若年寄の遺言

リバタリアンとしての主義主張が、税消費者という立場を直撃するブーメランなブログ。面従腹背な日々の書き物置き場。

公共事業で地場産業育成 ~ 合法的買収 ~

2015年11月17日 | 地方議会・地方政治
世の中には、「地場産業を育成するため」という大義名分の下、特定の者に対する利益誘導が正当化されている。

○美浦村議会 議会だより 一般質問 平成21年3月3日号
=====【引用ここから】=====
入札というのは、安い企業を選択するための制度である。競争で入札を安くできる企業は、大手、中堅の村外企業であり、落札するのではないか。確かに、その時点では村からの支出は少ないが、税収に反映する部分や企業に対する雇用の場、地場産業を生かすのであれば、多少高くても随意契約等によって、村からの仕事を村内企業に発注する考えを持ち、美浦村を富ませるという方向で努力願いたい。
=====【引用ここまで】=====

このように、「多少高くても随意契約等によって、自治体からの仕事を自治体内の企業に発注するのが望ましい」と考えている人は多い。だが、これは間違いである。ある種の関税政策、ブロック経済圏のようなものである。

一時的には、地元の受注企業の収入が増え、この地元企業が材料等の発注をし、ここの従業員のボーナスが増え、彼らが地元で買い物をし・・・という資金の経路が生じる。しかし、これは一巡して終わりである。村の外の企業と競争しなくなり、より効率的に新たな商品やサービスを提供しようとする意欲と能力が低下する。自治体に働きかける方が確実だということになれば、補助金獲得や公共事業受注といった対行政向けの申請書作成、実績報告、補助金メニューの情報収集に重点が置かれるようになる。その分、工夫改善や新たな取引先を開拓するためのリソースが減少する。

地場産業育成のための入札制限や随意契約は長期的には地場産業育成に寄与せず、かえって「行政依存症」を進行させる。行政依存症が進めば、地元企業の基礎体力を損なうことになる。一方で住民から税金を強制的に徴収し、一方で地元企業の競争力を削ぐ。公共事業による利益誘導は双方にとってたちの悪いものである。
もし、地方議会で議員から地場産業育成に関する質問が出された際は、次のように答えるのが正解だろう。

○新潟県入札監視委員会平成16年度第4回定例会議審議概要
=====【引用ここから】=====
・地元業者育成は、自由・公正な入札が確保されていることが前提であり、地元業者育成のために入札における自由な競争が阻害されてはならない。

・県発注工事においては下請けに県内業者を優先する方針とのことであるが、これは経済原理に反し、将来的に業者は育たない。基本的に地場産業育成は、入札制度で考慮するものでなく、産業育成の分野で考慮すべきものである。

=====【引用ここまで】=====

○岡山市入札外部審査委員会及び岡山市水道局入札外部審査委員会の概要
=====【引用ここから】=====
○地場産業育成に重きをおく財政支援や市内業者優先の制度はやめた方がよい。平等な競争に重きをおくことが大切であり今の制度が問題ではないのかと思う。

○全体的についてですが,金額が小さければ簡単だから多くの業者ができます。逆に金額が大きいと,必要な人数や機械も増えてくるので,できる業者が限られて少なくなります。今の制度は,地元業者や中小企業の保護・育成になっており,それが談合に繋がると思います。そういうのを自由競争にすれば,指名業者数が増え,その中の競争で,弱いものが潰れていく場合もあれば,逆に体力を強化して,大きくなる業者もあります。その分,サービスが良くなっていくのです。価格が安くなり,サービスも良くなるのです。それが競争社会の良いところです。

=====【引用ここまで】=====

これが正しいのだが、答弁する側の首長や幹部職員の心情としては、議会の中で「弱い業者が潰れていく場合もある」ということを正面から述べるのは苦しいだろう。そのせいか、冒頭取り上げた議会では、誤った答弁をしている。

○美浦村議会 議会だより 一般質問 平成21年3月3日号
=====【引用ここから】=====
地場産業の育成という観点については、随意契約、競争入札ともに、村内業者の育成を図るという方針から、業者の選考条件を選定する際には、村内に本社を有する業者を優先に選定することになっています。
=====【引用ここまで】=====

ここで、例えば、ある事業について

・隣町の業者Aは1000万円で実施できる
・村内の業者Bは1100万円で実施できる

という場合があるとする。

自由競争であれば、B社は企業努力で1000万円以下で実施できるように工夫改善を図るはずだが、地場産業育成を名目とした随意契約に味をしめたB社は、1100万円かかる自社の現状はそのままに、地元優先で発注するよう行政に依頼するだろう。

住民にとって、A社に発注すれば1000万円で済んだのに、B社に発注したことで差額の100万円分が税金の取られ損になる。他方で、100万円割り増しして、A社より劣ったB社へ優先的に発注することで、B社の商品やサービスは改善されることなく停滞する。こんなことが各地で続けられたことが、地方経済の地盤沈下の一因である。

自治体の首長は、地場産業育成という言葉を好んで使う。それは、自分を支援する企業に合法的に利益誘導を図ることができるようになるからだ。

選挙の時に「我がB社は、社を挙げて○○候補を応援します。従業員とその家族は○○候補へ投票するように」といって活発な選挙活動を展開した、とする。
その結果当選した首長は、応援の見返りとして「何らかの形で、B社に公共事業を発注するように」と職員へ指示を行う。
職員は「では、地場産業育成ということで外部業者の入札参加を制限しましょう。あるいは少々割高でも理由を付けてB社と随意契約しましょう。」という決定を行う。

