雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

山本隆との昔話合作

2007-08-22 06:05:29 | カワサキ単車の昔話
この何の変哲もない1枚の鉄橋を渡る電車の写真からこの話はスタートした。

そして山本隆君がきっちりと締めくくってくれた。


これはYahooに毎日連載している私の写真ブログの1枚なのだが、

ふと昔のことを思い出して、
「この電車はちゃんと左から右へ走っているのである。」 とコメントを書いてどんどん発展したのである。
仮にこの電車右から左に走っていても写真に撮ったら同じに写るであろう。


ずっと昔、1966年、A1が発売される年のことである。

私はカワサキで広報やレースを担当していた。
翌年のカレンダー用の写真の撮影に、新幹線と併走するA1を長良川の西詰めの鉄橋のところで撮ろうという計画だった。

撮影当日、橋の直ぐ東側の岐阜羽島の駅からスタートするこだまが、鉄橋を渡りきったところでA1と一緒に撮れるように、ライダーの山本隆が加速調整しながらあわすという設定だが、これが簡単なようでなかなかいかないのである。

1時間に1,2本の下り電車だけでは難しいかもと、逆走になるが上り電車でもという案も出たりしたのである。

その時のことをつい思い出してのはじめの「ちゃんと左から右に」のコメントなのだが、

いつもこのYahooのブログに訪れてコメントを下さる山本隆ファンのkakogawalionya(RM250)さんへのサービスの積りで書いたのである。

「山本君に聞いて見て下さい。多分覚えていると思います。ひょっとしたら星野一義も一緒だったかも知れません。でも、その頃は山本隆が主演スターでした」とコメントをつけたのである。
直ぐに、「その写真見たことあります。はっきりと頭の中に残っています。」とコメントが戻ってきた。

カレンダーの写真だったから、当時の方ならご覧になった方も多い筈である。


その後である。ご本人の山本隆君から

「鮮明に覚えています。まず明石から星野がA1をライディング養老サービスエリアからバトンタッチーーーーーー白バイに捉まった話。
もう一つは、当日富士スピードウエイでジャパンインデイレースが開催されていてテレビを用意してもらう約束で撮影協力。
テレビに見とれて新幹線の数少ないチャンスを逃がしたり、2日間の撮影でした。今思うとあのときのテレビ観戦が星野を日本一早い男にした始まりかも?確か昭和41年です。」

というコメントが届いた。

よく覚えているものである。
私はテレビでインデイ観戦の話など全然覚えていない。星野が居たのではなかったかという、かすかな記憶だけである。

広報担当としてホントに写真が撮れるのかどうか。そればかりが関心事であった。
やはり、それぞれ関心事が違うのである。

2日間の撮影だったのも覚えていない。
1日目は結局撮れなかったということだ。
1枚いいのが撮れればいいのだが、プロはそのために何10枚も、何百枚も写真を撮るのである。

余談だが、4*5のネガで、使う写真は1枚10万円ぐらいであったと思う。
ロケでの写真撮影は大変である。
当時付き合っていたのは、一流のカメラマンだったので、気に入らなかったら何枚撮ってもボツだった。そんな結果が1枚の写真に2日を掛けたことになる。



このブログのコメントは省略してある。10ほどのコメントが並んでいる。

そして、もともとこの写真は、三木のnmwcg423さんからの
「鉄橋を渡る電車を入れて、三木城址を見上げた写真を」というご要望に応えてアップしたもので、最初の仕掛け人はnmwcg423さんなのである。

ブログの面白さである。


もっと詳しくコメントなど見たい方はどうぞ。
コメント (2)
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