若年寄の遺言

リバタリアンとしての主義主張が、税消費者という立場を直撃するブーメランなブログ。面従腹背な日々の書き物置き場。

今日の減税 明日の国債 令和の大増税〜減税派・星野しょう市議の進退を問う〜

2024年12月21日 | 政治
神奈川県大和市に、減税派の市議がいます。



そんな市議がXというチラシの裏紙で長文妄想を垂れ流していたので、こちらもチラ裏で感想コメントを残しておこうと思います。




======【引用ここから】======
アルゼンチンでミレイが大統領になった際、政治の現実を全く踏まえない空想的なリバタリアン達がいて、ミレイの邪魔をしていたという。
彼らを「カフェ・リバタリアン」という。
それは日本においては減税会や減税活動家にからむ「チラ裏」と呼ばれる人達と同類といえる。

======【引用ここまで】======

冒頭からツッコミどころ満載です。

減税会・減税派界隈は、以前より
「減税すれば官僚や政治家が歳出削減する」
「税金は余っている」
といった空想・妄想を主張してきました。

アベノミクスで膨らんだ赤字国債累積をどうするのか、金利をどうするのか、現在進行中の物価高をどうするのか・・・現代日本では、金融・財政を中心に問題山積みです。
こうした現実を踏まえない空想的な活動家集団が、減税会・減税派です。

新規の赤字国債を毎年発行している日本で、増税を止めてさらに減税まで持っていくためには、何が必要でしょうか。
星野しょう市議も言及しているアルゼンチンのミレイ大統領のように、
教育省、社会保障省、公共事業省、保健省、環境省・・・・要らん!!
というアフエラ祭りが必要です。
省庁まるごと廃止するレベルでの歳出削減が、日本にこそ必要です。

さぁ、現実を見ましょう星野市議。
大和市で減税・小さな政府を実現するため、大和市役所の何課からアフエラしましょうか。
削減対象を挙げないことには、「赤字国債に拠らない減税」の話は一歩も前に進みません。

======【引用ここから】======
彼らは空想的であり、減税や歳出削減を推進する減税会などの活動家に難癖をつけ、文句ばかり言う集団である。
======【引用ここまで】======

減税を推進する減税会なら見たことがありますが、歳出削減を推進する減税会はあまり見かけません。
逆に、インフレ目標政策でインフレを推進しながら減税しろという「三重県減税会」や、「積極財政と減税」を標榜した候補者(金子洋一氏)を選挙で応援した「神奈川減税会」等は知っているのですが、毎年の赤字国債発行額(大体35兆円~40兆円程度)を解消できるレベルの歳出削減を掲げた減税会というのは聞いたことがありません。
具体的で大規模な歳出削減を推進する減税会がありましたら、ぜひ教えてください。

======【引用ここから】======
(減税会は)自立、分散した存在であるため、目的や趣旨が必ずしも統制のとれたものではないが、概ね共通する事は減税や規制廃止などの主張を通じて「政府規模の制限、私有財産の保護、自由の拡大」を訴えていることだ。
======【引用ここまで】======

減税運動を推進しているシンクタンク『救国シンクタンク』は、倉山氏というリフレ政策(金融緩和、事実上の財政ファイナンス)を求めるリフレ派が主催者となっており、柿埜氏といったリフレ派学者も所属しています。救国シンクタンク所属で減税運動の主唱者・渡瀬氏も、予算規模の拡大に資するリフレ政策を運動論に組み込んでいます。減税会を「政府規模の制限を訴えている」と位置付けるのは明確なウソです。

歳出削減を明示できず財源を伴わない減税運動が現実化しても、政府は社会保障財源を赤字国債で賄う今までのやり方を踏襲して政府規模を維持・拡大することでしょう。

======【引用ここから】======
世界を白くあるべきだと願っても、いきなり全て変えられるわけでもなく、現実が黒であるなら、グレーという過程を経て白に向かう必要がある。
また、現実に生きる人間集団には常識と言う「思い込み」がある。
その常識が「世界は黒」となっていれば「世界は白であるべきだ」と言ってもすぐには人を説得できないだろう。

・・・・・要は相手が常識としている黒の部分を白に向けて少しずつ拡大する為の説得の「過程」が必要なのだ。

======【引用ここまで】======

「減税すべきだ」という信仰を持つ集団、減税派・減税会。
私はかつて減税派を称していましたが、この「減税すべきだ」という信仰、減税に向けた運動論のあまりな非現実さ・滑稽さを見て、過程を経て少しずつ「減税は無理だ」という常識に復帰していきました。
減税会には、赤字国債・社会保障といった政治の現実を踏まえた話をしていただきたいものです。

======【引用ここから】======
「歳出削減」よりも「減税」を優先的に主張するべきだと考えている。
その理由は「減税」により政府歳入を減らすことによってでしか、行政改革の動機が生まれず、政府の予算策定における、歳出削減への圧力をかける事ができないからだ。

======【引用ここまで】======

2024年12月現在、国民民主党がキャスティングボードを握り、政府に「基礎控除103万円の壁を178万円まで引き上げろ」と要求しています。これが実現すれば、所得税・住民税の減税となります。

では、この減税の機運に沿って、歳出削減への圧力は生じているでしょうか。
答えは、ノーです。

自民党は国民民主党に対し
「財源はどうするの?何の予算・事業を削減するの?」
とボールを投げましたが、国民民主党は
「それは政府与党がやることだ」
といって取り合いませんでした。なお、国民民主党はこの減税要求と同時に、高校無償化などの大規模なバラマキも並行して選挙公約として打ち出しており、歳出削減をやる気は全くありません。

また、地方においても減税による税収減は生じますが、国民民主党は地方自治体に大幅な歳出削減を求めていません。
それどころか、
「減収分は地方交付税交付金で補填される」
と主張し、暗に、歳出規模は今のまま維持できると言っているのです。

このように、「減税すれば歳出削減される」という圧力は、現実の政治の中では全く生じておりません。減税派だけが叫んでいる妄想といって良いでしょう。

今の日本の財政は、社会保障給付その他の様々な政府支出に対し税収が全く足りておらず、この差額を赤字国債で埋めている状態です。国民民主党・減税派の求める今回の減税は、この差額・不足額大きくするだけのことです。

そして後半、減税会・減税派の妄想は加速します。




======【引用ここから】======
次に私自身の考えを話すために基本的な考えを述べる。
私は、小さな政府(制限された政府)を望む自由主義者であり、長期的な方向性として、減税、規制廃止、歳出削減を主張する地方議員である。

======【引用ここまで】======

この星野しょう市議、減税と歳出削減を主張する地方議員だと自称しています。
では、所属する市議会で彼はどの程度の歳出削減を要求しているかというと、
「総合計画策定に反対しその分の人件費削減を求める」
「私道の寄付に反対し整備費削減を求める」
というものでした(本人談)。
総合計画策定に反対し私道寄付に反対すること自体はとても良いことなのですが、これで削減できるのはせいぜい数百万円でしょう。
人口23万人、地方交付税交付金を20億円受け取っている大和市で、これで幾ら減税できるのでしょうか。

末端の支援者・運動員とは違い、議員として減税を主張するのであれば、減税による収入減とこれに対応する歳出削減を明示すべきです。粗でも良いので予算の大枠・構造を示すべきです。
こうした議員を政策面で支え、具体的な減収額と歳出削減額の試算を提示する役割を担うものとしてシンクタンクが期待されるところですが、減税運動を主唱している「救国シンクタンク」が歳出削減の具体化という面で全く機能していません。
星野しょう市議をはじめとした減税派の地方議員は、梯子を外されたピエロ状態になっていることに気づいているのでしょうか。

======【引用ここから】======
その上で「歳出削減」よりも「減税」を優先的に主張するべきだと考えている。
その理由は「減税」により政府歳入を減らすことによってでしか、行政改革の動機が生まれず、政府の予算策定における、歳出削減への圧力をかける事ができないからだ。

======【引用ここから】======

地方交付税交付金について大雑把な話をします。
「その自治体の人口・面積等から算出される標準的な支出額 - その自治体の税収」の差額を国が自治体に払うのが、地方交付税交付金という制度です。

地方自治体において、減税は歳出削減への圧力を生じさせるでしょうか。
その昔、名古屋市は、税収が多かったため地方交付税交付金を受け取っていませんでした。ところが、市民税減税を行ったため税収不足が生じ、以降14年間、地方交付税交付金を受け取ることとなりました。減税したのに、制度上、トータルでは歳入がそれほど減らないのです。

そもそも、名古屋市の減税日本は
「デフレ対策としての減税と財政出動」
「小さな政府と大きな公共サービス」
を掲げており、歳出削減を謳っていません。票集めのための福祉バラマキを継続し、国から地方交付税交付金を受け取って減税による減収分を補填してきました。
2024年に行われた名古屋市長選でも、当選した減税日本の候補者は減税のための事業廃止・歳出削減を打ち出すことはなく、逆に「名古屋城木造再建」というハコモノ事業に走ってしまいました。

残念ながら、地方交付税制度の枠組みの下では、地方行政に対し減税で歳出削減への圧力をかけることはできないのです。

他方、国政においても、原理は異なりますが、減税では歳出削減への圧力をかけることはできません。

======【引用ここから】======
ではなぜ国債発行が行われるのかと言えば「増税」によって将来的に政府歳入を増加させる事が可能だからだ。

しかし、前述の「黒からグレー、グレーから白」を目指す過程を思い浮かべて頂ければ、あくまでその時点での現実的な行動として「減税」が優先されているだけであり、当然だが「減税」の後に財政均衡を推し進めて「歳出削減」に繋げるのである。

======【引用ここまで】======

福祉・社会保障を中心にバラマキをし続け、歳出削減をすることができず赤字国債で穴埋めしてきた結果、GDP比で世界最悪の借金国となりました。この国債の元利償還と社会保障給付が増税圧力となっています。毎年、35兆円規模の国債を発行しています。
過去の国債を償還しつつ、現在の税収不足を解消し毎年の赤字国債発行を抑制するためには、増税と歳出削減を組み合わせて行わなければなりません。政治の現実を踏まえた時、「減税」が出てくる余地はありません。

