地方議会には、
・二元代表制の一翼
・言論の府
・役所に対するチェック・監視機関
・議決機関
などなど、様々な枕詞、形容詞が用意されている。
これらの言葉をつなげると、次のような文章ができあがる。
「二元代表制の一翼として首長に対峙し、提出された予算案や条例案について議場で議論を交わして問題点を明らかにし、予算執行の妥当性を委員会でチェックし、こうした議論を踏まえて議決を行う」
これが、議会のあるべき姿だろう。
しかし、これは理想であって、現実はそうではない。
期待通りに議会がチェック機能を発揮していれば、「事業仕分け」を改めて実施する必要は無かっただろう。無駄な事業、なんとなく継続している事業を大量に含んだ予算案が、形骸化した議会をフリーパスで通過していく。首長が作成した予算案に対し、否決や修正可決、付帯決議が行われるのはとても稀。
議会がチェックするどころか、実際のところ、チェックを受けなければいけないのは議会そのものだったりする。その中でも、よくよくチェックしなければならないのが「行政視察」だ。
○行政視察を観光旅行にしない方法、教えます - 高知発!青空エクスプレス
=====【引用ここから】=====
委員会で行政視察の目的地を決めるにあたり、このあいだの委員会でもそうだったが、いつもまず委員から出るのが「北海道にいこう」とか、「東京がえい」とか、「飛騨高山へいかんか」とか、まず目的地が先に出てくる。もう、観光目的がみえみえ。
全く何を考えているんだか。
~~~ (中略) ~~~
視察地の正しい選定の方法は、
①視察して学びたい行政課題を挙げて、その中から日程に合うだけの事業をいくつか選ぶ。
②そのそれぞれの事業の候補地としていくつか挙げ、その中から「本市と同じ地域性を持っているのはここ」、又は「本市が参考になるのはここ」だと最終的な目的地を決定する。
行政視察地の選定はこんな順序で決定されるべきもので、「九州の長崎へ行きたい」とか「長野県の上高地へ行きたい」なんて、最初から行きたい県や観光地の名前が挙がるのは観光目的であると断言する。
=====【引用ここまで】=====
委員会で視察に行ったり、会派で視察に行ったり、議員個人で視察に行ったり、場合によっては海外視察に行ったりと、様々な形で地方議員は行政視察へ行っている。上記リンク先を読むと、行政視察が観光旅行と化しているケースが全国でかなりあるのだろう、と推察される。
全国の地方議会のホームページでは、視察先一覧が掲載されていたり、視察報告書の写しが掲載されていたりする。これらを眺めていると、気づくことがある。
同一県内の他市町村への視察が、非常に少ないのだ。
県内であれば、車や各駅停車でサッと回ることができる。先進事例の調査が目的であれば、短時間で複数個所を回ることが出来る県内視察の方が効率が良い。経済的でもある。ところが、県内の視察というのは非常に少ない。建前は「視察課題に適した視察先を県内では見つけられなかった」ということなのだろうが、本音は「県内だとサッと回れてしまい、宿泊する理由がなくなってしまう」だろう。背後にある「宿泊ありきの観光旅行」という意識が見て取れる。
また、地方議会のホームページを見て回ると、一泊二日、二泊三日の視察行程で視察先が一箇所しかないという例や、博物館や資料館を見学するだけという例も見受けられる。他にも、「人口数万の小規模市町村が、予算規模のまるで違う政令市の事業を見てどう参考にするの?」と視察対象に疑問を抱かざるを得ないものもある。
上記リンク先のブログ主のように、ちゃんとした行政視察をしようと呼びかける地方議員も存在する。しかし、リンク先を読むと、そうした議員は少数派であるということが分かる。ほとんどの議員は、観光旅行のような視察に違和感を抱くことなく「今度の視察、どこ行こうか?」と軽く考えているようだ。
なぜこうなるのか。
地方議員には「先進事例を勉強してこよう」というインセンティブ、動機付けがないからだ。
宿泊可能な視察の予算が確保されているのに、
「午前中に県内の隣の市、そのまま車を走らせて、午後にその隣の町へ視察して帰る」
という日帰りの行政視察をするのは、面白くない。
また、
「インターネットで視察課題についての情報収集を行い、事前に視察先についての研修会を行い、1日目午前はここ、13時からここ、15時からここ、2日目はここを視察して帰る」
という濃いスケジュールを組んで見て回るのは、肉体的にも精神的にもキツイ。
それよりも、
「1日目に一つ視察して、観光をして旅館に泊まって温泉に浸かり、2日目は観光ついでに博物館の見学をして帰る」
の方が、議員は楽だ。形ばかりの視察をしても外部から責められることがなければ、当然楽なあり方が定着する。
「住民の税金を使っているのだから、中身のある視察をして行政へ反映させるべきだ」
というのは、正しい。納税者からすれば当然のことだ。
ところが、人間はどうしても楽な方に流される。有権者は聖人君子だけではないし、聖人君子だけが立候補しているわけではない。
また、今は「ちゃんとした視察をしよう」と考えている聖人君子の議員でも、その意思を来年、次の任期と継続できる保障はない。
聖人君子が主導権を握り、今はちゃんとした視察をしている議会でも、後に形骸化しないという保障はない。
「ちゃんとした視察をしよう」という意思を支えるインセンティブが無いのだから、いつかは楽な方に流される・・・と考えた方が妥当。
そもそも、視察して学びたい行政課題を思いつくためには、日ごろから課題の解決を真剣に考えている必要がある。また、適した視察先を探すためには、常にアンテナをはって他自治体の情報収集をしていなければならない。優れた能力と、日ごろからの労力が無ければならない。日ごろから考えていない議員、アンテナをはっていない議員が「さぁ視察だ」と言ったところで、視察課題に基づく適切な視察先の選定をできるわけがない。
「毎年1回、委員会や会派で行政視察を行っています」
という定例的、慣例的な行政視察は、止めるべきだ。
能力の無い者に、税金の使途を決めさせてはならない。
議員が惰性で行政視察を続ける限り、行政が惰性で続ける事業に歯止めをかけることはできない。
議員から職員に
「何年もこんな無駄な事業をしてはダメだ!」
と指摘したところで、職員から
「いやいや議員さん、そちらも中身の薄い視察をしてるじゃないですか」
と突っ込まれてしまうのがオチだ。
もし、行政視察を続けるのであれば、
・視察の行程、宿泊先、領収書添付の上での費用の詳細な公開
・(委員会単位、会派単位でなく)議員個人ごとの視察報告書の公開
位のことをしないとダメだろう。全て見られている、住民の監視対象になっている、と意識させることで、初めて、ちゃんとした視察をしようという動機付けが生じることになる。
「権力は腐敗する。専制的権力は徹底的に腐敗する。(アクトン卿)」
制限を受けない権力は、間違いなく腐敗する。
個人の使命感、道徳は、塩の塊のようなもの。簡単に溶けて崩れてしまう。
個人の性質に頼ることなく、制度で担保していかなければならない。
そして、腐敗を防ぐ最良の方法は、税金を使わせないことだ。
・二元代表制の一翼
・言論の府
・役所に対するチェック・監視機関
・議決機関
などなど、様々な枕詞、形容詞が用意されている。
これらの言葉をつなげると、次のような文章ができあがる。
「二元代表制の一翼として首長に対峙し、提出された予算案や条例案について議場で議論を交わして問題点を明らかにし、予算執行の妥当性を委員会でチェックし、こうした議論を踏まえて議決を行う」
これが、議会のあるべき姿だろう。
しかし、これは理想であって、現実はそうではない。
期待通りに議会がチェック機能を発揮していれば、「事業仕分け」を改めて実施する必要は無かっただろう。無駄な事業、なんとなく継続している事業を大量に含んだ予算案が、形骸化した議会をフリーパスで通過していく。首長が作成した予算案に対し、否決や修正可決、付帯決議が行われるのはとても稀。
議会がチェックするどころか、実際のところ、チェックを受けなければいけないのは議会そのものだったりする。その中でも、よくよくチェックしなければならないのが「行政視察」だ。
○行政視察を観光旅行にしない方法、教えます - 高知発!青空エクスプレス
=====【引用ここから】=====
委員会で行政視察の目的地を決めるにあたり、このあいだの委員会でもそうだったが、いつもまず委員から出るのが「北海道にいこう」とか、「東京がえい」とか、「飛騨高山へいかんか」とか、まず目的地が先に出てくる。もう、観光目的がみえみえ。
全く何を考えているんだか。
~~~ (中略) ~~~
視察地の正しい選定の方法は、
①視察して学びたい行政課題を挙げて、その中から日程に合うだけの事業をいくつか選ぶ。
②そのそれぞれの事業の候補地としていくつか挙げ、その中から「本市と同じ地域性を持っているのはここ」、又は「本市が参考になるのはここ」だと最終的な目的地を決定する。
行政視察地の選定はこんな順序で決定されるべきもので、「九州の長崎へ行きたい」とか「長野県の上高地へ行きたい」なんて、最初から行きたい県や観光地の名前が挙がるのは観光目的であると断言する。
=====【引用ここまで】=====
委員会で視察に行ったり、会派で視察に行ったり、議員個人で視察に行ったり、場合によっては海外視察に行ったりと、様々な形で地方議員は行政視察へ行っている。上記リンク先を読むと、行政視察が観光旅行と化しているケースが全国でかなりあるのだろう、と推察される。
