若年寄の遺言

リバタリアンとしての主義主張が、税消費者という立場を直撃するブーメランなブログ。面従腹背な日々の書き物置き場。

アナルコ・キャピタリズムの芽

2010年09月15日 | 政治
規制緩和は間違いだった。
企業の勝手に任せていてはいけない。
自由市場に歯止めをかけなければいけない。
自由→格差拡大→貧困増大→不幸な社会。
サブプライム問題、リーマンショックは市場の暴走が原因。
市場という得体の知れないものを、選挙で選ばれた代表を通じて国民が統御していく必要がある。みんなにとって望ましい方向へ統御できるはずだ。


こんな意見は非常に根強い。

リバタリアン、自由至上主義者と呼ばれる人たちの間でも、
「小さな政府、制限された政府は可能でも、無政府資本主義は無理」
と言う人もいる。

自由=市場に対する信頼は、人それぞれ。大きな政府であれ、小さな政府であれ、何らかの形で政府は必要だと考える人が圧倒的多数だろう。やっぱ、無政府資本主義は不可能なのか・・・?



と、諦めてしまうのはまだ早い。
意外にも、日本国内に良い例が転がっていた(テレビからのネタで恐縮)。



○カンブリア宮殿:テレビ東京 不況でも売れ続ける驚異のディベロッパー~成長する街づくりビジネス~
1962年に入居が始まった千里ニュータウン、1971年に入居が始まった多摩ニュータウン。高度成長の時代、人々が希望に胸を膨らませ新都市計画が遂行された。あれから40年・・・。今や限界集落となってしまったニュータウンも少なくない。高度成長期に一斉に入居した住民は一斉に高齢化し、子供世代は新たな土地へと巣立っていた。
その結果、町は老人たちばかりが住むゴーストタウンと化してしまった。
そんな中、一線を画するのは、千葉県佐倉市にあるユーカリが丘ニュータウンだ。
1979年の入居開始以来、街は発展を続けており、人口も増え続けている。さらに高齢化率は全国平均の22%を下回る17%。今も若年層の入居希望者が後を絶たない。
売ってしまえば撤退が常識のディベロッパー業界にあって245ha(東京ドーム52個分)もの広大な土地を「発展し続ける街」として40年経った今日も、家やマンションが売れ続けるこの町、行政ではなく、いち民間企業、山万が作り上げた。
実は、山万は鉄道、学校、老人ホームなど住民の生活に必要なインフラを自前で作ってきたのだ。ニュータウン内を走る新交通も自前で運営、警備会社も自前、来客が泊まれるように作ったホテルも、温泉スパのあるレジャーセンター、保育所なども全て自前で運営している。さらには、学校も自前で建築し市に寄付、県内最大規模の映画館やスーパーなども全て、山万が建物を貸与し、誘致してきた。



既存の政府、既存の行政、既存の法体系の中でという制約はあるものの、かなりリバタリアンの理想に近いものが出来あがっている、と思う。もし既存の法規制の縛りがなければ、この企業は自前で建設した学校を市に寄付することなく自前で運営したであろうし、自前の警備会社が警察の機能を果たすようになるだろう。(警備会社が警察となるには、質的なハードルがあるだろうけど)

経済学の「市場の失敗」として、規模の経済による独占、外部経済・不経済、公共財の提供、情報の非対称性ということが言われる。このユーカリが丘の例は「市場の失敗」をかなり解決できているだろうと思う。(情報の非対称性は・・ダメかな?)


さて。

山万は、住宅と、諸々のサービスをセット販売することで長期的に利益を上げている。地域内のインフラ整備、公共財の提供を民間企業が行っている。行っていることは地方公共団体と似ている。似ているが、違う。上記HPにあるとおり「行政では決してできない民間企業の街づくり」なのだ。

地方公共団体の場合、法律にも書いてあるように、「公共の福祉」の向上が最終目的とされている。公共の福祉、住民福祉の向上はあくまでも目的であって、悪く言えば絵にかいた餅。目標として掲げているだけでは、食えない。餅を食えるようにしなくても、誰も首にならない。餅が絵のままでも役所は潰れない。餅が食えるようになったかどうかは誰にも分からない。