首長も業者も職員も短期的には損をせず、痛むのは納税者の財布のみ。そして、長期的には地元企業の能力が低下する。競争が失われ、地域の活力が低下していく。てこ入れの為に「地域活性化のために新規事業を起こそう」といって補助金行政を展開し、地盤沈下に拍車がかかるという悪循環である。

「民主主義ってなんだ」だって?
公権力による合法的な買収だよ。
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公務員給与は高い?安い? ~ 公務は安くていい ~

2015年11月12日 | 労働組合
ネット上をウロウロしていたら、こんなものが。

自治体職員に必要な能力をどのように涵養するか 中央大学大学院経済学研究科教授佐々木信夫氏
=====【引用ここから】=====
公務員の給与の削減やボーナスの査定に関する議論を聞いていると、何やら自分たちが特別の身分の者であり、そのことに対して報酬が支払われている意識が抜き難くあるようですが、公務員の給与というのは身分報酬ではなく、労働報酬でしかありません。さらに言えば、給与とはあくまで成果に対して支払われるものであって、成果もないのに金を払うものはない。その原則を明確にすべきです。
  ~~~  (中略)  ~~~
公務員の身分保障とは、政治的中立性を維持させる代わり、首長が替わっても解雇しない。賄賂をもらわなくて済むよう一定の生活ができるだけの給与を出す。その二つであって、決して終身雇用を約束するような性格のものではありません
=====【引用ここまで】=====

「成果のないものに金を払うものはない。その原則を明確にすべき」
と言った直後に、
「賄賂をもらわなくて済むよう一定の生活ができるだけの給与を出す」
と言うのは、矛盾ではなかろうか?もっと深読みすべきなのだろうか。

果たして、公務員の給与は成果に対して支払われる労働報酬なのか。それとも、身分保障の一環として一定の生活ができるように支払われる身分報酬、生活給なのか。

ということで、今回のテーマは公務員給与。

モノやサービスの対価は、市場において評価され、市場において値段が付つけられる。高すぎては買い手が付かず取引は不成立となり、評価額はゼロとなる。売り手と買い手が納得・同意できた金額が、対価である。これは、労働の対価たる賃金も同じである。売り上げへの貢献の対価、利益をあげるために必要な経費、それが市場における給与である。

他方、国や地方公共団体は法律や条例、予算によって税額や支出額を一方的に決めることができ、納税者や受益者がその金額を交渉することはできない。どんなに割高なサービスや工事であっても、政府が執行すれば公共事業としてまかり通ることになる。「この程度の公共サービスにこんな高い税金を払えるか!」と怒ったところで、納税を拒んでいると滞納処分を受けることになる。税金の額や公共事業の額は政府によって設定されたものであって、そこに対価という概念は極めて希薄である。

公務員はこのように市場で値段の付かない仕事に従事しており、「売り上げへの貢献=対価としての給与」と縁が薄い。公務員の給与を民間同様に「労働の対価・成果」に軸足をおいて考えることは難しい。
多くの人が納得できるような成果基準、すなわち
「徴収に携わったら何円、総合計画を作ったら何円、保険証を印刷交付したら何円、補助金申請の受理・審査をしたら何円」
といった対価基準を作れと言われても「全く自信がありません」と答える他ない。

そんな公務員の仕事と労働環境に妥当な値段を付けるためには、労働市場と交差する入口・出口、すなわち採用・退職で考えるしかないだろう。採用の場面においては「給与をここまで下げると応募が少なくて採用試験が成り立たない」水準、退職の場面においては「今より給与を下げると職員の多くが転職しだす」という水準まで公務員給与を下げることが必要である。
(逆に、特定の資格や経歴を有する者を採用したいと思った官公庁があったとして、その募集に対し応募が全くないのであれば、その職種のみに対する給与を上げていくことは考えられる。)

こう考えると、公務員の採用試験の倍率が5倍、10倍、15倍というのは異常。仕事内容や勤務条件と比べて、まだまだ公務員給与は割高だからこれだけ応募者が多いということだ。

次に、時間外勤務手当について。

公務員給与を身分報酬に重点を置いて考えるのであれば、時間外勤務手当は蛇足である。時間外に仕事をしようがしまいが、その身分に何ら影響はないからだ。

また、成果に対して支払われるという点に重点を置いた場合、例えば工場労働者であれば労働時間と成果は比例すると考えられ、時間外勤務手当を支給することに合理性はある。しかし、公務員については労働時間と成果が比例するとは考えにくいため、時間外勤務手当を支給する合理性は薄い。

職能給(職務遂行能力に応じて給与を決める)の観点からは、「時間外に仕事をする=時間内に仕事を終わらせることができない」という評価になるとしたら、時間外勤務手当の支給どころか、むしろ時間外に仕事をした者の給与を下げるべきという結論へと導くこともできる。

これらのことから、公務員給与については
・基本給を下げる
・時間外勤務手当を撤廃する
ということをやっていくべきだろう。そして、解雇や休暇に関する身分保障を減らしながら、一方では副業を解禁していったら良いと思う。自発性と使命感に溢れた人が、対価度外視で公務に従事し、ある程度の給与を貰い受けるものの、生活のための必要経費に届かない分については副業で稼ぐという半ボランティアでやっていってはどうだろうか。

公営社会保障の縮小や補助金による分配の廃止、規制緩和が進んでいけば、そんな半ボランティアによる公務員でも行政は十分に回していけるはずだ。


さてさて。

公務員給与については、よく、「従業員50人以上の事業所との比較」といったことをやっているが、これに意味があるのだろうか?仕事内容や労働環境が全く違い、給与の性質も異なる中で、わざわざそれなりに規模の大きい事業所のみを比較対象とするのは、「給与水準を引き上げるための、公務員によるお手盛り比較」と批判されるのは当然のことだ。
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