雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

パンを焼く

2017-03-19 08:41:52 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★ 日本のパンはいろいろあっておいしい。

それに比べるとアメリカはもう一つで、娘の家では毎朝、『パンを焼いている』 

去年、1ヶ月ほど滞在して、毎朝そのパンを食していたのだが、昨秋娘が日本に来てた時に、我が家も『パン焼き器』なるものを買ったのである。

いろんなパンが焼けるので、家のことは何にもしない私が『このパン焼き器』でパンを焼くことにした。

 

未だ、何種類しか焼いていないが、パンフレットによると、こんなに沢山いろいろと焼くことができるようである。

 

        

   

 

★前の晩に準備して、焼き上がる朝の時間を予約しておくと、その時間にきっちりと焼き上がる。

 昨日は、7時半の予約だったが、何分前から表示が出て、焼き上がると音で知らせてくれる。

 

焼き上がってから取り出したところまでを動画で撮ってみた。

まずは、その動画をご覧ください。

 

 

 

 今回は「パン・ド・ミ」 を焼いたのだが、ここにあるように準備する。

 ややこしいようだが、慣れると大したことはナイ。

 

   

 

 焼き上がる 44分前である。  そんな表示が出る。

 

  

 

 

 焼き上がりました。  小さな音がする。

 

 

 

  蓋を明けると、こんな感じである。

 

 

 

  上手に焼けました。

 

 

 

 

  焼きたては暖かいし、 そのままで めちゃ美味しい。

 

     

 

 

★ 2人家族だから、3日に一度 焼いている。

 当たり前のことかも知れないが、説明書の通りにやれば、ちゃんと焼ける。

 誰が焼いても同じだと思う。

 パンのレベルは?

 自分で焼くからかも知れぬが、『市販のパン』以上と言っていい。

 

 『食パン』にもいろいろあるが、少しづつ焼き方や、その材料の分量が変わるだけである。

  

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一とくの女将さん

2017-03-19 07:34:09 | 発想$感想

★昨年の7月に『高橋さんを偲ぶ会』ということでこんなメンバーが灘の酒心館に集まった。

   

   http://blog.goo.ne.jp/rfuruya1/e/c67c41b1762e6fc0d6d6d121d7153321

というブログをアップしたのだが、年が明けて今年の2月に『一とく女将です』とこんなコメントを頂いていた。

それを、実は昨日まで見逃していて、ご返事をさせていいただいたところなのだが、

誠に懐かしいし、想い出いっぱいの『一とくの女将さん』なので、その思い出を書き残しておきたいと思って、このブログを書いている。

 

    

 

       Unknown (一とく女将です)2017-02-17 20:44:41

       鐡朗さんが、お亡くなりになり淋しいかぎりです。

       以前、飛燕の復元機について、手紙をお出ししたところ、御返事がなかったのでもしやと思っておりました。

       謹んでお悔やみ申し上げます。

  

★『一とくの女将さん』間違いなく私よりはお年寄りである。

 お幾つにおなりなのか? ブログを見て頂けるほどご健在なのにはびっくりである。

 

私は、明石の上ノ丸で生まれ、今も本籍はそこである。

小学校の頃は朝鮮にいたのだが、その当時から夏・冬の休みには明石に遊びに戻っていたので、戦前の明石もよく知っていて、当時子供の居なかった伯父に可愛がってもらって、いろんなところに連れていかれたので、小学生の頃から、いろんなところを知っている。

当時の花隈も有馬温泉も明石の飲み屋さんなど所謂宴席にも連れていかれたので、当時の芸者さんなどにも可愛がってもらって、就職してから明石の飲み屋に行くと私は覚えていないのに「大きくなったね」などと言われたりしたのだが、『一とくの女将』さんもそんな中のお一人なのである。

私自身はそんなに酒飲みでもないし、独りで出かけることなどはないのだが、何故か「一とく」はカワサキの二輪事業の人たちがよく行ってたので私も一番数多く行った飲み屋さんは「一とく」なのである。女将さんのお嬢さんが確か私の妹と同級生であったりした。

お客の中でも、明石の戦前のことが話し合える数少ない客の一人だったのである。

 

『一とく』に私とよく行ったカワサキの方と言えば、小野助治さん、苧野豊秋さん、田中誠さん、坂口守次さん、小野田滋郎さん、大庭浩さん、それに髙橋鐵郎さんなど私よりみんな上の方ばかりなのだが、もうみんな逝ってしまわれたのである。

 

   

 

明石の銀座通りからちょっと中に入ったこんな場所に『一とく』はあったのだが、今はどうなっているのだろうか?

それはよく解らない。

いま、戦前のことを言ってもどなたもお解りにはならないのだが、この辺り一帯は戦後の明石の大火で焼けてしまって、今の銀座大通りができたのだが、それまでは城下町特有の細い通りの町だったのである。

私の小学生の頃は、今の魚ん棚のある細工町に伯父に家があったりしたので、この辺りのことはな何となく覚えている。

その頃から今もあるのは『先春園』というお茶屋さんぐらいであとはみんな様変わりしているのである。

そんな中で『一とく』があったあたりは、 

 

    

 

  昔の曲がりくねった『山陽道』の今では細い道筋あたりだったと思う。

昔のメイン通り『山陽道』に比べて、今の道がどれくらい広いのかは興味のあるところなのである。

 

    

 

若し私の記憶が正しければ、『一とく』はこの山陽道に面してあったのではなかろうか?

 あれだけ何回も行ったお店の場所でも、今思い出そうとするとなかなか大変なのである。

 

『一とく』によく行ってた頃は、板前さんとも懇意にしていて、当時はまだ中崎の海岸に砂浜があって投げ釣りでカレイなど何匹でも釣れたのだが、それを帰りに『一とく』に寄って板前さんに捌いて貰って持って帰るほど懇意にお付き合いして頂いたお店なのである。

あのフィリッピンの小野田寛郎さんの弟さん小野田滋郎さんが特に『一とく』はお気に入りで、小野田さんの送別会を苧野さんと坂口さん私の4人でやったのだが、そのときに小野田さんが私にくれた言葉が『雑音に耳を貸すな』なのである。

これは今でもちゃんと守れて、信念をもって自らが思うように生きれていると思っている。

 

こんな昔ばなしみたいなこと書いているが、果たして『一とくの女将さん』の目に留まるだろうか?

2月には折角のコメントを頂いたのに、うっかり見落として1ヶ月も放置してしまって失礼をしたので、今回もしコメント頂いたら、確りと対応しようと思って書いている。

いずれにしても『一とくの女将さん』お元気で過ごされること祈ってます。

 

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