若年寄の遺言

リバタリアンとしての主義主張が、税消費者という立場を直撃するブーメランなブログ。面従腹背な日々の書き物置き場。

共産党のご都合主義的解釈改憲 ~ 立憲主義はいずこへ ~

2016年07月08日 | 政治
参院選の前ということもあって、
「戦争法は憲法違反だ!解釈改憲は『政府の権力を憲法で規制する』立憲主義に反するものであり許されない!」
という主張を頻繁に見聞きする。

この主張に対しては、やっぱり違和感がある。集団的自衛権や安保法制うんぬんの前に、自衛隊の存在そのものが違憲ではなかろうか。少なくとも、普通の文章読解力をもって憲法第9条を文理解釈したとき、多くの人は自衛隊を憲法違反だと受け取るだろう。

日本国憲法には、自衛隊の設置、編成、活動に関する規定はない。それどころか、戦力の不保持を定めた第9条に違反する疑いがある。憲法学者の多くは、「戦争法は違憲」の前提として「自衛隊は違憲」と考えている。

ここで、

1:自衛隊は違憲 → 個別的自衛権は違憲 → 安保法制は違憲

か、あるいは

2:自衛隊は合憲 → 個別的自衛権は合憲 → 安保法制は合憲

なら一応理解できるが、

3:自衛隊は合憲 → 個別的自衛権は合憲 → 安保法制は違憲

という主張は、妥協と願望のごった煮でしかない。この「3:合憲・合憲・違憲」の論者の主張をいくつか読んでみたが、ご都合主義であり、とてもじゃないが法律論・憲法論と呼べるようなものではない。

自衛隊や個別的自衛権を合憲とする見解は、綱渡りとも言える解釈によって成り立っている。自衛隊合憲論こそが解釈改憲の典型例である。戦争法は解釈改憲であり立憲主義に反するものであるならば、自衛隊法も当然ながら立憲主義に反するということになる。

自衛隊合憲、個別的自衛権合憲の根拠を適用すれば、集団的自衛権も合憲になるであろう。逆に、集団的自衛権違憲の根拠を突き詰めて考えれば、個別的自衛権も自衛隊も違憲となるであろう。「3:合憲・合憲・違憲」は二本のロープの間を命綱無しで飛び移る曲芸であり、これを憲法第9条から導くのは相当な無理がある。

この点、従来の共産党は一貫していた。自衛隊は憲法違反だ、だから解体すべきだ、戦争法は当然憲法違反だ、と。これは理屈として成り立っていた。これなら、立憲主義にも適合しているといえよう。
ところが、野党4党で共闘するにあたり、共産党は他の野党と異なる曲芸を披露して自衛隊容認に転じた。「自衛隊は違憲だが活用できる」という、新たなご都合主義的解釈改憲である。

○語ろう共産党・野党共闘/自公の攻撃 すべてに答えます
=====【引用ここから】=====
自衛隊についていえば、戦力不保持を定めた憲法に違反していることは、大多数の憲法学者も認めている通りです。
しかし、自衛隊は創設以来62年、世界有数の軍事力に成長する一方で、災害救助にも出動しており、すぐになくすことはできません。そこで、日本共産党は、将来の課題として9条の完全実施に向けて、国民の合意で段階的に自衛隊の解消を図っていくことを提唱しているのです。
その間、大規模災害や急迫不正の主権侵害が発生した場合、国民の命と安全を守るために自衛隊を活用するのは当然のことです。

=====【引用ここまで】=====

世界有数の軍事力ということは、憲法第9条で禁じる戦力保持にあたる。自衛隊は違憲となる(少なくとも共産党はそう評価している)。

さてここで、野党4党が政権をとったとして、「急迫不正の主権侵害」すなわち他国の軍隊が侵略してきた場合に、違憲である戦力・軍事力としての自衛隊の指揮命令を執ることのできる人は誰だろう?

=====【引用ここから】=====
日本国憲法
第九十八条 この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。

=====【引用ここまで】=====

自衛隊が違憲であれば、自衛隊を設置する法律や、総理大臣・防衛大臣が発する命令は「その効力を有しない」ということになる。違憲な軍隊を指揮することは違憲であり無効である。違憲だが存在するものに対し政府が憲法の範囲内で為しうることは、廃止・解体しかないだろう。自衛隊に対する命令が違憲無効となれば、自衛隊の活動については自律に委ねられてしまう。

これを逆手にとって、自衛隊の側から
「我々自衛隊は違憲の軍隊である。総理や防衛大臣の我々に対する指揮命令権の行使は違憲無効である。故に、我々は国民のために自律的に判断し行動する。政府の指揮命令は受けない」
と言い出した時は、危険である。

「自衛隊がそんなことを言い出すわけが無い」って?

「内閣が作戦に介入するのは憲法違反だ!」といって政府の統制を阻み独走しようとしたのが、戦前の軍部である。そう、統帥権干犯論争である。一度あったことが、二度起きないという保障はどこにもない。日本国憲法の下の自衛隊というのは、総理大臣の指揮命令権が明文化されていないという点で、大日本帝国憲法と似た欠陥構造を持っている。日本国憲法は戦前の反省を生かせていないと言っていい。

共産党は、野党共闘によって論理一貫性を失った。自衛隊の活用という形で容認したことで、自らが解釈改憲を提唱し、護憲政党の立場から転落したといっていい。もはや、共産党・野党連合が立憲主義を語る資格はない。

○自衛隊違憲論と憲法9条と98条: 人と法と世の中:弁護士堀の随想
=====【引用ここから】=====
98条は立憲主義にとって重要な条文であって、「自衛隊は違憲だが、まったく無しにするのも当面難しいので、 日陰者扱いで所持していこう」というのは、平和主義の立場からはともかくとして、立憲主義の立場からはかなり異常な発想である。
=====【引用ここまで】=====

従来の理論や主張を維持しつつ、「国家には自衛権はありませんが、国民の自衛権は憲法上否定されていません!共産党は、国民の自衛権を保障するために銃刀法の廃止を目指します!」と言えば、少なくとも私は支持したのだが。これであれば、立憲主義の立場とも整合性を取ることができたはずだ。

なお、与党が主張する「1:合憲・合憲・合憲」については、「第9条の素直な文理解釈としての違憲論」とかけ離れているのは言うまでもない。集団的自衛権を新規に容認するのであれば改憲すべきであるし、逆に、解釈改憲で集団的自衛権を認めるなら9条改憲をする必要は無い。自民党の改憲案のような馬鹿馬鹿しく危険なものが提示されるくらいなら、第9条のみのなし崩し的解釈改憲を認めてしまった上で、「解釈改憲で集団的自衛権OKになったんだし、もう憲法改正は不要でしょ?」と改憲論議を封じてしまった方が良いのかもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする