★三木に移って来てもう50年近くにもなるのだが、
当初から我が家の庭は、戦前に明石の本家に入っていた庭師の方が、
『任せておきなさい』と言われて当時は金も苦しかったので、
庭づくりの費用など一度には払えないので、
ほんとに10年もかけて石造りから造園までやってくれて、
『ある時払いの催促なし』で造られた庭なのである。
ところが樹はなぜか枯れるのである。
実はごく最近も玄関の前の『キャラボク』が枯れた。
当初は柘植の樹の前に植えられていたのだが、
柘植が枯れてしまったので私が勝手に『みかんと柚子』を植えている。
その前に植えられていた『キャラボク』が枯れたので、
今日、そこに『シダ』を植えたのである。
植物にも格があるとすれば、全然違うのだが、
『まあいいか』と思っている。
『花の咲く樹はもう一つだ』などと言って、
庭の核となる場所には
『柘植』や『マキ』なの『花の咲かない樹』が植えられていて
『五葉の松』など樹齢100年もするのではと思われる
こんな盆栽風の松があったのだが、これも枯れてしまった。
別に何もしないのだが、生命のあるものには死もあるのは
樹木も人間も同じだから仕方がない。
★ そんなことで、かっては『風格』が感じられた
この一画も今では『薔薇』や『サクランボ』などになってしまって、
反対側から見ると
角に植えられた『マキ』が枯れずに残っているので、
周囲の石積みとも何とかマッチしているのである。
★ こんな剪定が必要な昔の庭も、今どきはお呼びでないのだろう。
庭木は『大きくしない』ようにしないと
大きくしてしまうと『庭の形が変わってしまう』
そんなことを言ってみても、庭に時間を掛けれるのは
私のような『時間がいっぱいある』高齢者でないと無理かなと思う。
この庭も、私がいなくなってしまったら、
『どんなことになるのだろう?』
と思ったりするのだが、『まあ、なるようになるのだろう』と思ったりしている。
今回、『キャラ』の後に『シダ』を植えたのも、
『シダ』なら放っておいても大きくならないし、手入れが要らないと思ったからである。