若年寄の遺言

リバタリアンとしての主義主張が、税消費者という立場を直撃するブーメランなブログ。面従腹背な日々の書き物置き場。

国営コンビニエンスストア

2009年06月28日 | 政治
まず、いろんな人の意見を勝手に拾い読み。

コンビニという名のヤミ再販 - 池田信夫 blog
価格競争が行なわれるのは市場経済の原則であり、安売りを制限するのは独禁法で禁じられた「再販売価格維持行為」である。公然と行なわれることは少ないので、ヤミ再販と呼ばれる(もちろんこれも違法行為)。


Libertarianism@Japan: Antitrust is harmful intervention
独禁法は他の経済法と同様に有害きわまりない法律であり、政府の市場介入を認める恐るべき悪法だ。


リバタリアンの発想法: EU労働法政策雑記帳
リバタリアンの辞書に労働者の権利などという文字ははなからないのでしょうから、「俺の言うとおりにしろ、その代わりその結果生じる損失は全部おまえが負え」というやくざ型ビジネスモデルに問題を感じないのでしょうけど。


「セブンイレブン」の価値は。 - typeAの散種的妄言録ver1.1
何故そうした「やくざ型ビジネスモデル」に加盟店側は足を踏み入れてしまったのだろうか。
答えは至極簡単だ。その方が儲かると店側が判断したからだ。




私としては、値引きをしないのを知っていて加盟したFCが、
セブン・イレブンの看板とシステムと流通を利用して商売しておきながら、
後になって「値引きさせろ」と主張するのは、後出しジャンケンのような気がする。

セブン・イレブンが嫌なら、脱退して「○○商店」としてやり直せばいいじゃない。


さて。

公取委に肯定的な池田氏は、上記のブログの中で次のように述べている。

しかし消費者もバカではない。最近、うちの近所のセブン・イレブンの隣に100円ショップができ、セブン・イレブンと同じ商品をすべて数十円安く売っている。当然、客は100円ショップに集まり、セブン・イレブンはガラガラだ。


値引きをしないセブン・イレブンと、これに対抗する100円ショップがそれぞれ競争している。
そして、消費者が自分の都合に合わせて選択している。
市場は十分に機能している。

このまま、セブン・イレブン全体として利益を出し続けられればそれで良し。
値引きをした他店に押され、本部が値引き容認に動けばそれはそれで良し。
値引きをした他店に食われ、FCが脱退していけばそれはそれで仕方ない。

政府の介入は必要なさそうだ。



医療の場合、
「誰もが必要な時に安心・安全の医療を受けられるようにする」
という理由で、国民皆保険制度が政府によって運営されている。

この理屈が食料の分野に波及し、
「誰もが必要な時に安心・安全の食料を受けられるようにする」
として、コンビニが政府によって運営されるようになったらおしまいだ。

政府の介入が一つ増えれば、コンビニの国営化へ一歩近づく。

給与条例主義

2009年06月09日 | 労働組合
地方公務員法
(給与、勤務時間その他の勤務条件の根本基準)
第24条 職員の給与は、その職務と責任に応ずるものでなければならない。
2 前項の規定の趣旨は、できるだけすみやかに達成されなければならない。
3 職員の給与は、生計費並びに国及び他の地方公共団体の職員並びに民間事業の従事者の給与その他の事情を考慮して定められなければならない。
4 職員は、他の職員の職を兼ねる場合においても、これに対して給与を受けてはならない。
5 職員の勤務時間その他職員の給与以外の勤務条件を定めるに当つては、国及び他の地方公共団体の職員との間に権衡を失しないように適当な考慮が払われなければならない。
6 職員の給与、勤務時間その他の勤務条件は、条例で定める。


この規定について、阿久根市の竹原市長はブログで次のように述べている。


さるさる日記 - 阿久根時事報
※職員の給与は阿久根市議会が条例を作って決めてきた。そもそも、市役所の職員給与を国家公務員に合わせる必要などない。 公務員給与が阿久根市の民間事業の従事者との間に激しい格差があるとするならば、過去の市長と市議会が法律に基づくあたりまえの仕事をしてこなかったということだ。今の状況はできるだけすみやかに修正されなければならない



