若年寄の遺言

リバタリアンとしての主義主張が、税消費者という立場を直撃するブーメランなブログ。面従腹背な日々の書き物置き場。

医療費無料化に見る無駄遣い

2009年08月30日 | 政治
『小児科医師不足を超加速させている小児医療費無料化』(長隆)
全国の自治体が競いあって小児医療費無料化を進めている。
美濃部都政 老人医療費無料化で何が起こったか。病院が老人のサロン化し、殺到する健康老人のために老人病院が跋扈し、医療費が急上昇し、医療の質が著しく低下した事の反省がない。
地方公共団体の長も議員も住民に耳あたりの良い迎合政策を病院の意見にまったく耳を貸さず、条例制定している。
この結果、小児科診療の夜間軽症患者が急増し本当に必要な重篤の小児患者まで診療の機会を奪われる事になったと言える。



医療費が無料になると、今までは家で安静にして様子を見ていた程度の軽症患者も、
迷うことなく病院へ行くようになる。サプリメントを自分で買うよりも、
病院へ行って診察してもらい薬を処方してもらう方が、安上がりということになる。
そして、病院はサロン化し、社会保障はパンクする。


一方・・・

歯科インプラントの治療費 - 保険適用外の治療
また、インプラントの治療費は高額になるケースが多いため、インプラント治療を受ける側が十分に検討する必要がありますので、受診したその日のうちに治療を始めるのではなく、一度帰宅して予算を考えたり、場合によっては家族に相談したほうがよいでしょう。


医療費無料から一転して保険適用外の治療になると、人々は、治療を行うにあたって、
予算の検討や家族との相談といった慎重な段取りを踏むようになる。


医療費無料の場合と、保険適用外の治療の場合。
人々はその場その場で自分に有利になるように行動する。



こうした合理的な行動という視点を外し、公的医療保険の「べき論」を述べるなら、

「保険の適用があろうがなかろうか、自己負担額が多かろうが少なかろうが関係なく、
 急患を除く全ての患者が、医者にかかる前に、治療の要否や医療費総額について
 しっかりと検討すべきだ。みんなの医療費はみんなの保険料で賄われるのだから、
 みんながそのように検討すべき責務を負う。」

ということになる。
こうした「社会的道徳」を多くの人が共有している、という前提で成り立つのが
公的医療保険だ。
保険適用外あるいは自己負担割合が大きい場合、人は自分の財布と健康を天秤にかける
ことで、自分の生活が破綻しないよう気をつける。
同様に、医療費無料化あるいは自己負担割合が小さい場合、みんなの財布(=財政)と
みんなの健康をみんなが考えなければ、医療財政は破綻する。


しかし、このような道徳的な人は、現実にはそうそういない。
医療費が無料なら、「とりあえず病院に行かなきゃ損だ」と考えるのが普通だろう。
また、自己負担割合が1割から3割に切り替わる場合には、
「1割のうちにかかれるだけ病院にかかっておこう」と考えるのが人情というもの。

100%公費負担による医療費無料化なんて、百害あって一利なし。
医療サービスという人的・物的資源の垂れ流し、税金の無駄遣い。
医療現場への過剰負担と保険財政の圧迫を招き、消費税アップの口実を与えてしまう。

さてここで。

「社会保障費増加に対処するための財源を、消費税増税で賄うのではなく、
税金の無駄遣い根絶で捻出する。」

という意見がある。これは、正しいようで正しくないと私は思う。

社会保障費の中にこそ、税金の無駄遣いが大量に含まれているのだから、
「税金の無駄遣い根絶=社会保障費の抑制」
となるはず。
①「(社会保障費を含む)税金の無駄遣いを根絶します。そして、その分減税します」
あるいは
②「社会保障費(税金の無駄遣い)増加は避けられない。その分を増税します」
なら、話の筋が通る。

(私は当然①を支持する)

しかし、
③「税金の無駄遣いを根絶します。浮いたお金を社会保障費増加分に回します」
という意見は、社会保障に含まれる税金の無駄遣いを見て見ぬ振りをするものであり、
税金の無駄遣いを根絶する意思があるのかどうか怪しいものだ。


健康というのは、そもそもは個人の問題。
健康に気を遣って生活しようが、
「俺は太く短く生きるんだ。お前に何の関係があるか!」
と不摂生を続けようが、その人の自由。
そして、その生き方の結果も自分で引き受ける。これで済む。

ところが、本来は個人の問題である健康を、公的医療保険によって社会化してしまった。
健康の社会化。
医療の社会化。
これが大きな間違いの始まりだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

先進的な法律は悪法だ

2009年08月26日 | 政治
『ヒューマン・アクション』L.v.ミーゼス著 村田稔雄訳 649頁
労働時間を短縮し、工場から既婚婦人と児童たちを引き上げさせたのは、労働立法や労働組合の圧力ではない。賃金生活者が非常に豊かになり、彼自身や扶養家族のために、もっと余暇を買うことができるようになったのは、資本主義のお陰である。おおむね十九世紀の労働立法は、市場的要因の相互作用によって既に生じていた変化を法的に認めたものにすぎなかった。労働立法が産業の発達よりも先行したこともあったが、そのような場合には、富の急増によって、間もなく事態が正常に戻った。いわゆる労働者優遇的法律が、既に現れていた変化ないし直近未来に起こると思われる変化の予想を承認した措置の命令にとどまらなかった場合は、労働者の物質的利益を害した。


