若年寄の遺言

リバタリアンとしての主義主張が、税消費者という立場を直撃するブーメランなブログ。面従腹背な日々の書き物置き場。

真逆の同期・同級 ~ 田中角栄と中曽根康弘 ~

2019年11月30日 | 政治
中曽根康弘元首相が101歳で亡くなりました。

この訃報を受けて、私のネタ供給源こと、ほっとプラス藤田は・・・

藤田孝典さんのページ - Yahoo!ニュース
======【引用ここから】======
中曽根康弘元総理大臣は、アメリカのレーガン大統領やイギリスのサッチャー首相と同時期に施政に携わり、足並みを揃える形で、福祉国家方針や福祉政策推進路線を修正、後退させた人物でした。
労働組合への敵視もあからさまに見られ、国営分野の産業を民営化する路線も強く進めました。
それ以降、労使関係は崩れ、社会保障は拡充されませんでした。
労働者の処遇や個人消費は伸びず、将来不安も広がったため、未だに経済低迷から抜けられない素地を作り上げてしまいました。

======【引用ここまで】======

藤田孝典さん/ Twitter
======【引用ここから】======
中曽根康弘元総理大臣にお悔やみくらい言え、というリプがやたらくる。
あの権力者のせいで、どれほど下の世代、後世の子孫は負の遺産と向き合わなければならなくなったことか。
地獄に落ちろ、とまでは言わないが、お悔やみなど口がさけても言えない。

======【引用ここまで】======

と激しく批判しています。この、
「福祉国家方針や福祉政策推進路線を修正、後退させた」
との批判は、おそらく、

1973年:田中内閣が老人医療費を無償化。
1983年:中曽根康弘内閣が老人医療費を一部有償に戻す。

を指していると思われます。
これを見たあなたも、

「福祉を後退させた中曽根康弘は地獄に落ちろ!」

って思いますか?

【田中角栄の負の遺産】

田中角栄が「福祉元年」を掲げた頃、人口構成から考えて、少子高齢化となることは既に分かっていました。
分かっていたのに、老人医療費無償化や老齢福祉年金といった老人票目当ての大盤振る舞いをしたのです。

年金については、それまでは積立方式だった年金制度を、

「この積立金を年金支払い時まで寝かせておくのはもったいない。あるなら使ってしまえ」

と、掛け金を払っていない当時の高齢者にパアッと配ってしまったのです。
将来の年金給付を、給付時点の加入者の掛け金で払うネズミ講に変えてしまったのが、田中角栄の「福祉」です。

2019年現在の高齢者に払っている年金は、当該高齢者がまだ若かりし1970年代から払っていた保険料の積立金から支払っているのではありません。
2019年現在の高齢者は、2019年現在の若年層、現役世代が払っている保険料から年金を受け取っています。

この仕組みは、新規加入者が増えないと破綻します。
ネズミ講と同じです。
後世の子孫に膨大な負債を背負わせ、労働者の首を絞めているのは、田中角栄の福祉路線です。

「あの権力者のせいで、どれほど下の世代、後世の子孫は負の遺産と向き合わなければならなくなったことか。」
というほっとプラス藤田の主張は、そのまま田中角栄に当てはまります。

【老人医療費も負の遺産】

老人医療費無償化も弊害の大きい制度でした。

自己負担がある場合、費用に見合ったサービス利用をしようとするため、不必要なサービス利用が抑制されます。
ところが、医療費の自己負担がゼロになると、

「タダで診てもらえるなら、体調悪くなくてもとりあえず診てもらおう」
「タダで貰えるなら、飲み残しを気にすることなく薬を貰っておこう」

といった状態になります。
このため、病院が高齢者のサロンと化し、医療に係る人材や資源が幾らあっても足りない状態となりました。
自分で健康を維持しようとする意欲が失われる、モラルハザードが生じます。
青天井で膨らんでいく老人医療費は、税金と社会保険料で賄わなければなりません。

中曽根内閣は、この老人医療費無償という異常事態を、少しですが常態に戻しました。
中曽根内閣の功績の一つと言って良いでしょう。

【社会保険料の増加】

さて。

社会保険料負担は、年々増えています。
次の表をごらんください。

平成の 30 年間、家計の税・社会保険料はどう変わってきたか


1988年から2017年の間に、勤め先収入に占める税・社会保険料負担が20.6%から25.7%に増えています。

中曽根内閣は、老人医療費を無償から一部有償に戻しました。
ただ、その後も少子高齢化の傾向自体は変わっていません。

また、老人医療自己負担の引き上げも遅々として進んでいません。
未だに後期高齢者の医療費自己負担は原則1割で据え置きが継続しています。

このため、勤め先収入における税・社会保険料の負担は年々大きくなっています。

仮に、老人票の取り逃がしを恐れた中曽根内閣が、老人医療費を無償のまま先送りにしてしまい、今日まで老人医療費が無償のままだったらどうなっていたでしょうか。

もう悪夢です。
税・社会保険料の負担は、25%なんかでは済まなかったでしょう。
医療の高度化が進み単価が上昇するのに並行して、老人による際限なき医療需要に対応していけば、老人医療費の負担の重みに耐えかね、現役世代が潰される事態になっていたかもしれません。

少子高齢化の中で福祉拡大を主張するのは、無益を通り越して有害なのです。

労働組合の講演などによく呼ばれるほっとプラス藤田は、労働者に寄り添っている雰囲気を出していますが、『下流老人』等に見られる彼の主張は現役世代を苦しめる危険なものです。

