★ 古谷仁 この春 慶応大学(湘南藤沢キャンパス)を5年かかって卒業する孫である。
その5年目は、1年間世界を舞台に踊りまくって それを卒業論文 というか卒業制作として提出したようだ。
『ME ON THE LAND 地続きな世界と踊る旅』 と題したその冊子を送ってくれた。
Facebook のメッセージでこのように説明してくれている。
『 卒業制作です! 論文ではなく、映像と冊子を製作物として提出しました。 他の学校では認められないようなものかもしれませんが、SFCならではの卒業制作だと思います。SFCは、僕の大学の略称です(慶応湘南藤沢キャンパス=SFC)。 論文はとくに政治・経済・コミュニケーションなど、製作はとくに建築、デザインなどをやっている学生が選択します。 僕は、ランドスケープデザインの研究室(デザイン)で卒業論文・製作が選択可能で(研究室の先生にそこはゆだねられてます)、僕は製作を選びました。』
そんなことらしい。
私自身も大学は5年行ったのだが、その5年目は野球部の監督をしていた。大学で勉強をしたわけではなくて、一生懸命やってたのは野球だったように思う。その仕上げが『野球部監督』だったのだが、卒業論文は、野球部の部長の『経済地理』だったので、何か書いたが何を書いたのかも覚えていない。とにかく提出したらOKだったのである。
孫の『卒業制作』と称するこの冊子と世界の街角で踊った『You Tube』を見たが、一言で言ってこれは 熱っぽいし素晴らしい。
いつまでも『ダンスなどに凝って』と思っていたが、『成長したな』というのが、今の感想である。
ダンスで世界を記述する
世界を周り、音楽を聞き、各地で踊る。日本国内やパリ、ベルリン、ニューヨーク、シチリア島、ジャカルタにおける公園、広場、観光地などへ赴き、 GOPRO SESSIONを片手に、ストリートダンスの撮影を続けてきた。
石川初研究会のもと「地上学」を学ぶ私は、都市や風景の新たな記述の仕方を学んできた。それはランドスケープのデザインを考えるということである。空間を取り巻く局所な単位から広域な単位までを見つめ直し、空間や風景の新しい美的価値を発見する手法を探求してきた。その過程でセントラルパークなどのランドスケープ史で重要な公園や広場などに触れる機会が多かった。
卒業の制作を考える時期になり、私にしかできないランドスケープを記述する術はないかと考えた。それがストリートダンス、踊るという方法であった。ランドスケープ史で必出する公園という場所は、パーティやジャム・セッションなどを通じてヒップホップカルチャーが生まれたストリート誕生の地でもある。公園や街頭など、まさにストリートな場所で踊り、それらを記録に残したいという純粋な希望も、私を後押ししたのだろう。
という書き出しでその『卒業制作』は始まっている。『私にしかできないランドスケープを記述する術はないかと考えた。』とある。
確かに、これは古谷仁にしか出来なかったことだと思うが、 昨年4月この世界への旅は、神戸のメリケンパークから始まっているのである。
何かよく分らなかったが、孫に頼まれて、1日 メリケンパークー大阪ー三木森林公園 と私は付き合わされたのである。
卒業制作の冊子の中にも、こんなページがあって「祖父」という文字も見えて、地図の中の赤い線は、私が車で走ったルートで三木ー神戸ー大阪からぐるっと一周してるのである。
★昨年4月にアップしている『ブログ』からの抜粋である。
昨日は1日、孫 古谷仁と一緒に過ごした。 突然やってきて、1日付き合って欲しいという。 何をするのかと思ったら、大学の卒論を書く材料を集めるのだという。何のことかよく解らなかったが、空間というか広場の『ランドスケープデザイン』の研究とか、訳の分からぬことを言うのだが、要は『神戸のメリケンパーク』や『天王寺公園』、『千里のセルシー広場』の状況を調べるので、『そこまで車で連れて行って欲しい』ということなのである。メリケンパークでは、『広場』としての空間、段の高さなど尤もらしく調べたりしていた。
どんな風に纏めるのか? それはそれとして、孫古谷仁と過ごした1日、1万歩近く歩いたし、車は150キロ以上走行した。 『いい1日だった』と思っている。
★ 卒業製作は、こんな項目で纏められている。
そしてこんな 『You Tube 』 で世界の街角を紹介している。
https://www.youtube.com/watch?v=dDJVAwvTgoE
1年かかって、世界を旅して、纏め上げている労作である。
その You Tube の画面から撮った画面である。
いま実家のある鎌倉・由比が浜
生まれ故郷の広島
インドネシアのジャカルタで
ヨーロッパは イタリアもドイツも、フランスのあちこちで
ドイツでも、
最後にはニューヨークで
★ 昨年の春、卒業するとばかり思っていたのに、1年留年するという。
正直なぜ? と思った。
運動部のようなダンスクラブに属していて『ハマっていた』のは知っていたが、それで卒業できなかったのかなと思っていたが、まさか1年掛けて『卒業制作』をするために、留年するとは思いもしなかったのである。
この冊子、『卒業製作』と称する論文を読んでみたが、ホントに確りと書かれている。
いつだったか、『小説家になりたい 』などと漏らしたことがあった。
この論文の最後はこのような文章で締められている。
突然だが、日本を代表する小説家・村上春樹はこう語る。
小説家とは世界中の牡蠣フライについて、どこまでも書きつづける人間のことである。自分とは何ぞや? そういうまもなく(そんなことを考えている暇もなく)僕らは牡蠣フライやメンチカツや海老コロッケについて文章を書き続ける。(雑文集 村上春樹より引用)
そして、こう続ける。
「自分とは何か?」という問いかけは、小説家にとってはーというか少なくとも僕にとってはーほとんど意味を持たない。それは小説家にとってはあまりにも自明な問いかけだからだ。我々はその「自分とは何か?」という問いかけを、別の総合的なかたちに(つまり物語のかたちに)置き換えていくことを日常の仕事としている。(雑文集 村上春樹より引用)
このすさまじく説得力のある文章に擬えて、言わしせていただきたい。
「自分とは何か?」という問いかけは、ストリートダンサーにとっては(というか少なくとも僕にとっては)ほとんど意味を持たない。それはダンサーにとってはあまりにも自明な問いかけだからだ。僕は「自分とは何か?」という問いかけを、別の総合的なかたちに(つまりダンスというかたちに)置き換えて、日常の生活を送っている。
と断言し、この5年間の幕を閉じたい。
と結んでいるのである。
★実は、先日『卒業式はいつ、卒業後は?』と聞いたら『卒業式は3月です。まだ、何も決まっていません!』という返事なのである。
孫とは何となく気が合って、大学生にもなっているのに、いろんなことで先方から連絡があったりするのである。
『何も決まっていません!』はやはり気になって、『三木に来るか?』と言ったら、今週か、来週にやってくるらしい。
普通の会社員などにはなりたくない、と思っていることは解っていたのだが・・・ダンスはどうも遊びとは思っていない節がある。
最後の『感謝』というページで
お世話になったいろんな人たちに感謝しているのだが、撮影を手伝って頂いたいろんな人たち・・・『嵐山・金閣寺では母親の古谷規子さん。 たびたび航空券をとっていただいた父親・古谷大治さん』と両親に客観的に感謝の意を表しているのである。
昨年の今頃、『卒業しない』は、やはり意外であった。
今年のいま『何も決まっていません』は、やはり意外なのだが、昨年の心配が杞憂であったように、来年の今頃は、また違った成長している 古谷仁 が見られるかも知れないのである。
『自分とは何か?』 それを私などの若い頃と違って、もっと真剣に考えているのかも知れないのである。
『差別化された人生』 私など結果的にそんな生き方になったが、『自らそれを求めるのも、またいいのかも知れない』
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