雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

育てるということ

2012-03-17 05:43:43 | 私の生き方、考え方&意見

★なぜか、『生き物』が好きである。

生きているものは、育っていく。

放っておいても育つが、育てるためには、まず育てる対象を明確にしなければならない。

全てを育てようとすると、すべてがダメになってしまうのである。

人間の社会でも、学校の入学試験などは、ある意味育てる対象を絞っているとも言える。

 

植物で言えば、『間引き』をして育てる対象を絞るのと同じ理屈かも知れない。

みんなを同じように育てようとするから、返って育たないのかも知れない。

 

★個人の趣味の範囲で言えば、庭木も好きだし、バラを育て出してもう10年近くになる。

小さいころから魚が好きで永年鯉を飼っていたりした。鯉も年々立派になる。

どちらも、ちゃんと面倒をみると年々立派になるのが、目に見えるのがいい。

 

 

 ★今こんな挿し木の薔薇が、新しい芽を出している。

2月に剪定をしたときに切った枝を捨ててしまうのも、何となく可哀想でこんな風に挿し木にしていたら、一人前に芽を出しているのである。

それぞれの挿し木には未だ多分根は出ていないだろう。水分だけで健気に育っているのである。

もう1ヶ月もすれば鉢の下に白く細い根が見られるようになる。

そうなったら、植え替えてやると今年の内に花を咲かせたりもするのである。

 

花を咲かせるのは、木の体力を消耗するから、丈夫に育てるためには『蕾を取ってしまえ』と本などには書いてあるが、折角の花をと思ってなかなか摘み取ってしまうことは難しい。

然し、確り育てようと思ったら、そうする方がいいのだろう。

最近は、無精になって、挿し木から育てたりしてなかったのだが、今家にある相当数の薔薇のうち挿し木から育てたものが半分近くもある。

 

 ★このピンクのバラ、アンジェラは、挿し木から育てたもので、もう一本同じものがある。

挿し木を取った親木の方は枯れてしまって今なない。

ホントか?と思われるだろうがホントなのである。

狭い庭でもう植える場所が見つからないぐらいにバラで埋まって、70本にもなってしまっている。

 

バラの木1本でもどの芽を育てるのか?どの枝を残すのか?

不要なものは、剪定して切ってしまわぬといい花は咲かない。

『育てる』ということは、厳しいことなのである。

 

★人間社会の中でも、いろんなものを育成しようとすれば、その対象をきっちりと選択しなければ『育たない』

ずっと手掛けてきた、『バイクの販売網』なども、その対象をドライに選択をしたから立派に育ったのだと思っている。

最初、大阪で500店の店を25店に絞ってしまったのである。

 そんな40年前のカワサキの政策の延長上に、今の日本の二輪販売網は出来あがっているのだが、

ネット社会になって、人々のモノの求め方も変わってしまっている現在、ホントに『店など沢山要るのか?』と思ったりしている。

ちょっと極端だが、現状の店を残そうとするから、業界全体が伸びないのではと思ったりもする。

 

要は、ユーザーが求めているのは、何か?

それは商品であったり、

サービスであったり、

それを使ってのレースや、遊びであったりするのだろうが、

それを手に入れるための綺麗な店など、今の時代にそんなに数多く求めたりはしていないのは間違いない。

生モノの魚をネットで買ったりする時代なのである。

 

厳しさがないから『育たない』

『育てる対象』が多すぎるのである。

末端の消費者が求めるモノは、『高質な機能』なのである。

 

★昨日から大阪モーターショーが始まったようである。

 

With Me の丸山浩さんが、来られるというので、行ってみようかと思ったのだが・・・・・・

今年、『新しい二輪文化の創造』を一緒にやってみようかという、仲間なのである。

今、一番育てたいと思っていること、

それは、『二輪文化』なのである

でも、これはなかなか難しい。

 

バラの挿し木のように、間違いなくその芽は目に見えるまでになっているのだが・・・・

 

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コメント (2)
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