「法の下の平等」という大原則がある。
この言葉には様々な意味・解釈・要素がぶら下がっている。
「法の下の平等」の諸要素の中で、おそらく誰もが認めるものとして「法適用の平等」という原則がある。法律は、誰に対しても平等に適用されなければならない、という原則だ。
この「法適用の平等」があるため、法律は1億人を超える日本国民に平等に適用されなければならない。これは大事な原則だが、法律を画一的に適用してしまうが故に多様な人間関係のあり方が成立するのを阻害している。
他者加害を禁止する法律以外の、政府によって適用されるありとあらゆる法律そのものが、個人の自由を脅かす存在である。
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○ 日本国憲法
第二十四条 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
2 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。
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これについて、トークイベント「できる?できない?同性婚」に出演した木村草太氏は
「同性婚は憲法で禁じられていない。憲法は、同性婚に法律婚の地位を与えることを禁じていない」
と主張している。
○同性婚「憲法で認められない」は間違い、憲法学の通説は「違反しない」…木村草太教授が解説
このトークイベントの主催者は「『結婚の自由をすべての人に』実行委員会」とあるが、主催者は同性カップルの法律婚化を後押しする木村氏の主張をどのように理解しているのだろうか。
冒頭で私が提示した、「法律の存在が画一化を招き個人の自由を失わせる」という視点からは、木村氏の主張は、様々な形態、態様が可能な現状の同性カップルに対し、わざわざ「同性カップルの画一化」を強制しようとする危険な考え方として映る。
「結婚の自由をすべての人に」よりも「結婚の画一化をすべての人に」の方が似合っている。
仮に、異性間の法律婚と同程度の効果を発生させる形で同性婚を法制化したら、
夫婦同氏(民法750条)
同居・協力・扶助義務(751条)
配偶者血族との間の親族関係(752条)
成年擬制(753条)
夫婦間の契約の取消権(754条)
婚姻費用の分担(760条)
日常家事債務の連帯責任(761条)
相続権(890条)
貞操義務(判例)
といった様々な効果が一式セットになってやってくる。
果たして、すべての同性カップルがこのフルセットを望んでいるのだろうか。
個々の事情に応じて、個別に扶養契約や代理契約を結べば良いのではないだろうか。
この場合、政府の介入を良しとする論者は
「Bに対しても保護をしよう」
と主張する。
政府の介入に否定的な論者は、
「Aに対する保護を廃止しよう」
と主張する。
木村氏はどちらであろうか。
○同性婚「憲法で認められない」は間違い、憲法学の通説は「違反しない」…木村草太教授が解説
======【引用ここから】======
さらに、最近は、アメリカの判例の影響もあって、同性婚を認めないことに、違憲の疑いをかける学説も増えてきています。例えば、宍戸常寿教授は、共著『憲法Ⅰ基本権』(日本評論社・2016年)455-6頁の中で、異性婚と同性婚などの他の結合の保護の不平等は「合理的な根拠」がない限り、平等権侵害になると指摘しています。
======【引用ここまで】======
「同性婚を(法律上)認めないことは違憲の疑いあり」という学説をわざわざ紹介する木村氏。彼は政府介入が大好きで、実は個人の自由にあまり重きを置いていないことが分かる。
LGBTはレインボーフラッグで象徴される。
個人ごとの性自認や性的指向が異なり、考え方も多種多様であろう。こうした中で、異性間と同性間のカップルの不平等解消のため、同性カップルを法律婚化しそのあり方を画一化してしまうことが果たして良いのだろうか。
異性婚に対する法律上の保護が他と比べて手厚すぎるということであれば、それは「法律によって設定された特権」であり、憲法14条に違反するものとして廃止すべき対象である。
今ある問題を、「法律の追加」で対応しようとするのは悪手。
「法律の削減」なら、法律で作られた不平等を是正するとともに、個人の自由の保障に資することができる。