一方、企業である山万にとって、住民の利便性の向上は最終目的ではない。

インフラ整備・公共財の提供→住民の利便性の向上→長期的な販売継続→売上確保

と、住民の利便性の向上は目的達成のための手段であり、目的はあくまで売上確保。魅力ある街づくりに失敗すれば、売上が減り、給料は下がり、下手をすれば倒産するだろう。そして、売上がその年にどれくらいだったかは、誰が見ても分かる。

公共の福祉が最終目的とされていても、公共の福祉が向上するとは限らない。絵にかいた餅は形式化し、福祉は向上するどころか減退するだろう。一方、福祉の向上を手段の一つとして捉え、目的を売上確保というところに設定していると、そこにインセンティブが働く。私的な利益であっても、長期的にこれを実現しようとすると、結果としてみんなの利益となる。「私悪すなわち公益」だ。


良いことだらけのように見える、山万のユーカリが丘。強いて問題を挙げるとすれば、こうしたビジネスモデルを実行する企業が少ないことだろうか。でも、数が少ないからと嘆いてはいけない。「アナルコ・キャピタリズムへの道も一歩から」だ。
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稲刈りシーズンの農業ネタ ~やっぱり規制では何も解決できない~

2010年09月14日 | 政治
1町≒1haの田で米を作ると、およそ90万円の収入になる。
(計算の内訳は、↓こちらに書いたものを見てください)
○農村を動かす原動力は、農業生産にあらず - 若年寄の遺言


一方、福岡県内の町村における平均地価は、1平方メートルあたり27,800円。

○福岡県地価調査の概要 市区町村別平均価格・平均変動率表(用途別)

1町≒1ha=10,000平方メートルのお値段は、2億7800万円。

1町の田の稲作収入で2億7800万円稼ぎ出そうとすると、300年以上かかる。しかも、ただ黙って見ているだけでは稲は育たない。苗床づくり、田おこし、代かき、肥料やり、田植え、草刈り、除草剤撒き、水あて、稲刈り、籾すり・・・と、3月から9月まで、肉体労働が目白押し。

300年、何代にもわたって肉体労働をして2億7800万円稼ぐのが良いか。それとも、売り払って2億7800万円を手にするのが良いか。

「農業、米作りは銭勘定じゃない!」と怒られるかもしれない。確かにそうだ。植物を育てる喜び。自分で育てたものを自分で食べる喜び。先祖代々の田を守り受け継ぐ義務感。郷土愛。地域とのつながり。

でも、こうした感情は全ての人が共通して持っているわけではない。年間のうち7カ月にもわたる肉体労働。にもかかわらず、収入は90万円。米作りのノスタルジーを、肉体労働のきつさ・収入の低さからくる不満が上回ったとき、故郷に田があるということは心理的な負担・負債となる。

農村で生まれ、都会の学校に行き、都会で就職した人というのは多いだろう。就職してから40年間、経理や営業、企画、研究開発をやって収入を得ていたような人が、退職して故郷へ戻る。年老いた父から、60歳を過ぎて米作りを習う。そこで直面するのが、肉体労働のきつさ、低収入。おまけに、訳の分からない農家のしきたりや村の寄合もある。農機具が壊れて買い換えようとすれば、すぐ100万円、200万円とかかる。この人にとって、故郷の田が負担、負債となるのに時間はかからない。

もし、宅地開発業者が「お宅の田を売ってくれませんか?」と言ってきたら、「渡りに船!」とばかりに売り払うだろう。しかし、ゾーニング規制で宅地転用が禁止されたら、そうした活用の道は閉ざされる。いずれ、「年金も一応あるし、退職金もある。老後の生活はどうにかなる。きつい思いをしてまで田を作る必要なんてあるか!」と、耕作放棄地になるのがオチだろう。

心理的・肉体的・経済的負担の総合が、心理的・肉体的・経済的利益の総合を上回った時、放棄される。耕作放棄と育児放棄、その構造は似ているかもしれない。

(育児放棄、虐待に関しては、
○Libertarianism Japan Project
でさかんに議論されているので、是非こちらをご覧ください)

放棄されるのが良いか、それとも何らかの形で活用されるのが良いか。
放棄されることを食い止めるために、どれだけのコストがかかるか。
そもそも、放棄されることを役所の手法で食い止めることはできるのか。
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阿久根実験場 ~ 職員を組合から脱退させてみよう ~

2010年09月14日 | 労働組合
○地方公務員法第52条第3項
 職員は、職員団体を結成し、若しくは結成せず、又はこれに加入し、若しくは加入しないことができる。ただし、重要な行政上の決定を行う職員、重要な行政上の決定に参画する管理的地位にある職員、職員の任免に関して直接の権限を持つ監督的地位にある職員、職員の任免、分限、懲戒若しくは服務、職員の給与その他の勤務条件又は職員団体との関係についての当局の計画及び方針に関する機密の事項に接し、そのためにその職務上の義務と責任とが職員団体の構成員としての誠意と責任とに直接に抵触すると認められる監督的地位にある職員その他職員団体との関係において当局の立場に立つて遂行すべき職務を担当する職員(以下「管理職員等」という。)と管理職員等以外の職員とは、同一の職員団体を組織することができず、管理職員等と管理職員等以外の職員とが組織する団体は、この法律にいう「職員団体」ではない。





長いよね。

読む気しないよね。

ざっくり噛み砕くと・・・

「一定の管理部門の職員は、労組に加入できません。一定の管理部門の職員が入った団体は、労組として認めません。」

ということだ。
んで、この対象となる「一定の管理部門の職員」(法律上は「管理職員等」)は具体的に何かというと・・・


○地方公務員法第52条第4項
 前項ただし書に規定する管理職員等の範囲は、人事委員会規則又は公平委員会規則で定める。



ということで、だいたいどこの自治体でも『管理職員等の範囲を定める規則』というものを定めて、そこで具体的な範囲を決めている。自治体ごとに範囲は異なるのだが、「管理職員等」に該当するものとして定められているのはおよそ次の3パターン。

1.課長級以上全て、一定部署の係長級
2.課長級以上全て、一定部署の係長級、人事担当の一般職員
3.課長級以上全て、一定部署の係長級、人事・財政・法規・秘書・企画調整担当の一般職員

組合と当局とは、それぞれの立場と利害がある。ところが、「組合員で給与担当職員」や「組合員で財政担当職員」がいたらどうなるか。この人はどちらの立場で発言すべきだろうか。組合員として給与アップを主張すべきか。それとも当局側として給与抑制を主張すべきか。

職務に忠実であれば、「あいつは組合に冷たい」と他の組合員から陰口を叩かれる。
組合活動に熱心な者は、その熱心さが職務遂行の妨げになる。

あちらを立てればこちらが立たず。双方代理における利益相反と似ている。だからこそ、地方公務員法は「職務上の義務と責任とが職員団体の構成員としての誠意と責任とに直接に抵触する」者が労組に入ることを認めていない。

ただ、これだけだと誰が労組に入れないかがハッキリしないので、規則で具体的に定めるよう地方公務員法は要求している。職務上の責任と組合員としての責任が抵触すると考えられる者を、それぞれの自治体ごとにリストアップしておいてね、ってことだ。


さて。


阿久根市の『管理職員等の範囲を定める規則』を見てみると、上記のパターン2に近い。これを、阿久根市の副市長は「パターン3の一般職員についても、組合を脱退するように!」と言ったわけだ。現行の規則のまま、組合加入を理由に総務・企画・財政課の職員を他へ異動させたら、地方公務員法に抵触するだろう(阿久根市が今さら、地方公務員法違反を気にするとは思えないがw)。

ただ、ニュースをいろいろ読むと、年度末の組織改編に向けて組合と交渉していく一方で、公平委員会規則の改正をするよう動いている・・・というようにも受け取れる。実際の人事異動は年度末で、その頃までに規則改正が済めば、手続き的に問題はなくなる。規則で、人事・財政・企画などの課の一般職員を組合に加入させていない自治体は、決して少なくない。
(気になる人は『管理職員等の範囲を定める規則』でググってみよう)
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