歳入に見合った支出、身の丈に合った福祉に留めなければなりません。
求められるのは、増税よりもまずは医療費や年金支給も含めた支出削減。
そして支出削減の結果、可能であれば減税や社会保険料の引き下げをすべきです。
これこそが、現役世代の重荷を軽くする唯一の道です。

『下流老人』よりも参考にすべきは、こちら↓の一冊。

市場と会計: 人間行為の視点から | 吉田 寛 |本 | 通販 | Amazon

【角栄と中曽根】

1918年に生まれ、1947年に衆議院議員に初当選した二人。
片や高等小学校卒、片や東京帝国大学卒という経歴も対照的ですが、その事績もまた対照的です。

片や福祉バラマキで票を買うという禁じ手を解禁し、片や福祉バラマキに待ったをかけました。

片や日本列島改造論で鉄道を含む利益誘導の見返りに票を得る構図を確立し、片や国鉄を民営化し赤字路線の拡大を防ぎました。

同期の桜の田中角栄と中曽根康弘。
後世の人間にとってどちらの方が好ましい政治家だったかを考えた時、私は迷わず中曽根氏の方に軍配を上げます。
自民党的改憲論の先頭に立っていた点は評価できませんが、それでも、どちらと言われたら中曽根氏です。

謹んでご冥福をお祈りいたします。

生活給と補助金と障害者雇用

2019年11月23日 | 政治
農水省が近年「農福連携」という旗を振って補助金を撒いている話を聞いて、

「こうやって省庁は権限を拡大して肥大化していくのかぁ」

と、変に感心してしまった若年寄です。
どうもこんばんわ。

さて、農福連携に関して、こんな記事を見つけました。

時給100円という賃金差別構造 農福連携というきれいな言葉の陰で
======【引用ここから】======
「ニッポン一億総活躍プラ ン」は2016年6月に閣議決定されたもので、その中に「障害者等が、希望や能力、 障害の特性等に応じて最大限活躍できる環境を整備するため、 農福連携の推進」という内容が盛り込まれました。続いて、「障害者基本計画 (第4次)」 (2018年3月 閣議決定)や「経済財政運営と改革の 基本方針(2018年6月 閣議決定)でも農福連携による 障がい者等の農業分野における就農・就労の促進が位置づけられました。
======【引用ここまで】======

今回は、雇用についての雑感です。

【雇用の成立】

雇用は、
事業をやって利益を出そうとする経営者と、
自分はその事業の下の業務を出来るという労働者が、
労働市場においてその業務内容を金額換算すると幾らになるかを踏まえ、
それぞれが合意することで成立する契約形態です。

利益の出ない状況であれば、経営者は事業を開始・継続しません。
労働者の数が少ないのに安い賃金を提示している経営者の所に、労働者は集まりません。
労働市場に最低賃金規制を敷けば、最低賃金未満で成立していた雇用関係は駆逐されます。

【労働市場と相性の悪い生活給】

さて、賃金についてあれこれ考える学問領域には、

「経営者は、労働者とその家族の生活を維持できるだけの賃金を支払うべきだ」

と要求する考え方があります。
この考え方を生活給と言います。

この考え方は、労働市場とは異質のものです。

パンの購入で考えてみましょう。

あなたがパンを買う時、
パンの旨み、
食感、
栄養素、
腹持ち、
お手軽さや便利さ、
他の店では似たパンが幾らで売りに出されているか、
等を踏まえ、幾らまでなら代金を払えるかを考えるでしょう。

その際、

「このパン1個を作るのに要した労働時間や、パンを作る人、パンを売る人、その家族の生活維持を考えたら、500円でも足りない。1000円払おう。みんなも払うべきだ」

と思って、130円の値札が付いていたパンに870円上乗せして払う人はあまり居ないはずです。

労働市場も同じことです。
経営者にとって、その労働者を雇うことで得られるメリットと、今の雇用環境下で似たような能力・性質を有する労働者を雇うのに幾ら必要かを考慮して

「この業界でこのくらいの能力の労働者なら、だいたいこんなもんだ」

と賃金を設定し、求人を出すわけです。
ほっとプラス藤田が良い例です。

「月給20万円、時給換算すると1200円前後、ここから税金と社会保険料が天引きされて、従業員と家族の生活が維持できるだろうか。もっと必要じゃないか」

と考えて、業界水準の倍を出す経営者はあまり居ないわけです。
ほっとプラス藤田が良い例です。

こう書くと、

「労働者をパンと同視するなんてとんでもない!」

と反発する人もいるでしょうが、労働の成果を買うことと、労働力そのものを買うことに大差ありません。

【生活給の仕組み】

生活給をガチガチに制度化するとどうなるでしょうか。

生活給制度の下では、労働市場の中でその業務についた値段とは無関係に、生計を立てるのに必要な費用を計算して賃金が支給されます。
賃金決定が、労働市場におけるその業務への評価から切り離され、対価性が失われます。

生活給は、

「子供が何人いたら生活に幾ら必要」
「障害があると生活に幾ら必要」
「高齢者なので生活に幾ら必要」

といった、その人の属性によって左右されることになるでしょう。

生活給を制度として運用する際には、労働者の業務内容や成果から切り離し、属性ごとに段階を設定しその段階に応じた賃金の額を定めることになります。

【生活給は障がい者雇用の障壁となる】

さて。

あなたが経営者だとして、障がい者を雇いますか?

