若年寄の遺言

リバタリアンとしての主義主張が、税消費者という立場を直撃するブーメランなブログ。面従腹背な日々の書き物置き場。

それって「規制依存症」じゃない? ~ 香川県ネット・ゲーム依存症対策条例 ~

2020年03月18日 | 地方議会・地方政治
 議員提案条例。

 日頃から、議案として議会に提出された政策条例案を、その規定から生じる影響・効果、文言の解釈・運用を慎重に検討・審査し、有害無益な条例なら否決し、あるいは条例修正案を提示している地方議員は多くありません。大抵の地方議員は、「何かあっても知事の責任だし」と安易に考え、知事部局の説明をざっと聞いて、一つ二つ意見を述べて仕事をしたアピールだけをして条例を原案可決しているんじゃないか。そんな条例審査をしていても、条例を制定する能力は身に付きませんよ?
 そのせいか、議員提案で制定された対住民の政策条例は、制定過程が杜撰、根拠がテキトー、中身があいまい、というイメージを拭えません。

 このたび、香川県議会はまさにそのイメージを地で行く条例を制定しました。話題となっている『香川県ネット・ゲーム依存症対策条例』です。

香川県ネット・ゲーム規制条例案、可決 「県民をネット・ゲームから守る」2020年03月18日 11時45分 公開[谷井将人,ITmedia]

【パブコメ結果が非開示!?】

さて。
 広く住民に影響のある政策条例を制定する場合、パブリックコメントを実施するのが一般的です。パブリックコメントでは、条例素案を公開し、意見を募り、結果を公開し、寄せられた意見に対し条例提案者が考え方を示し、必要に応じて条例素案を修正する、といったプロセスを経るのが通例です。場合によっては条例等でパブコメの手順を定めている自治体もあります。

 ところが、今回の条例制定に際して実施されたパブコメについては、議会事務局職員が編集した概要のみを公開しました。推し進めていた香川県議会の議長・大山一郎は、自身が委員長を務める「香川県ネット・ゲーム依存症対策に関する条例検討委員会」の委員に対しても

・意見用紙の開示対象:検討委員会の委員のみ
・場所:議会運営委員会室
・開示日時:3月18日(水)13時から3月19日(木)17時まで
・閲覧だけしか許可しない。写真や動画での撮影はもとより、メモも不可。

という、極めて前時代的な密室対応。外部への公開はもとより、パブコメを実施した条例検討委員会の委員にすら開示にここまで制限をかけているのです。

香川ゲーム規制、パブコメ全文を「採決後」に公開へ しかも「検討委限定・口外不可」―― 「これでは公開と言えない」と議員から怒り
これ公開って言う……?[池谷勇人,ねとらぼ]



こんな事がまかり通る香川県には、怖くて住めません。

 しかも、よく見てください。

条例案採決を知らせるニュースの配信時刻が、
2020年3月18日 11時45分

パブコメ意見の開示日時が、
3月18日13時から

 議会での採決前に、検討委員会の委員だった議員すらパブコメに寄せられた意見の現物を見る機会が無かった、というから更に驚きです。議会事務局の作成した概要が実際の原本と合っていたかどうかを検証することなく、議会事務局職員が抜粋し編集したものを見ただけで、議員は採決をしたわけです。議会事務局のフィルターをかける前と後とで、どう変わったかを知る事なく採決に臨んでいるのです。
 検討委員会委員長・香川県議会議長大山一郎は自分で現物を見ているか、議会事務局職員から状況報告を受けているはずです。
 大山一郎は「こりゃ賛成意見を動員して投稿させたのがバレてしまう」と思い、採決後での密室開示という判断に至ったのでしょうか。
 よほど開示が不都合だったのでしょうか。
 2000通の賛成意見の中で、同じ文面のものがどの位あったのでしょうか。
 ・・・情報開示に制限をかけると、こういった諸々の疑念を招きます。

 情報公開と個人情報保護は、両方とも重要です。ただ、パブコメは県議会として実施したものであり、県議会の構成員たる県議会議員は原本に触れて確認して集計する側の人間です。議会事務局職員はそうした集計作業等々を補佐する立場に過ぎません。個人情報に配慮するとしても、個人の特定に繋がるもの、誰が何を言ったかの特定に繋がる内容だけは口外しないよう、原本に接する委員に対し最小限の制限をかければ済むわけですが、大山一郎が委員へ出した通知からはそういった考慮をした形跡は見られません。

 判断材料たるパブコメの意見原本を、大山一郎と支配下にある議会事務局職員だけが見て、他の議員、検討委員会委員には採決後に開示する・・・「独裁」に近い状態です。少なくとも、判断材料を制限して他の議員の判断を妨げています。そんな独裁県・香川には怖くて住めません。

【パブコメの賛成意見にツッコミ】

 次に、議会事務局が編集した
香川県ネット・ゲーム依存症対策条例(仮称)(素案)について提出されたご意見とそれに対する考え方

を見てみましょう。

 これを読んで最初に不思議に思ったのが、「賛成意見はそのまま掲載、反対意見に対しては無理筋であっても反論」というスタイルです。このスタイルから、検討委員会委員長・議会事務局の「どうしても賛成に誘導したい」という強い意思を感じます。