この言葉には様々な意味・解釈・要素がぶら下がっている。
「法の下の平等」の諸要素の中で、おそらく誰もが認めるものとして「法適用の平等」という原則がある。法律は、誰に対しても平等に適用されなければならない、という原則だ。
この「法適用の平等」があるため、法律は1億人を超える日本国民に平等に適用されなければならない。これは大事な原則だが、法律を画一的に適用してしまうが故に多様な人間関係のあり方が成立するのを阻害している。
他者加害を禁止する法律以外の、政府によって適用されるありとあらゆる法律そのものが、個人の自由を脅かす存在である。
【同性カップルの法律婚化=画一化】
さて。============
○ 日本国憲法
第二十四条 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
2 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。
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これについて、トークイベント「できる?できない?同性婚」に出演した木村草太氏は
「同性婚は憲法で禁じられていない。憲法は、同性婚に法律婚の地位を与えることを禁じていない」
と主張している。
○同性婚「憲法で認められない」は間違い、憲法学の通説は「違反しない」…木村草太教授が解説
このトークイベントの主催者は「『結婚の自由をすべての人に』実行委員会」とあるが、主催者は同性カップルの法律婚化を後押しする木村氏の主張をどのように理解しているのだろうか。
冒頭で私が提示した、「法律の存在が画一化を招き個人の自由を失わせる」という視点からは、木村氏の主張は、様々な形態、態様が可能な現状の同性カップルに対し、わざわざ「同性カップルの画一化」を強制しようとする危険な考え方として映る。
「結婚の自由をすべての人に」よりも「結婚の画一化をすべての人に」の方が似合っている。
仮に、異性間の法律婚と同程度の効果を発生させる形で同性婚を法制化したら、
夫婦同氏(民法750条)
同居・協力・扶助義務(751条)
配偶者血族との間の親族関係(752条)
成年擬制(753条)
夫婦間の契約の取消権(754条)
婚姻費用の分担(760条)
日常家事債務の連帯責任(761条)
相続権(890条)
貞操義務(判例)
といった様々な効果が一式セットになってやってくる。
果たして、すべての同性カップルがこのフルセットを望んでいるのだろうか。
個々の事情に応じて、個別に扶養契約や代理契約を結べば良いのではないだろうか。
【法律によって生じた不平等を法律の追加で解決しようとする愚策】
Aが法律上の保護を受けている。Bは法律上の保護を受けていない。この場合、政府の介入を良しとする論者は
「Bに対しても保護をしよう」
と主張する。
政府の介入に否定的な論者は、
「Aに対する保護を廃止しよう」
と主張する。
木村氏はどちらであろうか。
○同性婚「憲法で認められない」は間違い、憲法学の通説は「違反しない」…木村草太教授が解説
======【引用ここから】======
さらに、最近は、アメリカの判例の影響もあって、同性婚を認めないことに、違憲の疑いをかける学説も増えてきています。例えば、宍戸常寿教授は、共著『憲法Ⅰ基本権』(日本評論社・2016年)455-6頁の中で、異性婚と同性婚などの他の結合の保護の不平等は「合理的な根拠」がない限り、平等権侵害になると指摘しています。
======【引用ここまで】======
「同性婚を(法律上)認めないことは違憲の疑いあり」という学説をわざわざ紹介する木村氏。彼は政府介入が大好きで、実は個人の自由にあまり重きを置いていないことが分かる。
LGBTはレインボーフラッグで象徴される。
個人ごとの性自認や性的指向が異なり、考え方も多種多様であろう。こうした中で、異性間と同性間のカップルの不平等解消のため、同性カップルを法律婚化しそのあり方を画一化してしまうことが果たして良いのだろうか。
異性婚に対する法律上の保護が他と比べて手厚すぎるということであれば、それは「法律によって設定された特権」であり、憲法14条に違反するものとして廃止すべき対象である。
今ある問題を、「法律の追加」で対応しようとするのは悪手。
「法律の削減」なら、法律で作られた不平等を是正するとともに、個人の自由の保障に資することができる。