まず、規制が少なく流動性の高い労働市場において、業務ごとに値段が付いている場合を考えてみましょう。

障害の性質に照らしてその業務を遂行することのできる障害者であれば、あなたは雇用すると思います。
障害の性質に照らして、業務上必要な処理をできないのであれば、雇用しないでしょう。
雇用した後で問題が生じたら解雇すればいいですし、問題なく業務遂行していれば雇用契約は継続しwin-winな関係が維持できます。

他方、生活給制度ではどうでしょうか。

一つの業務の求人に対し、二人が応募したとします。
1人は高校卒業直後の健常者A。
もう1人は中年で配偶者のいる障害者B。
どちらも当該業務を遂行する能力はあります。

医療費や世帯人数から生活給を計算すると、AよりBの方が高い賃金設定となりそうです。
あなたはAを雇いますか、Bを雇いますか。

【最低賃金が雇用の障壁となる】

あるいは。

今いる従業員にやらせてもいいけど、ぼちぼちで良いからやってくれる人手があったら楽になるな、という業務があったとします。

最低賃金が無い中であれば、例えば

「時給400円で良ければこの業務やってくれる人いませんか?」

と募集をかけることができます。

ところが、生活給理念と歩調を合わせて

最賃はすべての人に保障しなければいけない”生きる権利”のはずです。

と最低賃金制度が施行され、最低賃金未満の雇用契約が禁止されると、この業務は成立しません。

「ぼちぼちで良ければやろうかな」

と思っている障害者や高齢者、あるいは副業探しをしていた人がいたとしても、彼らに雇用は発生しません。
時給2500円の熟練した従業員に、時給400円相当の軽作業をさせることになってしまいます。
障害者や高齢者、副業探しをしていた人にとっても、今働いている従業員にとっても、最低賃金は望ましい結果をもたらさないのです。

【理想が与える悪影響】

生活給や最低賃金の理想は、一見すると素晴らしいように思えます。
しかし、実際には雇用総数を減らし障害者等の雇用の妨げとなります。
最低賃金制度を敷くよりも、雇用を自由化し流動化するほうが、かえって障害者雇用の道を拓くことになります。

雇用や賃金設定は、あくまで経営者と労働者の合意にのみ基づいてなされるべきです。
そのうえで、賃金収入では絶対的貧困から抜け出せない状態が続く時、初めて他者からの支援の手が入る・・という順序が望ましい。

このとき、支援の手は政府、自治体に限りません。
歴史的に見て、あるいは他国の例を見ても、困窮者の支援は宗教団体、慈善団体、民間企業、様々な主体が行ってきました。
政府が旗を振らなければならない、というのは誤りです。

【補助金雇用が招く悲劇】

政府が税金でどうにかしろ、という声は様々なところで見られます。
例えば、

時給100円という賃金差別構造 農福連携というきれいな言葉の陰で
======【引用ここから】======
知的障がい者にも、最低賃金を保障することが必要です。最賃はすべての人に保障しなければいけない”生きる権利”のはずです。事業者が払えないのであれば、国、県、市町村が上積みすべきです。財源は、史上最大になった防衛費を削れば出てきます。
======【引用ここまで】======

こうした、生活給的発想に基づきその不足分を政府が補助金で上乗せするやり方は、実際のところ上手くいっていません。

食い物にされる“福祉” 障害者はなぜA型事業所を解雇されたのか - 記事 | NHK ハートネット
======【引用ここから】======
“就労継続支援A型”と呼ばれる福祉サービスです。A型事業所では、一般企業への就職が難しい障害者でも職員のサポートを受けながら働くことができ、最低賃金が保証されます。そして事業所には、職員の人件費や事業の運営経費をまかなうため、国や自治体から給付費が支給されます。その額は障害者1人につき、1日およそ5千円。さらに、3年間で最大240万円の助成金が得られます。
-----(中略)-----
・・・実は今年に入ってから、岡山や北海道などでA型事業所の閉鎖が相次いでいます。その背景には、一部の事業所が“福祉”を食い物にしている実態が見え隠れします。
======【引用ここまで】======

補助金目的「障害者ビジネス」が横行する理由 | 政策 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準
======【引用ここから】======
報道によれば、「不祥事」を起こした事業所は仕事とは名ばかりのきわめて付加価値の低い単純作業しか障害者に与えておらず、事業収支は大幅な赤字状態だったとされる。
======【引用ここまで】======

賃金は、
「誰に賃金を払うか」
ではなく
「何の業務を行ったか」
によって本来なら決まります。

ところが、このように補助金が入ると、

「補助金が貰えるから障害者を雇用する。業務内容は後から決める。補助金を貰えるなら正直なところ業務内容はどうでもいい」

と事業収支を考えず、補助金を貰うことを目的とする事業者が当然出てきます。
事業や雇用が継続できるかどうかは、経営者の能力よりも、政府の制度設計に依存するところが大きくなります。

補助金が続くなら経営も続く。
制度改正で補助金を障害者賃金に充当できなくなったら事業が終わる。

本来、雇用は事業遂行のための手段であるにも関わらず、政府が補助金によって雇用増加を目的にしてしまいました。
そのツケは、当事者たる障害者、そして全国の納税者が払うことになるのです。

綾瀬市議会に学ぶ議会報編集のあり方

2019年11月21日 | 地方議会・地方政治
ある自治体が、近隣の、あるいは類似規模の複数自治体に対し、

「〇〇の事務について、どう処理しています?」
「法第△条の解釈、運用についてどうされてます?」

といった照会をかけ、回答を貰うというのは、様々な部署で行われている

「役所あるある」

の一つです。

こうした照会については、明確な根拠規定があるものの他、回答する義務がありません。
回答しなくても、法的なペナルティは多分ありません。
照会・回答事務は、同じような境遇にあって対処方法に悩んでいる自治体間・職員間の、

