売ってしまえば撤退が常識のディベロッパー業界にあって245ha(東京ドーム52個分)もの広大な土地を「発展し続ける街」として40年経った今日も、家やマンションが売れ続けるこの町、行政ではなく、いち民間企業、山万が作り上げた。
実は、山万は鉄道、学校、老人ホームなど住民の生活に必要なインフラを自前で作ってきたのだ。ニュータウン内を走る新交通も自前で運営、警備会社も自前、来客が泊まれるように作ったホテルも、温泉スパのあるレジャーセンター、保育所なども全て自前で運営している。さらには、学校も自前で建築し市に寄付、県内最大規模の映画館やスーパーなども全て、山万が建物を貸与し、誘致してきた。
既存の政府、既存の行政、既存の法体系の中でという制約はあるものの、かなりリバタリアンの理想に近いものが出来あがっている、と思う。もし既存の法規制の縛りがなければ、この企業は自前で建設した学校を市に寄付することなく自前で運営したであろうし、自前の警備会社が警察の機能を果たすようになるだろう。(警備会社が警察となるには、質的なハードルがあるだろうけど)
経済学の「市場の失敗」として、規模の経済による独占、外部経済・不経済、公共財の提供、情報の非対称性ということが言われる。このユーカリが丘の例は「市場の失敗」をかなり解決できているだろうと思う。(情報の非対称性は・・ダメかな?)
さて。
山万は、住宅と、諸々のサービスをセット販売することで長期的に利益を上げている。地域内のインフラ整備、公共財の提供を民間企業が行っている。行っていることは地方公共団体と似ている。似ているが、違う。上記HPにあるとおり「行政では決してできない民間企業の街づくり」なのだ。
地方公共団体の場合、法律にも書いてあるように、「公共の福祉」の向上が最終目的とされている。公共の福祉、住民福祉の向上はあくまでも目的であって、悪く言えば絵にかいた餅。目標として掲げているだけでは、食えない。餅を食えるようにしなくても、誰も首にならない。餅が絵のままでも役所は潰れない。餅が食えるようになったかどうかは誰にも分からない。
一方、企業である山万にとって、住民の利便性の向上は最終目的ではない。
インフラ整備・公共財の提供→住民の利便性の向上→長期的な販売継続→売上確保
と、住民の利便性の向上は目的達成のための手段であり、目的はあくまで売上確保。魅力ある街づくりに失敗すれば、売上が減り、給料は下がり、下手をすれば倒産するだろう。そして、売上がその年にどれくらいだったかは、誰が見ても分かる。
公共の福祉が最終目的とされていても、公共の福祉が向上するとは限らない。絵にかいた餅は形式化し、福祉は向上するどころか減退するだろう。一方、福祉の向上を手段の一つとして捉え、目的を売上確保というところに設定していると、そこにインセンティブが働く。私的な利益であっても、長期的にこれを実現しようとすると、結果としてみんなの利益となる。「私悪すなわち公益」だ。
良いことだらけのように見える、山万のユーカリが丘。強いて問題を挙げるとすれば、こうしたビジネスモデルを実行する企業が少ないことだろうか。でも、数が少ないからと嘆いてはいけない。「アナルコ・キャピタリズムへの道も一歩から」だ。
企業の勝手に任せていてはいけない。
自由市場に歯止めをかけなければいけない。
自由→格差拡大→貧困増大→不幸な社会。
サブプライム問題、リーマンショックは市場の暴走が原因。
市場という得体の知れないものを、選挙で選ばれた代表を通じて国民が統御していく必要がある。みんなにとって望ましい方向へ統御できるはずだ。
こんな意見は非常に根強い。
リバタリアン、自由至上主義者と呼ばれる人たちの間でも、
「小さな政府、制限された政府は可能でも、無政府資本主義は無理」
と言う人もいる。
自由=市場に対する信頼は、人それぞれ。大きな政府であれ、小さな政府であれ、何らかの形で政府は必要だと考える人が圧倒的多数だろう。やっぱ、無政府資本主義は不可能なのか・・・?
と、諦めてしまうのはまだ早い。
意外にも、日本国内に良い例が転がっていた(テレビからのネタで恐縮)。
○カンブリア宮殿:テレビ東京 不況でも売れ続ける驚異のディベロッパー~成長する街づくりビジネス~
1962年に入居が始まった千里ニュータウン、1971年に入居が始まった多摩ニュータウン。高度成長の時代、人々が希望に胸を膨らませ新都市計画が遂行された。あれから40年・・・。今や限界集落となってしまったニュータウンも少なくない。高度成長期に一斉に入居した住民は一斉に高齢化し、子供世代は新たな土地へと巣立っていた。
その結果、町は老人たちばかりが住むゴーストタウンと化してしまった。
そんな中、一線を画するのは、千葉県佐倉市にあるユーカリが丘ニュータウンだ。
1979年の入居開始以来、街は発展を続けており、人口も増え続けている。さらに高齢化率は全国平均の22%を下回る17%。今も若年層の入居希望者が後を絶たない。
売ってしまえば撤退が常識のディベロッパー業界にあって245ha(東京ドーム52個分)もの広大な土地を「発展し続ける街」として40年経った今日も、家やマンションが売れ続けるこの町、行政ではなく、いち民間企業、山万が作り上げた。
実は、山万は鉄道、学校、老人ホームなど住民の生活に必要なインフラを自前で作ってきたのだ。ニュータウン内を走る新交通も自前で運営、警備会社も自前、来客が泊まれるように作ったホテルも、温泉スパのあるレジャーセンター、保育所なども全て自前で運営している。さらには、学校も自前で建築し市に寄付、県内最大規模の映画館やスーパーなども全て、山万が建物を貸与し、誘致してきた。
既存の政府、既存の行政、既存の法体系の中でという制約はあるものの、かなりリバタリアンの理想に近いものが出来あがっている、と思う。もし既存の法規制の縛りがなければ、この企業は自前で建設した学校を市に寄付することなく自前で運営したであろうし、自前の警備会社が警察の機能を果たすようになるだろう。(警備会社が警察となるには、質的なハードルがあるだろうけど)
経済学の「市場の失敗」として、規模の経済による独占、外部経済・不経済、公共財の提供、情報の非対称性ということが言われる。このユーカリが丘の例は「市場の失敗」をかなり解決できているだろうと思う。(情報の非対称性は・・ダメかな?)
さて。
山万は、住宅と、諸々のサービスをセット販売することで長期的に利益を上げている。地域内のインフラ整備、公共財の提供を民間企業が行っている。行っていることは地方公共団体と似ている。似ているが、違う。上記HPにあるとおり「行政では決してできない民間企業の街づくり」なのだ。
地方公共団体の場合、法律にも書いてあるように、「公共の福祉」の向上が最終目的とされている。公共の福祉、住民福祉の向上はあくまでも目的であって、悪く言えば絵にかいた餅。目標として掲げているだけでは、食えない。餅を食えるようにしなくても、誰も首にならない。餅が絵のままでも役所は潰れない。餅が食えるようになったかどうかは誰にも分からない。
一方、企業である山万にとって、住民の利便性の向上は最終目的ではない。
インフラ整備・公共財の提供→住民の利便性の向上→長期的な販売継続→売上確保
と、住民の利便性の向上は目的達成のための手段であり、目的はあくまで売上確保。魅力ある街づくりに失敗すれば、売上が減り、給料は下がり、下手をすれば倒産するだろう。そして、売上がその年にどれくらいだったかは、誰が見ても分かる。
公共の福祉が最終目的とされていても、公共の福祉が向上するとは限らない。絵にかいた餅は形式化し、福祉は向上するどころか減退するだろう。一方、福祉の向上を手段の一つとして捉え、目的を売上確保というところに設定していると、そこにインセンティブが働く。私的な利益であっても、長期的にこれを実現しようとすると、結果としてみんなの利益となる。「私悪すなわち公益」だ。
良いことだらけのように見える、山万のユーカリが丘。強いて問題を挙げるとすれば、こうしたビジネスモデルを実行する企業が少ないことだろうか。でも、数が少ないからと嘆いてはいけない。「アナルコ・キャピタリズムへの道も一歩から」だ。