若年寄の遺言

リバタリアンとしての主義主張が、税消費者という立場を直撃するブーメランなブログ。面従腹背な日々の書き物置き場。

公開討論で負けた社会主義者藤田氏が、民主主義すら捨てて暴力路線に走るの巻

2018年11月19日 | 労働組合

【まずは、自由主義者の視点から】

暴力による強制に否定的な古典派自由主義者・リバタリアン(ここでは総じて「自由主義者」と呼ぼう)は、議論や討論、熟議をあまり重んじない。
どれだけ議論を重ねても、考え方の根本が違う複数の人間の意見を一致させることは無理であり、結局は
「少数派意見の排除と多数派意見の強制」
に陥る。
そう考えた時、議論を重ねて単一の結論を導くことよりも、議論と多数決によって決めたことを暴力で強制する領域(≒政治)を極力小さくすることが望ましいという結論になる。

自由主義者にとって大事なのは全体の意見の一致とそのプロセスではない。
大事なのは、個々の財産権であり、そして、これに基づく個人間の契約。
契約不履行の際に政府が履行を強制することの是非については自由主義者の中でも意見の分かれるところではあるが、契約内容そのものについて政府が事前に規制し、あるいは事後に介入することについては否定的だ。
「契約当事者が契約内容に合意して締結したのだから、これを尊重すべき。契約内容に政府が介入するのは個人の自由を侵害するものだ」
ということになろう。

こうしたことから、
「富裕層への課税を強化しろ」
「法律に基づく最低賃金を上げろ」
という主張に賛同する自由主義者はまず居ない。

課税は、最終的には暴力を背景に実施される財産権の侵害であり、いくら熟議を重ねたものであっても本質的には強盗と変わらない。

最低賃金法については、政府が一定の契約内容を禁止することを自由権の侵害として非難する。
また、最低賃金法には
「体が悪いけど、短時間なら簡単な作業に従事することができる。時給が安くても良いから、家にいるより働いた方が良い。」
という人を雇用の場から排除してしまう…という弊害がある。
自由主義者は、暴力による強制を嫌い、財産権の保護と個人の自由を重んじると共に、最低賃金法のような弱者保護のための法律がかえって弱者を困窮に追い込んでしまうことを危惧している。


【次に、民主主義者の視点から】

民主主義者がどう考えるかについては、私よりも民主主義に拘っている人の文章の方が判りやすいと思うので、まずこれを紹介しよう。

○「民主主義は多数決とはイコールではない」と安倍政権の民主主義破壊を批判|LITERA/リテラ
======【引用ここから】======
「多数決だから正しいわけではありませんし、正当な手続きなわけでもありません。なぜ、民主主義において多数決という手段が使われるのか。それは多数の言っていることが正しいからではありません。熟議を繰り返した結果として多数の意見であるならば、少数の意見の人たちも納得するからです。少数意見の人たちも納得するための手段として多数決が使われるのです。少数意見を納得させようという意思もない多数決は、多数決の濫用です」
======【引用ここまで】======

これは立憲民主党の枝野氏の演説の一部だが、リベラル派の考える民主主義では、議論、熟議を重んじていることが分かる。

民主主義者は、結果として少数派の意見を排除してしまい、多数派の意見を強制することになったとしても、それが少数派を納得させようと熟議を繰り返したプロセスを経たものであれば正当化されると考えている。

これは、
「熟議しようがしまいが、強制は強制だろ。」
と考える自由主義者としては納得いかない結論だ。

けど、まぁ、民主主義を信奉するリベラル派がおおよそこのように考えていて、これを根拠に政府による課税や規制を正当化しようとしている、ということは一応理解しよう。

「富裕層への課税にしても、最低賃金法による規制にしても、課税や規制の対象となる少数派を説得しようと熟議を重ねることで、少数派も納得するはずだ。だから正当化されるのだ」
・・・というのが、民主主義のロジックである。

【民主主義から熟議を差し引くと、純粋な強盗になる】

富裕層への課税や、法律による最低賃金の引き上げ。

これらは財産権や自由権の侵害であり許されない、と考える自由主義者。
少数派を説得しようと熟議を重ねることで少数派も納得する、そうなれば正当化される、と考える民主主義者。

ところが、このいずれにも属さず、
「熟議よりも攻撃が必要」
と開き直る人物が現れた。

藤田孝典さんのツイート:「最近NPOや社会的企業でも議論や討論、熟議に重きを置く人が増えているけれど、話し合いや対話で問題解決できる領域と違う領域があることを知った方がいい。貧困とか労働、差別問題の現場って、日常化した権利侵害なのだから、議論や熟議より、要求や攻撃、敵対が必要な場合が多数。」

このコメントは、

○カンニング竹山の土曜The NIGHT#41~田端信太郎VS藤田孝典公開討論!~ | 【AbemaTV(公式)】国内最大の無料インターネットテレビ局

という番組での公開討論でボロ負けした藤田氏に対し、田端氏寄りの人からの批判のみならず、藤田氏と思想的に近いはずのNPO・福祉関係者からも批判が上がったことで発せられたもの。