「困った時はお互い様」

的な精神、紳士協定の上に成り立っています。

職員としては正直なところ、外部からの照会に回答するのは面倒くさい。
場合によっては数年前の段ボール箱から書類を発掘して確認する、なんて事をしなきゃいけません。
手間だし、うろ覚えで適当に回答してしまおうか、あるいは無回答で回答してしまおうか、なんて魔がさすこともあります。

ただ、自分も疑義が生じた時に他団体に照会文書や電話で問い合わせすることがあります。
それなら、他所から尋ねられた時も誠実に答えておこう、と考え直すわけです。

なお、毎回というわけではありませんが、この手の照会をする際には、

「こちらでは〇〇という運用をしていますが、貴団体ではどのようにされていますか?」

と、自分の団体での運用方法や考え方を示した上で、相手に問うスタイルも多くあります。
この運用例も、この手の照会・回答事務には、似たような境遇・悩み・迷いを抱えた者同士での、ある種の紳士協定が背景にあることを示している、と私は考えます。

【調査票が公開される、ということ】

さて。

「神奈川県にある綾瀬市議会の事務局が、福岡県にある行橋市議会の事務局へ宛てて調査票を送り回答を求めている」

という事例が、こちらのブログで紹介されています。

【地方議会の闇③】議会事務局アタック、動き始めた地方議会。政治家の戦い方と連携の参考事例【ワクワクした人はシェア】 | 小坪しんやのHP〜行橋市議会議員

今回の場合、照会文書に添付されていたであろう調査票がそれぞれの市議を経由して上記ブログに公開されており、さらに、

======【引用ここから】======
回答は「公式のもの」でありますから、綾瀬の事務局を通じて笠間議員の元に届くことでしょう。
公式のものでありますから、笠間議員もネットに公開するでしょうし、私もBlogに掲載させて頂きます。

======【引用ここまで】======

と、回答が公開されることまで予告・明言されています。
こうなると、単なる面倒くささとは性質が異なります。

冒頭であげた、自治体間・職員間の紳士協定に基づく照会・回答とは言えなさそうです。

通常の照会・回答とは異なるこうしたケースにおいて、照会をかけた綾瀬市議会の側ではどう対処しているのでしょうか。
例えば、議事運営や議会報の編集過程において、ここで登場した笠間議員にまつわるトラブルがあったとして、その具体的なケースについて他議会事務局から照会があったら、綾瀬市議会事務局はどの程度まで突っ込んで回答するのでしょうか。
気になるところです。

また、今回の件をきっかけにして

「綾瀬市議会からの照会に回答したら、綾瀬市議会議員を通じて外部にその回答が公開される」

とイメージが付いてしまった場合、綾瀬市議会事務局は今後やりにくいだろうなぁ、というのは想像に難くありません。
一歩突っ込んだ内々の本音、肌感覚といったものを他議会事務局と共有することが難しくなり、公開されても差し支えない建前論だけが綾瀬市には届くように・・・ならなければ良いのですが。

【議会報を編集する、ということ】

突然ですが、上記ブログにて登場する笠間議員の一般質問を、綾瀬市議会の議事録から引っ張って読んでみましょう。

綾瀬市 平成30年9月定例会 09月25日-04号
======【引用ここから】======
◆10番(笠間昇君) いつどこでどのような事案が発生するかわかりませんので、ぜひともいろいろときめ細かく、特に執行部のほうは気を配ってあげてください。よろしくお願いします。
 それで、庁舎内には警備会社のカメラが設置されていると思います。これは防犯カメラというんですか、防犯カメラを設置していますよといった表示とかあるかと思います。銀行とかで想像すると、防犯カメラ設置と書いてあるだけでもかなり抑止効果があるのではないのかと思うんですが、こちらのほうはどう考えておりますか。安全確保という面から、そちらのほうの表示ということについてはいかがお考えでしょうか。よろしくお願いします。
○副議長(比留川政彦君) 総務部長。
◎総務部長(駒井利明君) 市役所には現在、警備業務で使用するカメラが設置されておりますが、こちらのほうにつきましては、カメラ設置という表示は現在のところ行っておりません。ただ、カメラが設置されていることを表示することで暴力行為の抑止効果につながるのではないかとも考えておりますので、今後、職員や来庁者の安全確保のために、例えばカメラ作動中などの表示を行ってまいりたいと、このように考えております。
○副議長(比留川政彦君) 笠間 昇議員。
◆10番(笠間昇君) 先ほど登壇したときにお話しした金沢市とか横浜市の中区役所とかは、事件があった後、かなり防犯カメラを多く設置し直したということも聞いております。ということは、防犯カメラというとちょっとはばかりがあるんだったら、管理カメラとかビデオというものをつけるということは抑止効果があるという、他市の例ではありますが、そういったことが見えるのかなと思いますので、ぜひともそこは検討していただきたいと思います。
 今度は職員の安全管理とかトラブル防止、今、抑止のためにも市で表示するだけでなく、録画画像の権限を持っていくのはどうかなと思います。しっかりと映像の権利というんですか、映像権、こちらのほうの権限を持つべきではないのかと思うのですが、そちらはどう考えているか。よろしくお願いいたします。
○副議長(比留川政彦君) 総務部長。
◎総務部長(駒井利明君) 市庁舎に設置されておりますカメラにつきましては、市から警備業務を請け負っている事業者が機械警備の一環として設置しているものでございます。このカメラは主に警備事業者が庁舎出入り口付近や通路部分を監視し、侵入者や残留者の状況把握、盗難等の犯罪防止の目的で使用しておりますもので、カメラの映像や記録は警備事業者の情報となっております。したがいまして、市が映像情報の閲覧やデータを取得することはできず、確認が必要な場合には警備事業者に確認していただき、市はこの警備事業者から文書で報告を受ける、このような形となっております。また、犯罪が発生したときには、捜査上、必要な場合に限り、警備事業者から直接警察に情報を提供することになります。
 職員の安全管理や庁舎内でのトラブル防止のために、カメラ映像などの情報を市が取得することも必要ではないかという御質問でございますが、警備事業者からの報告や警察への捜査協力によりまして、映像情報を市が持たなくてもそのような効果は得ておりますので、またさらには不必要な個人情報を市が取得することになってしまうことは、個人情報保護の観点からも好ましくないと考えております。したがいまして今のところカメラの映像情報を市が取得する考えはございません。
○副議長(比留川政彦君) 笠間 昇議員。
◆10番(笠間昇君) 今までとちょっと流れは違ったところから聞きたいんですが、もし庁舎内で役所の職員が何か不正を疑われるような事案が発生した場合は、市民がそれを発見したときに、あそこでやっていたはずだから映像を見せてくれと言ったときは、変わらなく対応できるというんだったら、それは確認してもらえるのかどうか。今の話だと警察を通してくれとか、警備会社を通してくれとなるんですけど、余りにもちょっと責任をよそにやり過ぎてるんじゃないかとも思うんですが、そこのところはどう考えているのか、お聞かせください。
○副議長(比留川政彦君) 総務部長。
◎総務部長(駒井利明君) 映像情報の入手につきましては、個人情報保護という観点から、個人情報保護審査会にかけて、その許可を得なければならないという手続がございます。現在、庁内に設置しておりますカメラにつきましては、この手続をとっておりませんので、もし仮にそのような事例があった場合には警備会社のほうに確認をさせまして、状況によっては警察に通報するなりの対応をしていくような形になろうかと考えております。