現在、日本には労働基準法や労働安全衛生法、労働者災害補償保険法など、様々な労働関係の法律がある。そこに規定されている事項が実際に多くの会社で遵守されるかどうかは、「そのことが法律に書かれている」「罰則がある」ということとはあまり関係が無い。

週40時間労働や有給休暇、年少者の保護、労災保険など、程度の差こそあれ、比較的多くの職場や企業で遵守されている事項は、これらが法制化されているから遵守されているのではない。これらの労働者優遇措置を守っていても、職場の業務遂行に支障がなく、企業経営が成り立つからこそ、遵守されるのだ。

各職場、各企業のおかれている状況でも遵守することができる労働者優遇措置を法制化してこそ、労働者優遇措置は初めて遵守される。様々なものが効率化され、より良い商品やサービスが手軽に利用できるようになり、生活コストが下がることで生み出される余裕が、労働者優遇措置の遵守を現実のものにする。

では、各職場、各企業のおかれている状況では到底遵守できない労働者優遇措置を法制化したら、どうなるか。
おそらく、
「あぁ、あの法律?うちは無理だよ。無理無理」
と開き直って、無視されるのがオチ。
そして、何かと理由をつけては、労働者優遇措置を従業員から遠ざけ、労働者優遇措置を利用する従業員に冷や飯を食わせることで、その利用を阻むだろう。罰則を設けたところで、その罰を受けることによるマイナスよりも、馬鹿正直に労働者優遇措置に従うことによるマイナスが上回るのであれば、遵守されないだろう。

ではでは、罰則や監視、取り締まりの強化で、現状では遵守できないような労働者優遇措置を徹底しようとしたら、どうなるか。

例えば、最低賃金時給1000円を徹底したら、バイトの数を減らし、残った従業員やバイトの回転数を上げて対処しようとするだろう。しわ寄せは残った者に向かう。また、それによって雇用を失う者も出てくるだろう。

また、例えば、育児休業の取得を徹底したら、育休で開いた穴を残された従業員がカバーしなければならなくなる。日ごろから人数に余裕があれば別だが、そうでなければ職場の渋滞は避けられない。中小企業であれば死活問題となる。

また、育休の取得が徹底されれば、その負担を回避するため、そもそも育休を取得しそうな人を予め採用しないようにする企業も出てくるかもしれない。


行き過ぎた労働者優遇措置は、かえって労働者の首をしめることになる。労働者優遇措置の法制化は、現実の職場・企業の状況を後追いするくらいで良い。労働者優遇措置を実効あるものにするためには、逆説的だが、労働者優遇措置の規定を含めた様々な法規制を廃止し、消費者のニーズに応えた多様なサービスがより効率的に提供される市場を整えることが必要だ。

「欧米の育休取得率は日本より高い」という議論があるが、これは単に欧米の職場や企業は日本より余裕がある、何だかんだいって日本より欧米の方が豊かだ、ということでしかない。無い袖は振れない。身の丈に合わない法制化は愚の骨頂。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

引用違い?

2009年08月18日 | 政治
市長と自治労が対立し、裁判沙汰になっている阿久根市。
かの「公務員のためいき」では、そんな阿久根市の状況についてコメントした後、
「マルティン・ニーメラーの詩」を引用している。


阿久根市のその後 Part2: 公務員のためいき
彼らが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった、私は共産主義者ではなかったから。
社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった、私は社会民主主義ではなかったから。
彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった、私は労働組合員ではなかったから。
彼らがユダヤ人たちを連れて行ったとき、私は声をあげなかった、私はユダヤ人などではなかったから。
そして、彼らが私を攻撃したとき、私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった。



「竹原市長が阿久根市職員を攻撃したとき、私は声をあげなかった。私は阿久根市職員ではなかったから。
 そして、市長が私を攻撃したとき、私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった。

 皆さん、こうなったら大変ですよ!」


・・・とでも言いたいのだろうか?


ちなみに、この詩の中の「彼ら」とはナチ党を指す。
阿久根市の件と照らし合わせるなら、

「ヒトラーがナチ党員を攻撃したとき、私は声をあげなかった。私はナチ党員ではなかったから。」

ということになる。


自由への脅威ということを考えた時、
市長が職員に対し強圧的であるというのは、あまり問題ではないと思う。
組織をどう統制していくかという問題と、その組織を使って外部に対しどのように臨むかの問題は、全く別の話だから。

それよりも、利潤という制約を受けず、市長の命令という制約からも解放された公務員の方が、よっぽど怖ろしい。
※以前の『ヒューマン・アクション』の引用を参照のこと。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一番重い懲戒免職 vs かなり軽い文書訓告

