○日本テレビの女子アナウンサーの内定取消と三菱樹脂事件/間接適用説と契約自由の原則|なか2656の法務ブログ
=====【引用ここから】=====
そもそも近現代における憲法とは、「国家権力を制限することにより個人の自由を保障しよう」とする考え方、すなわち「立憲主義」にたっています(野中俊彦・高橋和之・中村睦男・高見勝利『憲法 Ⅰ(第4版)』4頁)。そのため、憲法は基本的には個人の人権や自由を守るために国家権力を縛るためのものであるから、本採用を拒否された元学生と三菱樹脂という私人間の紛争には直接は適用されないとこの判決は判断をしました(いわゆる直接適用説の否定)。
~~~~~(中略)~~~~~
企業者は、かような経済活動の一環としてする契約締結の自由を有し、自己の営業のために労働者を雇用するにあたり、いかなる者を雇い入れるか、いかなる条件でこれを雇うかについて(略)原則として自由にこれを決定することができる」「特定の思想、信条を有する者をそれゆえをもって雇い入れることを拒んでも、それを当然に違法と」はならないと判示しました。
=====【引用ここまで】=====
立憲主義とは、憲法が
「『個人 対 国家権力』の法規範」
であることを重視し、憲法の存在理由を
「憲法は国家権力を縛るためにある」
と理解する考え方である。
この中で自由権とは、国家権力に対する妨害排除請求権と理解することができる。政府は口出しをするな、介入してくるな、邪魔をするな、ということだ。思想信条の自由は「政府は個人の思想信条に口出しするな」ということになる。
「求職者 対 企業者」すなわち「個人 対 個人」の関係において、憲法の規定を持ち出して
「憲法は思想信条の自由を保障している。特定の思想信条を持つことを理由に、経営者や面接官が採用しないというのは憲法上許されない(だから政府は規制しろor裁判所はその採用拒否を無効にしろ)」
とする主張は、企業者の契約締結の自由に対し国家権力の介入を求めるものであり、立憲主義的でない。
「安保法制は違憲だ。安倍首相は立憲主義を分かっていない」と批判するSEALDSとその賛同者であれば、私人間において憲法の規定が直接適用されるものではなく、特定の思想信条を有していることが就職に影響する可能性を考えておくべきだ。これが現在の判例の立場であり、これが立憲主義なのだから。
ところで、
○#SEALDs の皆さんへ①就職できなくて #ふるえる | 小坪しんやのHP~行橋市議会議員
というブログに対し、
○脅迫、デモ潰し、屁理屈・・・学生の抗議活動を「就職できなくてふるえる」と揶揄した小坪慎也議員にNoを! · Change.org
=====【引用ここから】=====
1) 就職差別を逆利用し学生の抗議活動を脅迫
小坪氏は、2015年07月26日の「SEALDsの皆さんへ 就職出来なくてふるえる」(※1)と題されたタイトルその他5本のブログ記事(以下、本ブログ等)で特定の学生デモを名指し、就職差別の可能性を示唆してデモに参加しないよう呼びかけています。
=====【引用ここまで】=====
と主張し、辞職勧告の決議を求める請願書を提出するのだそうだ。最高裁の判例を紹介し、これに現在の状況を当てはめて論じることが「脅迫」に当たるというのは、ちょっと理解に苦しむ。
(「就職できなくて #ふるえる」というタイトルが揶揄にあたるのは何となく分かるのだが、では揶揄したことが議員辞職に相当するのかと言われてもピンと来ない。上記小坪氏のブログを読んでの私の印象は、良く言えば「若い学生を心配している」、悪く言えば「いらぬお節介」というところだが、これが「脅迫」・・・?)