至極もっともな意見だと思うのだが、そう思わない人もいるわけで。



ブログで有名な阿久根市長: 公務員のためいき
過去に「公務員賃金の決められ方」という記事を綴ってきましたが、竹原市長の思いだけで本来固定費であるべき職員の給与が恣意的に手を付けられることには大きな問題性を感じています。そもそも「条例で定める」という意味合いは、議会の議決を通じて予算上の裏付けをすることであり、条例化することによって労働条件の安定性を確保するという点が主眼だったはずです。
さらに人事院勧告などの役割を無視し、独自な削減を企図する場合は最低限、当該の労働組合との協議や合意形成が欠かせないものと考えています。竹原市長が強弁するような地場賃金と市職員との水準格差を問題視するのならば、決して歓迎すべきことではありませんが、数年前に導入した地域給のような全国的な制度論議を通して見直されるべき課題ではないでしょうか。




さて、ここで法の規定を改めて見てみる。


3 職員の給与は、生計費並びに国及び他の地方公共団体の職員並びに民間事業の従事者の給与その他の事情を考慮して定められなければならない。
5 職員の勤務時間その他職員の給与以外の勤務条件を定めるに当つては、国及び他の地方公共団体の職員との間に権衡を失しないように適当な考慮が払われなければならない。


地方公務員法は、
「職員の給与を決めるにあたっては、国家公務員や他の自治体職員、民間労働者の
給与とかを考慮せよ」
「給与以外の勤務条件については、国家公務員や他の自治体職員と横並びにせよ」
と定めている。

そして、民間労働者の給料を考慮するということで、人事院勧告(人事院が従業員50人
以上の民間の事業所と国家公務員の給与とを比較検討して、内閣と国会に提出する勧告)
に準拠した形で、地方議会が条例で定める。

人事院勧告は、国の機関の出すものだから、当然ながら全国一律の基準である。
そこに地域の事情は反映されていない。しかも比較対象は従業員50人以上の事業所。
地域住民と職員との収入に開きのある「官民格差」が出てくるのは必然。
「阿久根の職員が、東京の企業や国のお役人の給料を基準に給料決めてどうすんだ。
俺達と比較しろ、地元の俺達と。」
という声が上がっても不思議は無い。
むしろ、今までがおとなしすぎたんじゃなかろうか。

大分の姫島村のように、地域の事情を考慮し、
「ワークシェアリングで職員数は増やすけど、給料はラスパイレス指数で70・6ね」
という選択肢もありだろう。
国家公務員の給与と地場の民間事業の従事者の給与とを比較検討し、どちらに軸足を
置くかの選択は、首長や議会の裁量の範囲内として地方公務員法も認めるはず。

国家公務員を基準とするか、地場の民間事業の従事者を基準とするか。
どちらを選ぶかは裁量の範囲内としたとき、私は地場を基準とすることに賛成。
地元住民は自治体にとって株主であると同時に、逃れられない顧客なのだから。


ちなみに。


6 職員の給与、勤務時間その他の勤務条件は、条例で定める。


この規定について、「公務員のためいき」では

>条例化することによって労働条件の安定性を確保するという点が主眼だったはずです。

と述べている。

安定性の観点については、
「条例で決められた勤務条件で働き、条例で決められた額の給与を受け取る」
という内容で十分足りるだろう。
竹原氏がどんな個人的動機を持っていようとも、首長として議会に提案し、
議会で改正給与条例が可決されれば、そのとおりに給与は支給される。
十分に安定している。

この規定の趣旨について、判例は「お手盛りの防止」を指摘している。
職員が自身の給与を定めると、際限なく上がってしまうおそれがあるため、職員の
給与については納税者の代表たる議会が条例で定めるべし、というものだ。

お手盛りの防止という観点からすれば、労働組合が給与の決定に介入することは
好ましくない。

ましてや、

>独自な削減を企図する場合は最低限、当該の労働組合との協議や合意形成が欠かせない

なんてことになると、さぁ大変。
協議が調わず合意形成がなされなかったら、給与削減はできない。
見まごう事なき「聖域」の出来上がり。

公共サービス基本法逐条解説(と銘打った、ただの個人的感想)

2009年06月06日 | 政治
景気対策や新型インフルエンザ、民主党代表選などで騒いでいた5月の中頃に、
「公共サービス基本法」という法律が成立していたことを、皆さんはご存知だろうか。


「公共サービス基本法案早期成立」チラシ:公務労協
 日本では、貧困の拡大や地域経済の疲弊など格差の拡大が進み、いまや雇用の危機が社会全体にひろがっています。その背景には新自由主義による市場万能論や「小さな政府論」にもとづいて、財政再建を最優先した諸政策が進められ、国民の生活と安心を支える公共サービスが著しく劣化してしまったことがあります。雇用を守り、地域社会を支え、国民生活に安心と安全を取り戻すためには、いざというときに頼れるセーフティネットを国や自治体が責任をもって整備しなければなりません。そして、超高齢化社会への転換期にあたり、誰もが生きがいのもてる社会を実現するためには、市民の参画で公共サービスを国民のニーズに応えるものに改革する必要があります。
 そのために、わたしたちは次のような内容をもりこんだ “ 公共サービス基本法” の制定を目指して運動をすすめています。



民主党や公務労協(自治労や日教組などの集まり)は、「公共サービス基本法」を
成立させようと長いこと活動していた。上のサイトからは、小泉構造改革に対抗すべく
2004年頃から公務労協が公共サービスのキャンペーンを行っていたことが窺える。
「公共サービス基本法」でググると、自治労や日教組の関係するサイトがやたらと
ヒットする。この法律の成立は、彼らにとっていわば宿願。


私は、この、目論見は上手くいかないだろうと思っていた。
上手くいったら大変なことになると思っていた。
参院で民主党が第一党になっているとはいえ、衆院では通らないだろう、と。

ところが、変質した(本来の姿に立ち戻った?)自民党は、歯止めを利かすことなく、
全会一致で法案が可決。
何の争点にもならず、ほとんど報道されることもなく、まさに寝耳に水。
まぁ、法律というのは国民が決めるものではなく
官僚と国会議員が決めるものなので、寝耳に水になるのは仕方ない。



と、なげやりになってしまったところで、法律の中身を見ていきたい。


公共サービス基本法(2009.5.13 成立)
第一章 総則
(目的)
第一条 この法律は、公共サービスが国民生活の基盤となるものであることにかんがみ、公共サービスに関し、基本理念を定め、及び国等の責務を明らかにするとともに、公共サービスに関する施策の基本となる事項を定めることにより、公共サービスに関する施策を推進し、もって国民が安心して暮らすことのできる社会の実現に寄与することを目的とする。



第一条は、お決まりの目的規定。
書き方も、

(背景)にかんがみ、
(手段)することにより、
(直接的な目的)し、
もって(高次の目的)を目的とする

という、お約束のパターン。


そして、こうした基本法の目的規定はその通りに実現しない。
むしろ逆効果となる・・・というのもお約束。
おそらく、この「公共サービス基本法」も同じ道を歩むに違いない。

ミルトン・フリードマン著『政府からの自由』(中公文庫)152頁
価値ある目的のための社会政策の数々、その実施結果やいかに。その疑問をもつ方々に、絶対間違いのない予測方法をお教えしよう。何でもいい、ある政策を強く推している公共心旺盛な善意の人のもとを訪れ、政策に何を期待しているかを尋ねるのである。そして、その人の期待と反対のことを言ってみる。実際の結果とピタリと一致することは、驚くばかりである。



続いて。



(定義)
第二条 この法律において「公共サービス」とは、次に掲げる行為であって、国民が日常生活及び社会生活を円滑に営むために必要な基本的な需要を満たすものをいう。
一 国(独立行政法人(独立行政法人通則法(平成十一年法律第百三号)第二条第一項に規定する独立行政法人をいう。)を含む。第十一条を除き、以下同じ。)又は地方公共団体(地方独立行政法人(地方独立行政法人法(平成十五年法律第百十八号)第二条第一項に規定する地方独立行政法人をいう。)を含む。第十一条を除き、以下同じ。)の事務又は事業であって、特定の者に対して行われる金銭その他の物の給付又は役務の提供
二 前号に掲げるもののほか、国又は地方公共団体が行う規制、監督、助成、広報、公共施設の整備その他の公共の利益の増進に資する行為



定義中の「社会生活」とは何なのか、そしてこれは「日常生活」とどう違うのか、
どうにも理解できない。とりあえず「日常生活」に一本化して把握。

この法律で、公共サービスとは、

日常生活を円滑に営むために必要な基本的需要を満たすもののうち、
国又は地方公共団体の行う金銭の給付、役務の提供
規制、監督、助成、広報、公共施設の整備

とされている。

公共サービスに該当するためには、それが国又は地方公共団体の実施するもので
なければならない。例えば、電気やガスの供給は、日常生活を円滑に営むために
不可欠のものだが、国や地方公共団体が実施しているものではないため、
この法律の定義からは公共サービスには該当しない。

また、国又は地方公共団体の実施する事務事業であっても、基本的需要を満たすもの
でなければ、公共サービスには該当しないとされている。
基本的な需要か、そうではない高度・特殊な需要なのかは
どのように判断するのだろう。
基本的需要の中身については、霞ヶ関の中の人の解釈次第ということか。

