若年寄の遺言

リバタリアンとしての主義主張が、税消費者という立場を直撃するブーメランなブログ。面従腹背な日々の書き物置き場。

今、改めて読むべき白川前総裁の講演録 ~ 無為無策こそ最良の策 ~

2017年03月15日 | 政治
世の中には、

管理通貨制度という、無限に富を生み出せる人類唯一の打ち出の小槌

なんてことを主張する中高数学科教員が存在する。
このように、リフレ派の愚かな一部は、「富=通貨」と勘違いし、これを土台に社会や経済の理論を考え、政府や日銀のとるべき政策を論じている。そして、アベノミクスを礼賛し大規模な金融緩和を求め続けた。

しかし、打出の小槌はこの世に存在しない。商品やサービスといった富を生み出すのは個人の行為であって、通貨量の変化は、既存の富の配分過程に影響を与えるに過ぎない。

新しく1万円を追加発行した場合、発行直後なら、この1万円で従来1万円だった物をそのまま買える。この瞬間だけは無から有を生み出したように見えるが、新通貨が流通するにつれて価値が薄まる。最終的には、1万円で買えるのは以前の9千円相当だった物・・・といったような事態が生じる。

このように、価値が薄まる前の通貨を入手した人は得をし、従来の通貨を持っていた人は通貨価値が薄まった分だけ損をする。この損得が生じることによって、富が移転し、経済の動きに一時的な変化が生じる。しかし、あくまで一時的なものでしかないし、富が増えているわけではない。

さて、数学好きな人達の経済談義に対しては、次のような懐疑が生じている。

2年目のアベノミクス=「異次元の金融緩和」の現況とその課題― ゆうちょ・かんぽの国債保有問題の周辺(その2) ―
=====【引用ここから】=====
 実質金利がマイナスになれば、家計も企業も、預金のような形で資産をもっていると目減りしてしまうので、我先に消費、投資をするようになり、完全雇用が達成され、景気が回復し、需給ギャップが解消されて適度なインフレが起こる好循環が生まれるというものだ。
 実質金利をマイナスにすることによって、人々が消費や投資をするインセンティブを持つという議論は、一般論としては理解できるが、あまりにも抽象的である。
 まず現実には、家計も企業も「期待」だけで行動するわけではなく、実体経済面で投資、雇用が発生して、人々の期待が変化することを考えると、徹底的な金融緩和それ自体によって先行的に人々のインフレ期待が形成されるメカニズムについては、必ずしも説得的に示されているわけではないと言えよう。

=====【引用ここまで】=====

人々の消費や投資に向けたインセンティブ形成のメカニズムの説明が不明確で説得的でない、というインフレ期待に対する懐疑は、現実のものとなった。リフレ派の絶大な支持をうけ黒田日銀は異次元緩和を実施したものの、目標とした物価上昇2%を達成することはできなかった。人の心は数学のとおりにはいかないものである。

だいたい、消費の多くを占める個人の消費者が、期待インフレ率の動向を理解し把握しているわけがない。期待インフレ率の代表的な指数としてBEIが挙げられているが、「そもそもBEIなんて聞いたことがない」という人がほとんどだろう。個人の消費者は、原油価格の上昇によるガソリン高騰、豊作によるキャベツの安売り、勤め先の業績悪化による給料の下落といった、目に見える形での値動きを材料に「次に何を買うか」を判断していると考える方が自然だ。BEIの動向から判断して「よし、新車を買うのは今だ」と決心する人がどれくらい存在するだろうか(ゼロとは言わないけれど)。

期待インフレ率が全く影響しない、とは言わないが、現実の動きは、

(1)インフレ期待 → 消費や投資に向けたインセンティブの変化

という直接的、即時的なものではなく、

(2)BEIの変化 → 投資に向けた企業判断への影響 → 新商品開発の期間の変化、生産量の変化 → 雇用数の変化、小売価格の変化、賃金の変化 → 消費者の消費行動の変化 ← 社会保険料の増加による手取りの減少