======【引用ここまで】======

これを、『あやせ市議会だより』に掲載すると、こうなります。

あやせ市議会だより 平成30年11月15日号
======【引用ここから】======
Q 防犯カメラには、暴力抑止効果があるため、警備会社が設置するカメラの映像は、市が権限を持つべきでは。
A 個人情報の観点から、現時点では、市が映像情報を取得する考えはない。

======【引用ここまで】======

あらスッキリ。

原稿ママの掲載はしていません。
単純な抜粋でもありません。

原文を大胆に切り貼り修正しています。
市議会だよりは紙面に限りがあるため、会議録原文を圧縮し、かつ、読み手である市民がパッと読んで意味が通じるよう修正するのは必要であり、編集者として当然あるべき行為と言えます。
時には省略した主語を補い、複数の発言にまたがる単語をつなぎ合わせ、てにをはを整え、指示語や繰り返しの表現を元に戻し、話し言葉や倒置法になっている部分を整理し、『あやせ市議会だより』だけを目にする読者に誤解、曲解されないよう意味を伝える、編集の腕がここにはあります。

どのテーマを掲載するかの指定は質問者がするかもしれません。
しかし、上記のように議事録を圧縮し、削除し、紙面の形にする責務と権限は、最終的には個々の議員ではなく、発行元たる綾瀬市議会、そして編集を担当する議会報編集委員会にあります。
綾瀬市議会の会議規則や各種内規を確認してはいませんが、議会報の表紙に発行者・編集者が明記されている以上、そう捉えるのが自然でしょう。

調査票の1問目にあった
「記事の内容を修正する動き」
との箇所は、議会報編集委員会の責任において行うべき編集作業に当然含まれているものと考えます。

質問票に対する答えは、綾瀬市議会において『会議録』を修正した後に『あやせ市議会だより』に掲載している方法から推し量れば、概ね分かるだろうと思います。
どうでしょうか、笠間議員さん。

【圧縮上手な綾瀬市と、圧縮下手な行橋市】

綾瀬市議会では、上記のように膨大な議事録の中からポイントを抜き出し、文章を整理した上で議会報に掲載しています。
限られたスペースの中で、議員が何を問い、行政側が何を答えたのかが分かるよう焦点が絞られており、密度の濃い記事になっています。

他方、行橋市議会ではどうでしょうか。

【地方議会の闇④】野党会派のダブルスタンダード、議会便りにおいて市議の実名を出した例はあった。【笑った人はシェア】
======【引用ここから】======
市議側(この場合は工藤市議)が、他の市議の名前を出している。
そもそも村岡市議に関しては、市長の勘違いであり完全な流れ弾だ。


-----(議会報ここから)-----
議員 ・・・今年1月13日、市長の市政報告があった。これは政治活動か、選挙活動か。
市長 選挙活動です。
議員 おかしい。告示前。選挙活動と言うなら大きなミス。
市長 訂正する。選挙活動ではない。
議員 市長スピーチ。「私ども、麻生マシンという末端に行橋という小さな小さな歯車が組み込まれたと認識。今後とも麻生マシンの小さな小さな歯車として、行橋を京築のメイン都市にしていくことを誓い、2期目のお願いとする。選挙では、よろしく支持の程お願い申し上げ、挨拶にかえさせていただく」。後半は選挙依頼。麻生副総理だからじゃない。どの国会議員の名前があっても、何回もほにゃららマシン、小さな歯車という言葉が出るのはどうなのか。司会は。
市長 村岡議員だったような気がします。
議員 井上副議長です。
市長 あっ、そうですか。
議員 二元代表制の本旨を考えた時、御自身の市政報告を副議長にお願いするのは、やはり違う。ある種の距離を置くように努めるべき。市長は絶大な権力を持つ訳だから、その辺は配慮すべき。

-----(議会報ここまで)-----

しかも、この場合は、単に市長の勘違いだ。
だったら村岡市議の名前ぐらい消してやればよかったろうに。

======【引用ここまで】======

この指摘は、まさにそのとおり。
個人名なのだから、編集段階で議会報からは消してやればよかったろうに、と私も思います。

(余談ですが、この市議会だよりからは、政治活動と選挙運動に関する市長の認識の低さが窺えます。
告示日前の市政報告を選挙活動と言ってしまうし、政治活動であったにも関わらず「選挙ではよろしくお願いします」と言っちゃうし。
選挙のお願いをする市政報告会って、公選法で禁止されている事前運動じゃないんでしょうか。)

本題に戻り。

『あやせ市議会だより』と比較すると、個人名の使用の他にも気づく点があります。
綾瀬市議会は文章を圧縮・削除・整理し再構築しているのに対し、行橋市議会ではそういった作業をせずに原文から抜き書きしている印象を受けます。

話し言葉はそのまま。
言い間違い、勘違いはそのまま。
倒置法もそのまま。

なので、議会報としては読みにくいのです。

今回、綾瀬市議会が行橋市議会に対して照会文と調査票を送っているわけですが、逆に、行橋市議会が綾瀬市議会に対して議会報掲載文の会議録圧縮方法や修正ルールを学ぶために照会文を送ったり、視察に行って教えを乞うてはどうでしょうか。

【議会報編集の留意点】

議会報を編集するにあたって、様々な点に配慮しなければなりません。
その一つが、綾瀬市議会のように、内容や文章を整理圧縮し限られた紙面を有効に使って情報を伝えることです。

他に配慮すべきなのが、

○地方自治法
第百三十二条 普通地方公共団体の議会の会議又は委員会においては、議員は、無礼の言葉を使用し、又は他人の私生活にわたる言論をしてはならない。


仮に会期中の議長の発言取消命令や議員の発言取消、訂正申出に対する許可が無かったとしても、この規定に抵触するおそれのある会議録の箇所をわざわざ引用するのは避けるべきです。

編集者が、会議録に掲載された発言を、改めて議会報に掲載し広く知らせる行為によって、人の名誉を毀損した場合、刑法上の名誉棄損や民法上の損害賠償が成立する可能性はあると思います。
ましてや、その内容が議員活動の枠外で私人としてのものであれば、猶更です。

なお、この条文の背景には、

○日本国憲法
第五十一条 両議院の議員は、議院で行つた演説、討論又は表決について、院外で責任を問はれない。


の反対解釈があります。
つまり、国会議員の発言は憲法の規定によって民法上・刑法上の責任を免除されますが、地方議員の発言は免責されない点を考えなければいけません。
地方議会においては、名誉棄損等のトラブルを避ける配慮が求められます。




【これから】

・・・さて。

爆破予告事件でおかしな決議を出して道を踏み外した行橋市議会は、個人攻撃の応酬で道を踏み外し続けるのでしょうか。

生活保護の現物給付化と分権化

2019年11月01日 | 政治
○生活保護の現物支給を考える 塚崎公義(久留米大学商学部教授) WEDGE Infinity(ウェッジ)

この記事に対し噛みついたのが、我らがほっとプラス藤田。

藤田孝典さん / Twitter
======【引用ここから】======
すごくいい加減で粗雑な記事。 現行生活保護法が権利性を明記し、「劣等処遇」や「ワークハウス」を排してきた歴史的経緯や制度の変遷くらいは把握して議論した方がいいと思う。」
======【引用ここまで】======

と、ほっとプラス藤田がネット上の記事を「粗雑な記事」と批判し、同時に持論である生活保護の権利性を強調しています。

私は、そもそも憲法第25条はプログラム規定・責務規定に過ぎず、憲法上の権利性はないという解釈を前提に、法律上の権利を謳った生活保護法は「盛りすぎ」と考えています。法改正をして権利性を謳った部分を削り、予算の範囲内での責務に留めることを明記してはどうかと考えています。

それはさておき、ほっとプラス藤田が批判する冒頭の記事を眺めていきましょう。
塚崎氏はこの記事の中で、生活保護制度に対する批判を挙げています。

【甘すぎる生活保護批判】

======【引用ここから】======
 一つは、受給者に甘すぎる、というものです。40年間国民年金保険料を払い続けて来た高齢者が受け取る老齢年金よりも、年金保険料を一度も払わなかった高齢者が受け取る生活保護の方が多いのは、明らかに不公平である、等々の批判です。
======【引用ここまで】======

年金保険料を払い込み続けて受けられる年金額よりも保護費の方が多い、働いて得られる賃金よりも保護費の方が多い、これは不公平だ、という批判は根強く存在しています。これに対し、
「保護費よりも年金や賃金が低いのが問題であれば、年金や賃金を上げればいい」
という反論がなされますが、これは
「パンが無ければケーキを食べればいいじゃない」
と同じくらい馬鹿げた主張です。

年金は政府が額を決めていますが、高齢化が進む中で年金額を上げるのは現役世代の首を絞めることになります。保険料をいくら増やして消費税をいくら増やせばいいのでしょうね。

賃金については、政府がその額を直接いじる事はできません。最低賃金法で一定額以下の雇用契約を禁止する事はできますが、これは低額の雇用を市場から駆逐し、その業務内容・強度くらいでしか働けない労働者を駆逐し、結果として失業者を増やし生保受給者を増やす効果しかありません。

