若年寄の遺言

リバタリアンとしての主義主張が、税消費者という立場を直撃するブーメランなブログ。面従腹背な日々の書き物置き場。

公共サービス基本法から公契約条例へ 公務員は喜び、工事業者は喜び、納税者は泣く

2010年08月20日 | 政治
かつて自民党政権下では、景気対策や「国土の均衡ある発展」の旗の下に、多くの公共工事を発注してきた。国土も人口も日本より多いアメリカを上回る、面積比で30倍とも言われるほどのコンクリートを使ってきた。その結果、多くの工事業者が公共工事に依存する体質が出来あがるとともに、国・地方ともに多額の借金を抱えることとなった。

ただ、いつまでも放漫財政を続けるわけにはいかない。必要のない工事を発注して、納税者が工事業者を食わせていくことは出来なくなった。国・地方ともに、公共工事の予算を削減した。民主党が言っていた「コンクリートから人へ」って言葉も、こうした背景に沿ったものだと思う。公共工事の発注で景気や雇用を下支えすることに、限界が訪れたといっていい。

ダンピング受注の背景には、元請け・下請け・孫請けを含む工事業者が、発注される公共工事と比べて多すぎるということがある。公共工事が減り、多くの工事業者が殺到する。当然、安くしなければ受注できない。業者の利益は減るだろうし、そこで働く従業員の賃金も下がるだろう。また、他の発注工事を探すなり、別分野に打って出るなり、場合によっては事業をたたむといったことも必要になるだろう。

利益の低下、賃金の低下を、「今までのやり方を改めるべきだ。あるいは、今の分野から他の分野へ移るべきだ」というシグナルとして受け取らなければならない。これは、工事や建設といった分野だけでなく、市場における全ての分野に共通して言えること。

公共工事と工事業者のアンバランスはどこかの時点で解消されなければならない。市場における調整過程に行政が介入して、工事業者が公共工事から他の仕事、他の分野へ移ろうとする動きを妨げてはならない。

ところが・・・

○野田市公契約条例の概要


平成21年5月に理念法としての公共サービス基本法が制定され、この流れを受け、平成21年9月に、千葉県の野田市が公契約条例なるものを制定した。条例では、市が発注した工事等を受注した業者に対し、そこで働く者へ最低賃金に上乗せした額を支払うよう義務付けている。

これは、市場のシグナルを歪めている。

たとえば、役所からの発注や援助に頼ることなく営業しているコンビニが、バイトに最低賃金を支払っている、とする。一方で、普段はバイトに最低賃金を払っている工事会社が、野田市発注の工事を受注したことで最低賃金に上乗せした額の支払いを義務付けられた、とする。一時的にではあるが、賃金が、

  コンビニのバイト < 工事会社のバイト

となる。職を探す者はこれを見て「コンビニよりも工事会社の方が将来性がある」と勘違いしてしまうのではないか。業界の規模が縮小しているにも関わらず、市が「コンビニから工事会社へ移るべし」という誤ったシグナルを労働者に発している。

公共事業の予算削減、業界のパイの縮小、これに伴う就業者の移動。こうした大きな流れを自治体の公契約条例ごときで止めることはできない。自治体のこうした動きは、大きな流れへの適応を遅らせ、労働者の判断を誤らせ、問題を先送りにし、解決を困難にしてしまう。

かつて、石炭の需要が減る中で炭鉱が次々と閉鎖された。そこで働く者は別の業種、別の土地へ移ることを余儀なくされた。「公契約条例って良いよね」という人達は、かつての石炭業にも行政が全面的に介入し、石炭業で働く人達が石炭業で働き続けることができるようにすれば良かったとでも言うのだろうか?

地方分権・地域主権ということが言われ、公務員の世界では、地方分権・地域主権を実現するための手法の一つとして政策法務の重要性が強調されている。しかし、その政策法務の例が「公契約条例」では、あまりにもお粗末だ。規制を増やすだけしか能が無いのなら、政策法務や自治立法権なんて存在しない方が良い。



~ 追加1 ~

野田市の根本市長は、公契約条例制定時のインタビューで
○野田市公契約条例可決について
「今の賃金では若い人たちがこの仕事に入ってくることができなくなる」
と述べている。

若者がこの仕事に入ってこれるようにすることが、公契約条例の目的のようだ。誤ったシグナルを発する気まんまんである。



~ 追加2 ~

平成21年9月に制定され、平成22年度から実際に動き始めた、野田市公契約条例。その初入札の結果は・・・

○全国初の公契約条例に基づき初入札 野田市 - j-aizu 労働速報!
 この日、清掃4件(市内4カ所)の入札には14の業者が参加した。提出された、監督者など以外の作業員の最低時給は各社すべて830円。結局、総額が一番安い業者が落札した。契約額は1459万円~3880万円。各所で100万円以上の増額になった。10年度予算が決まった後に正式契約となる。


野田市民のみなさん、税負担ご苦労様です。

地方議会議員年金を廃止しよう!その他の公的年金も廃止しよう!

2010年08月18日 | 地方議会・地方政治
地方議会の議員は、地方議会議員年金を掛けている。この年金制度は掛け金(保険料)と公費(税金)で運営されており、その割合は6:4となっている。現役の地方議会議員が議員報酬の中から保険料を払い、3期12年以上勤めて引退した元議員が年金を受け取る仕組みだ。

さて。

平成10年の段階では、市町村の現役議員が60,004人、年金受給者が79,232人だった。ところが、平成21年には市町村の現役議員が33,614人、年金受給者が90,795人となった。保険料を払って制度を支える現役世代が大幅に減る一方で、年金受給者は増えている。

なぜか。

背景には、平成の大合併がある。1市5町が合併し、議員総数が110人から30人に減少・・・なんてことが全国で起きた。同時に、合併市町村であるか否かを問わず、行財政改革の一環として議員数を削減し議員報酬を減額する動きが各地であった。合併で自治体数が減り、議員数が激減し、議員一人当たりの報酬も減る。保険料収入は減る一方だ。

平成10年には、市議会議員共済会・町村議会議員共済会の二つ合わせての積立金が1,913億円あった。しかし、保険料収入の減少と年金受給者の増加で赤字に転落。ここ数年は200億円近い赤字を出し続けた。その赤字を埋めるために積立金を取り崩し続けた結果、平成23年度の途中で積立金はゼロになる見込みだ。

このままいけば、来年には確実に破綻する。政府は選択に迫られている。保険料率を上げるか、公費負担を上げるか、年金支給額を下げるか、制度を廃止するか。廃止する場合には、払い込んだ保険料総額の何割を一時金として払い戻すか、一時金支払いのために公費をどのくらいつぎ込むか。

地方議会議員や市議会議員共済会の反応は、
「今まで払った分はもう捨てたものとして我慢する。しかし、破綻すると分かっている年金制度に、来月以降も破綻する瞬間まで払い込みを続けなければいけないというのは我慢できない。」
「破綻前に駆け込みで議員辞職し、駆け込みで年金受給資格を得ようとする者も出てくるのではないか。」
「合併は国策で行われたのだから、合併による影響分は全て国が公費で負担せよ」
「特権的と批判されている議員年金は廃止すべき」
と様々だ。

市議会議員共済会には、「強制加入となっているが、保険料の払い込みを止めたい。どうすれば良いか」といった問い合わせが結構あるらしい。市議会議員共済会は「強制加入となっていますので、議員は保険料を払わなければいけません。法律にもそう書いています」と説明しているが、「法律は破ってナンボ」で有名な阿久根市では、実際に保険料の支払いを拒否した議員が出現。

○阿久根 議員年金支払い拒否 市長派市議4人 制度廃止求める 2010/07/29付 西日本新聞朝刊


保険料率は年々引き上げられ、現在は16%。報酬月額が42万円の場合、掛金として毎月67,200円払うことになる(加えて、6月と12月は特別掛金あり)。年間にして100万近い金を払うだけ払って、自分は受給できなくなる可能性が濃厚、となれば、早く地方議会議員年金制度なんて廃止して、自分で老後の積み立てをした方が良い、と思う人がいても無理はない。



さてさて。



地方議会議員年金の話は、私たちにとって「対岸の火事」だろうか。

私はそうは思わない。

現役世代が減り、年金受給者が増えるという基本的な構図は、地方議会議員年金も他の公的年金も同じだ。国民年金や厚生年金が来年破綻するということはないだろうが、緩やかに、しかし確実に、破綻への道を進んでいる。少子高齢化が進む中で破綻を回避し年金制度を維持しようとすれば、保険料を上げるか、年金支給額を下げるか、公費(税金)負担を増やすか、のいずれかを選択しなければならない。しかし、際限無く保険料を上げ続けることはできないし、公費負担を増やし続けることもできない。どこかで行き詰まる。

少子高齢社会が続く限り、問題は解決しない。だいたい、少子化の解消をあてにした制度設計が間違っている。年金制度を維持するために子供を生む、そんな母親がどこにいるというのだ。子供を生む・生まないは夫婦の選択に委ねられるものであって、「少子化の解消・年金制度維持のため、子供を持つ夫婦には補助金を出します。子供のいない人の負担で。」なんてのは要らざる介入の典型。
(こうした補助金を出すことによって、「補助金を廃止されたら子供を持てない」「政府の支援がまだまだ足りないから子供を生めない」なんて風潮を招き、かえって少子化に拍車をかけているのではないか?)