などといった、間接的、長期的、複線的な動きで考える必要があろう。この複雑な(2)の動きを、リフレ派は軽視している。(1)の側面を重視し(2)を軽視するリフレ派の議論からは、「円周率=3」で計算してロケットを打ち上げるような危うさを感じ続けている。点火ボタンを押したけど打ち上がらないので、もう一度点火作業に取り掛かったら爆発した・・・なんてことにならなければ良いのだけど。

さてさて。

黒田日銀の掲げた政策が失敗し、期限内の目標達成ができず迷走する中、今更ながら白川前総裁の講演録を読んでみた。白川氏は、私のリフレ派に対する懐疑について適切に答えてくれている。
白川氏は、上記の数学的なインフレ期待に対し次のように述べている。

【講演】白川総裁「物価安定のもとでの持続的成長に向けて」(きさらぎ会) : 日本銀行 Bank of Japan
=====【引用ここから】=====
こうした現実の中で形成されてきた物価に関するある種の常識的な感覚、すなわち「物価観」こそが、経済理論では「インフレ予想」という用語で抽象化されているものの実像だと考えられます。消費者が物価は上がるものではないという「物価観」を背景に、企業の値上げを受け入れられないため、企業でも賃金を含めてコストを抑制する動きが続き、デフレからの脱却に時間がかかっているという面もあるように思います。やはり、経済の成長力を強化し、賃金の引き上げを実現していく、という実体的な変化を起こすことが不可欠です。
=====【引用ここまで】=====

経済理論から数学的に弾き出されるものだけでなく、感覚としての「物価観」を重視する白川氏。リフレ派の単純な議論よりも、ずっと説得的である。

この白川氏は、リフレ派から「無為無策でデフレを放置した」と批判されていた。この講演が行われたのも、政府からデフレ脱却のための大規模な金融緩和を求められていた時期である。白川氏への批判や圧力については、次のようなものが挙げられる。

20兆円の追加緩和要求 背景に政府の苛立ち 日銀法改正議論加速も2012.10.23
=====【引用ここから】=====
 政府が日銀に、資産買い入れ基金を100兆円規模に増額する大幅な追加金融緩和を求めるのは、これまでの緩和が小出しで、デフレ脱却や円高修正が後手に回ってきたとのいらだちが根っこにある。30日の金融政策決定会合の結論が不十分とみられれば、日銀法を改正し、政府に総裁解任権などを持たせて金融緩和を強制しよう、といった議論が加速すると予想される。
=====【引用ここまで】=====

追い詰められた白川日銀(2012年12月16日)  - Entrance for Studies in Finance Gooblog Edition
=====【引用ここから】=====
総選挙で追い詰められた白川日銀(2012年12月16日)
 白川日銀総裁は2012年12月16日の衆議院選挙の結果、追い詰められた。衆議院選挙では、2%の物価上昇率目標を掲げた自民党が大勝した。12月18日に自民党本部に訪れた白川日銀総裁に対して安倍自民党総裁は、日銀と政府の間の政策アコード締結、物価目標導入を要請した。安倍総裁は選挙結果を受けて、12月19日から12月20日に開催される金融政策決定会合で、物価目標導入の結論を出すことを求めた(物価目標の設定に踏み切らない場合は日銀法改正に踏み切るとした)。

=====【引用ここまで】=====

といったように、あの頃は、連日にわたって日銀に対する要請が報じられていたなぁ…という記憶がある。

白川氏は「日銀の金融緩和によって意図する通りのインフレ率に誘導することはできない」ということを認識しつつも、与野党からの圧力に屈して不必要な金融緩和をしてしまった、というのが私の印象だ。

日銀や政府が行うべきことは、積極的な無為無策である。白川氏は無為無策だったから批判されるべきではなく、無為無策に徹しきれなかったから批判されるべきである。異次元緩和やマイナス金利などの金融緩和策を打ち続けた現在の黒田総裁など、論外である。無為無策に徹しきれなかった点、リバタリアンとしては物足りなさを感じる。しかし、そこを差し引いても白川氏の講演録は示唆に富んでいる。

