もう40年以上も前の話だが、仙台で営業を担当していた。
レース担当の直ぐ後で、レース界にもファクトリーにもまだまだ顔が利いた頃である。
当時はまだ地方デーラー制が残っていて宮城カワサキが宮城県を担当していた。
その宮城カワサキの整備工場を担当していたのが、服部謙治君である。
まだ、メグロの白バイが主力の頃で、4サイクルエンジンの技術も相当なものを持っていた筈である。
私と彼との接点は、そんな技術的な話ではなくて、当時服部、柄沢、大沢といったモトクロスが好きな連中がいてチームを作っていたが、その面倒を見たり、相談に乗ったり、ファクトリーとの間を繋いで上げたりすることで親しくなった。
ライデイング、テクニックについても当時のトップライダーであった山本隆君を仙台に招いて、講習会的なことをやったりした。
服部君は、結構早くて、さらにファクトリーのチーフメカニックの松尾勇さんがマシンの面倒を見たりいて、「東北の山本隆」のような存在であった。
後年、独立開業して仙台一のカワサキ販売店の地位を確立するのだが、その頃には殆ど力には成れていない。店が大きくなったのは彼の実力である。
そんな服部君だが毎年春にはさくらんぼ、秋にはお米など送ってくれる。
何のお役にも立っていないのに律儀で恐縮してしまう。
何のお礼も出来ないのでせめてブログで昔話をと思って書いているのだが、残念ながら近年目を悪くして読むのもままならない。
でも、先日服部君もよく知っている山本隆と歳森康師君とにヴィンテージのモトクロスで久しぶりに会って昔を懐かしんだので、そんなことも含めて書いている。
その時の話で、もう少し平らなところでヴィンテージモトクロスをやりたいなどと話が出たが、昔小岩井農場の牧草地でレースをやったことがあった。
あの小岩井のレースは服部君も出たと思うし、「岩手でのモトクロスでは、帰りに大変なことがあったな」と言えば「ああ、あの話か」と二人だけには解る、そんな仲である。
毎日、必ずこのブログを読んでくれている服部カワサキの方にもお礼をこめてこのブログをアップしています。
服部君、「宮城のひとめ惚れ」有難うございました。
お礼の印に、余り更新されませんが、師匠、山本隆君のブログをリンクします。
レース担当の直ぐ後で、レース界にもファクトリーにもまだまだ顔が利いた頃である。
当時はまだ地方デーラー制が残っていて宮城カワサキが宮城県を担当していた。
その宮城カワサキの整備工場を担当していたのが、服部謙治君である。
まだ、メグロの白バイが主力の頃で、4サイクルエンジンの技術も相当なものを持っていた筈である。
私と彼との接点は、そんな技術的な話ではなくて、当時服部、柄沢、大沢といったモトクロスが好きな連中がいてチームを作っていたが、その面倒を見たり、相談に乗ったり、ファクトリーとの間を繋いで上げたりすることで親しくなった。
ライデイング、テクニックについても当時のトップライダーであった山本隆君を仙台に招いて、講習会的なことをやったりした。
服部君は、結構早くて、さらにファクトリーのチーフメカニックの松尾勇さんがマシンの面倒を見たりいて、「東北の山本隆」のような存在であった。
後年、独立開業して仙台一のカワサキ販売店の地位を確立するのだが、その頃には殆ど力には成れていない。店が大きくなったのは彼の実力である。
そんな服部君だが毎年春にはさくらんぼ、秋にはお米など送ってくれる。
何のお役にも立っていないのに律儀で恐縮してしまう。
何のお礼も出来ないのでせめてブログで昔話をと思って書いているのだが、残念ながら近年目を悪くして読むのもままならない。
でも、先日服部君もよく知っている山本隆と歳森康師君とにヴィンテージのモトクロスで久しぶりに会って昔を懐かしんだので、そんなことも含めて書いている。
その時の話で、もう少し平らなところでヴィンテージモトクロスをやりたいなどと話が出たが、昔小岩井農場の牧草地でレースをやったことがあった。
あの小岩井のレースは服部君も出たと思うし、「岩手でのモトクロスでは、帰りに大変なことがあったな」と言えば「ああ、あの話か」と二人だけには解る、そんな仲である。
毎日、必ずこのブログを読んでくれている服部カワサキの方にもお礼をこめてこのブログをアップしています。
服部君、「宮城のひとめ惚れ」有難うございました。
お礼の印に、余り更新されませんが、師匠、山本隆君のブログをリンクします。