財政均衡のためのルールとして、アメリカではペイアズユーゴ―法や債務上限が設定されています。EUでも加盟国の債務上限に関するルールが存在します。こうしたルールは、いずれも「歳出削減か増税によって赤字国債発行を抑制せよ」とするものです。
日本には、財政均衡のためのルール・慣行が全く存在せず、赤字国債を垂れ流し世界最悪の累積債務を築いてきました。この傾向は財政破綻するその瞬間まで続くでしょう。

減税しても破綻するまで赤字国債を発行しますよ、日本は。
おそらく、債務不履行・デフォルトとなるその直前まで赤字国債を発行することでしょう。
「減税すれば赤字国債を発行しなくなる」という財政規律は、日本ではとっくの昔に捨て去られてしまっています。

日本に必要なのは、歳出削減をすること。そして、財政均衡のためのルールを導入し慣行として定着させること、です。
こうした取組なしに、赤字国債発行を止めるあてのない減税を先行させることは有害なのです。
減税は無条件に良い政策ではありません。

減税派・減税会の人とやりとりをすると、高確率で
「私たちは減税を求める。歳出削減を求めたければそっちで勝手にやれ」
という捨て台詞が出てきます。
私は、
「財源のない減税、歳出削減を伴わない減税は無責任で有害だからやめろ」
と言っているのです。話がなかなか噛み合いませんね。

======【引用ここから】======
また別の角度からの理由としては
1、 政府であろうが、地方自治体であろうが「基本的」には歳入の予想額から歳出を考えるので、減税によって歳入を減らすことで内側から行政改革や歳出削減の圧力がかかる。

======【引用ここまで】======

政府と地方自治体の財政の仕組みはまるっきり異なります。

地方自治体は歳入の予想額から歳出を考えますが、ある程度は税収減を地方交付税交付金でカバーできてしまうシステムのため、減税がそのまま歳入減にはならず歳出削減の圧力にはなりません。上述の名古屋市のとおりです。

政府の場合、社会保障制度や地方交付税制度などによって先に歳出の見込みが設定され、これを税収で賄えるかどうか、賄えないのであれば増税か赤字国債か、という流れで予算の大枠が組まれます。社会保障制度や地方交付税制度を変えることができなければ、増税か赤字国債かその両方か、の三択になります。

======【引用ここから】======
2、 歳入減少により発生する行政改革や歳出削減圧力の過程で既得権益の代表者である政治家同士が戦う過程が発生するが、政治家以外の立場から見れば楽である。
======【引用ここまで】======

現実には、星野しょう市議をはじめ減税派の議員が、減税に足りるだけの大幅な歳出削減を打ち出すことから逃げ回っており、政治家同士が戦う過程が発生していません(笑)。地方議員も政治家でしたよね(笑)。

======【引用ここから】======
3、 歳出削減から始めるということは、予算があるのに使わない状態になるので一時的にでも金を余らせる事になる。そして権力を拡大したい政府や行政又は政治家がその金を自発的に減税に充てるということは考えにくく、他の事に予算を付け替えてしまうだろう。
======【引用ここまで】======

この「削減した予算の付け替え」論は、地方自治体では発生しますが、政府、特に今の日本政府では基本的に発生しません。
税収の範囲内でやりくりをしている状態であれば、事業Aを廃止して浮いた予算で事業Bを行うという「削減した予算の付け替え」が生じます。ところが、今の日本政府は、事業Aと事業Bが税収では足りず、事業Bを丸ごと赤字国債で賄っているような状態です。事業Bを廃止すれば赤字国債を減らすだけであり、予算は余りません。

日本政府は、先に社会保障制度等から発生する費用の見込みを積み上げ、税収で賄えるかを計算し、賄えない分を赤字国債で補うということをこの数十年繰り返してきました。歳出削減がされれば、赤字国債の発行が減らせます。例年の赤字国債発行額35兆円以上の歳出削減がされて初めて、35兆円を超えた削減額の分だけ減税が可能になります。

======【引用ここから】======
4、 同じく歳出削減から始めると、特定の既得権益者から予算を外す事になり、相当の抵抗が考えられる。場合によっては身体的な迫害も覚悟しなければならないだろう。
======【引用ここまで】======

何を削るかの合意形成を後回しにして目先の減税を決めることで、政治力の弱い分野・業界の予算から削られることになります。それすら抵抗が強ければ、歳出削減を諦めて赤字国債でツケを回すことになります。
今の日本は、景気対策としての減税やバラマキ、増税の先送り、社会保障給付見直しの先送り、これらの積み重ねによって膨大な赤字国債を積み上げてしまいました。この利払いが今の増税圧力となっています。日銀がインフレ抑制のために金利を上げれば、利払いはさらに膨らみます。この状況で大幅な歳出削減を伴わない減税をすれば、「債務の償還が滞るのではないか」という信用不安を招き、国債の格付け下落、金利上昇を招きインフレ税が重く国民生活にのしかかってくることでしょう。

アルゼンチンのミレイ大統領のように、相当な覚悟をもって省庁の廃止や歳出削減を打ち出す必要があります。財源なき目先の減税を吹いて回る議員は徹底的に批判しますが、大幅な歳出削減を掲げる議員は応援します。

星野しょう市議が、大和市議会において、市長に対し大和市役所の何課を「アフエラ!!」と主張するのか、そして、大和市議会から『政府に○○省の廃止を求める意見書』を出すのか、楽しみにして待っていましょう。

-------(追記)-------

リフレ派救国シンクタンクで減税運動主唱者・渡瀬氏の信者の減税派の方から、よく、

「若年寄は地方公務員を辞めて歳出削減しろ。それが行革だ」

と言われます。
ところが残念ながら、私のような末端の地方公務員が辞めても、事業廃止・歳出削減できなければポストは残ります。空いたポストに後任者が座るので、トータルで人件費は減りません。事業廃止、歳出削減に努めてはいるものの、私が無能で非力なため、なかなか上司の賛同を得られず、事業廃止にまで漕ぎ着けることができないでいます。

他方、地方議会の場合、議員定数は議員提案で変えることができます。議員が定数削減を謳って定数条例改正を提案し可決されれば、ポストそのものを減らし人件費を削減することができます。

大和市議会で最下位当選だった星野しょう市議が議員定数削減条例案を出して可決されれば、星野しょう市議が議員を辞めてポストが減って人件費を削減できます。
おそらく、この方法が、星野しょう市議にできる唯一の行革だと思いますが・・・いかがでしょうか。
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食料供給困難事態対策法案~自由軽視・市場軽視~

2024年03月03日 | 政治
1年以上間隔が空いての記事投稿となります。

さて、こんな記事を見かけました。

農家に増産指示、罰金も 食料危機時の対策法案、概要判明(共同通信) - Yahoo!ニュース
======【引用ここから】======
農林水産省が食料・農業・農村基本法改正案と併せて今国会に提出する食料供給困難事態対策法案(仮称)の概要が8日、分かった。コメ、小麦、大豆などが不足する食料危機時に政府が供給目標を設定。農家に増産計画の届け出を指示できるとし、従わない場合は20万円以下の罰金を科す。

対策法案は、食料安全保障の確保を柱に据えた基本法改正案の内容を具体化する役割を持つ。2月下旬にも国会に提出する。

コメ、小麦、大豆のほかに「国民が日常的に消費するもの」や「国民の食生活に重要なもの」を政令で「特定食料」に指定し、出荷・販売業者にも供給量を調整する計画の届け出を指示できるとした。

======【引用ここまで】======

記事タイトルでは
農家に増産指示、罰金も
とあるのに、記事本文では
農家に増産計画の届け出を指示できるとし、従わない場合は20万円以下の罰金を科す
と。
増産指示に従わなかった場合と、増産計画の届け出の指示に従わなかった場合とを混同させています。
見出し詐欺感の否めない共同通信記事でした。

上記記事を読んだ時点の感想としては、
「役所が生産量を把握し出荷・販売業者の供給量を調整するとか絶対無理でしょwどこの共産国なんだwww」
という笑いしかおきませんでした。

さて、この共同通信記事に対し旧ツイッター上で、次のようなブログ記事を見つけました。

『食料供給困難事態対策法案 農家に増産指示、罰金も』一部報道について農水省に聞いてみました | あるのは探究心



へぇ。農水省に直に聞いてみた人がいるのか・・・ということで読んでみました。





この中で注目すべき箇所は次のとおり。

======【引用ここから】======
① 事業者(生産者)の理解と協力の下で措置を行うことを基本に、国が生産を拡大すべき量等を提示した上で、事業者の自主的な取組を促す「要請」を行うこと

② 要請のみでは必要な量が確保できない場合に限り、「計画作成の指示」等を行うこと

======【引用ここまで】======

======【引用ここから】======
① 要請については事業者の自主的な取組を求めるものであるため罰則は設けないこと

② 一方で、計画作成の指示に対して届出がなければ、確保可能な供給量を把握できず、計画変更指示の必要性も判断できないことから、計画作成の指示違反については罰則(罰金)を設けることが妥当と考えられること

③ 計画に沿った事業の実施等への対応についても担保措置は必要であるが、抑制的であるべきであることから、生産資材や労働力の確保ができない場合などやむを得ない理由がある場合は除き、罰則によるのではなく公表措置をとることが妥当と考えられること

======【引用ここまで】======

【「要請」行政】

まず気になったのは、コロナ対策禍で何度も見かけた「要請」行政です。
命令でもないし強制でもない、あくまで自主的な取り組みを促すに過ぎないはずの要請。
しかし、政府・自治体の活動の根拠にはなる。
そして、「要請」に違反した者に対しては勧告を出し、勧告に従わなければ命令や罰金の対象となる・・・
といった一連の流れが、『グローバルキッチン 対 東京都』の裁判でも問題とされました。
損害賠償こそ棄却されたものの、東京都側の違法が認定されて判決は確定しています。