あと、国の規制や監督はサービスの枠内に入れて良いものかどうか。
普通の言葉の意味からして、金銭の給付や役務の提供をサービスと呼ぶのは分かるが、
規制や監督は、サービスという言葉からは程遠い。
どのような意図で、規制や監督を公共サービスとしたのか、気になる。


(基本理念)
第三条 公共サービスの実施並びに公共サービスに関する施策の策定及び実施(以下「公共サービスの実施等」という。)は、次に掲げる事項が公共サービスに関する国民の権利であることが尊重され、国民が健全な生活環境の中で日常生活及び社会生活を円滑に営むことができるようにすることを基本として、行われなければならない。
一 安全かつ良質な公共サービスが、確実、効率的かつ適正に実施されること。
二 社会経済情勢の変化に伴い多様化する国民の需要に的確に対応するものであること。
三 公共サービスについて国民の自主的かつ合理的な選択の機会が確保されること。
四 公共サービスに関する必要な情報及び学習の機会が国民に提供されるとともに、国民の意見が公共サービスの実施等に反映されること。
五 公共サービスの実施により苦情又は紛争が生じた場合には、適切かつ迅速に処理され、又は解決されること。



>二 多様化する国民の需要に的確に対応する
>三 国民の自主的かつ合理的な選択の機会が確保される


人々の需要は多様であり、人々が自分の需要に合ったサービスを選ぶことができれば、
素晴らしいことだ。
ただ、これを公共サービスに求めるのは無謀だ。

例えば。

私の携わる国保の場合、住む場所で強制的にどこの国保に加入するかが決まる。
そして、75歳になれば後期高齢者医療に強制的に切り替わる。
国保だと現役世代の自己負担は3割だが、これを
「国保税をもう少し払ってもいいから、自己負担を2割にしてくれないか」
という申し出を受けることはできないし、
「国保なんていらないから、保険証を返す。国保税を勝手にかけるな」
という申し出を受けることもできない。
(※ 後者の申し出は、少なくとも月1度は耳にする)

国民健康保険は公共サービスであり、選択には馴染まない。

個々の需要に合わせた選択肢を提供できればよいが、これをすると国民皆保険という
公的医療保険の大前提が崩れることになる。
強制加入の国民皆保険には、離脱という選択肢は原則として認められない。

多様化する需要に合わせた多様な選択肢を提供できるのは、政府ではない。
市場経済だ。


さて。

この基本理念には、公共サービスを実施する側、公共サービスの提供を受ける側に
ついての記述がいくつか有るものの、大事な視点が完全に欠落している。

公共サービスを支える人の視点。納税者の視点だ。
公共サービスを実施するということを当然の前提とし、
公共サービスの提供を受ける 者の便宜を図っているが、
公共サービスが手厚くなればなるほど納税者の負担は増える。
このような納税者の負担増に対して歯止めとなるものが、この基本理念にはない。


(国の責務)
第四条 国は、前条の基本理念(以下「基本理念」という。)にのっとり、国民生活の安定と向上のために国が本来果たすべき役割を踏まえ、公共サービスに関する施策を策定し、及び実施するとともに、国に係る公共サービスを実施する責務を有する。
(地方公共団体の責務)
第五条 地方公共団体は、基本理念にのっとり、公共サービスの実施等に関し、国との適切な役割分担を踏まえつつ、その地方公共団体の実情に応じた施策を策定し、及び実施するとともに、地方公共団体に係る公共サービスを実施する責務を有する。



国民生活の安定と向上のため、国が本来果たすべき役割?

大抵のことは民間で出来る。
民間でこそ、個々の需要に合った多様なサービスを提供できる。
百歩譲って公的機関で行うべきことが何かあるとしても、
それは地方公共団体で行うことができるはずだ。
国が行うということは、全国一律の公共サービスを展開するということであり、
多様化する国民の需要に応えることは決してできない。


(公共サービスの実施に従事する者の責務)
第六条 公共サービスの実施に従事する者は、国民の立場に立ち、責任を自覚し、誇りを持って誠実に職務を遂行する責務を有する。



この法律の成立を目指していたのが公務員の労働組合だったということを考えると、
「我々は立派なんだ!エリートなんだ!」
と公務員自身が言っているようで、非常に気持ち悪い。