政府のいう少子化の解消はあてにならないし、あてにしてはならない。少子高齢が続く中でも無理なく維持できる制度でなければならないが、これは極めて難しい。その時代の現役世代と受給者の比率、経済状況や財政状況、その時の政権与党の都合で、保険料率や受給額はいかようにも変更される。「100年安心」はおろか、10年後でさえどうなるかは誰にも分からない。年金制度を継続するために現役世代の負担が増え続ける一方で、「あなたは確実に○○円受け取れます」なんて保証はどこにもない。

いっそのこと廃止・清算するのが良い。それも、出来るだけ早く。その方が傷が浅くて済む。積立金が残っているうちなら、公費(税金)投入額がその分少なくて済む。続ければ続けるだけ、傷が大きくなる。積立金を使い切った後に廃止・清算しようとすると、清算のための一時金を全て税金で賄わなければならなくなってしまう。


議員年金は、現在年金を受け取っている人を見る限り、特権的な制度だなぁという印象を受ける。しかし、破綻間際に現役世代として保険料を払わされている人を見ていると、まるで懲罰のようだとさえ思える。同じことは公的年金制度全般についても当てはまる。破綻間際に保険料を払わされる現役世代は払い損。罰金みたいなものだ。破綻の瞬間が5年後か10年後か50年後か・・・は分からないが。

(ちなみに、野口悠紀雄氏の試算では、2029年に破綻する・・・とか。)
○「100年安心年金」の戦慄の未来図 - にっぽん改国(田中康夫) - BLOGOS(ブロゴス) - livedoor ニュース

社会保障と自由は反比例

2010年08月05日 | 政治
社会保障の適正さを保とうとすると、役所は個人の生活状態の把握を徹底しなければならなくなる。年金、医療保険、介護、生活保護、これらを漏れがないように厳格に実施しようとすると、世帯構成、本人の所得、家族の所得、職業、病状などを、事細かに、場合によっては強制的に調べなければならなくなる。

「天網恢恢疎にして漏らさず」なんて言葉があるが、実際に制度を作って運用するのは「天」ではなく「人」。人が作るものなのだから、把握されるべきが把握され、踏み込むべきでないところは踏み込まず、過剰でなく、不足もなく、誰もが納得の形で把握される・・・なんてわけがない。「疎にして漏らさず」な制度が出来あがることはない。

制度には穴があるのが常。その穴を防ぐために制度を被せ、制度と制度の継ぎ目にまた制度を被せ、気づいたら制度が重複し、よく分からない役所の部署ができ、縦割り行政が肥大化し、天下り先ができ、出る杭は打たれ、行政に介入されて個人は息苦しくなる。


さてさて。


社会保障の穴が見つかりました。介入の足音が近づいてまいりました。

<高齢者不明>全国で100歳以上の男女18人 所在不明に(毎日新聞) - Yahoo!ニュース
 東京都内で住民登録がある高齢者が死亡していたり、登録地に住んでいないことが判明した問題で3日現在、全国で100歳以上の男女計18人の所在が確認できないことが、毎日新聞のまとめで分かった。なぜこうした事態が相次ぐのか。
     ------------(中略)------------
 淑徳大の結城康博准教授(社会保障論)は「家族が高齢者を助けるという性善説だけでなく、公的機関が適切に現場介入できるような仕組みを構築しなければ」と制度改正の必要性を訴える。
 足立区の担当者は言う。「高齢者を監視したり、家庭の中に入る権限は行政にはない。今回の事件は民生委員などの人手が足りないとかいう以前の問題だ」
8月3日21時10分配信 毎日新聞



「高齢者を監視したり、家庭の中に入る権限は行政にはない」
              ↓
「公的機関が適切に現場介入できるような仕組みを構築しなければ」

役所から公務員がやってくる。居留守を使って鍵をかけていても、鍵を壊して入ってくる。世帯の状況を確認するためだ。社会保障給付の適正さを維持するという理屈からいけば、100歳以上だけが介入調査の対象ということにはならない。65歳以上の老齢年金受給者、障害年金や遺族年金の受給者、デイサービスに通う人、保険証を使って病院に通う人、母子手当を受けている人など、相当な数の人が

  コウムインの 「突撃!隣の社会保障受給者」

の対象になりうる。

逆に、
「年金を窓口支給にして、役所に出頭させればいい。そこで本人確認すればいい。」
なんて意見も出てきそうだ。
2か月に1度、自治体に住む全ての高齢者が役所で列を作る。おじいさんは杖をつき、おばあさんは手押し車で、ひいおじいさんはタクシーで、ひいおばあさんはひ孫に連れられて役所へやってくる。
立ったまま窓口の前で2時間、3時間と待たされ、
「はい、○○さんですね。今回も生存確認、と。」
と端末に入力され、年金を手渡され、えっちらおっちら帰ってゆく。

そうそう、1泊2日の旅行であっても、国民は役所に届出を怠らないように。誰がどんな格好で何を持ってどこへ出かけたを事前に把握しておかなければ、行旅死亡人となって戸籍と実態が合わなくなり、やはり社会保障給付の適正を保てなくなるから。

いっそのこと、江戸時代の五人組の制を復活させ、異動の届出や納税の義務を連帯して負わせるか。


・・・・書いてて吐き気がしてきた。

なんという無駄なコスト。
なんという過酷さ、煩わしさ、息苦しさ。
自由もプライバシーもあったもんじゃない。