この「要請」行政は、社会的圧力を生む要因になる、位置づけが曖昧で取り扱いが難しい、として行政側でも問題視されている代物です。
(たとえば、
新型コロナのまん延防止を目的とした「要請」についての法的検討
を参照のこと。)
こうした懸念に対し、農水省に聞いてみたブログでは農水省の資料と見解を載せるのみで、なんの言及もありません。
29歳の農家さんにそこまで期待するのはちょっと無理だったようです。

【罰則の範囲】

次に。
冒頭紹介した共同通信記事では、
タイトル「農家に増産指示、罰金も
記事本文「農家に増産計画の届け出を指示できるとし、従わない場合は20万円以下の罰金を科す
となっていました。
この点、農水省に聞いてみたブログでは、共同通信記事本文と同様、計画作成の指示違反、計画未届出が罰金の対象となるとされています。

そして注目すべきは、
③ 計画に沿った事業の実施等への対応についても担保措置は必要であるが、抑制的であるべきであることから、生産資材や労働力の確保ができない場合などやむを得ない理由がある場合は除き、罰則によるのではなく公表措置をとることが妥当と考えられること
の箇所。

整理しましょう。
〇 農家が増産計画の届け出の指示に従わなかった場合(計画未提出)・・・罰金
〇 届け出た計画に沿った増産等を行わなかった場合・・・公表
となります。

この「公表」も、コロナ対策禍において、事実上の強制・社会的圧力の要因となったものであるのは周知の事実ですね。
感染者が増えて複数の感染経路が考えられるにも関わらず特定の飲食店を感染源として「公表」し店側が損害賠償訴訟を提起したケースや、営業自粛等の「要請」に従わなかった店を「公表」して社会的圧力をかけて従わせようとしたケースなどがありました。
「公表」って、行政が直接手をくださずとも消費者や生産者等の相互監視の中で村八分的非難が行われるという点で、20万円の罰金よりもはるかに重たい制裁になりうる手法なんです。
「公表」を「抑制的」と位置付けるのは、あまりに非現実的でお役人的なものの見方だと思いますよ農水省さん?

ところで、
農水省に聞いてみたブログの主に、質問を投げかけてみたところ、不思議な回答をいただきました。





増産指示に従わなかった場合は「未提出に包摂される」・・・?
未提出に包摂されたら公表じゃなくて罰金になっちゃうのでは・・・?

2月27日閣議決定後の2月29日に記事をアップしているのに「他法令の例も参考にして検討を進めているところ」という農水省コメントが紹介されていたりと、なんとまあ、随分杜撰なブログだったなぁという感想です。

生産資材や労働力の確保ができない場合等やむを得ない理由があり、増産指示への対応が難しい旨の届出をした場合には罰則の対象とはならない
と農水省コメントを紹介し、
「ほら個人の自由に対してそこまで抑圧的でないんですよー、ここまでキチンと紹介しない共同通信の記事は随分杜撰だなぁ」
と農水省に尻尾を振る姿、私は真似したくありません。

【社会主義的生産調整】

さてさて。

食料供給困難事態対策法案の概要 第213回国会(令和6年 常会)提出法律案 農林水産省

政府・農水省は、農家をはじめ生産業者・販売業者に生産輸入拡大を要請し、不足が生じるおそれがある場合に計画書を作らせ、計画変更を指示し、その計画に沿った生産をさせるようです。

バターのような単一品目の需給調整に失敗した農水省が、市場価格という最も確度の高い情報を差し置いて農家提出計画で需給調整なんてできるわけがありません。食料供給困難事態に農水省が対処しようとして食料供給困難事態に拍車をかける、毛沢東やポルポトが失敗した道を辿るのでしょう。

農水省は、食料安保をテコにインセンティブ補助金をばら撒く口実を得ました。
農家は、農水省のばら撒く補助金に群がることでしょう。
この醜い光景、あと何度繰り返せば気が済むのでしょうか。
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今日の減税、明日の増税、令和末期の大増税

2022年10月31日 | 政治
先日、こんなニュースが飛び込んできました。

経済対策、第2次補正予算案29.1兆円程度に 異例の規模:朝日新聞デジタル 西尾邦明2022年10月27日 19時42分
======【引用ここから】======
 政府は27日、総合経済対策の裏付けとなる2022年度第2次補正予算案を一般会計で29・1兆円程度とする方針を固めた。
   -----(中略)-----
 財源は21年度の剰余金や好調に推移している税収の上ぶれ分も使うが、大半を国の借金である赤字国債でまかなう。国債残高は約1千兆円あり、財政の悪化が避けられない情勢だ。
======【引用ここまで】======

「大半を赤字国債でまかなう」とありますが、割合や細かい数字が不明。
なので、補正額を29.1兆円、全額赤字国債と仮定して表にまとめてみましょう。



一般会計総額が139兆円、その約半分の68兆円の国債を発行するという、狂気を感じる数字になっています。

この数字を頭に置いたうえで、私のツイートがこちら。



私の脳内イメージを、さっきの表につなげてみましょう。
こんな感じ。



社会保障、社会保障以外、地方交付税を半分にして、コロナ関連のバラマキや補正による景気対策、物価高対策などのバラマキを全廃して、やっと、国債発行ゼロかつ7兆円くらいの減税ができるようになります。

子供世代、孫世代への負担を軽くするためには、今の社会保障や地方交付税といった様々なものを半減するくらいの険しい茨の道を避けては通れません。私はこの規模の緊縮財政が必要だと考えています。そこまでやって、やっと減税が見えてくると考えています。

これに対し噛みついてきた減税派の方がいたので、紹介します。





「バラマキの財源で減税可能」
「それを原資に減税した方が良いというのは、現実に即した常識的な議論」

だそうです。

この主張に基づいて、先ほどの表に追加してみましょう。
バラマキ補正予算は赤字国債が財源でしたから、そこを財源として据え置きにしつつバラマキ補正予算をゼロにするとこうなります。



すごいですね!!
36.7兆円の減税ができるので、消費税廃止も夢じゃない!

・・・国債の68.7兆円、どうすんの?
これが現実に即した常識的な議論?
笑わせんなよ。
このように減税の財源を国債とすることで、後日、償還費用が増税圧力となって返ってきます。
「今日の減税、明日の増税、令和末期の大増税」
です。

減税派の議論を見ていますと、甘い。
甘いと言わざるを得ません。
ちょっと無駄な歳出を見つけると、鬼の首をとったように
「またこんな無駄な事業をやっている!税金は余っている!減税だ!」
と騒ぐのですが、しかし、実際は余っていません。

バラマキの原資は国債であり、国債を積み増して無駄なことをやっているのです。まずはこの国債をどうにかしないといけません。全てのバラマキを止めると同時に、社会保障であっても半減するくらいの覚悟がないと、減税までたどり着きません。
それくらい、国債に依存した今の政府・国民の体質は厄介だということです。

「バラマキの財源で減税可能」
などという寝言は、MMTerだけにしてほしいものです。
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最低賃金を何円上げれば良いか、アトキンソン氏は知ることができる(んなわけない)

2022年07月25日 | 政治
ちょっと前に、ノーベル経済学賞の事が話題になりました。

ノーベル経済学賞を受賞したカードによる最低賃金の研究をどこよりもわかりやすく解説! | 「原因と結果」の経済学 | ダイヤモンド・オンライン
======【引用ここから】======
 この問題に挑んだのがカリフォルニア大学バークレー校のデビッド・カードとプリンストン大学のアラン・クルーガーである。彼らは、ニュージャージー州とペンシルベニア州の境界をまたいで隣り合う郡に着目した。アメリカでは、最低賃金の変更は州ごとに行われるので、1992年にニュージャージー州だけは最低賃金を4.25ドルから5.05ドルに上げ、ペンシルベニア州では据え置かれるということが起こった。
----(中略)----
 カードらの分析の結果、最低賃金の上昇は雇用を減少させないことが明らかになった(注1)。また、最低賃金の上昇は、ニュージャージー州の企業による価格の上昇をもたらしていることも明らかになった。つまり、企業は、最低賃金によるコスト増をリストラではなく、価格に転嫁することによって切り抜けようとしたのである。
======【引用ここまで】======

RIETI - ノーベル経済学賞に米3氏 「自然実験」で因果関係推定
======【引用ここから】======
両氏は問題解決のため、ペンシルベニア州東部と同一の経済圏に属するニュージャージー州で、92年に最低賃金が引き上げられたことに注目した。低賃金労働者が多いファストフード店の雇用変動を調べると、多くの経済学者の予想に反して、最低賃金が引き上げられたニュージャージー州の雇用はペンシルベニア州東部に比べ若干増えていた。
----(中略)----
理論面でも、最低賃金の引き上げが雇用を減らさない理由として、現状の労働市場では、企業が賃金を決める力を持つ状態(モノプソニー)が成立しているとする仮説が注目された。
======【引用ここまで】======

この、モノプソニーとは何でしょうか。

日本人の「給料安すぎ問題」はこの理論で解ける | 国内経済 | 東洋経済オンライン | デービッド・アトキンソン : 小西美術工藝社社長
======【引用ここから】======
「モノプソニー」とは、労働市場が完全競争ではなく、企業のほうが立場が強くなっているため、企業は本来払うべき給料より低い給料で人を雇うことができる状況を指します。つまり低賃金なのは一種の「搾取の結果」であり、必ずしもその人が低スキルだからではないと考えるのです。
======【引用ここまで】======

強い力をもつ企業が労働者を搾取する・・・懐かしい響きですね。

真新しい概念であるどころか、古い古いマルクス主義を焼き直しただけの主張です。こんな古い概念が今さらになってノーベル経済学賞を取ったのかと驚く方もいるかもしれません。ノーベル平和賞と経済学賞はいつものことながら眉唾ものです。