また、同じくらい根強く存在する批判が、生活保護とパチンコです。

保護費をパチンコ台に吸い込ませるのは、現行法上、不正受給になりません。この甘さは、ほっとプラス藤田の言う「権利性」、すなわち、生活保護を受け取ることは受給者の当然の権利である、権利として受け取った保護費をパチンコ等の娯楽に消費してもそれは受給者に認められた裁量の範囲内である、といった言説によって守られています。

この甘さの放置・擁護が、生活保護制度への批判を強めている一因です。権利性を強調する側は、
「こうした批判は権利性についての理解が足りないからだ。社会福祉論を勉強しろ」
と一蹴しますが、納税者の側は自分の収入・資産を強制的に収奪されている実感があるわけでして、理解不足の一言で納得させるのは厳しいでしょう。

個人の自由・財産権を制限して徴収した税金を原資として、受給者は保護費を受け取っています。その受け取った現金を権利として自由に消費できるのはアンバランスだと多くの人が感じています。

「生活困窮者を救うため財産権に制限をかけて徴税し保護費を捻出する、そこまでは理解しよう。だが、税金を払う側は制限を受けて負担を強いられているのに、受け取った側がどう消費するかに制限をかけないのは不公平だ。」

こんな声があるからこそ、実際、ケースワーカーがパチンコ店を巡回し、受給者を指導し、それでも改善されない受給者への保護支給を停止する・・・そんな自治体が出てきたわけです。この自治体による支給停止は、後で裁判によってひっくり返されました。現行法上そうなっているので、裁判でこの支給停止が否定されたのは仕方ありません。しかし、裁判で「パチンコ指導→支給停止」を否定されたからといって、納税者の不満が解消されるわけではありません。
むしろ、

「納めた税金が生活困窮者の生活再建ではなくギャンブルに費やされている。これを役所に是正させる事すらできないのか」

と、不満は蓄積する一方です。

民主的に決めたはずの生活保護法の建前と、これに実際のところ同意していない住民と、この間で対応に右往左往する自治体のすれ違いを見ていると、「国民が議論して同意に基づき決める」という同意の擬制を1億2千万人に適用するのは、乱暴な議論だなぁと思わずにはいられません。

ちょっと脱線しました。

ほっとプラス藤田ら権利性を強調する側から、「甘すぎ」の改善策が提示された例をあまり見たことがありません。塚崎氏の現物支給案は、この「受給者に甘すぎる」現状の解消を目指したものと理解することができます。

【住居と食事の現物給付案】

塚崎氏の現物支給案の主な中身は、以下のとおりです。

https://wedge.ismedia.jp/articles/-/17732?page=2
======【引用ここから】======
生活保護を現物支給にして、専門の福祉施設を作れば良い、と久留米大学商学部の塚崎公義教授は説きます。
======【引用ここまで】======

======【引用ここから】======
筆者は「生活保護の現物支給」を提唱しています。「健康で文化的な最低限度の生活」を保障するだけの狭い部屋と美味しくない食事を用意し、希望者に無料で提供する
======【引用ここまで】======

そのメリットとして、

======【引用ここから】======
刑務所の独房と同じ広さの公営住宅を建て、刑務所の食事と同じものを無料で提供すれば良いのです。そうすれば、彼ら(引用注:冬に刑務所入りを目指すホームレス)が犯罪を犯す必要がなくなり、冬の間はそこで暮らすようになるはずです。
 その方が、政府にとっては遥かに安上がりです。警察官も裁判官も関与せずに済み、鉄格子も看守も不要なわけですから。

======【引用ここまで】======

======【引用ここから】======
わざわざ家を建てなくても、空き家が多くありますから、それを譲り受けて使えば良いでしょう。監獄を作って犯罪者を住まわせるわけではないので、周辺住民の抵抗も大きくないはずです。
======【引用ここまで】======

等を挙げています。
・・・・これらは、ほっとプラス藤田が主張する
公営住宅や家賃補助を拡充せよ
空き家や廃屋を占拠せよ
と似ています。

ほっとプラス藤田と塚崎氏の違いは、ほっとプラス藤田が、現行生活保護制度の甘やかし・権利性をそのまま温存して公営住宅や家賃補助の上乗せを要求しているのに対し、塚崎氏は、現金給付を施設入居の現物給付に置き換えることで不正受給のインセンティブを無くそうとしている点にあります。

また、現行生活保護の問題点としてよく挙げられる
「働いてい収入を得たら保護を減額、あるいは打ち切られる。受給し始めたら働かない方が得」
と勤労意欲を低下させてしまう点について、

======【引用ここから】======
 最低賃金でしっかり働いている人でも、希望すれば住めるわけですから、「働かずに生活保護を受けている人の方が良い生活をしている」ということにはなりません。
 年金生活者も希望すれば住めるわけですから、「若い時に年金保険料を払わなかった人の方が良い生活をしている」ということにもなりません。
 働いて得た賃金や受け取った年金は、時々美味しいものを食べたりする「ささやかな贅沢」に使えば良いのです。もちろん、孫への小遣いにしても良いでしょう。

======【引用ここまで】======

と、住宅と食事の現物給付なら労働意欲を損なわないとの見込を示しています。
「生保窓口に行ったが申請できずに帰されてしまい、そのまま餓死した・凍死した」
等の事案を防止し、同時に、働こうとする意欲を阻害しないことを考慮したものになっています。

【現物給付の問題点】

いろいろと良さそうな塚崎氏の現物給付案ですが、そこには問題もあります。
一つ思いつくのが、現物給付に伴う手続きの煩雑化と管理コストです。

現行の生活保護制度においても、現金給付と並行して現物給付が存在しています。

医療・介護は、受給者が現金で受け取った保護費の中から通院費や介護ヘルパー代の自己負担分を支払っているのではありません。受給者には医療・介護サービスを現物支給で提供され、役所が病院や施設へ受給者の自己負担分を支払っています。

これを実施するために、レセプト情報や介護サービスの提供情報といった様々な情報を受給者ごとに管理する事務が生じています。
受給者⇔市町村、
市町村⇔病院・施設、
病院・施設⇔受給者
のそれぞれの手続きが必要になり、その為に生産性のない書類仕事が生じます。

これと同様のことが、住宅や食事でも生じます。
誰に何を渡した、どの業者を経由して受け取ったか、の管理事務が増えることになります。

【自己負担ゼロで生じる資源の浪費】

また、現物給付でみかけの自己負担が無料になると、資源の浪費が生じます。

生活保護や自治体独自の子供医療費助成によって医療費自己負担が無料になっている場合、少し体調が悪いかな程度で受診し余裕をもって多めに薬を貰うということが横行します。そして、貰った薬を少し飲んで元気になったら残りは捨ててしまう、なんてことが生じます。

自己負担がそれなりにあれば「病院に行くほどの症状ではない。貰う薬は必要最小限でいい」といった抑制が働きますが、見かけ上無料だと「とりあえず行っておけ、貰えるものは貰えるだけ貰っておけ」に傾きます。介護サービスは介護度に応じた利用上限がありますが、生保受給者のプランは必要に応じたサービスではなく利用上限までヘルパーやデイサービスを盛り込んだものになりがちです。

公営住宅や食事の現物給付においても、同じようなことが起きると考えるのは、決して飛躍のし過ぎではないと思っています。

【現物支給でも不正受給はゼロではない】

さらに、現物給付でも不正は生じます。
現行生活保護制度においても、例えば、受給者と柔道整復師とが共謀してマッサージをしたことにして架空の診療報酬を請求したり、受給者が処方された薬をヤミで流して現金化したり、そういった話は後を絶ちません。

住宅や食事の現物給付であっても、例えば、受給者が修理業者と共謀して公共住宅の窓をわざと壊して自治体が払った修理費用を山分けしたり、米や缶詰といった保存の利く支給食料を食べずに現金化したり、いろいろあり得るでしょう。

また、生保受給者へ支給される食料品の納入業者、生保受給者の入居する住宅の整備・修繕を行う業者の地位をめぐって、あるいはその料金設定をめぐって、自治体と癒着し利益を得ようとする業者も出現するでしょう。

【生活保護こそ分権化すべき】


方法や内容を巡る不満・不公平感こそあれ、貧困対策や救貧政策の存在そのものについては、多くの人が納得するところだと思います。

では、最低限とはどの程度を指すのか、給付水準はどの程度が適切なのか、給付方法はどうあるべきか、現金給付と現物給付それぞれのメリット・デメリットをどう考慮するか、これは単一解が出るようなものではありません。事前に施策の効果、影響を把握しきれるものでもなく、やってみなけりゃ分からない点は残るでしょう。A地域に適した方法がB地域でそのまま上手くいくかと言えばそうではありません。

現行は、法定受託事務として国が全国一律の基準を定めて運用しています。しかし、その地域に適した方法や水準は無数にあります。
空き民家が多い所、公営住宅が多い所、
若者の多い所、高齢者しかいない所、
少し探せば仕事が結構ある所、仕事が全然無い所、
パチンコや公営ギャンブルの多い所、少ない所、
自治会等の地域のつながりの強い所、弱い所、
高所得者が多い所、低所得者が多い所
農業が盛んなところ、漁業が盛んなところ、商店街中心のところ、ベッドタウン化したところ・・・etc

中央政府の定めた全国一律ルールで運営すれば、各地で「帯に短し襷に長し」問題が発生します。あるいは、一律ルールで全国的に同じ弊害が生じます。これを、各自治体が地方税の範囲内で個別にルールを定めて運用していけば、全国一律による弊害は緩和されます。

全国民で議論をした体裁で同意を擬制して、全国に単一ルールを敷くのではなく、自治体Aでは塚崎氏の現物給付案を採用し、自治体Bでは従来通りの現金給付中心、ということもありだと思います。この繰り返しの中で、それぞれの地域に適した方法や水準を手探りでやっていくのがベターでしょう。

自治体によっては、平成の合併、昭和の合併によって住民気質の異なるいくつもの地域が一つの自治体を構成していることもあります。そんな地域では、自治体単位でなく、さらに小さな枠組みで考えるべきです。

いずれにしても、塚崎氏の問題提起したインセンティブの考え方は大いに参考になると思います。少なくとも、ほっとプラス藤田のように現行生活保護への批判に応えず無反省のまま、

「捕捉率を上げろ」
「申請主義でなくプッシュ型にしろ」
「住宅政策が足りないから上乗せしろ」
「要求は当然だし受給は権利だ」

の拡大一辺倒では話になりません。中央政府の支出と権限がブクブクと膨らむだけです。

生活保護制度の今後の在り方を考える際に、ほっとプラス藤田の主張よりも、塚崎氏の今回の記事の方がずっと有用です。これを分権的に解釈し、地域ごとの税収と運用方法で行うことができればいいだろうと思います。

そして、分権化を徹底していくことで、企業や宗教団体、あるいは昔風の村落共同体などを運営単位として寄付と合意に基づき運営される生活困窮者支援が可能になるかもしれません。