昨日、二輪事業についての想いを書きました。
これは書き出すときりがないのですが、想いはいっぱいありますので、
昨日、1月29日のツイッターではいろいろつぶやきました。
結構ホンネでつぶやいていますので、是非ご一読下さい。
要は二輪事業は戦後100社を超えるメーカーが乱立した中で淘汰され
三菱、富士重、トーハツ、BS などと現在の4社を含む数社になったのですが、
これら大企業も本田宗一郎など浜松の企業との熾烈な競争の結果業界から撤退し、
現在のH,Y,S,Kの4社に絞られたものです。
大企業の体質では競争にならなかったと言えるでしょう。
当時の川崎航空機は戦後の中断があって、大企業の系列ではあったものの一種独特の気風があったこと、中大型スポーツの分野に差別化したこと、販売分野を国内はメイハツ、メグロ、海外は現地の人たちが直接担当し、所謂メーカの人達がやらなかったことが独り生き残ることが出来た理由だと私自身は思っています。
その頃から50年も経って、各社が大企業の体質になりつつあること、『自由奔放さの欠如』が今の問題だと思います。
現状を根本的に特にマーケットの分野から見直し、構造的な対応をやらない限り単なるコストや経費の削減ではなかなか難しいのではと思ったりします。
新しい発想こそが今求められていると思います。
政治の世界も、地方行政もみんな同じです。
大阪の橋下さん的な発想が要るのだと思います。
最後までお読み頂いて有難うございました。
お手数ですが、ちょっとクリックして頂けますか?
これは書き出すときりがないのですが、想いはいっぱいありますので、
昨日、1月29日のツイッターではいろいろつぶやきました。
結構ホンネでつぶやいていますので、是非ご一読下さい。
要は二輪事業は戦後100社を超えるメーカーが乱立した中で淘汰され
三菱、富士重、トーハツ、BS などと現在の4社を含む数社になったのですが、
これら大企業も本田宗一郎など浜松の企業との熾烈な競争の結果業界から撤退し、
現在のH,Y,S,Kの4社に絞られたものです。
大企業の体質では競争にならなかったと言えるでしょう。
当時の川崎航空機は戦後の中断があって、大企業の系列ではあったものの一種独特の気風があったこと、中大型スポーツの分野に差別化したこと、販売分野を国内はメイハツ、メグロ、海外は現地の人たちが直接担当し、所謂メーカの人達がやらなかったことが独り生き残ることが出来た理由だと私自身は思っています。
その頃から50年も経って、各社が大企業の体質になりつつあること、『自由奔放さの欠如』が今の問題だと思います。
現状を根本的に特にマーケットの分野から見直し、構造的な対応をやらない限り単なるコストや経費の削減ではなかなか難しいのではと思ったりします。
新しい発想こそが今求められていると思います。
政治の世界も、地方行政もみんな同じです。
大阪の橋下さん的な発想が要るのだと思います。
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