2009年08月01日 | 政治
地方公務員法
(任命権者)
第六条  地方公共団体の長、議会の議長、選挙管理委員会、代表監査委員、教育委員
 会、人事委員会及び公平委員会並びに警視総監、道府県警察本部長、市町村の消防長
 (特別区が連合して維持する消防の消防長を含む。)その他法令又は条例に基づく任
 命権者は、法律に特別の定めがある場合を除くほか、この法律並びにこれに基づく条
 例、地方公共団体の規則及び地方公共団体の機関の定める規程に従い、それぞれ職員
 の任命、休職、免職及び懲戒等を行う権限を有するものとする。
(懲戒)
第二十九条  職員が次の各号の一に該当する場合においては、これに対し懲戒処分と
 して戒告、減給、停職又は免職の処分をすることができる。
 一  この法律若しくは第五十七条に規定する特例を定めた法律又はこれに基く条例、
  地方公共団体の規則若しくは地方公共団体の機関の定める規程に違反した場合
 二  職務上の義務に違反し、又は職務を怠つた場合
 三  全体の奉仕者たるにふさわしくない非行のあつた場合



ここにあるように、市長は、職員に対し戒告、減給、停職、免職をすることができる。
また、地方公務員法上は存在しないが、自治体によっては内規で文書や口頭による
訓告・注意といった処分を設けているところもある。
(法律上の懲戒処分を受けた場合は昇任や昇給に影響するが、
内規上の訓告・注意だと昇給には影響しないという扱いらしい。)

職員が規則違反、命令違反、非行などをした場合、市長は相応しいと思われる処分を
選んで執行することになる。どれを選ぶかは、市長の裁量となる。

ただこの市長の裁量は、無制限というわけではない。

職員の違反・非行の程度と処分の程度を比べ、処分が社会通念上相当でないと
判断されれば、裁量権乱用として処分が違法なものと判断されることになる。
過去には、地方公務員が酒気帯び運転で懲戒免職とされた後、
「処分が重すぎる!裁量権乱用につき懲戒免職の処分は違法・無効」
と判断した地裁もあるようだ。



ここで、阿久根市の出来事へ。

市長命令で職場に掲示してある職員給与総額張り紙をはがすという行為に対し、
免職という懲戒処分は社会通念上相当か?それとも重すぎるので違法か?
はたまた、市の賞罰委員会が市長に報告したように、文書訓告が相当なのだろうか。

張り紙をはがすという行為自体は、大したことではない。

しかし、人件費削減という公約・至上命題に基づき、人件費総額を職員や住民の見える場所に掲示し、
人件費の高さを意識させるというこの市長の目的・主張を加味すると、
ことは単なる張り紙はがしの域を越え、
市長の政治的意図に対する明確な反意をもった命令違反という評価になろう。
「今後、同じような政治的意図で出された命令についても、従わないぞ」
という公の意思表示と受け取られても仕方がない。

どうも、文書訓告では軽すぎる。
「一応処分はしました」という記録が残るくらいで、処分された職員本人には
実害らしい実害がない。
賞罰委員会というのが、副市長以下職員で構成される内部・身内の委員会で、
市長に報告する際に、処分を軽くするよう手心を加えて報告したのではないか。
(あくまでも推察に過ぎないが。)

かといって、免職では重すぎるのではないかとも思う。
収賄、横領、飲酒運転の人身事故などは懲戒免職となるのが相場で、
行為者本人の直属の上司に対しては、監督不行届として停職や減給・・・
という私の印象からすると、張り紙はがしが収賄や横領に匹敵するのかと
疑問に思わざるをえない。相場から大きく外れている気がしてならない。

3か月・30%の減給という落とし所でどうよ?
甘いという人もいるかもしれないが、実際にこの処分を受けたら、
けっこうキツイと思う。



公務員は、利潤や損益という制約を受けていない。
その代わりに、首長をはじめとする上司の命令に従うという制約を受けている。
規則や命令に従わなくても、実害を伴う処分を受けないのであれば、
公務員ほど楽な仕事はない。
好き放題のやりっぱなしして、時々「今後は気をつけるように」なんて文書が来ても、
クルクルっと丸めてゴミ箱へポイ♪で済んでしまう。
これでは組織は成り立たない。

公務員の仕事は、規則や命令に従うことだ。
融通をきかせることなく、形式的に、杓子定規に。


『ヒューマン・アクション』L.v.ミーゼス著 村田稔雄訳 342頁
もし公務員たちの最高の長(それが主権者である国民であろうと、至上権をもつ独裁者であろうと問題でない)が、公務員たちに自由裁量を許すとすれば、彼らのために自己の至上権を放棄することになるであろう。これらの公務員は、無責任な役人となり、その権力は国民ないし独裁者の権力を上回り、彼らの長が要望していることではなく、自己の好きなことをするであろう。このような結果を防ぎ、公務員たちを長の意思に従わせるためには、あらゆる点について業務処理を定めた詳細な指示を与えておく必要がある。それによって、公務員は、これらの規則を厳守して、すべての業務を扱うことが義務となる。具体的問題のもっとも適切な解決と思われる方法へ、行為を適応させる自由は、これらの規則によって制限される。彼らは官僚、すなわち、あらゆる場面に所定の非弾力的な規則を守らなければならない人々である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする