若年寄の遺言

リバタリアンとしての主義主張が、税消費者という立場を直撃するブーメランなブログ。面従腹背な日々の書き物置き場。

立憲主義の浸透度合い ~ 人権侵害をできるのは公権力 ~

2015年09月30日 | 地方議会・地方政治
議会:行橋市 /福岡 - 毎日新聞
=====【引用ここから】=====
安全保障関連法案の反対デモをした学生への就職差別の可能性をブログで示唆した小坪慎也市議に対し、辞職勧告決議を求める陳情が東京都新宿区民ら2900人から出されたが、採決はされなかった。
=====【引用ここまで】=====

この記事を読んでも、時系列や経緯が全く分からない。字数制限で仕方なかったのか、記者に悪意があるのかは不明だが、とにかく経緯が分からない。

分かるように、この陳情提出について並べておくと、

(前提のルール1:「請願」であれば採決の対象となるが、「陳情」であれば議場配布のみとなる。)
   ↓
小坪慎也市議の辞職勧告決議を求める「請願」を提出するとして、ネット上で署名活動が開始される。
   ↓
ネット上の署名活動の結果、2900名分の署名が集まる。
   ↓
署名活動の主催者が、提出直前段階で勝手に「請願」から「陳情」に切り替える。
   ↓
陳情書として提出されたため、議場配布され、採決の手続きから外れる。
   ↓
この陳情書を読んだ議員の1人が、別の形で決議案の提出を企画。
   ↓
(前提のルール2:決議案を議会に提出する場合は、最低で提出議員1名と賛成議員1名が必要。)
   ↓
この議員が、賛成議員3名を募って決議案を提出
   ↓
賛成議員3名のうち、2名が賛成を撤回
   ↓
提出議員1名、賛成議員1名という要件は満たしているものの、提出議員が決議案を撤回

○「小坪慎也氏の辞職勧告決議に関する陳情」について: こんにちは 徳永克子:です
=====【引用ここから】=====
提出者は私・徳永克子、賛成者は3人として『「表現の自由が守られ、表現の自由が保障される社会」をすすめる決議』を期限内に提出しました。しかし、賛成者のうちの2人が「賛成者から降りる」と議会事務局に連絡、結局、提出することは無理と判断せざるをえませんでした。このうちの1人は、決議文案を共に考えた会派の人(最初の原案は私が作りました)です。
=====【引用ここまで】=====

そもそも、全国から寄せられた2900名の署名者の意思は、署名を募った者が予定どおり請願として提出していれば、採決の場が与えられたはずだった。請願を陳情に勝手に切り替えたこととによって、2900名の署名は採決の機会すら奪われてしまった。


さて、以前、当ブログにて、

請願と陳情は、別物である ~ 陳情書の形式面について批判 ~ - 若年寄の遺言
=====【引用ここから】=====
「これを受けて議会が『今後の発言に自粛を求める決議』を審議します。」

とあるが、どこからの情報なのだろうか。陳情にはそんな効力はない。9月2日時点で、ホームページを見ても決議案の上程に関して何にも掲載されてない。現時点では、この決議案は提出を予定している議員の脳内にしか存在しない・・・となると、提出を予定している議員からの情報提供以外に知る方法はない。

=====【引用ここまで】=====

と疑問を呈していたのだが、上記市議がその答えということのようだ。


さてさて、話は変わって。

憲法は、「国家権力は○○するな」として国家を名宛人とする規範であって、「市民のみなさんは○○しましょう」という個人に対する行為規範ではない。立憲主義における自由とは、国家権力に対する妨害排除請求権、不作為請求権であり、個人の領域に介入しないことを国家権力に求めるものである。

ここで、表現の自由の保障に関して、地方議会ができることは何かを考えてみよう。

地方議会は、条例や予算を議決する権限を有している。条例には、様々な規制や罰則を盛り込むことができ、条例を根拠として行政処分が行われる。

表現の自由を保障しようとする議会を目指すのであれば、表現の自由を制約する条例案を首長が提出してきた時に、憲法上問題となりうる規定を修正・削除し、あるいは条例案そのものを否決し、表現の自由を制約する行政処分を事前に防止するといった活動が考えられる。

また、地方議会は、地方自治法に基づき、国会、内閣、裁判所や中央省庁といった機関に対し意見書を提出することができる。国が表現の自由を制約する法律の制定を予定している時に、表現の自由を制約する立法をしないことを求める意見書を送付し、国の機関に要請することができる。

憲法は国家権力を名宛人とするものであるから、憲法上の表現の自由の保障を目指す地方議会としては、上記のように首長の条例提出権や国の立法権といった国家権力に対して働きかけることが、立憲主義における本来の筋道となる。

一方で、前回述べたとおり、地方議員は本会議や委員会を離れてしまえば法律上の特別な権限は何もなく、ただの個人でしかない。
もし、地方議員が本会議や委員会においてデモを不当に制約する議案の提出をしたのであれば、

「 国家権力(議会における提出議案) ⇔ 個人(SEALDS) 」

という構図となるが、本会議や委員会と関係のない場面での発言であれば、

「 個人(議会外における議員のブログ) ⇔ 個人(SEALDS) 」

という構図となる。その個人としてのブログの内容を指して「脅迫だ」「損害賠償だ」という刑法上、民法上の主張なら成立可能なのだが、そこに憲法上の問題は生じない。議会外ではどう逆立ちをしても公権力の行使にならないからだ。

”表現の自由”でも『一線』を超えると制限されるが扱いはデリケート | みずほ中央コラム | 東京・埼玉の理系弁護士
=====【引用ここから】=====
(1)『人権侵害』は誤用率が高い
誤用率の高いフレーズに『人権侵害だ』というものがあります。

<『人権侵害』の誤用例>
・他者に暴力を受けて怪我をした
 →『これは人権侵害だ!』
・他者にヒドいことを言われて凹んだ
 →『これは人権侵害だ!』

法律学としては,これは間違いです。
悪意のない取り違えでしょうけど。
人権は,対国家,公的機関という場面で使われます
典型例は刑罰です。
対私人では人権自体は登場しないのです。

<正確な表現>
『民法上の不法行為による損害賠償請求が成り立つ』
『違法性のある行為だ』

=====【引用ここまで】=====


ということで、長いシリーズになりましたが、

「国民は憲法を守ろう」という主張は、立憲主義と相容れない。このことを合点していただけましたでしょうか?
憲法は国民が守るべきルールではなくて、国家権力を縛るためのものという基本に立ち返ってもらえたら幸いです。
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立憲主義と、憲法尊重擁護義務の射程範囲

2015年09月09日 | 地方議会・地方政治
憲法第99条「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」

これについて、次のような議論がある。

憲法調査会/日本国憲法に関する調査特別委員会関係資料 2 最高法規性と憲法尊重擁護義務
=====【引用ここから】=====
憲法尊重擁護義務
・憲法尊重擁護義務の主体には、国民も含まれる
・公務員だけでなく、国民が憲法あるいは法令を遵守しなければならないという規定も憲法に明確に設けるべき

~~~~(中略)~~~~
・公務員の憲法尊重擁護義務をなくし、国民の憲法尊重擁護義務を規定すべきとの議論があるが、これは憲法の権力制限規範としての性格を縮小し、憲法を国民の行為規範とするものであり、近代立憲主義的憲法を否定し、人類の歴史的英知から離脱するもの
=====【引用ここまで】=====

前二つの見解は自民党の国会議員、後ろの見解は共産党の国会議員が述べたもの。この点については、共産党の考え方が正しい。憲法は国家権力を制限するための規範であり、「国民は憲法を守って行動しましょう」という国民の行為規範ではない。これが近代立憲主義である。

立憲主義における自由は、国家権力に対する不作為請求権、妨害排除請求権である。思想良心の自由や表現の自由は、「国家権力は個人の表現活動や思想研究活動等を邪魔をしない」という形で達成される。

では、本会議や委員会で議決権、議案提出権、検査権といった公権力を行使する場面以外において、地方議会議員が私的な発言、情報発信をした場合に、それが他者の表現の自由、思想良心の自由を侵害し憲法に抵触するということがあるだろうか。

ここで、一見すると、地方議員は憲法第99条にいう憲法尊重擁護義務の対象となる公務員なので、抵触するということになりそうではある。

しかし、本会議や委員会が行われていない場においては、法律上、地方議員に特別な権限は何もなく、ただの一般人でしかない。本会議や委員会を離れた地方議員がただの一般人であるならば、そこに「国家権力 対 個人」の関係は存在せず、憲法上の問題は生じ得ない。むしろ、一般人・1人の国民に過ぎない者の発言に対し憲法上の表現の自由、思想良心の自由の問題として追及するということは、憲法を国民の行為規範と捉えるものであり、立憲主義を否定するものである。

公務員の「憲法尊重擁護義務」って? しんぶん赤旗
=====【引用ここから】=====
憲法99条は、「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」と定めています。
 公務にたずさわる人のすべてが、国に法秩序の最高規範である憲法のしめすところにしたがって、偏りや誤りのないように政治や行政を遂行する義務を、主権者である国民にたいして負っていることをあらためて確認している規定です。
 この規定には国務大臣や国会議員などが特別に明示されています。ですから、仮に改憲の立場に立つ政治家であっても、行政や立法にたずさわるときには「憲法尊重擁護義務」が重くあるということです。

=====【引用ここまで】=====

本会議や委員会から離れた場での発言内容によって、有権者の評価が下がり次回選挙で落選するということは十分に考えられる。地方議員も政治家である以上、全ての発言が選挙結果という政治的責任にリンクするものと考えなければならない。しかし、こうした政治的責任と憲法上の問題と混同するのは不正確である。

・憲法は権力制限規範であって、国民の行為規範ではない。
・地方議員は本会議や委員会を離れて公権力を行使することはできない。
・したがって、本会議や委員会を離れた場での地方議員の発言は、憲法上の表現の自由や思想良心の自由に抵触する問題とはならない。(むしろ、表現の自由の保障対象となる。)

ということである。


(今回の記事では共産党や赤旗の記述をやたらと引用しているが、それについてはまた別の機会に)
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立憲主義を理解しよう! ~ 陳情書の内容面から ~

2015年09月03日 | 地方議会・地方政治
昨日の記事では、役場の中の人の視点から「陳情書の形式面」について述べてみた。本日は陳情書をネタに、自由主義者の視点から、以前少し触れた「立憲主義」について改めて述べてみたいと思う。

小坪慎也氏の辞職勧告決議に関する陳情書を公開しました
小坪慎也氏の辞職勧告決議に関する陳情
=====【引用ここから】=====
1) 就職差別を逆利用し学生の抗議活動を脅迫
小坪氏は、2015年07月26日の「SEALDsの皆さんへ 就職出来なくてふるえる」(※1)と題されたタイトルその他5本のブログ記事(以下、本ブログ等)で特定の学生デモを名指し、就職差別の可能性を示唆してデモに参加しないよう呼びかけています。 2015年08月06日の参院法務委員会において、上記の論旨が憲法に反することが法務大臣により答弁されました。

=====【引用ここまで】=====

SEALDSの主張は、

「安倍内閣は立憲主義を理解していない。安保法制は違憲であり民主主義の破壊だ」

がメインであったと記憶している。そのSEALDSを擁護するために、立憲主義を理解していない安倍内閣の閣僚答弁を持ってくるという、このセンスの無さに驚きを隠せない。

SEALDSが主張するとおり、安倍内閣は立憲主義を理解していない(民主主義の破壊だ、という点には同意しないが)。そして、その閣僚である法務大臣も同様に、立憲主義を理解していない。

法務大臣の答弁を見てみよう。

有田芳生議員が「SEALDsと就職差別」について質疑。上川大臣「デモのみを理由とする就職等の差別があってはならない」
=====【引用ここから】=====
上川陽子法務大臣(以下、上川):今、委員の方からご指摘をいただきましたSEALDsという団体についてのご言及でございますけれども。事実関係につきまして、私、正確に把握しているところではございませんで、その意味ではお答えをするのが、なかなか難しいというところではございますが、一般論として申し上げますと、デモ行進と集団行動の自由ということにつきましては、表現の自由ということで、これは憲法上保障されているものでございます。
それのみを理由として、就職等の差別がされるようなことがあるとすれば、それはあってはならないことだと考えております。

=====【引用ここまで】=====

憲法は国家権力を制限するための法規範であり、表現の自由をザックリと言うならば「国家権力は個人の表現行為を禁止してはならない」ということになる。憲法は国家を縛るものであって、個人を縛るものではない。「表現の自由ということで、これは憲法上保障されているものでございます」との文章は、個人対国家の関係においてのみ妥当である。
一方、就職という個人対個人の場面について、憲法における表現の自由は射程の範囲外であるのだが、この法務大臣答弁ではここが混同されている。「就職等の差別がされることがあってはならない」と述べているが、「憲法上」あってはならないのか「道徳的に」あってはならないのかといった内容が曖昧になっている。

(おそらくこの答弁書を書いたのは、法務省人権擁護局の官僚だろう。この人権擁護局そのものが、公的な領域と私的な領域、憲法上の人権と個人の道徳とを混同して「みんなで人権を守ろう」という立憲主義の観点からは理解不能なスローガンを宣伝して回るのを日常としているため、こうなるのも無理はないが・・。)
※法務省人権擁護局については、私が書いた以前の記事もどうぞ。
 「人権擁護」とは「憲法上の基本的人権の尊重」ではなく「法務省の省益確保」である - 若年寄の遺言


この点、最高裁は三菱樹脂事件において、個人対個人の関係に憲法上の自由権は直接は適用されず(直接適用説の否定)、「特定の思想、信条を有する者をそれゆえをもって雇い入れることを拒んでも、それを当然に違法とはならない」と判示している。

このように、内閣と最高裁の判断が分かれているが、ご存知のとおり憲法に関する終局的な判断権限を有するのは最高裁である。その最高裁が、実際に就職差別が問題となった事案において「当然に違法とはならない」と述べている以上、デモ参加によって就職差別を受ける可能性があるというのは、虚偽に基づくデマではなく、残念ながら判例に基づく事実なのである。

もう一度言おう。SEALDSが主張するとおり、安倍内閣は立憲主義を理解していない。そして、その閣僚である法務大臣も同様に、立憲主義を理解していない。

加えて、小坪氏を批判しSEALDSを擁護しようと陳情書にこれを盛り込んだ神田章氏は、やはり立憲主義に関する理解が足りない。陳情書の中で「上記の論旨が憲法に反することが法務大臣により答弁されました」と錦の御旗のごとく振りかざしているが、上記のとおり、この法務大臣答弁を最高裁判例と整合性を付けながら理解するのは立憲主義的でない。

以上をまとめると、次の一文に集約されよう。

第154回国会-会議日誌・会議資料
=====【引用ここから】=====
◎阪本昌成参考人の意見陳述の要点

•憲法は、国家を名宛人とするものであり、市民に対する行為規範ではない。

=====【引用ここまで】=====


○2015.9.4追記
立憲主義に関して眺めていたら、次のような記述も。

9条を変える、変えないの議論よりも立憲主義とは何かを知ることがまず大事:田村理氏『マガジン9条』 | 晴耕雨読
=====【引用ここから】=====
僕は、授業や講演をするときに「憲法は何のための法律ですか?」といったアンケートをとっているんですね。もう4000通ぐらい回答が集まったのですが、そのなかで「憲法は公権力をコントロールして国民の人権を守るためのもの」と答えたのはたった2人です。1人は大学時代に憲法の勉強をしていた高校の政経の先生、もう1人はその先生のもとで教育実習を受けていたある大学の法学部の学生だった(笑)。
 アンケートには「国民は憲法を守る義務を負いますか?」という設問もあります。立憲主義の原則からすると、憲法を守る義務を負うのは公権力の担当者である政治家や公務員などになります。だから憲法99条は憲法尊重擁護義務を負う人のリストから国民を意図的に外しています。でも、それを理解している人もほとんどいない。

=====【引用ここまで】=====

立憲主義を理解していないのは、あなただけじゃない。理解している人は少ないから、恥じ入ることはないよ、神田章さん。
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請願と陳情は、別物である ~ 陳情書の形式面について批判 ~

2015年09月02日 | 地方議会・地方政治
請願については、憲法上保障され、法律で提出のための手続きや取扱いが定められている(請願法、地方自治法第124条参照)。
一方、陳情については何ら規定がされておらず、それぞれの地方議会で取扱いはバラバラ。東京23区の区議会を見ても、

「請願と同じように委員会審査をします。」
「請願と同じように委員会で審査するかどうか、事前審査をします。」
「条件付きで委員会審査をします。」
「議員や委員会に参考送付します。」

と、陳情の取扱いは様々だ。
この中で、「紹介議員の付いている請願については委員会審査をしますが、陳情については議員に参考送付します。」という地方議会に送付する場合、請願で提出するか、陳情で提出するかは天と地ほどの差がある。
請願であれば、
請願を委員会に付託するために議事日程が設定され、
付託先の委員会で審査をし、
本会議で委員会審査の結果について報告を受け、
質疑・討論・採決を経て、当該請願を地方議会として採択するか否かの決定を行う
・・・という手続きが生じ、議会としての意思が示される。
ところが、陳情について「議員に参考送付します」という議会の場合、議員に陳情書のコピーが配られておしまいとなる。陳情書が配られるだけで、本会議・委員会の日程に上がってくることはない。

このように、請願と陳情は制度上、全くの別物であり、議会に対する影響力、拘束力がまるで違うんだ、ということを踏まえた上で、以下のリンクを見てみると・・

キャンペーン · 脅迫、デモ潰し、屁理屈・・・学生の抗議活動を「就職できなくてふるえる」と揶揄した小坪慎也議員にNoを! · Change.org
=====【引用ここから】=====
福岡県行橋市の市議会に対し、同市の市議である小坪慎也氏(36歳)への辞職勧告の決議を求める請願書を提出したいと思います。 賛同いただける方は署名にご協力ください。
=====【引用ここまで】=====

※この福岡県行橋市の市議会は、「陳情書は議員に参考送付する」タイプの地方議会である。

小坪慎也 (@kotsubo48) 辞職請願署名を集められ、すごい勢いで署名集まるw : 不祥事・疑惑速報!!!


Bulldog@tumblr — 小坪慎也氏の辞職勧告決議に関する陳情書を公開しました
=====【引用ここから】=====
09月01日、掲題の陳情書を行橋市議会事務局に提出しました。
あくまで陳情ですので辞職勧告は取れませんが、これを受けて議会が「今後の発言に自粛を求める決議」を審議します。審議・採決は09月25日(金)です。
=====【引用ここまで】=====

このように、請願の署名活動が突如、提出の段階で陳情にすり替わった。これはどうしたことか。
ここで、この陳情書についての疑問をいくつか。

・陳情書に「陳情者 住所(空白) 氏名(空白) ほか2899名」という記載があるが、陳情者は住所と氏名を記載することとなっている。署名一覧の原本には「ほか2899名」の住所は記載されているのだろうか。記載がなければ、「ほか2899名」を陳情者として記載するのは誤りである。
・「陳情者    ほか2899名」について、その本人確認はできるのだろうか。住所の記載が無いばかりか、自署でも無ければ押印も無いとなったら、印刷して陳情者をいくらでも水増しできる。3万人でも12万人でも可能だ。
・請願で署名活動を行っていて、提唱者が勝手に陳情に切り替えて出しているが、陳情に切り替えるということを2899人全員が了承したのか。

厳密に言うと、請願は1人でも可能であるため、署名者の中に1人でも「はぁ?陳情?俺は小坪を追い詰めるために請願をする」という人が残っていれば、その書類は請願書として効力が残るはずである。請願書と陳情書は別の法的効力が生じる別の書類であるため、請願の名目で募集した署名を陳情に転用するというのは間違い。提唱者の背任的行為であり、署名活動の主催者として厳に慎むべき行為である。「請願を出す」という意思で署名したのであって、「陳情をする」という意思ではないため、本来なら、請願で募集した署名は破棄し、改めて陳情への署名として募集し直すのが筋。(まぁ、配布されるだけの陳情書程度であれば、そこまで拘る必要もないか・・?)

請願の法的効力を知っていて、
「請願として本会議場で小坪の辞職勧告の可否が審議される!やった!議場という公の場で奴を追い詰めるぞ!」
と思って署名した人の中には、
「なんだ、たかが陳情止まりか。配布で終わる程度のことをするために署名募ったのかよ。この程度のことなら署名しなかったのに。」
と落胆した人もいるかもしれない。
「竜頭蛇尾」あるいは「大山鳴動して鼠一匹」という諺がピッタリである。


ところで、

これを受けて議会が『今後の発言に自粛を求める決議』を審議します。

とあるが、どこからの情報なのだろうか。陳情にはそんな効力はない。9月2日時点で、ホームページを見ても決議案の上程に関して何にも掲載されてない。現時点では、この決議案は提出を予定している議員の脳内にしか存在しない・・・となると、提出を予定している議員からの情報提供以外に知る方法はない。
さて、神田章さんはどの議員から聞いたのか。決議案の提出議員が誰になるのか、乞うご期待。


陳情書の中身の批評については、また後日。
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