★三木に小河家別邸はある。
現在は国登録の有形文化財に指定されている。
聞いてはいたが、中に入って見せて頂いたのは初めてのことである。
これはその紹介のカタログである。
別邸の間取りと見取り図である。
すぐ横は、もうまちなか、普通の住宅が並んでいる。
小河邸別邸は確か日曜日しか入ることは出来ない。
★私は、昭和8年生まれの今年79歳である。
終戦の年が中学校1年生、戦争が激しくなる前の小学校4年生のころと、
戦後のまちの様子は空襲で一変してしまった。
どちらも、空襲で焼失してしまったのである。
生まれ故郷の明石のまちも、母方の里岡山の西田町も、
所謂日本庭園のある住宅地で、本当にその造りはよく似ていた。
主庭、中庭、裏庭、離れ、泉水に灯篭みんな同じで、その面影は子どもの頃が思いだされて懐かしいのである。
当時私自身は、今のソウルに住んでいて、そのあたりは全て新しいどちらかと言えば様式の住宅ばかりだったので、
日本庭園のある住宅で暮らしたことはないのだが、夏冬の休みに戻ってきた時泊ったりする日本庭園のある屋敷は、如何にも子どもにとっては遊び難い存在だったのを覚えている。
兎に角、庭で遊ぶ場所など皆無なのである。
唯一違っていたのが、岡山の家で、泉水はすぐ横を流れる西川と直接繋がっていて、大きな真鯉やナマズが勝手に入ってきていて魚とりも出来たし、泳ぐことも出来たのである。
事実小学生2年生の夏にこの池で初めて泳ぐことが出来たのを鮮明に覚えている。
でも、それ以外は子どもにとっては全然オモシロミのない住宅であった。
間違いなく住みやすい家ではなかったと思うが、風格みたいなものはあったのだろう。
入り口から玄関へ
主庭の泉水
泉水と灯篭と庭木と主屋
これを維持していくのは大変だと思う。
昔はみんな『じいや』がいて庭の手入れはやっていたようだし、
かかりつけの庭師がいてその景観は保たれていたのだと思う。
★初めて訪れた小河邸別邸だったが、
正直な感想は『狭いな』というのが第1感だった。
これは三木の城下町で、山のすぐ下の美嚢川までの狭い土地に住宅が密集したので、これ以上は取れなかったのだと思ったりした。
もう一つの旧玉置邸も直ぐ近くにあるのだが、ここもそんなに広くはない。
今は住む方もおられないので、手入れの方もそこそこのレベルで、特に私の関心事の泉水は『期待外れ』だったのだが、予算などもあって致し方ないのだろう。
(写真に撮ってみると、なかなか綺麗に写ってはいるが・・・)
今の生活風習で言えば、このスタイルは、流行らなくて、
この手の家でも田中角栄御殿のような芝生つきのスタイルになるのだろうと思う。
そういう意味では、『国登録の有形文化財』には、このような狭いところを上手に使ったモノが当てはまるのかも知れない。
★ただ、非常にいいと思うのは、
妙に格式ばらずに、二つの有形文化財とも、誰でも使うことが出来ることである。
実は、来る4月15日に
午後からの『お花見会』を
この小河邸別邸をお借りして行うことになっているのである。
今回、三木にある国指定の有形文化財、旧玉置邸と旧小河邸別邸見学の二つのリレートークに参加したのも、
4月15日の下見を兼ねてのものだったことは間違いない。
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