さて。

この「モノプソニー」による搾取が生じるのはどういうメカニズムなのか。上記のアトキンソン氏が解説しています。ちょっと長くなりますがご覧ください。

日本人の「給料安すぎ問題」はこの理論で解ける | 国内経済 | 東洋経済オンライン | デービッド・アトキンソン : 小西美術工藝社社長
======【引用ここから】======
以下のケースをご覧ください。最低賃金の引き上げによって企業が雇用を増やすメカニズムが明白になります。

時給1000円で1000人を雇用している企業があり、同じ仕事をする人をもう1人新たに雇用すると、1時間あたり1200円の収益が上がるとします。この場合、労働市場が完全競争だと1200円の時給を払わないといけないのですが、「モノプソニー」の力が働くと1000円で雇えるため、利益が200円も余計に増えます(この200円が「搾取」にあたります)。

労働市場の状況が変わって1000円で雇える人がいなくなり、新しい人を雇用するには時給1100円を払わなくてはいけなくなったとします。これでも、この新しい人は高い利益率を生み出すのですが、企業はこの人を雇わないと考えられます。

なぜなら、新しい人に時給1100円を支払うと、すでに雇用されて同じ仕事をしている1000人の時給も、1000円から1100円に引き上げなければならないからです。この場合の人件費の増加は、新しい人に支払う1100円だけではなく、1000人×100円+1100円=10万1100円となります。たとえ赤字にならないとしても、利益が大きく削られることになるので、新しい人が雇われることはありません。

このケースで、仮に政府が最低賃金を1100円に上げると、新しい人を雇うにせよ雇わないにせよ、既存の1000人の時給は1100円にしなくてはいけなくなります。この場合、経営者にとって、新しい労働者を雇うことで生まれる新たなコストは時給分の1100円だけです。1200円の収益は超えていませんから、削られた過剰利益を少しでも取り戻すために、新しく人を雇います。

これが、「モノプソニー」による搾取の範囲内なら、最低賃金を引き上げても、雇用が減るどころか増えることになるメカニズムです。

======【引用ここまで】======

この説明では、ある企業の限界生産性が1時間あたり1,200円であると簡単に説明されています。限界生産性が1,200円なのに、1,000円で雇用している、1,000円で雇用できてしまう最低賃金はおかしい、この差額200円が搾取されている、という主張です。

アトキンソン氏は、限界生産性が1,200円の企業であれば、労働市場の状況が変わって1,000円から1,100円になった際に、最低賃金を1,100円に引き上げれば雇用が増える、と力説します。

しかし、これを可能にするためには、

・企業の限界生産性が1,200円であることが事前に分かっている。
・労働市場が1,000円から1,100円になった。
・今だ!1,100円に最低賃金を引き上げろ!

という金額の大小関係が成り立つ地域とタイミングでの政策決定ができる場合に限られます。

【限界生産性を1円単位で正確に予測する?】

ノーベル経済学賞をとったカード氏の1992年ニュージャージー州の事例でも、事前に限界生産性を把握していた訳ではありません。最低賃金を5.05ドルに引き上げたが雇用が減らず若干増えたという現象から、おそらく、ニュージャージー州のこの当時の多くの企業での限界生産性が5.05ドルを少し上回っていたのだろう、という推測が成り立つに過ぎません。

私、企業の限界生産性を正確に1円単位まで計算できたものを見たことが無いんですよ。ましてや、ある地域全体における限界生産性の水準を1円単位でとなると、断言しましょう、不可能ですよ。最低賃金を計算するための推計なんですから、もちろん1円単位でお願いします。

もし、このカード氏らの研究で、この限界生産性を事前に推計し、A州では4.5ドル、B州では5.0ドルと予想したうえで、AB両州が最低賃金4.2ドルから4.8ドルに引き上げ、A州では失業が増えB州では雇用が増えたという観測が出来たなら、
「すごい!!!!」
って思いますよ。

でも、そういった実証をしたわけではありません。ニュージャージー州はたまたま5.05ドルに引き上げ、隣のペンシルベニア州ではたまたま最低賃金を据え置いただけです。そのたまたまの結果から、こういう因果関係が成り立つのではないかという仮説を述べたに過ぎません。

【アトキンソン氏がすべきこと】

アトキンソン氏は、

データ分析に基づいて「モノプソニー」の力を測り、その範囲内で適切に、毎年最低賃金を引き上げていくと同時に、中小企業の統廃合を進めて規模を拡大し、産業構造を強化するべきだ

と主張します。
しかし、どうやって限界生産性を正確に掴み、その範囲内で最低賃金を上げるということができるのでしょうか。その点に関する実績が無いにも関わらず、「これが日本を救う道」と大言壮語しているのです。データ分析をミスって限界生産性を超えた最低賃金引上げをやってしまった場合の責任をアトキンソン氏は取らないし、取れないというのに。

アトキンソン氏がやるべきは、日本全体における限界生産性という雲を掴むような話ではなく、小西美術工藝社という自身が経営する会社の限界生産性を正確に把握し、その限界まで従業員の賃金を引き上げることです。

日本では県ごとに最低賃金を設定しています。県の規模で限界生産性を1円単位で把握するのは不可能じゃなかろうかと思うのですが、アトキンソン氏ほどのデータ分析のプロであれば、自身が経営する会社の限界生産性を把握する位ならどうにかなるんじゃないですかね。

ところで、冒頭のダイヤモンド・オンライン記事では、

最低賃金の上昇は、ニュージャージー州の企業による価格の上昇をもたらしていることも明らかになった。つまり、企業は、最低賃金によるコスト増をリストラではなく、価格に転嫁することによって切り抜けようとした

と解説があります。
小西美術工藝社では、限界生産性まで従業員の賃金を引き上げた際、価格に転嫁するのでしょうか。それとも、数年前に流行った

#くいもんみんな小さくなってませんか日本


みたいな事をするのでしょうか。アトキンソン氏がどこにしわ寄せをするのか、興味深く見守りたいと思います。

【アトキンソン氏の矛盾】

最後に、アトキンソン氏のコラムの中で辻褄の合わない部分を指摘したいと思います。

アトキンソン氏は、モノプソニーの説明の中で、

「モノプソニー」とは、労働市場が完全競争ではなく、企業のほうが立場が強くなっているため、企業は本来払うべき給料より低い給料で人を雇うことができる状況を指します

と述べています。
売り手たる労働者が多く買い手たる企業が少ない買い手市場では、モノプソニーが容易に成り立ちます。逆に、様々な賃金・労働条件を提示して雇用を求める企業が多数存在する売り手市場では、企業が労働者の足元を見て買い叩くのは難しくなります。

モノプソニーの成立を妨げるためには、買い手たる企業が多数いること、雇用が流動的であることが必要です。本来であれば、雇用の流動性を高めるために解雇規制を撤廃し、企業の新規参入を妨げる各種規制も撤廃し、多数の買い手が出現できる状況を目指すべきです。

ところが、モノプソニーの弊害を強調するアトキンソン氏であるにもかかわらず、

データ分析に基づいて「モノプソニー」の力を測り、その範囲内で適切に、毎年最低賃金を引き上げていくと同時に、中小企業の統廃合を進めて規模を拡大し、産業構造を強化するべきだと強調してきました。

と、買い手の数を少なくして統廃合を進めよ、いわば寡占化を進めよと述べてコラムを締めくくっているのです。

アトキンソン氏の主張に沿った政策が実現すれば、寡占化した企業の下でモノプソニーの強化が図られ、最低賃金は「当たるも八卦当たらぬも八卦」な限界生産性予想に基づく引上げが行われ、外れれば失業者が増えるという世の中になります。
当たれば雇用は増えるかもしれませんが、その増えた雇用で、企業から政府へデータ提供事務とかをやらせるのでしょう。

嫌だなぁ。
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新型インフルエンザ等対策特別措置法と「法律による行政」「法の支配」(備忘録)

2022年02月01日 | 政治

【問1 まん防の実施】

令和4年1月、岸田首相は、新型コロナ陽性者数が増加したことを受けて就任後初のまん防(まん延防止等重点措置)の実施を発表しました。

これ、法令に沿った運用と言えるのでしょうか?
法律や政令に定める発動条件を満たしているでしょうか。

【条文】

〇新型インフルエンザ等対策特別措置法
======
(新型インフルエンザ等まん延防止等重点措置の公示等)
第三十一条の四 政府対策本部長は、新型インフルエンザ等(国民の生命及び健康に著しく重大な被害を与えるおそれがあるものとして政令で定める要件に該当するものに限る。以下この章及び次章において同じ。)が国内で発生し、特定の区域において、国民生活及び国民経済に甚大な影響を及ぼすおそれがある当該区域における新型インフルエンザ等のまん延を防止するため、新型インフルエンザ等まん延防止等重点措置を集中的に実施する必要があるものとして政令で定める要件に該当する事態が発生したと認めるときは、当該事態が発生した旨及び次に掲げる事項を公示するものとする。
一 新型インフルエンザ等まん延防止等重点措置を実施すべき期間
二 新型インフルエンザ等まん延防止等重点措置を実施すべき区域
三 当該事態の概要

======

〇新型インフルエンザ等対策特別措置法施行令
======
(新型インフルエンザ等まん延防止等重点措置を集中的に実施すべき事態の要件)
第五条の三 法第三十一条の四第一項の新型インフルエンザ等についての政令で定める要件は、当該新型インフルエンザ等にかかった場合における肺炎、多臓器不全又は脳症その他厚生労働大臣が定める重篤である症例の発生頻度が、感染症法第六条第六項第一号に掲げるインフルエンザにかかった場合に比して相当程度高いと認められることとする。
2 法第三十一条の四第一項の新型インフルエンザ等まん延防止等重点措置を集中的に実施すべき事態についての政令で定める要件は、当該新型インフルエンザ等まん延防止等重点措置を集中的に実施しなければ、同項の特定の区域(以下この項において単に「特定の区域」という。)が属する都道府県における新型インフルエンザ等感染症の患者及び無症状病原体保有者(感染症法第六条第十一項に規定する無症状病原体保有者をいう。以下この項において同じ。)、感染症法第六条第八項に規定する指定感染症(法第十四条の報告に係るものに限る。)の患者及び無症状病原体保有者又は感染症法第六条第九項に規定する新感染症(全国的かつ急速なまん延のおそれのあるものに限る。)の所見がある者(以下「感染症患者等」という。)の発生の状況、当該都道府県における感染症患者等のうち新型インフルエンザ等に感染し、又は感染したおそれがある経路が特定できない者の発生の状況、特定の区域における新型インフルエンザ等の感染の拡大の状況その他の新型インフルエンザ等の発生の状況を踏まえ、当該都道府県において新型インフルエンザ等の感染が拡大するおそれがあると認められる場合であって、当該感染の拡大に関する状況を踏まえ、当該都道府県の区域において医療の提供に支障が生ずるおそれがあると認められるときに該当することとする。