公共サービスに携わらない者には、責任と誇りがないのか?
そんなわけが無い。
どんな業種、業態であっても、そこに責任と誇りを持って仕事をする人がいるはずだ。

むしろ、公共サービスに携わる者は、誇りを持つべきでない。

「自分の金でもないのに、『申請を受け付ける』『許可する』『発行してあげます』
と、権限を振りかざして申し訳ない。畏れ多い。」

という、身を慎む心構えが必要だ。

公共サービスの責任だ誇りだなんだと偉そうに言っても、結局は
「他人の金を奪い、中間マージンをとり、誰かにばらまく」
だけのこと。


第二章 基本的施策
(公共サービスを委託した場合の役割分担と責任の明確化)
第八条 国及び地方公共団体は、公共サービスの実施に関する業務を委託した場合には、当該公共サービスの実施に関し、当該委託を受けた者との間で、それぞれの役割の分担及び責任の所在を明確化するものとする。



まぁ、これはその通りだ。
委託をすると、その結果や責任がどこに帰属するのか曖昧になりがちだ。


(国民の意見の反映等)
第九条 国及び地方公共団体は、公共サービスに関する施策の策定の過程の透明性を確保し、及び公共サービスの実施等に国民の意見を反映するため、公共サービスに関する情報を適時かつ適切な方法で公表するとともに、公共サービスに関し広く国民の意見を求めるために必要な措置を講ずるものとする。
2 国及び地方公共団体は、前項の国民の意見を踏まえ、公共サービスの実施等について不断の見直しを行うものとする。



ここに、家庭を持つサラリーマンがいる、とする。
このサラリーマンは、給料から税金を天引きされている。
その税金からどこかの誰かに母子手当が支給されるわけだが、このサラリーマンは
母子手当のことに意見をするほど詳しくないし、興味も無い。
自分の仕事と家族のことで精一杯なので、母子手当を考える余裕はない。
母子手当に関する意見募集があっても、応募することはまずない。

一方、母子手当を受けている人は、母子手当のことについて高い関心がある。
母子手当に関する情報が提供されれば、これを注意深く読むであろうし、
母子手当に関する意見が募集されれば、待ってましたと意見を述べるであろう。
「もっと母子手当を増やしてほしい」と。

「広く国民の声を求める」といえば聞こえがいいが、そこに集まるのは
利害関係者の声がほとんどだろう。
自分が専門として携わる分野、自分が直接恩恵を受ける分野について、
「この分野のこのサービスをもっと拡充すべきだ」という意見が主に集まる。
このように、国民の声(を偽装した利害関係者の声)が集まり、
これを大義名分として役所は予算を増やす。

世の中、上手くできてるなぁ。


(公共サービスの実施に関する配慮)
第十条 国及び地方公共団体は、公共サービスの実施が公共サービスによる利益を享受する国民の立場に立ったものとなるよう、配慮するものとする。



公共サービスを行うための負担をする、納税者の立場も配慮してください。


(公共サービスの実施に従事する者の労働環境の整備)
第十一条 国及び地方公共団体は、安全かつ良質な公共サービスが適正かつ確実に実施されるようにするため、公共サービスの実施に従事する者の適正な労働条件の確保その他の労働環境の整備に関し必要な施策を講ずるよう努めるものとする。



・・・・・


・・・・・


いろいろ書いてあったが、おそらくこれが公務労協の「本音」だろう。
「日常生活を円滑に営むことができるよう」
とか、
「国民生活の安定と向上のため」
とか、
「国民の立場に立ち」
とか、偉そうなお題目を並べたところで、結局は
「もっと楽な職場で、給料たくさんほしい」
なのだ。


公務員の労働条件を今より下げて、公共サービスの質は低下するか?
逆に公務員の労働条件を今より上げて、公共サービスの質は向上するか?
そんなことはないだろう。
もし、労働条件を今より下げて、質を低下させるような輩がいれば、
その人には辞めてもらえば良いだけの話。
そして、公務員採用試験での倍率が1倍を切るくらいになって、
初めて「ちょっと労働条件を下げすぎたかな。」で良いのだ。

鹿児島県阿久根市のように、市民と市職員との「官民格差」が
選挙の争点になるご時勢。
公共サービスには、低所得層を対象としたものが比較的多い。
公共サービスの提供を受ける者を基準として考えるのが、この法律だ。
ならば、公務員の労働条件も、低所得層のそれに合わせた形で定めるべき。
「地方公務員は国家公務員の給与体系に準じ~」って、何それ?

阿久根市のように給与明細を公開し、その給与が仕事内容に見合ったものかどうか、
納税者に判断してもらえば良い。
この法律は、公共サービスに関する情報を公開するよう定めているが、
公共サービスに携わる者の給料がいくらか、ということは、
公共サービスに関する情報として最も基本的なことだろう。