ある意味、開き直ってしまった感がある。

富裕層課税や最低賃金引き上げがテーマであれば、民主主義を重視する立場からは、反対する考えの人を説得し納得を得ようと議論を重ねるはずだ。
公開討論会というのは、その格好の場であったはずだ。
民主主義に基づく課税や規制が正当化されるのは、議論を重ね熟議を繰り返すからであって、一度の討論会でボロ負けしたからと言ってこれを放棄してしまう藤田氏の姿勢は、非常に浅はかであると言わざるを得ない。

課税や規制が権利侵害なのであって、これを許さないのが自由主義。
課税や規制は権利侵害なのだが、これを熟議による正当化を図るのが民主主義。
藤田氏の姿勢は、正当化のプロセスすら放棄した
「生身の権利侵害=強盗」
を推奨するものである。
民主主義から正当化を図る熟議の努力を差し引いたら、強盗と何も変わらない。

左翼思想家が段々と先鋭化し、暴力路線、最後は内ゲバ・・・
・・・という「いつか来た道」を現在進行形で見ているのかもしれない。
社会主義者の独善性、攻撃性ここに極まれり。

藤田氏が自腹で貧困者支援をするなら議論は要らない。
しかし、課税や規制といった政治権力を必要とする話題で
「熟議よりも攻撃」
なんて言ってしまうなんて、どこの独裁者かと。
コメント (1)
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正社員―非正規の身分制社会を擁護する労組の御用活動家

2018年11月16日 | 労働組合

【労働問題の根本は解雇規制】

非正規労働者の雇い止めや低賃金、サービス残業、社内失業者の存在と人手不足、介護離職、過労死etc

様々な労働問題に共通する原因の一つが、解雇規制である。

IBMやJALの訴訟でも分かるように、企業は正社員を容易に解雇できない。
しかも、解雇するための条件が明確というわけではなく、
「訴訟をしてみなきゃ分からない」
「担当する裁判官によって左右される」
という曖昧な状態。

このため、
「とりあえず雇ってみて適性を判断する。向いてなかったら解雇」
なんてことはできない。
この解雇規制が引き金となって、

・大学入試時点のポテンシャルで判断する新卒一括採用。
・新卒採用時から定年退職時まで賃金を上げ続ける年功序列賃金。
・解雇できないから新規雇用は減少。
・年功賃金体系に適合しない中途採用の抑制。
・新卒時に正社員になれず、非正規のまま職歴を積めず40代になった氷河期世代。

等の弊害が生じた。
ここから更に、正社員にとっては

・転職、中途採用の途が狭いため、今の会社が自分に合ってないと悩んでも辞めにくい。
・辞められないと足元を見られると、転勤やサービス残業を強いられても拒めない。

と窮屈な状態となり、他方で雇用主側にとっては

・閑散期に正社員を解雇することができないため、繁忙期は正社員の残業か転勤、あるいは非正規の一時的雇用で対応するしかない。
・無能な正社員、向いてない正社員を解雇することができないため、閑職で飼い殺すか、自主的に退職するよう人事配置や業務命令で正社員を追い込まないといけない。

ということになる。

適性のない社員を抱え込むことによる生産性の低下、
正社員の労働環境のブラック化、
正社員と非正規雇用の身分格差の拡大、

・・・等の問題の根本にあるのが、解雇規制である。

日本の解雇規制の下では、『プラダを着た悪魔』のように、中途採用と転職で自分の適職を見つけていくのは困難であろう。

(日本の解雇規制を映画に反映させたら、
「ブラック企業の社長にプライベートな時間までこき使われ、才能の芽が出なくとも、自分に向いた他の仕事に気づいたとしても、退職に踏み切れずひたすら耐え続ける」
という笑えない作品になってしまうだろう。)
たまたま新卒正社員で就職した先が自分に合っていたという人は、ラッキーとしか言いようがない。

【正社員労組・公務員労組は解雇規制を求めている】

このように、解雇規制こそが、日本の労働問題を引き起こした大きな要因となっている。
このことは、多くの人から指摘されているところだ。

他方、解雇規制の強化を求める人も存在する。
身分保障で得をしている正社員・公務員の労働組合だ。
労働組合は、

「賃金上げろ!」
「過労死を許さない!労働環境の改善を!」

といった主張とともに、

「不当解雇は許さない!」

と既得権擁護の立場から解雇規制を強化するよう求めてきた。
そして、この主張に沿って立法や司法も解雇のハードルを上げてきた。
この結果、
「クビになりにくく転職しにくい」
という流動性の低い労働市場が成立した。
流動性の低い労働市場では、正社員は会社に依存しつつも身分を保障され、一方で非正規労働者は不安定・低賃金な待遇に置かれる。

このように、日本の労働問題は、

「資本家 VS 労働者」

という古めかしく信憑性の薄い階級史観で捉えるよりも、

「正社員 VS 非正規労働者」

という身分制の問題として考えた方が理解しやすい。
正社員(特に大企業の)や公務員の身分は解雇規制によって裏打ちされており、
同時に、非正規労働者の数を随時増減することで会社の存続と正社員の身分を支えている。

「資本家が労働者を搾取している」
というよりも、
「正社員保護のしわ寄せが非正規労働者にいっている」
というのが現状だ。

労働者間の身分格差が激しいため、労働問題に関する議論において、
「労働者は~」
という意見を見かけた時は注意しなければならない。「労働者」という主語は大きすぎる。これが正社員を指すものなのか、非正規労働者なのかをその都度考えなければ、意見の内容を把握できない。

【経営側への圧力は】

こうやって書いていると、
「資本家に対して何も圧力をかけなくて良いのか」
「ブラックな経営者を野放しにして良いのか」
という疑問が生じてくる。

対資本家・対経営者への圧力という観点で考えた時、最も有効な手段は
「従業員が辞めていなくなる」
ことだ。
これは「すき家」騒動でも明確に示された事実である。
辞めるために必要なのは、再就職が容易な環境。
雇用の流動性が経営者に労働環境改善を促す有効な手段である。
解雇規制はこれを阻害する大きな要因となっている。

解雇規制をはじめとする労働法制の強化は、資本家・経営者側に

「少々ブラックなことをしても、一度雇われた従業員は容易には逃げない。逃げる先が無い。きちんと規制を守るよりも、規制の抜け道を探して利益をあげろ」

という負のインセンティブを生じさせる。
他方、解雇規制の緩和、撤廃は、

「うかうかしてると転職されてしまう。営業を続けるためには、賃金や休暇日数を増やしてでも人手を確保しなければ」

という方向に作用する。
雇用の流動性、転職市場の活性化は、規制強化路線よりも労働環境を改善する。
「儲けよう」という経営者の意欲と労働環境の改善が同じ方向を目指したものとなるため、無理がない。

他方、規制強化は、規制破りによって得られる利益を増すことになる。
労働環境の改善と経営者の意欲とが対立することになるため、規制による労働環境の改善は遅々として進まない。
さらに、規制の実効性を高めるために公務員の数が増え、手続きや書類の数が増え、生産的な活動からそうでない活動へ人手と時間が奪われてしまう。

【正社員労組・公務員労組との蜜月な関係】

このように、解雇規制が労働問題や格差社会の元凶の一つであり、解雇規制の強化を求める労働組合は、労働問題の解決に寄与していない。
それどころか、労働問題の原因を作り、労働問題を悪化させる主張を繰り返している存在である。
少なくとも、非正規労働者にとって正社員中心の労組は、対立する身分を代表する敵である。

ところが、世の中は不思議なもの。

「格差を是正しよう。貧困問題を解消しよう」
と主張する活動家が、こうした正社員労組・公務員労組とベッタリなのだ。

○貧困問題×労働組合 既存の大企業労働組合はミクロの現場発の政策提言を - 特集 - 情報労連リポート 藤田 孝典・柴田 謙司

○KOKKO - 著者:日本国家公務員労働組合連合会,平野啓一郎,早川征一郎,山﨑正人,竹信三恵子,鎌田一,藤田和恵,渡辺輝人,藤田孝典,熊沢誠,浅尾大輔 | ALL REVIEWS

○ハローワークの明日を考えるシンポジウム | 日本自治体労働組合総連合

○藤田孝典さんのツイート:労働組合の情報労連から30万円、愛恵福祉支援財団から20万円の事業助成・資金助成をいただきました。

労働組合から仕事をもらい、金をもらい、労働組合を擁護する。
「御用活動家」と呼んでいいだろう。

-----(2018.11.18追記)-----
藤田さんは、
「社会保障や福祉が足りてない、もっと富裕層に課税しろ」
と主張している。しかし、その主張に
「社会保障のどの分野が〇円不足している。年収□円以上の人に△%で徴税したらこれを賄える」
という具体性は無さそうだ。
(これを具体的に計算すると、富裕層からの徴税では全然足らず
「現行の社会保障給付を維持するだけでも消費税30%は必要」
といった話になるのだが、彼はこの議論を避けているふしがある。)

彼にとって、富裕層叩きは単なる嫉妬・・・と思っていたが、そうではないかもしれない。

スポンサーである正社員中心の労働組合に呼ばれて講演する時に

「非正規労働者が不安定で低賃金な境遇に置かれているのは、あなた達正社員の雇用を守るためなんですよ」
「講演会場の出口で、『解雇規制を撤廃し同一労働同一賃金を求める署名』をやってるので、ぜひ署名していってください」

とは口が裂けても言えないだろう。
しかし、労働組合主催の講演会で、富裕層叩きは話題として使いやすい。

「ZOZOの社長は月に行く金があるなら従業員に配れ」

といった富裕層叩きは、聴衆のウケも良いのだろう。

そういうことだ。
富裕層叩きは社会問題を解決へ導く方法ではなく、彼個人の飯のタネなのだ。
-----(2018.11.18追記)-----

(この講演料や助成金は、組合員が

「組合費高いよなぁ」
「これが無かったら手取り増えるのになぁ」
「労働問題以外の政治活動が多いよなぁ」

と不満に思いながら給料から天引きされたお金なんだよね。)
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