======

【要約】

法律あるあるですが、長くて非常に読みにくい。
読みやすいように短くしてみましょう。

政府対策本部長=内閣総理大臣は、

① 国民の生命及び健康に著しく重大な被害を与えるおそれがある感染症が国内で発生し、

② 特定の区域において、国民生活及び国民経済に甚大な影響を及ぼすおそれがある感染症のまん延を防止するため、

③ まん延防止等重点措置を集中的に実施すべき事態が発生したと認めるときは

まん延防止等重点措置を実施する期間と区域を公示する、という流れになります。

この①と③については、政令(同法施行令)であらかじめ条件が定めてあります。

まず、①の「重大な被害を与えるおそれのある感染症」とは何かという点。
政令では、肺炎、多臓器不全、脳症など重篤な症例が、通常のインフルエンザよりも相当高い頻度で発生する感染症に限定されています。

次に、③についてですが、これは端的に言うと「医療の提供に支障が生ずるおそれがあると認められるとき」となります。

肺炎、多臓器不全、脳症などが相当高い頻度で起きる危険な感染症をまん延させない、医療崩壊を防ぐ、そのために発動するのがまん防です。

【法律違反のまん防】

ここで問題となるのは、①です。

繰り返しになりますが、まん防を実施できるのは、肺炎、多臓器不全、脳症などの重篤な症例がインフルエンザよりも高い頻度で発生する、そんな危険な感染症に限定されています。

・・・さて皆さん、新型コロナウイルス感染症のうち特に今増えているオミクロン株の感染で、肺炎、多臓器不全、脳症などの重篤な症例の発生頻度がインフルエンザよりも相当高いというのを聞いたことがありますか?現実はむしろ逆で、陽性者でも無症状が多く、また、症状があっても風邪と見分けがつかない程度の患者が多数です。

令和4年1月時点におけるまん延防止等重点措置の実施は、法律と政令で定める条件を満たしていると判断できる情報、統計、要素がありません。

私は、
拙速、やりすぎのほうがまし
と放言する岸田首相の功名心と恐怖心が先行し、周辺の人間が忖度をした結果が、法律と政令で定める条件を無視したまん防の発動に繋がったものとみています。

風邪と見分けのつかない感染症を、「肺炎、多臓器不全、脳症などの重篤な症例がインフルエンザよりも相当高い」と過大評価してしまった岸田首相ですが、開始時点で明確な根拠を持っていないため、今度は解除の時にタイミングが分からなくなって前の菅政権と同じように迷走するのでしょう。

【問2 まん防の効果】

次に、政府のまん延防止等重点措置区域の決定を受けて、対象となった地域の自治体はこぞって次のような発表をしています。

まん延防止重点措置区域決定後の対応について - 大分県ホームページ
======【引用ここから】======
飲食店・遊興施設・結婚式場
認証店の場合
A  営業時間21時まで・酒類提供可  もしくは B 20時まで・酒類提供不可 から選択

非認証店の場合
C 営業時間20時まで・酒類提供不可
営業時間の短縮等に対応頂ける場合、協力金を支給します。対応頂けない場合、店名公表等の罰則を伴う可能性あります。
======【引用ここまで】======

テレビでもこんな表現でしきりと放送しています。
これ、合ってると思います?

【条文】

〇新型インフルエンザ等対策特別措置法
======
(感染を防止するための協力要請等)
第三十一条の六 都道府県知事は、第三十一条の四第一項に規定する事態において、国民生活及び国民経済に甚大な影響を及ぼすおそれがある同項第二号に掲げる区域(以下この条において「重点区域」という。)における新型インフルエンザ等のまん延を防止するため必要があると認めるときは、新型インフルエンザ等の潜伏期間及び治癒までの期間並びに発生の状況を考慮して当該都道府県知事が定める期間及び区域において、新型インフルエンザ等の発生の状況についての政令で定める事項を勘案して措置を講ずる必要があると認める業態に属する事業を行う者に対し、営業時間の変更その他国民生活及び国民経済に甚大な影響を及ぼすおそれがある重点区域における新型インフルエンザ等のまん延を防止するために必要な措置として政令で定める措置を講ずるよう要請することができる。

2 (略)
3 第一項の規定による要請を受けた者が正当な理由がないのに当該要請に応じないときは、都道府県知事は、国民生活及び国民経済に甚大な影響を及ぼすおそれがある重点区域における新型インフルエンザ等のまん延を防止するため特に必要があると認めるときに限り、当該者に対し、当該要請に係る措置を講ずべきことを命ずることができる。
======

【要点】

まず、まん防の決定を受けた区域で、都道府県知事は、営業時間の変更を始めとする措置を「要請」することができる、と書いています。
次に、第3項では、この要請を受けた者が「要請」に応じないとき、都道府県知事は、新型インフルエンザ等のまん延を防止するため特に必要があると認めるときに限り命令を出せる、となっています。

今現在は、「要請」の段階です。
これは法律の問題というよりも日本語の問題なのですが、「要請」は「~してください」という意味しか持っていません。この段階で強制力は持っていません。

このため、「要請」の段階で

「酒類提供可(できる)」
「酒類提供不可(できない)」

といった表記を用いるのは誤りです。

要請」なので、あくまでも都道府県知事側は、
「非認証店の皆様におかれましては、営業時間までは20時まで、酒類は提供しないようお願いいたします」
と低姿勢でなければいけません。

そして、「要請」に従わなかったとしても、直ちに問題にはなりません。
「要請」に従わせる事が
新型インフルエンザ等のまん延を防止するため特に必要があると認めるときに限り」、
都道府県知事は初めて命令を出すことができます。
要請」はあくまでお願いでしかないので、お願いに従わなかったからと言って直ちに命令につなげることはできません。

条文で、「『特に必要があると認めるときに限り』」と、強めの限定をしているので、かなり差し迫った必要性を知事の側が証明できなければならないと考えます。

もし命令できるとしたら、要請に従わなかった店で多数の客が感染したことが明らかで、その客がいずれも重症の肺炎になったようなケースくらいでしょうか。

【法律で縛る事の意味】

であるにも関わらず、どの自治体も
「まん延防止等重点措置が決まりました。酒類提供できません」
の一点張り。

マスコミも自治体の発表を鵜呑みにして
「非認証店では20時までしか営業できません、お酒の提供もできません」
と垂れ流すのみ。行政を監視するというスタンスを放棄してしまっています。

現在係争中のグローバルダイニングと東京都の訴訟で、もしこれで東京都が勝ってしまうようなら、立法府が命令を限定的な形で規定したとしても、行政府や自治体に対し何の歯止めにもならないことを意味します。

いや、もう既に法律の歯止めを失って政府や自治体は暴走している、それが昨今のコロナ対策禍だと言えるかもしれません。

法律に基づく行政とは何だったのか。
日本は「法の支配」の原理を採用しているのではなかったのか。

グローバルダイニング訴訟、原告が投げかける問い「コロナ時短命令、誰が責任とるのか」(弁護士ドットコムニュース) - Yahoo!ニュース
======【引用ここから】======
「“政府”は終局的な責任をとらない要請を中心とした法的義務なきお願いをベースに我々の行動変容を調達し、責任を丸投げされた市民社会は、視聴率に依存する無責任なマスメディアによる煽りによって、同調圧力と相互監視を強め、萎縮した社会はいまだに元の姿に戻っていません」(倉持弁護士)
======【引用ここまで】======
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尾身会長の「気持ち」発言に見るコロナヒステリー

2021年03月09日 | 政治
「安心安全なまちづくり」等のフレーズは頻繁に用いられることの多い、「安心」と「安全」。
しかし、安心と安全、この二つは別物です。

安心・不安は、主観的な気分・気持ちの問題。
安全・危険は、危害・損害が生じる可能性の程度を表した客観的な状態。

この安心と安全が別物である点を踏まえて、次の文章を読んでみましょう。

尾身会長“『通常のインフル同様の認識』となるのは来年以降” | 新型コロナウイルス | NHKニュース 2021年3月5日
======【引用ここから】======
5日の参議院予算委員会で尾身会長は「まもなく高齢者へのワクチン接種が始まると、重症化や発症を予防する効果が期待できる。そうなれば、一般の方たちのこのウイルスに対するイメージはかなり変わってくると思う」と述べ、ワクチンの接種が進むことへの期待感を示しました。

その一方で「仮にことしの12月ごろまでに全人口の6割から7割がワクチンを接種したとしても、時々はクラスター感染が起こりえるし、時には重症者も出るという状況だと思う」と述べ、引き続き新型コロナウイルスへの警戒が必要だという認識を示しました。

そして、今後の見通しについて尾身会長は「ことしの冬からさらに1年ほどがたてば、このウイルスに対する不安感や恐怖心が、だんだんと季節性インフルエンザのような形になっていくと考えている。多くの人がインフルエンザと同じような気持ちを持ったときがいわば終息のような感じになるのではないか」と述べました。

======【引用ここまで】======

仮にことしの12月ごろまでに全人口の6割から7割がワクチンを接種したとしても、時々はクラスター感染が起こりえるし、時には重症者も出るという状況だと思う

この部分は、尾身氏の専門家としての知見。
安全・危険の観点からは、多くの人がワクチンを打ってもゼロコロナにはならない事を尾身氏は述べています。

じゃあ、ワクチン接種で死亡者や重症者の数がどうなるのか、どの程度ワクチンの効き目が出れば季節性インフルエンザと同等の病気と言えるのか、気になるところです。

しかし尾身氏は、全人口の6割~7割がワクチン接種をしたとして、それで感染者数、重症者数、死亡者数がどのくらいになるか、新型コロナの危険性がどのくらい軽減されるかの科学的な知見は述べていません。漠然と「重症化や発症を予防する効果が期待できる」とは述べているものの、具体的に重症化を抑える程度や発症予防できる人数への言及は避けています。

他方、

一般の方たちのこのウイルスに対するイメージはかなり変わってくると思う

ことしの冬からさらに1年ほどがたてば、このウイルスに対する不安感や恐怖心が、だんだんと季節性インフルエンザのような形になっていくと考えている。多くの人がインフルエンザと同じような気持ちを持ったときがいわば終息のような感じになるのではないか

この部分については、尾身氏の科学者・専門家としての客観性を伴った知見ではありません。一般人の安心・不安、いわば「お気持ち」がどうなるかの感想を述べているにすぎません。

尾身氏は、検証可能な客観的数値に基づいて、ワクチン接種によって新型コロナウイルスの危険性が季節性インフルエンザと同等になる、だから安心してもらっても大丈夫・・・と述べているわけではありません。
イメージ
不安感
恐怖心
気持ち
という言葉を連呼していることからも分かるように、ワクチン接種を経て、一般人の新型コロナウイルスに対する印象が季節性インフルエンザのイメージと同等になれば、それで「終息のような感じ」と述べているのです。

ワクチン接種の前後で、ウイルスの危険性自体が劇的に変化するわけではありません。
その中で、イメージが改善すれば終息と述べているのです。

【朝日新聞のミスリード】

尾身氏の同じ発言を、意図的に切り取った悪い例をご紹介。

尾身会長「コロナ、もう2年でインフルのように」見通し(朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース
======【引用ここから】======
 新型コロナウイルスの感染は今冬まで広がり、季節性インフルエンザと同じような病気になるにはさらに1~2年かかる――。政府の新型コロナ対策分科会の尾身茂会長は5日の参院予算委員会で、そのような見方を示した。日本維新の会の浅田均政調会長の質問に答えた。
======【引用ここまで】======

この朝日新聞の記事は、尾身発言の改竄・・・とまではいかないにしろ、ミスリードであることは否めません。

尾身氏は、新型コロナウイルスへの「不安感」や「恐怖心」の程度が季節性インフルエンザと同等になれば「終息のような感じ」と述べているのであって、安全・危険の観点で「季節性インフルエンザと同じような病気になる」という客観性のある知見を述べてはいないのです。

尾身氏は、自分が煽った新型コロナウイルスへの恐怖心が、国民感情と呼べるレベルまで広がった事に怖気づいてしまったようです。今になって、「危険性というよりも気持ちの問題です」と火消しの方向に舵を切りつつあります。

他方、朝日新聞は「まだまだ新型コロナは続くぞ」と煽る。系列のテレ朝も煽る。冒頭のニュースでは発言そのままを紹介しているNHKも、例えば『ニュースウォッチ9』『Nスぺ』なんかでは恐怖心をこれでもかと煽っています。マスコミにとって、不安感を煽れば煽るほど発行部数や視聴率が伸びるのだから仕方ありませんね。

さすがは、戦前に軍国主義を煽ってきた朝日新聞といったところでしょうか。朝日新聞は、戦前にこの手法で売りに売ったんでしょうきっと。あるいは、怖いぞ怖いぞと煽ってきた手前、引っ込みが付かなくなってしまったのでしょうか。

【ワクチンは効果や安全性よりも安心感】

尾身発言からは、ワクチンの安全性と効果うんぬんよりも、「接種したことによる安心感」が終息にとって重要であるという事が分かります。

であるならば、
「輸送の際にマイナス75度の冷凍庫で~」
「いやマイナス20度でも~」
という扱いの難しいワクチンを厳重に管理し全国各地へ配らずとも、極端な話、ビタミン剤や生理食塩水を注射して「はい、あなたはこれで接種済!」としてしまっても良いような気がします。これでヒステリーは緩和されることでしょう。

それ以前に、マスコミが不安感を煽る報道をやめてしまえば、その日に間違いなく終息です。
無症状を含めた陽性者を
「今日は150人の感染が確認されました~」
と毎日報じていれば、不安にならない方がおかしいというもの。

安倍→菅への首相交代を契機として、すぐに新型コロナを5類感染症へと切り替え、
「病院、クリニックで感染確認したら、7日以内の届出をしてください」
程度の扱いにしていたら、もしかしたら今頃は終息宣言となっていたかもしれません。
菅首相ももっと楽な政権運営が出来たことでしょう。

が、それも今となっては後の祭り。
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「紅の豚」にみるゴロツキ政府

2021年02月12日 | 政治
どうもこんばんは、若年寄です。
今回、悲しいお知らせが届きました。

森山周一郎が死去、「紅の豚」ポルコ・ロッソ役など声優としても活躍 - コミックナタリー
======【引用ここから】======
俳優・声優の森山周一郎が肺炎のため2月8日に死去した。86歳だった。

俳優のほか、映画「紅の豚」で主人公のポルコ・ロッソ役を演じ、アニメ「ルパン三世」「ヨルムンガンド」「残響のテロル」や、映画「ドラえもん」シリーズに出演するなど、声優としても活躍していた森山。

======【引用ここまで】======

めちゃめちゃ渋い声で、子供の頃にテレビ番組でナレーションの声を耳にして
「あっ、豚の人だ」
と気づいたのを覚えています。
ドスが効いていて、時におどろおどろしく、だが頼りがいのある声。
自分がおっさんになった今、改めてこの渋い声の良さに気付かされます。

心よりご冥福をお祈りいたします。



【共産主義の話?】

さて、森山氏逝去の報をうけ、久しぶりに『紅の豚』を観ました。

「おっさんによる、おっさんの為の渋いアニメ作品」として名高い『紅の豚』ですが、この映画については、公開時期がソ連崩壊直後の1992年、タイトルの「紅」、劇中歌「さくらんぼの実る頃」、そして加藤登紀子氏の起用などから

紅の豚は政治の季節を生きた | ウディすすむの不思議エンタテインメント探訪
======【引用ここから】======
「紅の豚」はタイトルからしてあからさまです。「赤い豚」ですから。
「赤い豚」は、言うまでもなく、共産主義者や社会主義者に対する蔑称です。

======【引用ここまで】======

と、共産主義・労働運動に関連付けて解釈されてきました。
共産主義を連想させる要素は確かにあります。

ただ、主人公ポルコの振る舞いは、どうも共産主義っぽくない。まわりに人を集めて「諸国の労働者よ団結せよ!経営者と闘おう!」とアジったりもしません。元軍人ですが、今は用心棒として働いており、仕事の内容に応じて値段交渉をしたりと、資本主義におけるフリーランス的な生き方にこだわります。私有財産と契約自由の権化と言って良いでしょう。

また、ポルコ以外の登場人物達も、例えば、

武器商の小僧「親方戦争と賞金稼ぎとどう違うの?
武器商の親方「あぁ?そりゃあ戦争で稼ぐ奴は悪党さ。賞金稼ぎで稼げねえ奴は能なしだ。

というやり取りがあったり、請求書とローンとギャンブルの話題で盛り上がったりはしていますが、政府の手による再分配を求めたり、経済体制の変革を求めたりする場面は、どうも見当たりません。

【用心棒と警察】

ところで、この映画では、空賊に襲われた時に海軍や警察の出動するシーンがありません。ある時はフリー契約の用心棒であるポルコが襲撃地点に駆けつけて空賊を蹴散らし、またある時は大型客船から専属の用心棒が出撃します。警察や軍隊が民間船を保護しようとするシーンは皆無です。

襲撃された船に用心棒が現れた際、乗員乗客が
「なんで警察が来なくて用心棒が来たんだ?」
と不審に思っている様子は見られず、
「賊はあっちへ逃げたぞー頼むぞー」
というリアクションをしています。
そして、新聞やラジオの記者もそうした用心棒の活躍をしきりに取り上げています。

じゃあ政府は何をしているのかというと、秘密警察を使い、政府軍に所属せず愛国債権も買わないポルコを尾行し捕まえようとするだけなのです。ポルコを捕まえようとする一方で、政府内は臨時政府派と王党派に分かれており、空賊連合という見たまんまのゴロツキを抱き込み自勢力の拡大を図っています。

唯一、政府軍が出動したのが、ポルコとカーチスの決闘にかこつけたギャンブルの取締り。そう、政府もまた「俺の縄張りで何やっとんじゃい!」と縄張り争いに勤しむゴロツキの一勢力なのです。

【政府とは何か】

さて。

「政府は何のためにあるのか」「なぜ政府は必要なのか」
という議論があります。

国民の生活を守るためにあるのか。
外国からの侵害を防ぐためにあるのか。
貧富の格差を解消するためにあるのか。
いわゆる「社会契約」に基づいて成立したのか。

否、世の中に幾つかあるゴロツキ集団の覇権争いの結果として政府は勝手に出来上がる。
そこに設立目的なんてものはない。
既存の政府を無くしても、別のゴロツキ集団が覇権を握って新たに政府を自称するだけ・・・と私は考えています。

リバタリアンの最右派たる無政府資本主義者の言う「政府を無くすべきだ」という主張は理解できるのですが、しかし、無くせるものではないだろうと考えています。仮に国内のゴロツキを根絶・無力化できたとしても、隣国から新たなゴロツキを招き入れることになるでしょう。

