雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

新華僑

2007-10-26 05:40:31 | 発想$感想
NHKのクローズアップ現代で「新華僑」のテーマでいろいろと特集をしていた。

ぼんやりと見ていたので、そんなにちゃんと覚えている訳ではないが、中国人というか「華僑」はずっと、凄いなと思っていた。

Wikipediaで華僑を検索してみると、台湾は入らないなどと書かれているが、現役の頃、商売とか事業を世界で展開しようとすると、よく華僑に出会ったものである。

最初に出会ったのは台湾だが、台湾は除外となると少し後の1977年ごろカワサキが東南アジアや中近東でCKD事業の市場開拓に乗り出した頃、タイ、マレーシア、シンガポール、インドネシアではみんな相手は華僑であった。

どの国も、少数の華僑がその国の経済を実質的に牛耳っていたのではないかと思うような動きであった。
福建省などからの人たちが多かったが、日本のように直ぐ団体を作りたがったりはしないのだが、個々にはいろいろと繋がったり、親分、子分ではないがファミリー的な結束はあったように思う。

一番日本人との違いだと思ったのは、出て行ったところに骨を埋めるという考え方が徹底していたと思った。
日本人のように成功して故郷に錦を飾るというようなことがないのだと思った。

世界のどこに行っても、中国人、華僑に出会い、中国街チャイナタウンに出会った。
チャイナタウンがまた、不思議なことにどこに行ってもその土地の1等地に存在するのである。
日本の横浜、神戸もそうだしロスもロンドンもそうである。
町の名前が出てこないがナイジェリアのチャイナタウンもそうだった。

いつの日にか世界は中国によって実質支配されるのではないかと、その頃そう思った。
もう30年も前の感想である。


その頃、華僑の2世時代に入り、従来動かせない不動産よりも金融や極端に言えば身につけて移動できる貴金属などの分野で活躍していた華僑の子供たちが先進国の大学などを卒業して、日本などと組んでの工場や生産分野に進出してきた頃であった。
日本に生産技術を習いに来た青年が半年経って帰るときには日本語を喋るだけではなく、日本語で手書きでレポートを書いたのにはビックリした。
明治の日本人もこのようであったのだろうと思った。


昨日の特集で言われていた新華僑はそういう意味では3代目で、国の戦略目標に組み込まれて計画的に生まれていると思った。

国が何の関与もしない30年も前でも、ひょっとしたら中国に世界はと思ったが、この状況では、本当にそうなる可能性がある。

基本的にヨコに自由に繋ぐネットワークで、日本のように枠にはめたりしていないからである。一つ一つが自由に自分のよさを100%出せるし、それを必要とするところと自由に組める、インターネットの世界のようなものを感じるからである。


日本も、早く今のタテ割りの時代遅れに気付かぬと、本当に中国の一つの省になってしまうかも解らない。
ぼんやりとクローズアップ現代を見ながら、そんなことを思っていた。

コメント (2)
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