次に、講演録の中の「需給ギャップ」について読んでみよう。

【講演】白川総裁「物価安定のもとでの持続的成長に向けて」(きさらぎ会) : 日本銀行 Bank of Japan
=====【引用ここから】=====
需給ギャップの意味
次に、デフレ脱却を巡る第3の論点、すなわち需給ギャップの意味についてお話しします。

~~~( 中略 )~~~
需給ギャップは、一般に「需要不足額」として認識されているため、これを埋めるだけの需要を政策的に付ければ、ギャップが直ちに解消してデフレから脱却できるはずだ、という議論がなされることがあります。
=====【引用ここまで】=====

さあ出てまいりました、「需要不足額」。

マクロ経済学、ケインズ経済学で言うところの総需要、有効需要の不足というアレである。マクロ経済学の教科書を読むと最初の数ページで嫌になってしまうのだが、その理由の一つにこの「総需要」という概念がある。これがどうもしっくり来ない。マクロ経済学というのは、需要と供給の全体を把握でき、両者の大小を比較できるということを当たり前の前提として「今は需要不足だから~」と言うわけだが、果たして現実に即した形で把握できるのか、個別の需要と供給の対応関係を無視しているのではないか、という疑念が頭を離れない。

これについて、白川氏は次のように述べる。

【講演】白川総裁「物価安定のもとでの持続的成長に向けて」(きさらぎ会) : 日本銀行 Bank of Japan
=====【引用ここから】=====
需給ギャップというのは、あくまで現存する供給構造を前提に、それらに対応する需要不足を捉えたものに過ぎない、という点です。社会や経済は常に変化するものであり、日本でも、高齢化や女性の社会進出、価値観の多様化などによって、新しいタイプの需要が潜在的にはどんどん生まれていると考えられます。
~~~( 中略 )~~~
こうした未充足の需要、すなわち成長分野における「供給不足」は、需給ギャップにカウントされていません。つまり、変化の激しい経済にあっては、需給ギャップは、既存の財・サービス供給に対する需要不足のみを捉え、新たな潜在需要に対する供給不足を捉えていないという意味で、非対称な概念となっています。言い換えると、本来「需給のミスマッチ」と認識すべき部分まで、「需要不足」という形で示されているということです。
=====【引用ここまで】=====

需給ギャップは、現存する供給構造に対応する需要不足を捉えたものに過ぎず、未充足の需要に対する供給不足がカウントされていない、という白川氏の指摘。この点についても納得である。

昔からある商品Aは20単位の供給過剰で在庫の山だが、今年始まった新しいサービスBの供給は全然追い付いていない、とする。ここで、サービスBはどのくらい足りないのかは通常分からない。現実の経済は、こうした個々の財・サービスの過不足の無数の組み合わせによって成り立っているわけだが、これらを合算した数字に意味はあるのだろうか。

長期的には、供給過剰な商品Aの生産を減らし、そこに携わっていた労働者は退職することを余儀なくされるだろう。一方、新サービスBの供給は増えていき、その過程で新たな雇用が発生するだろう。AからBへの生産要素、労働力の移行が進まなければ、Aが余りBが足りないという状況は改善されない。

【講演】白川総裁「物価安定のもとでの持続的成長に向けて」(きさらぎ会) : 日本銀行 Bank of Japan
=====【引用ここから】=====
そう考えると、持続的に需給ギャップを改善していくためには、潜在需要を顕在化させるように、経済の変化に合わせて供給構造を作り変えていくことが必要です。そのようにして掘り起こされた需要は、人々が自発的に求めていた需要ですから、その後も支出増加と収益・所得増加の好循環につながる性格のものです。このように、需給ギャップの改善についても、短期的なマクロ経済政策に加えて、新陳代謝の活性化を含め、新たなビジネスが生まれやすい経済構造に変えていく、という取り組みが重要な役割を担うと考えられます。
=====【引用ここまで】=====

「経済の変化に合わせて供給構造を作り変えていく」
「新陳代謝の活性化を含め、新たなビジネスが生まれやすい経済構造に変えていく」

これを実現するため、日銀にできることは何もない。
これを実現するため、政府がすべきことは補助金による特定分野の育成や新たな制度の創設ではない。規制緩和のみである。
新規の交付金や優遇措置、金融緩和を始めず、今やっている補助金や規制を廃止する。日銀や政府の積極的な無為無策が、今こそ必要である。