★ 若いころカワサキのファクトリーチームを担当したこともあって、
当時の世のライダーたちとは、いろんな形で繋がっていて、
今回、11月に開催する『Z50周年祭』にも多くの有名ライダーが参加してくれるのだが、
そんなカワサキの二輪事業に直接大きな影響を与えたのが、
1962年(昭和37)11月に開催された
日本で初めての本格的な鈴鹿ロードレースだったのである。
このレースでは、250㏄が三橋実・350㏄が片山義美と二人のヤマハライダーが優勝するのだが、
三橋実・片山義美のこの二人のライダーこそ、
カワサキのレースを育ててくれたと言っても過言ではないのである。
こんな当時の250ccの記録をネットで見つけたが、
ここに名を連ねている三橋・本橋・片山・宇野さんは知ってるし、
宇野順一郎さんは今回の『Z50周年祭』にもご出席なのである。
★ この250㏄優勝者の三橋実は、
カワサキが本格的にレースを始めた時から関東の厚木に『カワサキコンバット』というチームを創って、
安良岡健とともに梅津次郎・岡部能夫・星野一義などの若手ライダーの育成にあったってくれたし、
当初は自らライダーとして出場してくれたのである。
こんな貴重な写真がネットの中にあった。
多分、第1回MFJ 全日本モトクロスの相馬が原での写真ではなかろうか?
ヘルメットの『1の字』がコンバットのマークである。
これがスタート間もないころのカワサキのファクトリチームのメンバーで、
右から6人目が三橋実なのである。
このメンバーの殆どがカワサキコンバットなのだが、
その中の二人右から3番目と4番目が神戸木の実クラブの山本隆・歳森康師で、
皆さん後にはみんな有名ライダーに成長するのだが、このころはまだ名もない若手ライダーだったのである。
片山義美さんは、ヤマハ・スズキとの契約で、カワサキとの関係は直接なかったのだが、
そのメンバーたちがみんなカワサキとの契約だったのである。
これはその『神戸木の実クラブ』の会合が三木で開催された時の
片山義美を囲むカワサキのレースライダーである。
このほかに歳森康師と星野一義も一時『神戸木の実』に名を連ねたのである。
日本での初めてのロードレースの優勝者・三橋実と片山義美がカワサキとこのように密接に繋がっていたのは、ほんとに不思議なご縁なのである。
★ 若し鈴鹿サーキットが無ければ、
三橋実と片山義美との出会いが無ければ
カワサキの二輪事業もレースも全然違ったものになっていたのだろう。
そんな鈴鹿のロードレースレースだったし、
このレースの見学を裏で画策したのは
兵庫メグロの西海義治社長なのである。
もっと極端に言えば、本田宗一郎さんが鈴鹿サーキットを造らなかったら
カワサキの二輪事業もなかったかも知れない。
これはずっとのち、兵庫県でのモトクロスレースに本田宗一郎さんがお見えになった時の、西海さんとの貴重な写真である。