 寄せられた賛成意見、これがまた程度が低い。これを紹介するとともに、せっかくですから、検討委員会委員長や議会事務局がしなかった反論をしてみましょう。

======【引用ここから】======
01 子どもが色々な情報に触れることは大事なことと思うが、それは画面を通してだけではないと思う。平日の学校からの帰宅時間と就寝時間(22時)を考えれば、どう考えてもゲームに割ける時間は1時間程度まで。反発する声が沢山あるようだが、そのほとんどは感情論のように思える。
======【引用ここまで】======

 子どもが「これはゲームよりも面白い、これはパソコンの画面から得られるよりも大事なことだ」と思えるような話、情報を、家族が提供してあげましょう。また、時間の制限も、生活習慣、リズム、親と過ごす時間等は家庭によって様々であるので、家庭ごとに判断すれば良いものです。
 地方自治のキーワードの一つに、「補完性の原則」というものがあります。個人でできるものは個人でする。個人でできないものは家庭でする。家庭でできないものは地域でする。地域でできないものは基礎自治体でする。基礎自治体でできないものは広域自治体でする。広域自治体でできないものは中央政府でする・・・という考え方です。

 香川県議会は、この「補完性の原則」を無視し、家庭でできることを、段階をすっ飛ばして広域自治体たる香川県として条例化したわけです。県内の各家庭、地域、市町村、教育委員会の取り組みや個別の事情を無視して県内統一ルールを設定しましたが、果たしてどれだけの必要性・合理性があったのでしょうか。

======【引用ここから】======
02 子どもたちのネット・ゲーム依存症を減らせるきっかけになればいいと思う。強制力がないとしても、ゲームのことだけではなく子どもたちが親や社会と決めたルール・約束を守らなければならないと少しでも感じてくれたらいいと思う。それ以上に、逆もしかりで僕たち大人たちが子どもたちの手本となるように、今以上に社会のルールを守っていく姿を子どもたちに示していかなければならないと思う。
======【引用ここまで】======

 パブリックコメントで寄せられた意見を、議決権を持つ議員全員で共有し、これに対する検討を十分に行ったうえで条例案採決に臨みましょう、というのは、ルール以前の常識・道理と言ってよいでしょう。この条例制定過程において、香川県議会・大山一郎はそういった物の道理を踏みにじったわけですが、これを見た子ども達はさぞかしルールを守ることの重要性を感じ取ることでしょう(皮肉ですよ)。

 なお、今回成立した条例は「社会のルール」と呼べるようなものではありません。形式的には香川県議会が決めたルールに過ぎず、実質的には大山一郎の情報統制の下、独裁的に決められたルールなのです。

======【引用ここから】======
03 ゲーム規制に関して、賛成。一日60分、休日90分も妥当である。子どもは夜9時、10時までも就寝時間だと思うので、当たり前だと思う。うちの子は小学4年生と中学1年だが、兄弟で一日60分と決めている。お互い譲り合って時間をうまく使っていると思う。小学生の子どもの同じクラスにはゲームを夜中までしていたり、夜中にこっそり起き出してゲームをしていたりする子もいると言っていた。なので、授業中に寝ていることもあるそうだ。特に、18条の時間で区切ることが節度ある生活習慣に繋がると感じている。
======【引用ここまで】======

 条例を制定して、「ゲームを夜中までしていたり、夜中にこっそり起き出してゲームをしていたりする子」がゲームをしなくなるでしょうか。条例が子どもを教育するのではありません。家庭です。家庭ごとに、家庭の実情に応じて実効性のあるルールを決めるべきものです。
 県統一ルールが条例として出来上がったわけですが、「夜中にこっそり起き出してゲームをする子」にどうやって対処するのでしょうか。県職員が夜中に訪問するのでしょうか。職員の時間外勤務手当が跳ね上がりそうですね。

======【引用ここから】======
04 ネット依存症対策条例に大賛成である。理由は、「①ネット・ゲームに使う時間に相当する時間の分だけ、子どもの心身の成長および学力向上に必要な時間がそがれてしまう。②スマホ等の画面を凝視することにより、成長期の子どもの視力低下を招く。③ネット・ゲーム事業者による積極的なネット依存症対策が見られない。」である。
======【引用ここまで】======

 ①ネットやゲームに使う時間と、運動や勉強に使う時間と、どのように配分するかは家庭で判断すれば良いのであって、それを県条例で規制して良い理由が見当たりません。
 ②一点を凝視することにより成長期の子どもの視力低下を防ぐ、という立法理由であれば、長時間の読書等も規制対象となりかねません。再考を求めます。
 ③ネット事業者によるネット依存症対策が無いのであれば、まず家庭でどう対応するか考えましょう。
 なお、ゲーム・ネット依存症の人間からゲームやネットを取り上げて、それで問題が解決するのでしょうか。浮いた時間を勉強や運動に向けてくれれば良いですが、浮いた時間をずっと天井を眺めて過ごす、テレビを見て過ごす、眠って過ごす、あるいは別の依存症になってしまう、非行や犯罪に走ってしまう、いろいろな危険性が考えられます。県条例がないと子どものネット・ゲーム時間を制限できない、と言う程度の親の下では、ゲームを制限しても他の問題が吹き上がるでしょう。

======【引用ここから】======
05 保護者も子ども達も、そして教育現場も香川県の条例を一つの目安や指針として、携帯電話やゲームの使用について今一度しっかりと考えるべきだと思う。
======【引用ここまで】======

 まともな保護者であれば、既に、ネットやゲームに子どもがどう接するべきかをよく考えていると思います。県条例が無ければ考えるきっかけが無い、ということはありません。

======【引用ここから】======
06 家庭内規制に苦労している。行政が規制を設けてくれれば、堂々と「香川県の子どもはだめという決まりがある」と言うことができる。親としてこれほど心強いものはない。
======【引用ここまで】======

 親から「条例で禁止されているからダメ」という理屈を聞いた子どもは、親を馬鹿にして今後親の指導を聞かなくなる恐れがあります。例えば、ネットを制限されて暇だからずっとテレビを見ている子どもを親が叱っても、「はぁ?それ県の条例に書いてる?書いて無いなら黙ってててよ」と反論されたらおしまいです。
 親子の関係性から子どもの行為を諭すのではなく「〇〇がダメと言っているからダメ」と外部の権威を借りるのは、かえって親の威厳、説得力を失わせることになります。

======【引用ここから】======
07 ルールを定めることによる罰則があるわけではなく、あくまでも目安であって、それに基づき家庭内でルールを定めることが必要。
======【引用ここまで】======

 家庭内のルールで足りることを、なぜわざわざ県条例で規制したのでしょうか。なぜこの意見が、条例による規制に賛成として位置づけられるのでしょうか。

======【引用ここから】======
08 守る・守らないは各ご家庭のお心がけ次第というところは大きいと思うが、一つの目安や指針として具体的に記されている部分は大変参考になると思う。
======【引用ここまで】======

 各家庭でルール化する際の目安をそれぞれの市町村で示す、位ならまだ許容範囲かもしれませんが、県が条例で規制するのはまた別次元の話です。

======【引用ここから】======
09 一応、基準を示すことで子どもへの指導がしやすくなると思われる。
======【引用ここまで】======

 県条例が無いと子どもへの指導ができないような親は、県条例があってもダメでしょう。

======【引用ここから】======
10 時間による区切り(18条)は必要だと思う。
11 第18条は必ず入れてほしい。

======【引用ここまで】======

 時間の区切りを、子どもと家族でよく話し合ってルール化しましょう。県条例ではなくて。

======【引用ここから】======
12 子どもがゲームをやめられず困っている。時間制限は必要だと考える。
======【引用ここまで】======

 県条例で時間制限しても、多分、あなたの子どもはゲームをやめられませんよ。県条例の問題ではありません、あなたの親としての指導力の問題です。

======【引用ここから】======
13 周囲でゲームをやめられない子どもの話をよく聞く。時間による区切りは必要である。
======【引用ここまで】======

 県議会の情報統制の下ではなく、子どもと家族でよく話し合って時間のルールを決めましょう。

======【引用ここから】======
14 時間による制限がないと際限なくやってしまうものなので。
======【引用ここまで】======

 あなたはそういうだらしのない人なんですね。

======【引用ここから】======
15 依存症を防ぐ良い条例だと思う。時間制限は子どもには特に大切である。
======【引用ここまで】======

 香川県で育った子どもが、小・中・高校まで一律の時間制限を受け続け、大学や就職で県外へ出た瞬間に「香川県の抑圧」から解放されてゲームにハマり、かえって重度の依存症になる・・・というケースが増えないことを祈ります。

======【引用ここから】======
16 規則がないのでついネットをしてしまう。条例があれば守らないといけないと思う。
======【引用ここまで】======

 どうやって条例を守らせるんでしょうか。結局のところ、家庭でどう対処するかを考えるしかありません。

======【引用ここから】======
17 みんながやっているので長くやってしまう。みんなが条例を守れば時間を決めてやれると思う。
======【引用ここまで】======

 「みんなが条例を守れば」という絵に描いた餅。

======【引用ここから】======
18 条例制定後の啓発(子どものスマートフォン使用等の制限のかけ方)をわかりやすく保護者に伝えることが重要だと考える。
======【引用ここまで】======

 すいません、それを「誰が」保護者に伝えるんですか?

 賛成意見全体を通じて、規制に対する信仰心の篤さが目立ちます。動員とは言え、2000通を超える賛成コメントが寄せられた事実は「条例に書けば、書いたとおりの事が実現する」という幼稚な信仰がいかに世間に広まっているかを示すものです。

 規制をどう遵守させるか、そのためのコストはどのくらいなのか、遵守させることが可能なのか、規制を遵守させることが望ましいことなのか、規制をする前に考えるべきことは山積みです。
 「とにかく公権力で規制しよう」「規制させないとだめだ」「規制したい」と安易に発想する大山一郎や2000人の賛成意見を送った人達は、子どもをゲーム・ネット依存症から守るためと主張していますが、当のご本人たちが「規制依存症」から抜け出せなくなっているのではないでしょうか。


【追記】

香川ゲーム規制条例、検討委に聞く「議員すら見られないパブコメ」のおかしさ 「400件の反対意見」は県に届かなかったのか
 この記事に登場する、ゲーム規制条例反対派の日本共産党の「秋山時貞議員」ですが、

主張内容の真っ当さもさることながら、そのイケメンっっぷりと言ったら。

合格ライン操作は 実在する!?(1次筆記試験3割得点でも合格できる行橋市職員採用試験)

2020年03月07日 | 地方議会・地方政治
海賊A「ワンピース、ひとつなぎの大秘宝なんておとぎ話だろ?」

海賊B「グランドラインを進んでいっても何もねぇよ。」

海賊C「まだあんな話に騙されてる海賊がいるのかっはっはっは」

いいえ、


「ワンピースは 実在する!!!」

カッコいいですよね、白ひげの名シーンです。

【令和元年度行橋市職員採用試験の怪】

さて、本題。

行政関係者なら誰もがきっと「そりゃいくらなんでもやりすぎだ」と思うであろう、不審な出来事が起きていました。


35:30頃から~
会議録はこちら↓
行橋市議会 令和元年12月 定例会(第16回) 12月09日-02号
======【引用ここから】======
◆16番(鳥井田幸生君)
(~~~省略~~~)
 それとですね、続けて職員の採用問題についてです。令和元年、ことしですね、職員の採用試験がございました。初級・上級とも、ほぼ同数の応募者数があっているようでございます。しかしですね、聞くところによれば、初級職員は一次試験において、ボーダーラインを設置した関係上、合格者数が11名ですか、なっております。ところが上級職に関してはですね、受験者数が一次試験において全員合格したということになっていますけど、これは事実なんでしょうか、まずお聞かせ願いたいと思います。
(~~~省略~~~)
◆16番(鳥井田幸生君) 
 そうすると私が言ったように上級職員に関してはですね、一次試験を受けた方が全員合格ということで、これは間違いないわけですよね。
                (総務部長、頷く)
なんでこのようなことが起きるんでしょうか。

======【引用ここまで】======

 市役所職員の採用試験で、
一次試験を受けた方が全員合格
・・・・・・やばい、この市役所やばい。

 全国津々浦々で、国家公務員や都道府県職員、市区町村職員の採用試験が行われています。多少のスタイルの差こそあれ、1次でマークシートを中心とした筆記試験、2次・3次で論文や面接、討論という形が一般的です。

 1次筆記試験は、受験者の意欲・適性・コミュニケーション能力とは別に、職務を遂行する上で必要な知識・教養・処理能力を持っているかどうかを確認するために行うものです。1次筆記試験は、「〇点取ったら1次合格」という絶対評価のラインを設定するか、相対評価として「受験者の上位〇%を1次合格」というルールを設定するかのどちらかが行われます。あるいは、上位〇%を合格とするとしつつ、「教養科目・専門科目それぞれ最低限この点数は取ってほしい」という足切りラインも設定しておく絶対評価・相対評価合わせ技のような形を採用するところもあります。

 数十人、数百人が受ける1次筆記試験で、受験者全員を合格させるなんてことはありえません。相対評価ルールであれば、全員合格は皆無です。また、絶対評価ルールであれば、受験者全員がその設定ラインを超えてくれば全員合格となりますが、毎年実施している試験で同じ程度のラインを設定していれば、そういうことはまず起こりません。

(小規模町村や職種限定の試験において、最終合格1人の枠に対し、1次筆記試験を2人が受けて2人とも1次合格する、ということはあります。ただこれは少人数であるが故の例外。)

 しかし、行橋市では
「1次筆記試験受験者 全員合格」
という事態が生じました。これは極めて異常なことです。

【他団体の例】

 他の公務員採用試験ではどうなっているでしょうか。
 google検索で引っかかったものを幾つかご紹介。

〇平成31年度(令和元年度)福津市正規職員採用試験(前期)結果状況
======【抜粋ここから】======
行政事務A(大卒程度)第1次試験 受験者数156人 合格者数49人
======【抜粋ここまで】======

〇【医師以外】令和元年度吹田市職員採用候補者試験(5月実施)実施状況
======【抜粋ここから】======
一般事務 事務A 受験者数605人 1次試験合格者数225人
======【抜粋ここまで】======

〇令和元年度 佐賀県職員採用試験実施状況
======【抜粋ここから】======
大卒程度 行政 第1次試験受験者数175人 第1次試験合格者数82人
======【抜粋ここまで】======

〇南魚沼市 令和元年度職員採用試験の実施状況
======【抜粋ここから】======
大学卒業程度一般行政1 1次試験受験者28人 1次試験合格者14人
======【抜粋ここまで】======

〇宇多津町 令和元年度職員採用試験受験状況について
======【抜粋ここから】======
一般行政事務(大卒程度) 一次試験受験者26人 合格者21人
======【抜粋ここまで】======

 当たり前なんですけど、1次筆記試験で合格する人、不合格となる人がいます。(それなりの人数規模の試験で、受験者全員が1次筆記試験を合格した例があったら教えてください。)
 こうした一般的な運用例を見た後で、改めて行橋市のものを見てみましょう。

〇令和元年度 行橋市職員採用試験結果
======【抜粋ここから】======
上級 事務職 1次受験者29人 1次合格者29人
======【抜粋ここまで】======

 ・・・うん、やっぱり違和感しかない。1次試験の意味がない。
 足切り、学力選別という機能を、1次筆記試験が全く果たしていないのです。こうやって比較してみると、異常さが際立ちます。

 この市の過去の結果とも比べてみましょうか。

〇平成30年度 行橋市職員採用試験結果
======【抜粋ここから】======
上級 事務職 1次受験者31人 1次合格者14人
======【抜粋ここまで】======

〇平成29年度 行橋市職員採用試験結果
======【抜粋ここから】======
上級 事務職 1次受験者31人 1次合格者20人
======【抜粋ここまで】======

〇平成28年度 行橋市職員採用試験結果
======【抜粋ここから】======
上級 事務職 1次受験者12人 1次合格者8人
======【抜粋ここまで】======

 他の年度の試験は、きちんと筆記試験でふるいにかけています。令和元年度のみ、1次の筆記試験が無意味になってしまっているのです。
 私が学生の頃、地域で最も偏差値の低い高校では「入試に行って名前を書けば合格した」なんて事が嘘か本当か言われていましたが、1次筆記試験で全員合格というのはそういうことです。

 これについて、冒頭の市議会でのやりとりを再度見てみましょう。

行橋市議会 令和元年12月 定例会(第16回) 12月09日-02号
======【引用ここから】======
◆16番(鳥井田幸生君)
同じ公務員の採用においてですね、上級職・初級職、それぞれあるわけでしょうけど、事務職に対してですね。片や一次試験にボーダーラインを設置しながら、片方では全員合格と。理解に苦しむんですね。一次試験が何のために行われているのか。何のためにやるのか。
 私は議員ですけど、この結果について、受験者の本人も親も理解に苦しむんじゃないですかね。市長、一次試験は何のためにあるんですか、答弁を願います。
○議長(田中建一君) 
 田中市長。
◎市長(田中純君) 
 お答え申し上げます。議員の御質問の趣旨が分からない。つまり100人受けて100人合格したら、それはおかしいんですか。
           (鳥井田君「おかしいでしょ」の声あり)
どうしておかしいですか。100人受けて100人とも同点だったらどうしますか。全員合格でしょ、二次試験、三次試験があるんだから。そりゃ100人受けて100人全員同点だったとは言いませんけども、同点者が数名いれば、当然同じ数の人がいても、それは全然論理上、不思議ではないと思いますが、いかがでしょうか。
----(中略)----
来年、100人受けて全員0点なら全員落としますよ。試験とはそういうものでしょ。
======【引用ここまで】======

 田中純市長は、先ほど例え話で出した「入試を受けに行って名前を書けば合格した」レベルの高校・大学の出身なのかと思いきや、この答弁レベルで京都大学卒というから驚きです。

 そう思わせるくらい、この市長答弁はひどい。全く説明になっていません。
 受験者全員同点とか受験者全員0点とか、確率的に、あるいは実務的にあり得ない仮定の事象を挙げて感情的に反論している姿は、行政トップの答弁として0点です。
 筆記試験を実施して、仮に下位70%集団が1~3点差でだんご状態になっていたとしても、その中のどこかで線引きをするシビアさが必要です。そのシビアさが試験の公正さを保っています。1点に笑い1点に泣く、それが試験というものです。

 1次試験受験者全員を合格させた行橋市長の決定について、納得できない受験者もきっと居るでしょう。筆記試験が最初の関門と思って試験勉強をして臨んだにもかかわらず
「実は1次筆記試験は飾りで無意味でしたー。2次以降の論文、面接、討論だけで決めますー」
なんて結果を見たら、
「何この市役所、ふざけてるの?」
「筆記試験がお飾りなら、最初から試験対策する必要無かった」
と思うでしょうし、
「筆記試験の結果を操作したんだろうか?」
といった疑念に駆られることでしょう。
筆記試験の出来は良かったのに、最終合格を逃した受験者が
「筆記試験の下位だった受験者を最終合格させるため、市は筆記試験合格ラインを操作して、その下位受験者を最終合格させた結果自分は落とされたのでは?」
と思っても不思議ではありません。

 数点の差の中に受験者が集中していたとしても、その僅かな差の中でラインを引くのが試験実施者の責務です。これが出来ないということは公正な試験が出来ない団体なので、そもそも採用試験を辞めてしまった方がいいと思います。

 追及していた議員が、
市長、一次試験は何のためにあるんですか
と問うたのは、まさにその通りです。

【3割得点で筆記試験合格できる市役所】

 では実際、得点の状況はどうだったのでしょうか。
 次の市議会3月定例会で、驚愕の事実が出てきました。


======【テキスト起こし】======
41:20頃~
工藤政宏議員これ僕情報公開請求で、令和元年度の行橋市職員採用試験、第1次試験の得点表、これを出して貰いました。
 29人受けて、合格ラインがご丁寧にも合格ライン29名の下に引いてあります。これ僕が引いたんじゃないですよ。出てきた情報にこうやって引いてくれているんです。29人受けて29人合格なんです。
 点数これだけ開きがありますよ。おそらく200点満点中ですかね。1位が168点、2位が155点、下の方を見ますと25位83点、26位83点、27位65点、28位60点、29位58点ですよ。相当な点数の開きがあります。
 これどういうことなんですか市長。
『100人受けて100合格したらそれはおかしいんですか。100人受けて100人とも同点だったらどうします。』
これ実情全然そんなことないですよ。

======【テキスト起こし】======

 例えば、例年、ボーダーラインを6割正解で設定し、それで、30人受験者がいて15人合格する、という結果が出ていたとします。例年通り6割正解をボーダーラインにしていたところ、令和元年度だけ、受験者全員が8割、9割正解をした・・・というのであれば、全員合格もあり得ます。こうした状況であれば、12月定例会での
100人受けて100合格したらそれはおかしいんですか。100人受けて100人とも同点だったらどうします。
という田中純市長の答弁も成り立ちます。

 しかし蓋を開けてみれば、200点満点中、1位168点、29位58点、その間にバラツキがある試験結果です。ごくごく一般的な試験結果です。受験者全員が同点で優秀だったという田中純市長の言っていたイレギュラーな事例ではありません。過去の試験状況に照らしても、不自然さは際立っています。この令和元年度試験だけボーダーラインを意図的に低く設定しなければ、全員合格という事態は生じません。市長が「ボーダーラインを25%得点にしろ」と指示しない限り、この結果を生じさせることは不可能です。

 この市役所、今年はさぞや優秀な職員を採用できたことでしょう(皮肉ですよ?)。
 1次筆記試験の合格ラインを3割正解よりも下に引いた合理的説明、できるんですか田中純市長さん?

 職員採用は、生涯賃金2億とも3億とも言われる人件費が投じられる、ある意味で巨額の公共事業です。しかも、よほどの事が無い限り自治体は倒産せず、職員の身分保障も手厚くなっています。このため、「公務員試験でコネ採用があるのではないか?」「あの職員は地元有力者が市長に頼み込んだのではないか」等の疑惑は昔からいろんなところで囁かれています。
 試験において有力者の関係する受験者を贔屓しようとした時、面接や討論であれば面接官の主観で左右できる為、贔屓するのは比較的容易です。複数いる面接官のうちの一人に頼んで高得点を付けてもらうようにするのは、ちょっとした有力者なら出来るかもしれません。この場合、市長がコネ採用を知らないまま終わるという事もあり得るでしょう。
 しかし、1次筆記試験のボーダーラインを極端に下げることは、市長が許可を出さないと実施できません。仮に、人事担当部長・課長クラスの人が今年だけ1次筆記試験のボーダーを3割弱で設定しようとしても、市長が「なんでそんな筆記試験の出来の悪い受験者まで面接するんだ?例年通りのボーダーラインにしろ」と一喝すればそれまでですから。

 どのくらい市長に近い人の頼みだったのでしょうか。

【受験者への謝罪を】

 さて。
 このブログをなぜ今回書こうと思ったのか。

 それは、

医学部不正入試、東京医大に受験料返還義務…対象は女子だけで2800人に : 国内 : ニュース : 読売新聞オンライン

というニュースが入ったからです。
 背景や構図に違いはあるものの、事前の告知なく不正な処理をして受験者に不利益を与え、社会に不信感を持たせてしまったのは同じです。
 東京医大には受験料返還が命じられました。
 行橋市も、市長による公式の謝罪はもとより、受験料返還、今年度試験の白紙撤回と再試験の実施、あるいは、今年度不合格者は来年度の筆記試験免除といった措置を検討すべきではないでしょうか。

公務員試験にコネ採用はある!?コネでも落ちた国家や地方受験者はいる? | 現役公務員ママの本音とリアル
======【引用ここから】======
・筆記試験はコネが影響する余地なし
 筆記試験を実施する段階では、コネが影響する余地はありません。
 この段階でコネなどが影響するとすれば、それは採点の不正操作にあたります。
 間違いなく、トップニュースで報じられるレベルです。

======【引用ここまで】======

二重の基準論をそのままに、最高裁の復権なんて無理でしょう

2020年03月07日 | 政治
今日のお題は、二重の基準論・再考。

二重の基準論の意義 - 社会科学研究会
======【引用ここから】======
憲法学において、「二重の基準論」(double standard)といわれる理論が存在します。
----(中略)----
この考え方によれば、経済的自由を制約する立法は民主政治による是正というプロセスに期待して、裁判所は積極的な介入を控えるべきだとされる一方で、精神的自由を制約する立法は民主政治のプロセス自体を損ねるおそれがあるため、裁判所の積極的な介入が必要であるとされます。
----(中略)----
アメリカで行われたこの数々の”ニューディール立法”に対して最高裁判所は、私有財産権および自由な経済活動を守るという理由から違憲判決を続出させました。しかし、それらの違憲判決は国民の批判を受けることになりました。”裁判所の違憲立法審査権は、一体何のために、誰のためにあるのか”ということが問われたのです。ニューディール政策は、経済的・社会的に不利な立場にいる国民を救うために実施しようとされた政策です。そのような政策を実現するための立法を違憲と判断するということは、最高裁判所は国民の利益を考えていないのではないか、と考えられたのです。1937年、ついに最高裁判所は、今までの契約の自由を保護してきた判例を覆しました。経済政策立法についての違憲審査において、最高裁判所は方向転換を図ったのです。この一連の動きは、”憲法革命”といわれることがあります。この出来事以降、最高裁判所は、経済政策立法に対する違憲判決を控えるようになりました。これが、憲法学における二重の基準論の誕生です。
======【引用ここまで】======

そもそも、ニューディール立法は国民のためになったのでしょうか。
ニューディール政策は成功だったのでしょうか。

アメリカの失業率は、1933年に25%となった後、ニューディール政策を開始した1937年に14%へと回復します。
ところが、この効果は一時的なものに過ぎず、翌1938年には19%に逆戻り。
失業率が本格的に回復するのは、第二次世界大戦により軍需工場や戦場で人手が必要になった頃からでした。

法律が作られるとき、前文や第1条の中に
「国民生活の向上のため」
「福祉の向上のため」
「経済的・社会的弱者保護のため」
と美辞麗句で飾ることがよくあります。
しかし、そのとおりに実現するとは限りません。
逆に終わることも多いのです。
政府の意図する立法目的・社会正義が、短絡的な政策によって実現できるほど多数の人々からなる社会は単純ではないのです。

【自由市場を歪める政府介入】

個人の自由な活動、自発的な取引が市場を成立させています。
この繰り返しが、結果として人々の便益を増し資源のより望ましい分配を可能にします。
長期的にみた時、資源を効率的に分配する方法として、市場より優れた方法はおそらく存在しないでしょう。

政府にできることは、ごくごく短期間の、分野や対象者を限定した利益誘導くらいのものです。
Aから金を奪ってBに配ったり、Aの活動を制限してBのみに特権を与えれば、Bの状態は改善されますが、それはAの不利益を前提としています。
じゃあ次は不利益を受けたAに金を配るためにCから金を取ろう、その次はCに特権を認めるためにBの権利を制限し・・・という事を繰り返すと、人々は、

「自分の生活を向上させるためには、他人に対し有益な商品やサービスを提供し、その交換で自分にとって有益な商品やサービスを手に入れるという迂遠な方法よりも、投票をチラつかせて政治家に泣き付いた方が手っ取り早い」

と思うようになります。
そして、この過程で、政府による奪う権限、配る権限が拡大します。
政府の権限や取り扱う金額が増え、政府規模が拡大し、政府職員も増えることになります。

大きな政府の誕生です。

【二重の基準論から始まった個人の自由の侵食】

非効率で大きな政府への道を、アメリカの憲法は閉ざしていました。
この扉を開いたのがニューディール政策です。

ニューディール政策を社会主義という母親から産まれた子供とすれば、助産師として母親の胎内からニューディール政策を取り上げたのが「二重の基準論」であるというのが私の認識です。
あるいは、憲法という自由の堤防が「二重の基準論」という穴から徐々に決壊し、ニューディールを始め社会主義的介入政策の氾濫を止められなくなったと言った方が良いでしょうか。

世界恐慌という特殊状況の中、短期間の効力すら疑わしいニューディール政策を肯定するために誕生した特殊理論を、長期間にわたって憲法の通説として取り扱い、憲法が持つ自由の基礎法としての機能を弱めてきたことを、憲法学に携わる人々は反省すべきです。

【法の番人はいずこへ】

さて、冒頭のブログでは次のように続きます。

二重の基準論の意義 - 社会科学研究会
======【引用ここから】======
内閣法制局のあり方は問題にされるべきだと思います。日本国憲法は必ずしも、内閣法制局の存在を予定していません。内閣法制局を置く日本の制度が一定の成果をあげてきたことは事実だと思いますが、これからもこのような制度でよいのかと問われることは有益であると思います。日本国憲法第九条の解釈にしても、”憲法の番人”であるはずの最高裁判所ではなく、官僚である内閣法制局長官が表明してきた憲法解釈の方が影響力を持ってきたことに表れています。内閣法制局長官による憲法解釈は技術的な側面が強すぎ、硬直的な解釈である点も指摘されることがあります。内閣法制局による憲法解釈や事前審査によって一貫した法体系や法解釈が維持されてきた反面、最高裁判所こそが国民のための”法の番人”であるという事実は忘れられてきた部分があると思います。最高裁判所こそが”法の番人”であるという事実は、もう一度確認される必要があるのではないでしょうか。
======【引用ここまで】======

内閣法制局が今のように「法の番人」としての地位を築いたのか。
それは、「二重の基準論」に沿って裁判所が国会・内閣の定めた経済政策に大きく譲歩することを繰り返した結果、

「裁判所は憲法判断をしない。実質的には、政策立案する内閣による『ここまでなら合憲』という線引きが重要になる。それを決めているのは内閣法制局だ。」

という運用が積み重ねられたからです。

最高裁判所が「法の番人」の地位を内閣法制局から取り戻すためには、「二重の基準論」を捨て、経済政策についても憲法上の自由権・財産権規定に沿った判断を裁判所がやっていく必要があります。

経済活動は単独で存在しているのではなく、その活動に携わる人々の意思・思想・表現と密接に繋がっています。
精神的自由と経済的自由を切り分けることができる、国会・内閣が立案した経済政策にはノータッチという「二重の基準論」の発想が最高裁判所の地位を暴落させ、いち官僚に過ぎない内閣法制局長を実質的な「法の番人」たらしめているのです。

裁判官のみなさん、安心してください。
「私たち裁判官は経済政策を判断する材料を持っておらず、経済政策を適切に判断する能力を有していない」
なんて卑下する必要はありません。
国会議員にしろ、中央省庁の官僚にしろ、地方自治体にしろ、みんな経済政策を適切に判断する能力なんて持ち合わせていないのですから。

これは「一般法と特別法の関係」で処理できるの? ~検察官の定年延長~

2020年03月01日 | 政治
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〇国家公務員法
(定年による退職)
第八十一条の二 職員は、法律に別段の定めのある場合を除き、定年に達したときは、定年に達した日以後における最初の三月三十一日又は第五十五条第一項に規定する任命権者若しくは法律で別に定められた任命権者があらかじめ指定する日のいずれか早い日(以下「定年退職日」という。)に退職する。
2 前項の定年は、年齢六十年とする。ただし、次の各号に掲げる職員の定年は、当該各号に定める年齢とする。
 一 病院、療養所、診療所等で人事院規則で定めるものに勤務する医師及び歯科医師 年齢六十五年
 二 庁舎の監視その他の庁務及びこれに準ずる業務に従事する職員で人事院規則で定めるもの 年齢六十三年
 三 前二号に掲げる職員のほか、その職務と責任に特殊性があること又は欠員の補充が困難であることにより定年を年齢六十年とすることが著しく不適当と認められる官職を占める職員で人事院規則で定めるもの 六十年を超え、六十五年を超えない範囲内で人事院規則で定める年齢
3 前二項の規定は、臨時的職員その他の法律により任期を定めて任用される職員及び常時勤務を要しない官職を占める職員には適用しない。

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 国家公務員法で、国家公務員の定年は60歳とされています。退職の日付は、60歳になった後の最初の3月31日となります。

 他方、検察官はと言うと、

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〇検察庁法
第二十二条 検事総長は、年齢が六十五年に達した時に、その他の検察官は年齢が六十三年に達した時に退官する。

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と、65歳(検事総長)か63歳(その他の検察官)に達した時に退官とされています。誕生日が1957年2月8日の検察官なら、2020年2月7日に退官となります。国家公務員一般と検察官とでは、定年の考え方や仕組みがだいぶ異なっているのがわかります。

 この点について、

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〇検察庁法
第三十二条の二 この法律第十五条、第十八条乃至第二十条及び第二十二条乃至第二十五条の規定は、国家公務員法(昭和二十二年法律第百二十号)附則第十三条の規定により、検察官の職務と責任の特殊性に基いて、同法の特例を定めたものとする。

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「検察官の職務と責任の特殊性があるから、国家公務員法の特例を検察庁法の中にわざわざ作ったんだ!」
と法律の中で明記されています。

 さて、国家公務員法の中には、最初に書いた国家公務員の定年を延長させる規定があります。

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〇国家公務員法
(定年による退職の特例)
第八十一条の三 任命権者は、定年に達した職員が前条第一項の規定により退職すべきこととなる場合において、その職員の職務の特殊性又はその職員の職務の遂行上の特別の事情からみてその退職により公務の運営に著しい支障が生ずると認められる十分な理由があるときは、同項の規定にかかわらず、その職員に係る定年退職日の翌日から起算して一年を超えない範囲内で期限を定め、その職員を当該職務に従事させるため引き続いて勤務させることができる。
2 任命権者は、前項の期限又はこの項の規定により延長された期限が到来する場合において、前項の事由が引き続き存すると認められる十分な理由があるときは、人事院の承認を得て、一年を超えない範囲内で期限を延長することができる。ただし、その期限は、その職員に係る定年退職日の翌日から起算して三年を超えることができない。

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 この条文は、前条(国家公務員法第八十一条の二)第一項の規定により退職すべき場合において、任命権者が特別事情を認めたら1年以内の定年延長を可能としています。あくまでも、国家公務員法第八十一条の二第一項によって退職する場合に、定年延長を認めているものです。

 検察官については、国家公務員法第八十一条の二第一項の適用を否定する形で検察庁法第二十二条が設けられています。検察官が退官する根拠は検察庁法第二十二条であって国家公務員法第八十一条の二第一項の適用はありません。検察官は国家公務員法第八十一条の二第一項により退職するのではなく検察庁法第二十二条により退職するのであり、したがって、国家公務員法第八十一条の二第一項を前提とする国家公務員法第八十一条の三、すなわち定年延長は検察官に適用されないとするのが文理上素直な読み方だろうと思います。

 国家公務員法第八十一条の三の定年延長は全ての国家公務員に適用されるのではなく、条文上は、あくまで国家公務員法第八十一条の二第一項に基づいて退職する国家公務員が対象です。国家公務員法第八十一条の三の定年延長を適用するためには、その前段として国家公務員法第八十一条の二第一項が適用されることが必要になります。

 だからこそ、

https://news.yahoo.co.jp/byline/watanabeteruhito/20200214-00163053/
=====【引用ここから】=======
2020年2月12日 衆議院予算委員会 後藤祐一(5:00:20~)
問:過去の国会答弁の「定年制」に法81条の3の定年延長の規定が含まれるか
3:02:30 人事院給与局長  お答え申し上げます。人事院といたしましては、国家公務員法に定年制を導入した際は、委員ご指摘の昭和56年4月28日の答弁の通り、検察官については、国家公務員法の勤務延長を含む定年制は検察庁法により適用除外されていると理解していたものと認識をしています。

=====【引用ここまで】=======

という従来の運用が正解だと思うんですけどね。

 特別法に書いていないことは一般法を適用する、という考え方は法律の基本です。ただ、国家公務員法第八十一条の三(定年延長)はその規定上、国家公務員法第八十一条の二第一項を前提としています。検察庁法第二十二条によって国家公務員法第八十一条の二第一項の適用が否定されているので、国家公務員法第八十一条の三(定年延長)を適用する余地があるのだろうか、この問題は「一般法と特別法」の関係とは別であろうというのが、私の考えです。

【おまけ 定年延長できても検事総長になれるのか】

 さて。

 法務省は「検察官には国家公務員法の定年延長は適用されない」という従来解釈について、口頭の決裁を経て「国家公務員法は一般法、検察庁法は特別法、特別法に書いていない部分は一般法を適用する」という解釈に切り替えました。

 仮にこの路線で押し通すとしても、今話題となっている黒川検事長は、検事総長になれるのでしょうか。検察官にも国家公務員法第八十一条の三の定年延長が適用されるようになったとしても、

職員の職務の特殊性又はその職員の職務の遂行上の特別の事情からみて~その職員を当該職務に従事させるため

に定年延長が認められることとなります。東京高検の黒川検事長は、東京高検検事長という職務に伴う特殊性・特別の事情から、黒川氏を東京高検検事長に従事させるために定年延長が認められることになります。

 定年延長して、昇進させるなんてことがあるんですかね。