例えば、日本の戦国時代。堺の町人衆が将軍や守護大名の影響力を排し一定の自治を行っていましたが、これも、より強力な軍事力を持つ戦国大名・織田家というゴロツキによって自治を奪われ矢銭を課されました。

他の例としては、アラブの春が当てはまるかもしれません。独裁政権を打倒・追放したと思ったら、別の軍事組織の台頭や外国勢力の介入を招いてしまいました。

人間の悲しい性質で、いつの世にも真っ当な生産・商業活動で生活の糧を得ようとせず腕力で解決するゴロツキは発生してしまいます。このゴロツキが覇権争いの結果、政府を自称する・・・というのを繰り返してきたのが人類の歴史です。無政府状態が一時的に成立しても、これを長期的にキープするのは難しいのです。

他方で、政府に国防・治安の役割を正面から認めてその機能を独占させよう、という気にもなれません。あくまで、政府もゴロツキの一種ですから。

政府というゴロツキは、その性質上、自己の縄張り内で他のゴロツキが勢力を伸ばそうとするのを阻止しようとします。また、面子がありますから、自組織の構成員に対する殺人や盗みを全くの野放しにはしないでしょう。ただ、その保護の濃淡は一様ではありません。警察官が巻き込まれた事件と、一般国民の巻き込まれた事件とでは、警察の捜査への力の入れようは大きく異なります。

政府による保護が不十分であり安全が確保されていないと考える人に対して、契約すれば、ポルコが賊の襲撃に対処してくれるという選択肢もあって然るべきです。また、政府がその警察力をもって国民生活を制限・弾圧しようとした時に、武器を持つ私人や私企業の存在は抑止力となります。政府というゴロツキを圧倒的強者にしない事が、自由を守るうえで重要になってきます。そういう意味で、
規律ある民兵は、自由な国家の安全にとって必要であるから、人民が武器を所有しまた携帯する権利は侵してはならない
と規定しているアメリカの憲法は秀逸だと思います。

ゴロツキ政府を憲法で縛り、議会で政府支出や規制、課税、派兵に歯止めをかけ、それでもゴロツキ政府が個人を抑圧しようとした時に反撃・抵抗できるよう武器を持つ。それが私の考えるベターなあり方です。


・・・とまぁ、いろいろ述べてきましたが、共産主義だファシズムだ無政府資本主義だと無粋な事を考えず、頭を空っぽにして、青い海・青い空を自由に舞うポルコを眺め、その声の渋さを堪能し、ジーナの歌声に聞き惚れる。
それが『紅の豚』のあるべき鑑賞の仕方なのかもしれません。
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都知事会見に見る、票と政治の在り方 ~ 票田としての高齢者優遇 ~

2021年02月04日 | 政治
どうもこんばんは、若年寄です。

小池知事「知事の部屋」/記者会見(令和3年2月2日)|東京都

入学、卒業、就職、転職、転勤、これから新天地に旅立ち、しばしの別れや新たな出会いがある季節だけど、高齢者様のために我慢しろ、会食も飲み会も旅行も全て禁止だ、と述べる狂人・小池百合子知事。

この人を知事にした東京都民の皆さん、自己責任です。都知事の命令に従い徹底したステイホームをしてください。そして、高齢者様に媚びる姿勢を強く打ち出す小池知事が、高齢者票をバックに再選した際は、現役世代・若年層へのより一層の仕打ちを味わってください。

かわいそうに、東京都民。

【外出制限すべきは高齢者】

さて。

小池都知事と高齢者による若年層いびりが加速する東京都ですが、都知事会見をよく見てみましょう。

======【引用ここから】======
ただ、75歳以上の陽性者は増加しているという報告があったこと、こちらの方に着目しなければなりません。先週報告されました、お亡くなりになった方々、68人いらっしゃいました。そのうちの約9割は70代以上だったんです。そして高齢者、基礎疾患のある方、重症化リスクが高いんです。そして感染は命に関わる問題になります。外出、会食、徹底してお避けいただきたい。
======【引用ここまで】======

都知事自身が認めているように、行動に注意しなければいけないのは高齢者の方です。若年層については、無症状も多いわけです。感染したら死亡する数よりも無症状で済む方が多い感染症について、無症状者に対し行動制限する必要性・合理性は乏しい。重症化リスクの高い高齢者への感染を抑えるのが目的であれば、まず優先すべきは高齢者の外出抑制、隔離であって、都民全員、特に無症状者に対する行動制限はエビデンスに基づかない過剰反応です。

ところが、会見のスライド資料には、20代、30代、学生への禁止事項や飲食店やイベント業者への営業妨害がずらずらと並ぶばかりであって、高齢者へ呼びかけるページが無いのです。票にならない層を叩き、票になる層への批判は避けるというのは選挙対策としては合理的ですが、しかし、これでは本末転倒ではないでしょうか。なぜ高齢者のために無症状の若年層がそこまで配慮しなければならないのか。

ということで、作ってみました。



高齢者優遇をやめましょう。
今まで若年層・現役世代が強いられた負担を考えれば、このくらい高齢者の行動制限をしてもバチはあたらないと思いますよ。
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希少性を資本主義のせいにする斎藤幸平氏のアジビラ ~『人新世の「資本論」』批判 ~

2021年02月02日 | 政治
高齢者人口は、2000年に約2200万人でした。
これが2019年には約3600万人。1.6倍になっています。
他方、介護保険の総費用は、2000年に3.6兆円だったものが、2018年に11.1兆円と約3倍になりました。

この費用は、介護サービスを利用する高齢者の自己負担、高齢者全員の保険料負担、現役世代の保険料負担、そして税金で賄われています。
これだけ費用が膨らむことが予め示されていたら、反対する人も多かったのではないでしょうか。なぜこれ程なし崩し的に膨らんだのでしょうか。

【見かけの負担軽減で需要増】

前回のブログで、立憲民主党の枝野氏インタビューを取り上げました。枝野氏ら左派リベラルは、生活に必要なサービスを誰もが利用できるようにしよう、という主張をしています。「ベーシックサービス」と呼ばれる彼らの主張によれば、介護サービスもベーシックサービスの一つと位置付けられています。

枝野氏は
「ベーシックサービスを誰もが安い費用で利用できるようにする」
と述べています。彼らベーシックサービス論者に共通するのは、生活に必要なサービスなんだから、安い費用で利用できる環境を政府が整備すべきである、という考え方です。利用者や運営事業者に補助金を出したり保険給付したり、あるいは公営サービスとして政府や自治体が提供主体となれば、誰もが安い費用で利用できるようになる、と。

ここに落とし穴があります。

安い費用で利用できるようになると、今までサービス利用を希望していなかった人も
「切羽詰まった必要性はないけれど、無いよりは有った方がいい」
とサービス利用を希望するようになります。
さらに、自己負担ゼロになると
「サービスの中身が何か知らないけれど、タダなら利用するぞ」
という人まで出現します。
サービスの必要量、需要というのは、固定的なものではありません。AとBという二つのサービスがあって、今まではAの方が費用対効果でより満足を得られる選択肢だったところ、Bが公的保険適用で格安で利用できるようになれば、Bの方に多くの人が殺到します。

介護保険は利用者自己負担1割と見かけ上は安く提供されているため、「無いより有った方がいい」「元々はAの方が良くてBは劣悪割高だったけれど、Bが保険適用なら安く使えるBを」程度の需要を掘り起こしてしまいました。この結果、高齢者数の伸び率以上に利用者数が増え、介護給付費が増え、財源としての介護保険料と税金の投入額が増え、消費税増税の一因となり、それでも不足する分は赤字国債で補填・・・という悲惨な状態が生じています。


介護保険制度の「給付と負担」論議スタート、被保険者年齢などにまで切り込むか―社保審・介護保険部会 | GemMed | データが拓く新時代医療

【氷河期世代へのしわ寄せ】

ちなみに、40代になった就職氷河期世代は、このしわ寄せも受けています。解雇規制によって新卒正社員の道を閉ざされた彼らが、今度は、介護保険料と税金という形で、解雇規制に守られながら定年退職を迎えた団塊世代の介護費用を負担させられています。

氷河期世代についておさらいしましょう。

終身雇用・解雇規制が作用していると、正社員を解雇、減給するのは困難です。大手・ホワイトなところほど解雇規制の影響を受けます。この解雇規制の下、景気が悪化した時に正社員を容易に解雇できない中で、企業が最初に考える選択肢は新規採用数の削減です。

非正規切りの次は正社員 本格化する「コロナリストラ」の予兆 - ライブドアニュース
======【引用ここから】======
社員にとって、リストラは避けてもらいたいところだが、最大の関心は自分の会社が本当にリストラに踏み切るのかどうかだろう。実はその前兆がある。人事関係者に聞くと、以下のようなものだ。

①中途採用の凍結・来期の新卒採用の抑制や中止
②残業代の抑制
③経費の抑制(出張費・交際費の使用制限など)
④突然の役員陣の交代
⑤9月中間期決算の減収減益
⑥業界トップ企業の希望退職募集

======【引用ここまで】======

リーマン・ショックによる景気悪化を受けて多くの企業は新規採用数を減少させ、就職氷河期世代が発生しましたが、その根本原因は終身雇用・解雇規制の存在にあります。もともと終身雇用制を前提とした人事体系の下で中途採用が少ない中、不況期に既存の正社員雇用を守るため新規採用を抑制した結果が、氷河期世代です。

この反省を生かし、解雇規制の緩和や金銭解雇ルールを導入すべきでした。ところが、
「解雇規制ノ緩和ハ新自由主義ガー、経団連ガー、竹中ガー」
などという意味不明な反対に遭い、この岩盤規制を放置したまま今回のコロナ禍に突入してしまいました。コロナ禍による景気悪化をうけて、今年度、来年度の新規採用数が減少すれば、新たな氷河期世代の誕生です。

話が脇に逸れました。

特定の時点におけるサービス量を元に、
「金持ちから税金とれば、今の程度の量なら費用を賄える」
と安易に計算してベーシックサービスの格安提供を始めると、その次の年からサービス利用が激増し、その費用もうなぎのぼりになり、不足分の費用を賄うために別のところで増税しなきゃいけない、となります。