全国の地方議会のホームページでは、視察先一覧が掲載されていたり、視察報告書の写しが掲載されていたりする。これらを眺めていると、気づくことがある。
同一県内の他市町村への視察が、非常に少ないのだ。
県内であれば、車や各駅停車でサッと回ることができる。先進事例の調査が目的であれば、短時間で複数個所を回ることが出来る県内視察の方が効率が良い。経済的でもある。ところが、県内の視察というのは非常に少ない。建前は「視察課題に適した視察先を県内では見つけられなかった」ということなのだろうが、本音は「県内だとサッと回れてしまい、宿泊する理由がなくなってしまう」だろう。背後にある「宿泊ありきの観光旅行」という意識が見て取れる。
また、地方議会のホームページを見て回ると、一泊二日、二泊三日の視察行程で視察先が一箇所しかないという例や、博物館や資料館を見学するだけという例も見受けられる。他にも、「人口数万の小規模市町村が、予算規模のまるで違う政令市の事業を見てどう参考にするの?」と視察対象に疑問を抱かざるを得ないものもある。
上記リンク先のブログ主のように、ちゃんとした行政視察をしようと呼びかける地方議員も存在する。しかし、リンク先を読むと、そうした議員は少数派であるということが分かる。ほとんどの議員は、観光旅行のような視察に違和感を抱くことなく「今度の視察、どこ行こうか?」と軽く考えているようだ。
なぜこうなるのか。
地方議員には「先進事例を勉強してこよう」というインセンティブ、動機付けがないからだ。
宿泊可能な視察の予算が確保されているのに、
「午前中に県内の隣の市、そのまま車を走らせて、午後にその隣の町へ視察して帰る」
という日帰りの行政視察をするのは、面白くない。
また、
「インターネットで視察課題についての情報収集を行い、事前に視察先についての研修会を行い、1日目午前はここ、13時からここ、15時からここ、2日目はここを視察して帰る」
という濃いスケジュールを組んで見て回るのは、肉体的にも精神的にもキツイ。
それよりも、
「1日目に一つ視察して、観光をして旅館に泊まって温泉に浸かり、2日目は観光ついでに博物館の見学をして帰る」
の方が、議員は楽だ。形ばかりの視察をしても外部から責められることがなければ、当然楽なあり方が定着する。
「住民の税金を使っているのだから、中身のある視察をして行政へ反映させるべきだ」
というのは、正しい。納税者からすれば当然のことだ。
ところが、人間はどうしても楽な方に流される。有権者は聖人君子だけではないし、聖人君子だけが立候補しているわけではない。
また、今は「ちゃんとした視察をしよう」と考えている聖人君子の議員でも、その意思を来年、次の任期と継続できる保障はない。
聖人君子が主導権を握り、今はちゃんとした視察をしている議会でも、後に形骸化しないという保障はない。
「ちゃんとした視察をしよう」という意思を支えるインセンティブが無いのだから、いつかは楽な方に流される・・・と考えた方が妥当。
そもそも、視察して学びたい行政課題を思いつくためには、日ごろから課題の解決を真剣に考えている必要がある。また、適した視察先を探すためには、常にアンテナをはって他自治体の情報収集をしていなければならない。優れた能力と、日ごろからの労力が無ければならない。日ごろから考えていない議員、アンテナをはっていない議員が「さぁ視察だ」と言ったところで、視察課題に基づく適切な視察先の選定をできるわけがない。
「毎年1回、委員会や会派で行政視察を行っています」
という定例的、慣例的な行政視察は、止めるべきだ。
能力の無い者に、税金の使途を決めさせてはならない。
議員が惰性で行政視察を続ける限り、行政が惰性で続ける事業に歯止めをかけることはできない。
議員から職員に
「何年もこんな無駄な事業をしてはダメだ!」
と指摘したところで、職員から
「いやいや議員さん、そちらも中身の薄い視察をしてるじゃないですか」
と突っ込まれてしまうのがオチだ。
もし、行政視察を続けるのであれば、
・視察の行程、宿泊先、領収書添付の上での費用の詳細な公開
・(委員会単位、会派単位でなく)議員個人ごとの視察報告書の公開
位のことをしないとダメだろう。全て見られている、住民の監視対象になっている、と意識させることで、初めて、ちゃんとした視察をしようという動機付けが生じることになる。
「権力は腐敗する。専制的権力は徹底的に腐敗する。(アクトン卿)」
制限を受けない権力は、間違いなく腐敗する。
個人の使命感、道徳は、塩の塊のようなもの。簡単に溶けて崩れてしまう。
個人の性質に頼ることなく、制度で担保していかなければならない。
そして、腐敗を防ぐ最良の方法は、税金を使わせないことだ。