★ 昨日、突然 忍者の伊藤彰さんから電話が掛かってきた。
伊藤さんの電話はいつも突然ばかりなのだが、何を思ったのか?
『古谷さん、明日家にいますか? いちご大福を送ろうと思っているのですが、賞味期限が1日しかないので・・』というのである。
『いるよ』と言ったので、日曜日に宅急便で届いた。
電話でも言っていた、当時の写真も入って、手紙が添えられていた。
送って頂いた『いちご大福』の 一心堂は 検索すると直ぐ現れる銘店で、それはこんなに立派である。
早速、頂いたが確かに『美味しい』 伊藤さんありがとうございました。
こんな手紙が、添えられていて、「私のブログ」のことを誰かに言われて、きっちりと日付など書かれているが『日記でもあるのか?』と聞かれて、電話をしてきたようである。
送られて来た伊良湖での写真には私が写っていないのだが、『大阪カワサキ共栄会 1972,10,27』とあるので、それこそ日記を調べてみたら、前日の日記にこのような記述があった。
翌日の朝早く、名古屋の鍋島君、吉岡君との3人で鍋島くんの車で東京に移動していたのである。
この写真には、懐かしい顔がいっぱいである。
伊藤さんも言ってたが、すでに亡くなってしまった方もいて、ホントに昔のことなのである。
ちなみに、昔のことを聞かれて、『伊良湖の会議』には『あなたは出ましたか?』と言われると『出たと思います』
では、『この写真にあなたはなぜ写っていないのですか?』 などと聞かれたら、答えに窮してしまうと思う。
人間の記憶とはその程度不確かで、日記でチェックするから、何とか思い出したりするのである。
いま、連載中の『カワサキの二輪事業と私』は、そういう意味で正確を期して毎回日記やその他の資料をチェックしながら書いているのである。
次回はこの翌年、1973年、特約店制がすでにスタートして、国内でもZ2が春に発売になったのである。
★当時は「伊藤モータース」 今は 株)忍者 と店名は変わっているが、『伊藤彰』さんは、昔と全く変わっていない。
私は、全国のいろんな販売店と結構懇意だし、今でも昔と同じようにお話ができる店も多いのだが、そんな中でも「伊藤さん」は特別かも知れない。
一番『厳しい文句を言われた店』は、ダントツで伊藤モータース なのである。
ただ、厳しいが『結構、正論』で、無茶苦茶な文句は言ったりはしないのである。
当時の日記を見ていたら、同じ年の11月20日に、こんなことを書いている。
中味が何であったかは全く記憶にないのだが、書いている内容から言って、伊藤さんが新しく創った店の装飾か何かのことだと思う。
榊君とは当時のカワ販のデザイナーで、伊藤さんの新店舗も、船場さんの新店舗もその装飾を手伝ってくれたのである。
この『カワサキ』のロゴは、榊君の作である。
これは私の広告宣伝課担当の頃に創ったのだが、当時は結構な予算を持っていたので、広告代理店の大広さんが、有名デザイナーに頼みましょうか? と言って、
東京オリンピックのポスターのデザイナー 亀倉雄策さんに見積もりをお願いしたら「7000万円」というお答えなので、流石にびっくりして『榊栄二郎』作と変更したのである。
広告の世界では、4文字の字数のデザインということではなくて『カワサキ』という4文字は あらゆる広告に使用される基礎の4文字だからその使用効果から、そんな値段になってしまうのである。
大体、社名のロゴ変更は1億円というのは相場のようである。
ちょっと、脱線したが榊君は、当時の大阪の船場さんにも、伊藤さんにも大いに気に入ってもらっていたメンバーの一人なのである。
★そんな一徹な 伊藤彰さんは、カワサキの特約店制度スタートの核的存在で、その後もカワサキ一筋の50年だったのだが、彼は今回の『カワサキの販売網新政策』には、付いていけなくて辞退するようである。
こんなカワサキファンの店が『抜ける』という施策は、それがどのようなものであったとしても、『ホンモノ』ではない と私は思っている。
別に、伊藤さんから『いちご大福』を頂いたから、そう言っているのではなくて、私も『ホンネ』以外でモノを言うことはできないのである。
OBが現役に文句を言うのもどうかと思うが、他にも、伊藤さんと同じような心情のお店もいっぱいあるようなので、敢えて苦言を呈しているのである。
今から40年経って『楽しかったですね。懐かしいですね。良き時代でしたね』 と言えるようなものであって欲しいと思っているのである。
★三木 緑が丘 サンロードを愛する人のカイ!のホームページです
★毎日発行される NPO The Good Times 新聞です。