○就職できなくて SEALDs #ふるえる - 職ヲ探シ之助 / 就活100社落ちの軌跡
=====【引用ここから】=====
個人的には、デモに参加するような学生に広く門戸を開けて待っている会社もあると思います。デモを「好意的」に取り上げているマスコミなどは代表的な例だと感じます。会社としての風土や政治的な考えにも一致しているのだから、活躍できる余地があると思います。逆にデモ参加に対して否定的な対応をとる会社に入っても、その後同僚とうまくやっていけるか不安なところが大きいと思いますし、経営者からの視線も厳しく感じることもあるでしょう。
=====【引用ここまで】=====
このように、デモを企画・実施・参加する側は、就職において不利益となることがあるかもしれない、デモを快く思わない会社もあるかもしれない、と考えた上で、テレビやフェイスブック、ツイッターに顔を晒すべきだったろうと思う。そうでなければ、「デモに参加していることを理由に採用しない会社には入らない」という覚悟と信念を持って動くかのどちらかだ。
そういう点で、SEALDSの学生と比べて、ヘルメットとマスクで顔を覆い、身元を伏せ、卒業後に影響が出ないよう配慮をしていた60年安保の学生の方が、良く言えば一枚上手、悪く言えば姑息な感は否めない。今の学生は昔の学生と比べて頭が悪くなったのか、より純粋な信念に基づいて動いているということなのか。
(ちなみに、私は「純粋である」ということで高評価はいたしません)
=====【引用ここから】=====
そもそも近現代における憲法とは、「国家権力を制限することにより個人の自由を保障しよう」とする考え方、すなわち「立憲主義」にたっています(野中俊彦・高橋和之・中村睦男・高見勝利『憲法 Ⅰ(第4版)』4頁)。そのため、憲法は基本的には個人の人権や自由を守るために国家権力を縛るためのものであるから、本採用を拒否された元学生と三菱樹脂という私人間の紛争には直接は適用されないとこの判決は判断をしました(いわゆる直接適用説の否定)。
~~~~~(中略)~~~~~
企業者は、かような経済活動の一環としてする契約締結の自由を有し、自己の営業のために労働者を雇用するにあたり、いかなる者を雇い入れるか、いかなる条件でこれを雇うかについて(略)原則として自由にこれを決定することができる」「特定の思想、信条を有する者をそれゆえをもって雇い入れることを拒んでも、それを当然に違法と」はならないと判示しました。
=====【引用ここまで】=====
立憲主義とは、憲法が
「『個人 対 国家権力』の法規範」
であることを重視し、憲法の存在理由を
「憲法は国家権力を縛るためにある」
と理解する考え方である。
この中で自由権とは、国家権力に対する妨害排除請求権と理解することができる。政府は口出しをするな、介入してくるな、邪魔をするな、ということだ。思想信条の自由は「政府は個人の思想信条に口出しするな」ということになる。
「求職者 対 企業者」すなわち「個人 対 個人」の関係において、憲法の規定を持ち出して
「憲法は思想信条の自由を保障している。特定の思想信条を持つことを理由に、経営者や面接官が採用しないというのは憲法上許されない(だから政府は規制しろor裁判所はその採用拒否を無効にしろ)」
とする主張は、企業者の契約締結の自由に対し国家権力の介入を求めるものであり、立憲主義的でない。
「安保法制は違憲だ。安倍首相は立憲主義を分かっていない」と批判するSEALDSとその賛同者であれば、私人間において憲法の規定が直接適用されるものではなく、特定の思想信条を有していることが就職に影響する可能性を考えておくべきだ。これが現在の判例の立場であり、これが立憲主義なのだから。
ところで、
○#SEALDs の皆さんへ①就職できなくて #ふるえる | 小坪しんやのHP~行橋市議会議員
というブログに対し、
○脅迫、デモ潰し、屁理屈・・・学生の抗議活動を「就職できなくてふるえる」と揶揄した小坪慎也議員にNoを! · Change.org
=====【引用ここから】=====
1) 就職差別を逆利用し学生の抗議活動を脅迫
小坪氏は、2015年07月26日の「SEALDsの皆さんへ 就職出来なくてふるえる」(※1)と題されたタイトルその他5本のブログ記事(以下、本ブログ等)で特定の学生デモを名指し、就職差別の可能性を示唆してデモに参加しないよう呼びかけています。
=====【引用ここまで】=====
と主張し、辞職勧告の決議を求める請願書を提出するのだそうだ。最高裁の判例を紹介し、これに現在の状況を当てはめて論じることが「脅迫」に当たるというのは、ちょっと理解に苦しむ。
(「就職できなくて #ふるえる」というタイトルが揶揄にあたるのは何となく分かるのだが、では揶揄したことが議員辞職に相当するのかと言われてもピンと来ない。上記小坪氏のブログを読んでの私の印象は、良く言えば「若い学生を心配している」、悪く言えば「いらぬお節介」というところだが、これが「脅迫」・・・?)
○就職できなくて SEALDs #ふるえる - 職ヲ探シ之助 / 就活100社落ちの軌跡
=====【引用ここから】=====
個人的には、デモに参加するような学生に広く門戸を開けて待っている会社もあると思います。デモを「好意的」に取り上げているマスコミなどは代表的な例だと感じます。会社としての風土や政治的な考えにも一致しているのだから、活躍できる余地があると思います。逆にデモ参加に対して否定的な対応をとる会社に入っても、その後同僚とうまくやっていけるか不安なところが大きいと思いますし、経営者からの視線も厳しく感じることもあるでしょう。
=====【引用ここまで】=====
このように、デモを企画・実施・参加する側は、就職において不利益となることがあるかもしれない、デモを快く思わない会社もあるかもしれない、と考えた上で、テレビやフェイスブック、ツイッターに顔を晒すべきだったろうと思う。そうでなければ、「デモに参加していることを理由に採用しない会社には入らない」という覚悟と信念を持って動くかのどちらかだ。
そういう点で、SEALDSの学生と比べて、ヘルメットとマスクで顔を覆い、身元を伏せ、卒業後に影響が出ないよう配慮をしていた60年安保の学生の方が、良く言えば一枚上手、悪く言えば姑息な感は否めない。今の学生は昔の学生と比べて頭が悪くなったのか、より純粋な信念に基づいて動いているということなのか。
(ちなみに、私は「純粋である」ということで高評価はいたしません)