サービスの必要性は外部から客観的に観察できるようなものではなく、価格によって変わってしまう主観的で相対的なものです。人間は、希少性のあるいくつかのサービスの中から、価格を見ながらどれを利用したら自分の満足が向上するかを考えています。公営化・補助金・社会保険適用などによって、利用者の費用負担と実際のサービス提供に要する費用とが一致しないようになると、優先度や必要性の低いサービス、非効率なサービスを利用してしまうようになり、費用が増加し、かえって人々の生活を圧迫することになります。

【私有化から希少性が生じるという謎理論】

ところで。

枝野氏と同じように、価格メカニズムを軽視している人がいます。
『人新世の「資本論」』
でお馴染み、斎藤幸平氏です。

彼は、
「必要な財産やサービスは十分にある、誰もが利用できるはずだ。だけど私有されているからお金が無いと利用できない」
と述べています。

「脱資本主義」の次に人類が向かうのはどこか(東洋経済オンライン) - Yahoo!ニュース
======【引用ここから】======
 コモンとは、人々が生きていくのに必要な共有財産のこと。水や医療が代表例です。資本主義はありとあらゆるものを商品化し価格をつける。生きていくうえで必要なものも、お金がないとアクセス不可能になってしまう。しかし資本主義以前には、土地や森林、川といった農業に必要なもの、つまりコモンは共有財として集団で管理されてきたのです。そのコモンが解体され、資本によって独占されたことで、貧富の差が生じたのです。

■「地球そのものがコモン」という考え方

──資本主義で進んだ商品化をやめ、再びコモンにしようというのがマルクス晩年の思想ということですね。

 マルクスは究極的には「地球そのものがコモンだ」と言っています。土地や森林、あるいは電力も、本来は誰かのものではない。私有化して独占するから、希少性が生まれ、困窮する人々が出てくる。これが資本主義ですが、それをやめてコモンとしてシェアすれば、99%の私たちは豊かになる。それが、旧ソ連の共産主義とは異なる、コモン主義としての新しいコミュニズムです。

======【引用ここまで】======

共有財産として誰もがアクセスできるはずの水、医療、土地、森林、川、電力、これらのものを私有化して独占するから、希少性が生まれ困窮する人たちが生じる、と述べる斎藤氏。

枝野氏と同様、斎藤氏も誤っています。

例えば、斎藤氏がコモンの代表例として先頭に挙げた「水」ですが、これは歴史的にみて、集団的に管理しても全ての個人が必要なだけは確保できず、紛争のタネであり続けた典型例です。

水は、季節・年・地域によって存在する量が異なり、水源や水流を共有していようが独占していようが、少数者で管理していようが村人全員で管理していようが、足りない所では足りなくなります。田植えしようと思ったのに雨が少なくて水が足りず、10町の田のうち3町だけ水をあてて田植えをするか、全ての田植えを諦めるか、といった判断にも迫られるわけです。

これを、ある時は暴力に訴えて隣村の水路を打ち壊して自分の村の水路に水を流し、ある時は金を多く払った人が利用できるようにし、ある時はくじ引きで決め、ある時は話し合いで決めたわけですが、いずれにせよ、水を利用できる人とできない人が生じる中で、管理や分配方法に苦慮してきたわけです。

希少性は、様々な分野において大前提として存在しています。水・医療・土地・森林・川・電力、これらのものを、全ての人が利用したいだけ利用できる状態で存在している訳ではありません。希少性があるからこそ、その生産、管理、分配、利用方法をどうしたら良いだろうか、という問題が生じるのです。「私有化して独占するから、希少性が生まれ」る、という斎藤氏の主張は、順序が逆なのです。

もし、ある特定の商品やサービスが有り余っている状態であるにも関わらず、特定の個人や企業がそれを一人で抱え込み、他の多数の人の利用を妨げている・・・という状態であれば、
コモンとしてシェアすれば、99%の私たちは豊かになる
かもしれません。しかし、現実にはそんな状態はほぼ存在しません。「コモンだから誰もがアクセスできて当然だ、資本主義以前は誰もがアクセスできていた」というのは斎藤氏の妄想です。

【希少性と管理分配方法】

枝野氏が主張するベーシックサービス、あるいは斎藤氏がコモンで管理せよと主張する分野の一つに「保育」があります。

ある地域で、保育士が5人、子供が100人いたとします。

これを、金持ちが保育士5人を独占して自分の子供1人の世話をさせているのであれば、「アクセスが妨げられている。保育士をみんなで共有しよう」というのも分かります。

しかし、実際に起きているのは、

・保育士1人が5人の子供の保育をするから保育園で預かることのできる子供の総数は25人。残りの子供75人は家族で育てる。
・質が低下するのを覚悟で保育士1人に20人の子供を保育させる。
・どうにかして保育士を増やす。

等等の中からの選択です。市場原理と価格メカニズムであれ、中央政府による収奪と配分であれ、脱成長コミュニズムであれ、希少性を解決しなければならないのは同じです。希少性問題が現に生じている分野において、
「脱商品化してコモンにして、みんなで管理する」
というのは、何の答えにもならないのです。

誰に負担をさせるのか、
誰をサービス提供に従事させるのか、
どの程度のサービスの質・量にするのか、
水・医療・土地・森林・川・電力などなどの全ての分野を「みんな」で検討し決めるのは非効率を通り越して不可能なのではないか、
分業した方が良いのではないか、
管理者を置くべきではないか、
そもそも「みんな」の範囲はどこまでか、
・・・これを詰めていくと、結局、斎藤氏の提唱するコモン主義の脱成長コミュニズムを徹底することで、旧ソ連と同じ道を辿ることになります。書記が共有財産の管理分配の実質的内容を定め、その書記の人事権を握る書記長が絶対的権力を握ったように。

斎藤氏には、コモンの具体的な管理運営方法を是非聞いてみたいものです。コモンにしてみんなで民主的に管理する、というのは、何の答えにもなっていません。希少性を無視できるのであれば、問題は初めから無かったも同然です。

コモンを掲げて「資本主義」から降りようと主張する斎藤氏、どこかでそっくりな話を聞いたなぁ・・・と思っていたら、市場からの撤退を主張する内田樹氏の話でした。共産主義は輪廻転生を繰り返すようです。

「共有財産にアクセスできなくなったのは、私有化・資本主義のせいだー」
という共産主義者のアジ演説、それを書籍化したのが『人新世の「資本論」』なのでしょう(読んでないけど)。
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ベーシックサービスの迷走 ~ 枝野氏の異世界転生 ~

2021年02月01日 | 政治

【迷走するベーシックサービス】

安倍長期政権が終わり、菅政権が誕生し、異次元緩和のケツ拭き出口政策や新型コロナ対策で右往左往している自民党。順調に支持率も下がっており、「流石に賞味期限切れでしょ」と多くの人が感じているんじゃないでしょうか。

そんな中、
「よし政権交代だ、最大野党の出番じゃないの?」
という記事がネット上で出ていたので、読んでみました。
自民党を引きずり下ろすはずの最大野党・立憲民主党が・・・

今はちょっと支持できないです…枝野さんに正直な疑問をぶつけてみた ネクストキャビネットは作らない理由(withnews) - Yahoo!ニュース
======【引用ここから】======
――実際に政権交代が起きたら何が変わるんですか?何をしてくださるんですか?

枝野:少なくとも今までの「自助」や「自己責任」を強調する社会から、医療や介護や保育に代表される生きていくために不可欠なサービス「ベーシックサービス」を誰もが安い費用、負担可能な範囲で受けられる社会へと変えていく。その転換への第一歩を踏み出す。大きな方向の転換です。

これはたぶん中曽根内閣のときからの転換なので、35年ぶり、40年ぶりぐらいの転換です。だけど一気に全てが変わるわけではありません。政権交代したからといってすぐに保育所がバーっとたくさんできるわけではない。

介護サービスがガーッと数が増えるわけでもないけれども、間違いなくどんどん小さくなっていっていた方向から、どんどん大きくしていく方向に方向転換の第一歩を踏み出す。これが私たちのやることです。

======【引用ここまで】======

言っている意味が全然わかりません。
介護サービスが間違いなくどんどん小さくなっていた方向からの転換」?????
枝野氏はどこの世界の話をしているのでしょう。
最近流行りの異世界転生モノでしょうか。

2000年に介護保険制度が誕生しました。高齢者数の伸び以上に利用者が増え、介護給付費が年々増え、20年で倍以上に膨れ上がり、施設の数も種類も規制も経過措置も増え、どんどん大きく複雑になっています。

時々、給付抑制のために制度変更を行ったものの、全体としての傾向は
「給付費増、利用者数増、施設数増、規制増、保険料増」
であったことは間違いありません。そんな中で
間違いなくどんどん小さくなっていっていた方向から、どんどん大きくしていく方向に方向転換の第一歩を踏み出す
とか、事実誤認も甚だしい。

いや待てよ・・・

・・・枝野氏率いる立憲民主党は、表向きは
ベーシックサービスを誰でも利用できるように
なんて言ってますが、本音は
「持続不可能な各種社会保障制度について、自民党政権による小手先の修繕でダラダラ延命路線から決別し、立民党政権では短期決戦・数年内破綻清算路線に大きく舵を切ります」
ということかもしれません。
もしそうだったら、私も立憲民主党を支持できる・・・

・・・と思ったのですが、枝野氏は純粋に、社会保障のサービスを誰でも受けられるようにしよう、そのために「ガーッとは増やせないけど徐々に増やしていこう」と思い描いているのでしょう。破綻しないよう徐々に増やしていくのは、一番の悪手だと思いますよ枝野さん?

社会保障をダラダラと膨らまし続けた自民党と、社会保障の膨張を加速させようとする立憲民主党。
前門の自民、後門の立民。
日本国民は真綿で首を締められる選択肢しか無いようです。
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